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2019年 09月 10日 ( 3 )

2019年 09月 10日
称念寺・ 新田義貞公御墓所(福井県坂井市丸岡町長崎)
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称念寺(しょうねんじ)福井県史跡 新田義貞公御墓所

太平記 巻二十では義貞公が自害したあとをこう記す
軍散じて後、氏家中務丞、尾張守の前に参て、「重国こそ新田殿の御一族かとをぼしき敵を討て、首を取て候へ。誰とは名乗候はねば、名字をば知候はねども、馬物具の様、相順し兵共の、尸骸を見て腹をきり討死を仕候つる体、何様尋常の葉武者にてはあらじと覚て候。これぞ其死人のはだに懸て候つる護りにて候。」とて、血をも未あらはぬ首に、土の著たる金襴の守を副てぞ出したりける。尾張守此首を能々見給て、「あな不思議や、よに新田左中将の顔つきに似たる所有ぞや。若それならば、左の眉の上に矢の疵有べし。」とて自ら鬢櫛を以て髪をかきあげ、血を洗ぎ土をあらひ落て是を見給ふに、果して左の眉の上に疵の跡あり。是に弥心付て、帯れたる二振の太刀を取寄て見給に、金銀を延て作りたるに、一振には銀を以て金膝纏の上に鬼切と云文字を沈めたり。一振には金を以て、銀脛巾の上に鬼丸と云文字を入られたり。是は共に源氏重代の重宝にて、義貞の方に伝たりと聞れば、末々の一族共の帯くべき太刀には非と見るに、弥怪ければ、膚の守を開て見給ふに、吉野の帝の御宸筆にて、「朝敵征伐事、叡慮所向、偏在義貞武功、選未求他、殊可運早速之計略者也。」と遊ばされたり。さては義貞の頚相違なかりけりとて、尸骸を輿に乗せ時衆八人にかゝせて、葬礼の為に往生院へ送られ、頚をば朱の唐櫃に入れ、氏家の中務を副て、潜に京都へ上せられけり。
 「尸骸を輿に乗せ時衆八人にかゝせて、葬礼の為に往生院へ送られ」て弔われたんが、この称念寺だそうだぃね。

 日が暮れる前に称念寺へ急ぐ。近くでは北陸新幹線の工事が行われてて、カーナビの案内がビミョーに違ってるとこもあってまぁず悩んだよ。しっかし燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地までまぁず距離あんなぁ。4kmぐれぇあったんじゃねーきゃ。尸骸(亡骸の胴体部分)を輿に載せてぐんも大変だったんべなぁ。

 称念寺に到着。事前にお寺のホームページを見ると、義貞公推しだったんだんで、さぞかし義貞公一色かと思いきや・・・
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明智光秀公ゆかりの寺・・・(´Д` )

 来年のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀が不遇の浪人時代にこの称念寺に身を寄せてたことがあるらしく、義貞公より、全面的な明智光秀推し!!あぁ無念なり!おそるべし大河ドラマの影響力!

b0004675_15324767.jpg あの松尾芭蕉もここに立ち寄り(1689)、明智光秀の夫婦愛の話を聞き、感激して詠んだ句の碑も建ってるで。来年の大河のときに絶対出るな、これ。

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天保8年(1837)新田義貞公500回忌に
福井藩主松平宗矩が建立した高さ2.6m余りの五輪石
塔下2段は旧墓石
藪蚊がいっぺぇ

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称念寺本堂:
明智光秀の幟が・・(´Д` )

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せっかくだから明智光秀の現地案内板も載せとく

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称念寺案内板:ここも明智光秀が優勢に!

b0004675_15313818.jpg 住職の書いた文献が本堂前にあったんで、購入してきたで。


b0004675_15281431.jpg 寺の隣では北陸新幹線が建設中だったぃ。


【参考文献・サイト】
 称念寺(公式)
 「新田義貞公と時宗・称念寺」高尾察誠 2016

 来年の大河ドラマは「麒麟がくる」で明智光秀だけんど、再来年の「青天を衝け」の主人公は渋沢栄一なんだと!渋沢翁は昔は新田庄の血洗島出身だかんなぁ。再来年はぜひ義貞公全面推しに戻ってくんなぃ(笑)

 これで念願の福井の義貞公の関連史跡を3ケ所巡れたし、雨降りだったんは残念だったけんど、いやぁ実に有意義な旅だったぃ。いつか杣山城や金ヶ崎城や木の芽峠もぜひ行ってみてぇなぁ。でも東毛から500kmあって、車じゃまっさか遠かった。次はぜひ北陸新幹線がいーなぁ。

