
8月9日 館林市立第一資料館の
戦後80年企画展「館林と戦争」を見てきたんさね
米軍との空中戦で墜落した80年前の戦闘機、残骸を初公開 群馬
終戦末期の1945年2月、館林市上空で、調布飛行場(東京)所属の飛燕3機が、関東一円の軍飛行場などに大規模空襲を行った米グラマン戦闘機と交戦。このうちの1機が多々良村木戸(現同市木戸町)の桑畑に墜落し、沖縄出身で操縦士の新垣安雄少尉(当時25歳)が戦死した。
墜落した機体は地中に埋まり、回収作業は難航して断念。34年後の79年、地元の要望で作業が再開され、残骸と新垣少尉の遺体が見つかった。住民は現場近くの常楽寺に供養墓を建て、残骸は地区の集会所に保管。これまで公開されることはなかったが、戦後80年の節目に、戦争資料として役立ててもらおうと資料館に寄贈した。
会場には、高速化を図るために作られた当時最新鋭の液冷エンジンやプロペラ、尾翼の一部などを展示。損傷の様子から墜落した際の強い衝撃が想像できる。市教委文化振興課の吉村昭和(あきのり)係長は「燃料タンクの被弾した跡から、空中戦の激しさが分かる」と解説する。(以下略)
館内は撮影禁止だったんさ。
墜落の衝撃で地中深くに埋まっていた飛燕は、ぐちゃぐちゃの残骸になってたで。
浅学にしてこの一件は全く知らかなかったぃ。
日本が降伏しなかった場合、1946年春に米軍が立案していた関東占領作戦「コロネット作戦」の概要も展示されてたで。
(コロネット作戦はWikipediaに詳細な記事あり)
その攻撃攻略の目標は、東京からの難民が押し寄せて来るであろう館林を中心とした両毛地区だったんだぃな。
もし終戦が長引いてたら、両毛地区は一面焦土と化し、阿鼻叫喚の地獄絵図となっていたんべなぁ。
日本を守るために壮絶な戦死を遂げた新垣少尉。
帰ぇりに木戸町の常楽寺に立ち寄り、新垣少尉の供養墓に手を合わせてきたで。

常楽寺墓地 新垣少尉供養墓
裏には碑が刻まれており、その拓本が今回資料室で展示されてる
なお碑文は刻みが浅く、現地では読むのは困難
終戦から80年。
新垣少尉をはじめ、命を賭して日本を守ろうとした多くの英霊の皆様に深く感謝します。
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