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2019年 09月 10日
燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地 (福井県福井市新田塚町)
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国指定史跡・燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地(福井県福井市新田塚町)


 藤島神社を後にし、雨の中北上。次の目的地は「新田塚」、燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地さね。

「新田塚」は福井市新田塚町の藤島神社の旧蹟地だそうだぃね。かつて義貞公が被っていた兜が江戸時代(1656)に掘り出され(しかし近年ではこの兜は義貞公の時代と合わねぇとされてる)、新田義貞公の戦没地とされていた場所だぃね。その兜は藤島神社の社宝になってて、こないだ、群馬県歴史博物館で大新田氏展が行われたときに展示されてたんで、見にいったんさ。

太平記 巻二十では義貞公の最後をこう記す
義貞自害事 
燈明寺の前にて、三万余騎を七手に分て、七の城を押阻て、先対城をぞ取られける。兼ての廃立には、「前なる兵は城に向ひ逢ふて合戦を致し、後なる足軽は櫓をかき屏を塗て、対城を取すましたらんずる後、漸々に攻落すべし。」と議定せられたりけるが、平泉寺の衆徒のこもりたる藤島の城、以外に色めき渡て、軈て落つべく見へける間、数万の寄手是に機を得て、先対城の沙汰をさしおき、屏に著堀につかつてをめき叫でせめ戦ふ。衆徒も落色に見へけるが、とても遁るべき方のなき程を思ひ知けるにや、身命を捨て是を防ぐ。官軍櫓を覆て入んとすれば、衆徒走木を出て突落す。衆徒橋を渡て打て出れば、寄手に官軍鋒を調て斬て落す。追つ返つ入れ替る戦ひに、時刻押移て日已に西山に沈まんとす。大将義貞は、燈明寺の前にひかへて、手負の実検してをはしけるが、藤島の戦強して、官軍やゝもすれば追立らるゝ体に見へける間、安からぬ事に思はれけるにや、馬に乗替へ鎧を著かへて、纔に五十余騎の勢を相従へ、路をかへ畔を伝ひ、藤島の城へぞ向はれける。其時分黒丸の城より、細川出羽守・鹿草彦太郎両大将にて、藤島の城を攻ける寄手共を追払はんとて、三百余騎の勢にて横畷を廻けるに、義貞覿面に行合ひ給ふ。細川が方には、歩立にて楯をついたる射手共多かりければ、深田に走り下り、前に持楯を衝双て鏃を支て散々に射る。義貞の方には、射手の一人もなく、楯の一帖をも持せざれば、前なる兵義貞の矢面に立塞て、只的に成てぞ射られける。中野藤内左衛門は義貞に目加して、「千鈞の弩は為■鼠不発機。」と申けるを、義貞きゝもあへず、「失士独免るゝは非我意。」と云て、尚敵の中へ懸入んと、駿馬に一鞭をすゝめらる。此馬名誉の駿足なりければ、一二丈の堀をも前々輒く越けるが、五筋まで射立られたる矢にやよはりけん。小溝一をこへかねて、屏風をたをすが如く、岸の下にぞころびける。義貞弓手の足をしかれて、起あがらんとし給ふ処に、白羽の矢一筋、真向のはづれ、眉間の真中にぞ立たりける。急所の痛手なれば、一矢に目くれ心迷ひければ、義貞今は叶はじとや思けん、抜たる太刀を左の手に取渡し、自ら頚をかき切て、深泥の中に蔵して、其上に横てぞ伏給ひける。越中国の住人氏家中務丞重国、畔を伝て走りより、其首を取て鋒に貫き、鎧・太刀・々同く取持て、黒丸の城へ馳帰る。義貞の前に畷を阻てゝ戦ける結城上野介・中野藤内左衛門尉・金持太郎左衛門尉、此等馬より飛で下り、義貞の死骸の前に跪て、腹かき切て重り臥す。此外四十余騎の兵、皆堀溝の中に射落されて、敵の独をも取得ず。犬死してこそ臥たりけれ。此時左中将の兵三万余騎、皆猛く勇める者共なれば、身にかはり命に代らんと思はぬ者は無りけれ共、小雨まじりの夕霧に、誰を誰とも見分ねば、大将の自ら戦ひ打死し給をも知らざりけるこそ悲けれ。只よそにある郎等が、主の馬に乗替て、河合をさして引けるを、数万の官軍遥に見て、大将の跡に随んと、見定めたる事もなく、心々にぞ落行ける。漢高祖は自ら淮南の黥布を討し時、流矢に当て未央宮の裡にして崩じ給ひ、斉宣王は自楚の短兵と戦て干戈に貫れて、修羅場の下に死し給き。されば「蛟竜は常に保深淵之中。若遊浅渚有漁綱釣者之愁。」と云り。此人君の股肱として、武将の位に備りしかば、身を慎み命を全してこそ、大儀の功を致さるべかりしに、自らさしもなき戦場に赴て、匹夫の鏑に命を止めし事、運の極とは云ながら、うたてかりし事共也。
 「天皇の股肱なんに、まぁずあっけねぇ最後で、がっかりだよ!」とむべもねぇやぃなぁ。

 雨の中目的地に到着。
 駐車する所に難儀し、県道を挟んだショッピングモール駐車場に停めさせていただく。
 そしてザーザー降りの雨ん中、傘をさしての参拝。
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拝殿

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現地説明板(かすれてる)

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新田塚・現地石碑

 生品神社で挙兵してから、幾多の運命に翻弄され、一度も新田の地を再び踏むことなく、偵戦中に足利方と遭遇し無念の戦死。義貞公、さぞかし無念だったんべなぁ。

 現在は地元新田塚町の方々を中心に5月5日(祝日)を新田塚祭礼日としてるそうだぃね。新田宮司の話では、昔は広大な田畑だったけんど、今は人口2万人余の福井市の新興住宅地になってるんだと。

 せっかくなんでスーパーに寄って、福井のお土産になりそうなもんを購入。福井ってブリのイナダのことを「フクラギ」ってゆうんだねぇ。

 さてとじゃあ日も暮れそうだし、最後の目的地に行ぐんべぇ(つづく)

by dr_suzuki | 2019-09-10 15:11 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(0)


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