 福井・新田義貞公関連史跡めぐり 2019 ~完

by dr_suzuki | 2019-09-10 15:46 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 10日
燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地 (福井県福井市新田塚町)
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国指定史跡・燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地(福井県福井市新田塚町)


 藤島神社を後にし、雨の中北上。次の目的地は「新田塚」、燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地さね。

「新田塚」は福井市新田塚町の藤島神社の旧蹟地だそうだぃね。かつて義貞公が被っていた兜が江戸時代(1656)に掘り出され(しかし近年ではこの兜は義貞公の時代と合わねぇとされてる)、新田義貞公の戦没地とされていた場所だぃね。その兜は藤島神社の社宝になってて、こないだ、群馬県歴史博物館で大新田氏展が行われたときに展示されてたんで、見にいったんさ。

太平記 巻二十では義貞公の最後をこう記す
義貞自害事 
燈明寺の前にて、三万余騎を七手に分て、七の城を押阻て、先対城をぞ取られける。兼ての廃立には、「前なる兵は城に向ひ逢ふて合戦を致し、後なる足軽は櫓をかき屏を塗て、対城を取すましたらんずる後、漸々に攻落すべし。」と議定せられたりけるが、平泉寺の衆徒のこもりたる藤島の城、以外に色めき渡て、軈て落つべく見へける間、数万の寄手是に機を得て、先対城の沙汰をさしおき、屏に著堀につかつてをめき叫でせめ戦ふ。衆徒も落色に見へけるが、とても遁るべき方のなき程を思ひ知けるにや、身命を捨て是を防ぐ。官軍櫓を覆て入んとすれば、衆徒走木を出て突落す。衆徒橋を渡て打て出れば、寄手に官軍鋒を調て斬て落す。追つ返つ入れ替る戦ひに、時刻押移て日已に西山に沈まんとす。大将義貞は、燈明寺の前にひかへて、手負の実検してをはしけるが、藤島の戦強して、官軍やゝもすれば追立らるゝ体に見へける間、安からぬ事に思はれけるにや、馬に乗替へ鎧を著かへて、纔に五十余騎の勢を相従へ、路をかへ畔を伝ひ、藤島の城へぞ向はれける。其時分黒丸の城より、細川出羽守・鹿草彦太郎両大将にて、藤島の城を攻ける寄手共を追払はんとて、三百余騎の勢にて横畷を廻けるに、義貞覿面に行合ひ給ふ。細川が方には、歩立にて楯をついたる射手共多かりければ、深田に走り下り、前に持楯を衝双て鏃を支て散々に射る。義貞の方には、射手の一人もなく、楯の一帖をも持せざれば、前なる兵義貞の矢面に立塞て、只的に成てぞ射られける。中野藤内左衛門は義貞に目加して、「千鈞の弩は為■鼠不発機。」と申けるを、義貞きゝもあへず、「失士独免るゝは非我意。」と云て、尚敵の中へ懸入んと、駿馬に一鞭をすゝめらる。此馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々輒く越けるが、五筋まで射立られたる矢にやよはりけん。小溝一をこへかねて、屏風をたをすが如く、岸の下にぞころびける。義貞弓手の足をしかれて、起あがらんとし給ふ処に、白羽の矢一筋、真向のはづれ、眉間の真中にぞ立たりける。急所の痛手なれば、一矢に目くれ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思けん、抜たる太刀を左の手に取渡し、自ら頚をかき切て、深泥の中に蔵して、其上に横てぞ伏給ひける。越中国の住人氏家中務丞重国、畔を伝て走りより、其首を取て鋒に貫き、鎧・太刀・々同く取持て、黒丸の城へ馳帰る。義貞の前に畷を阻てゝ戦ける結城上野介・中野藤内左衛門尉・金持太郎左衛門尉、此等馬より飛で下り、義貞の死骸の前に跪て、腹かき切て重り臥す。此外四十余騎の兵、皆堀溝の中に射落されて、敵の独をも取得ず。犬死してこそ臥たりけれ。此時左中将の兵三万余騎、皆猛く勇める者共なれば、身にかはり命に代らんと思はぬ者は無りけれ共、小雨まじりの夕霧に、誰を誰とも見分ねば、大将の自ら戦ひ打死し給をも知らざりけるこそ悲けれ。只よそにある郎等が、主の馬に乗替て、河合をさして引けるを、数万の官軍遥に見て、大将の跡に随んと、見定めたる事もなく、心々にぞ落行ける。漢高祖は自ら淮南の黥布を討し時、流矢に当て未央宮の裡にして崩じ給ひ、斉宣王は自楚の短兵と戦て干戈に貫れて、修羅場の下に死し給き。されば「蛟竜は常に保深淵之中。若遊浅渚有漁綱釣者之愁。」と云り。此人君の股肱として、武将の位に備りしかば、身を慎み命を全してこそ、大儀の功を致さるべかりしに、自らさしもなき戦場に赴て、匹夫の鏑に命を止めし事、運の極とは云ながら、うたてかりし事共也。
 「天皇の股肱なんに、まぁずあっけねぇ最後で、がっかりだよ!」とむべもねぇやぃなぁ。

