寝釈迦を後にして、向こう側の峰へ行ってみる。
途中沢を越えると案内板がある。
そっからしばらく進むと、目の前に・・・屹立する
「相輪塔」とゆわれる自然の岩。
岩が天に向かって屹立してる!
しかも実に奇妙な形!高さ13m!
相輪塔を見つめるかのように、峰の斜面に石仏が数基置かれてる
天に向かって屹立/後方はたぶん二子山/これは不動明王だったんかな?
いくつもの石仏・・・この深山が信仰の場であったんがわからぃね。
高山彦九郎の『沢入道能記』(1782)にまた話を戻すと・・・
彦九郎は太田での酒宴でこの岩(彦九郎は「自然塔」と書いている)を見物すんべぇやとゆうことになり、友人と二人で沢入までやってきた。沢入では「白蛇塔」ともゆわれてるらしく、宿の主人にその云われを聞き、翌日案内人を頼んで、宿の子も一緒に白蛇塔を目指す。(彦九郎一行はまず白蛇塔(今の「相輪塔」)を目指し、次に寝釈迦を訪れてるんで、今回のオレたちとは逆順になってるんさ)
『沢入道能記』では、相輪塔をこう書いてるで。(一部旧仮名づかいを改めた)
(前略)
北へ転し行こと一里斗にして白蛇塔也十三重有といふ、山の中腹にあり実に深山幽谷の地なり、流れをわたる事十余度ミな一つなり石多く木立しげくよちて南のほり塔の半に当り北をミるに十一重也高十五丈と称す、即南の方北に向ふて見たる処をここに図し侍る
(相輪塔の絵図)
此辺に白蛇住めりとて白蛇塔と号し又そう輪塔ともいひ又沢入に在りとて沢入塔共いふとなん、此沢を塔の沢といふ、近年石工石仏を造り塔の後ロ山に安置して多く在塔の中段大岩の上抔にもありミな近ころの作也、此塔人作にあらて天工のなす所世に珍しき事と覚ゆ
(後略)
彦九郎の時代、今みてぇにGPSも正確な地図も満足な山靴もねんに、よくもこんな山深く、そして岩べぇのところを登れたもんだぃなぁ。昔の人はすんげぇ胆力、体力、そして智力があったんだねぇ。
江戸時代後期に、こんな深山の岩が、既に太田界隈でもその存在が有名だったこともすげぇが、そして何より、先の大震災のあの激震にも耐え、きっと何万年も前から、この神秘的な姿でここに屹立してるなんて・・・まっさかすげぇじゃねーきゃ!群馬にはまだまだしらねぇフシギなもんがたくさんあるんだぃなぁ。
古の昔、彦九郎もさぞかし興味深く、この岩を眺めたんだんべぇなぁ。
不動岩のそばに戻り、設置されたベンチで一休み。げきさかさんより熱いコーヒーをいただき、四方山話に花が咲く。すると朝4時に塔の沢登山口から袈裟丸山に登ったっつー方が下山されてきたんで、上のほうの話を伺ってみた。賽の河原はツツジがいっぺぇ咲いてるとのことだぃね。
そうなると賽の河原まで行ってもみてぇんだけんど・・・なんせ今日はまだ腰痛もあるんで、げきさかさんに迷惑かけることになったらなんなんで、本日の最低限の目標は果たせたことだし、下山することにしたで。
岩肌は、いかにも深山の趣で苔生してた。
樹木の新緑が眩い。秋には紅葉がさぞ見事なんだんべなぁ。
途中、所々で放射線量を測定しながら、下山する。
・・・登山口付近のほうが放射線量がちっと高ぇんはなぜなんだんべか?
駐車場は他県ナンバーの車でいっぺぇだ。人気あるんだね、袈裟丸山。
どっかでメシでも食いましょうかってことで、林道を下って行ぐ。
(つづく)
【参考文献】
高山彦九郎 『沢入道能記』(1782) : 「高山彦九郎全集」より