『新田正伝記』、『新田族譜』、『里見系図』などの史料によると、新田の雄・
義貞公が里見氏からの養子であることを示唆してるらしいんだぃね。(十分な確実性はねぇんだけんど)東毛びいきのオレとしちゃぁ義貞公は、ぜひ新田出身であってほしいんだけんどなぁ。

秋の彼岸、23日。天気もおーかいいんで家族サービスで榛名の里見に梨狩りに行ぐことにしたんさ。・・・せっかく里見まで行ぐんだし、そんな義貞公伝説に関連した神社仏閣に寄ってくることにすんべぇか。(・・・梨と引き換えにオレの道楽に巻き添え食った家族(笑))
まずは里見の梨園で梨狩り!瑞々しい梨を十分堪能。いやぁうんまぃ!梨で腹が満たされ、下里見へ。国道406号のセブンイレブンの後方の丘上に郷見(さとみ)神社があるんさ。(家族はセブンイレブンに置き去り(笑))
古くは里見氏の祖、里見義俊が、源氏の氏神として八幡神を祀ったのがはじまりとされ、場所武田信玄が西上州を支配した時より諏訪神社であったが、明治時代に下里見地区内の各社を合祀合具し、社格も村社となり郷見神社に。 新田一族の里見義成が築いたとゆう里見城が南の小高い山に隣接してたんだと。


村社郷見神社/石段を上って/鳥居は享保年間建立
石段を上ってぐと真っ赤な前宮合祀社殿。そん中には合併した神社の立派な社殿(八幡宮・月読宮・諏訪大明神・天満宮)が収められてたで。中でも八幡宮は「里見義俊、源家の氏神、岩清水八幡宮を勧請」と伝わっているらしい。
ここで前宮の石祠を何気に見っと・・・
!?
石祠の屋根の所に顔が彫られてるで!こんなん東毛じゃみたことねんねぇ!
更にたまげたことに、正面には・・・これ三猿なんきゃ!?
とゆーことは・・・これ庚申塔なんきゃ?すると屋根に彫られてるんは
猿田彦神?(仏教系では青面金剛を主尊とするが、神道系では猿田彦神を主尊とする)
うーん、東毛にはみかけねぇ文化だ・・・!庚申思想は奥がまっさか深けぇやぃなぁ・・・!
さて更に上ってって
郷見神社
神社の由来
その中に「新田義貞公は里見に生まれる」
うーん、やっぱ養子伝説が里見にはあるんだねぇ。


神社社殿の裏には青面金剛をはじめ石仏多数/青面金剛/里見城址から城山稲荷神社
境内の「里見城址」説明板
説明板には
南北朝時代に南朝の雄として活躍した新田義貞は幼少の頃、里見の地で育ち、長じて新田宗家の養子となったという説が里見地区では定着している。義貞は幼名を里見小五郎と称していたといい、その幼名にちなんだ小五郎谷戸、小五郎橋、医者が清水、安養寺などという呼称が称されている。
とあるで。
その幼名にちなんだ小五郎谷戸、小五郎橋、医者が清水、安養寺ってゆうんも見てみたかったけんど、地元の人じゃねぇとわかんねんべなぁ。誰か知ってる人がいたらおしえてくんない。(来年梨狩りにでも来たときに寄ってみんべ)
社殿の裏の小山に古墳があって、地元では「伝豊城入彦命」の古墳と伝わってるんだそうだぃね。古墳と聞けば取り敢えず(笑)上ってみた。墳頂には平成4年に建てれた八幡宮もあるで。(また分祀しちゃったん?)
古墳墳丘
それにしてもここは
三猿の石祠が思わぬ収穫だったぃなぁ。
さて次は義貞公の養子説の碑が建ってるとゆう中里見の光明寺に行ってみんべぇか。
郷見神社 (ちず丸リンク)
(つづく)
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