 雨の中目的地に到着。
 駐車する所に難儀し、県道を挟んだショッピングモール駐車場に停めさせていただく。
 そしてザーザー降りの雨ん中、傘をさしての参拝。
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拝殿

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現地説明板(かすれてる)

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新田塚・現地石碑

 生品神社で挙兵してから、幾多の運命に翻弄され、一度も新田の地を再び踏むことなく、偵戦中に足利方と遭遇し無念の戦死。義貞公、さぞかし無念だったんべなぁ。

 現在は地元新田塚町の方々を中心に5月5日(祝日)を新田塚祭礼日としてるそうだぃね。新田宮司の話では、昔は広大な田畑だったけんど、今は人口2万人余の福井市の新興住宅地になってるんだと。

 せっかくなんでスーパーに寄って、福井のお土産になりそうなもんを購入。福井ってブリのイナダのことを「フクラギ」ってゆうんだねぇ。

 さてとじゃあ日も暮れそうだし、最後の目的地に行ぐんべぇ(つづく)

by dr_suzuki | 2019-09-10 15:11 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(0)
2019年 09月 10日
藤島神社(福井県福井市毛矢)
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藤島神社(福井県福井市)
藤島神社に念願の参拝!

 2019年夏の旅行は、北陸をチョイス。東毛の英雄、新田義貞公を主祭神とする藤島神社を訪れて参拝するんが今回の旅の主目的の一つさね。ここに一度行ぐんは子供の頃からの夢だったんさ。以前からネットで藤島神社の新田義和宮司と知り合い、交流していただいてたんで、訪問の予定をお知らせすると快諾していただいたんさ。ただ8月25日が藤島神社の大祭(義貞公の御命日)にあたるんで、お邪魔にならぬよう27日に向かうことにしたで。

 8月27日、朝から雨。午前中に永平寺町の吉祥山永平寺に参拝して、昼食を摂ったあと、雨の中、藤島神社に向かう。途中藤島地区を通過。藤島神社は市街を見下ろせる小山・足羽山の中腹にあるんだけんど、福井市って、路面電車があるんね。路面電車の交通法規ってすっかり忘れちまってて、なっから焦ったで。

 藤島神社の公式サイトによると、明治に入って、新田義貞公の忠誠に対し神として祀る運動が起こり、明治9年11月「別格官幣社藤島神社」が創建、明治14年同郡牧ノ島に社殿を移したが、水害が甚だしいため、明治34年5月、足羽山の現在地へ遷されたんだと。

 藤島神社へ到着。まずは拝殿に参拝。

 義貞公!草莽のすずき@東毛、はるか新田の地より越前まで参じました!
 いやぁガキの頃からの宿願を果たして感無量~!

 そして藤島神社の社務所で新田宮司に初にお目にかかり、いろんな話を伺えたんは実に有意義だったいね。あぁ来て本当に良かったぃなぁ。

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拝殿を横から(正面の画像はオレが写り込んでたんで割愛)

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本殿(雨天の上に逆光・・・)

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摂社・野神神社
滋賀より分祠、義貞公の愛妾・勾當内侍を祀る
縁結びの神になってるで

 今から3年半後には北陸新幹線が敦賀まで延伸されるそうなんで、その際には敦賀の金ヶ崎城と合わせて、またぜひ天気の良いときに参拝に伺いてぇやぃなぁ。
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新田宮司、お土産を頂戴しありがとうございました!


 【参考サイト】
 藤島神社(贈正一位新田義貞公之大宮) (公式)

 さて、次の目的地に行くんべぇ。

(つづく)

by dr_suzuki | 2019-09-10 14:58 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(0)