国指定史跡・岩宿遺跡 (みどり市笠懸町阿左美岩宿)稲荷山側
史跡岩宿遺跡保護観察施設(岩宿ドーム)・琴平山側/相沢忠洋氏銅像/道標
稲荷神社参道/稲荷大明神/稲荷山山頂(188.3m)
正月休みにいくつか群馬関連本を読んだんさ。その中のひとつが、岩宿遺跡の発見者、相沢忠洋氏著『「岩宿」の発見』(講談社文庫)。確か子供のころ図書館で借りて読んだ記憶があるけど、改めて読み返してみたぃね。
相沢忠洋氏は、行商の傍ら、赤城山麓や東毛の遺跡を調査(
二ツ山古墳の調査にも行ってたらしい)し、昭和21年に琴平山(南)・稲荷山(北)の鞍部の切通しの中の関東ローム層から黒曜石の打製石器を発見。昭和24年には、この地で更に槍先形石器を発見し、明治大学の調査団によって
日本の旧石器時代の存在が証明されたんだぃね。これは
日本史の教科書にも載ってる有名な場所だぃね。現在は「勝手に周囲の発掘禁止」と文化庁のお触書が立てられてるで。
行商の傍らも夢を追い続け、田舎の人々の偏見や中傷にも負けず、志を貫く姿勢は立派の一言。しかも氏は東京の学者先生から考古学上のアドバイスを得るため、たびたび、群馬から東京までの約120kmを
自転車により日帰り往復してたんだそうだぃね。すげぇなぁ。こうゆう立志伝は、まっと広く伝えられてよさそうなもんだが、氏も鬼籍に入り、群馬県人なら皆知ってる上毛カルタの完成後の偉業なんで、カルタに詠み込まれることもなく群馬県民への浸透度・関心度も低きぃまま。おまけに教科書にも載る全国的に有名な史跡なんに合併自治体名にも選ばれねぇで(「岩宿市」は、最終選考にも残らず、ついた名前が(農協名と同じ)「みどり市」だもんなぁ。)ますます知名度が低くなってる感は否めねぇやぃね。残念なことだぃね。
(なお遺跡の西側には、みどり市合併後に旧笠懸町立「笠懸野岩宿文化資料館」から改称されたみどり市立「岩宿博物館」があるんさね。)
岩宿遺跡 (ちず丸リンク)
史跡岩宿遺跡保護観察施設(岩宿ドーム) (みどり市ホームページ)
せっかくなんで北の
稲荷山(188.3m)に上ってみた。山頂まで石段が続いてるんさ。徒歩1~2分で到着。もう正月気分もねんで、山頂の稲荷大明神は閑散としてたぃね。山頂からは、木々の合間から雪化粧した赤城山が見えるけんど、展望は良くねぇやぃね。山頂標識もねぇし。社殿に手を合わせて、山を後にして、また岩宿遺跡まで下る。この山の北斜面はカタクリの花の群生地で春には見物客で賑わうんさね。(つづく)
岩宿の発見―幻の旧石器を求めて
相沢 忠洋 / / 講談社
古りぃ本(文庫の初版1973年)なんでたぶん書店ではめっかんねぇだんべねぇ
・・・・オレはamazonで頼んだぃね。