ただ一脚のみ残る未成線・東武鉄道熊谷線橋脚 (邑楽郡大泉町丘山)
未成線の東武鉄道熊谷線ってしってるかい?
・・・Wikipediaによると
もともと軍の命令で建設された路線で、第二次世界大戦末期(1943年(昭和18年)12月5日)に、群馬県太田市の中島飛行機(現・富士重工業)への要員・資材輸送を目的として、熊谷駅- 東武小泉線の西小泉駅間の建設が計画され、第一期工事区間として熊谷駅 - 妻沼駅間が開業した。なお、免許は東小泉駅(起点) -熊谷駅間となっている。
(中略)
しかし、第二期工事区間である新小泉駅 -妻沼駅間開通前に終戦を迎え、戦後、治水上の都合から工事の中断は直にはできず、利根川を渡る橋梁の橋脚部分が完成するまで行い終了した。そのため、利根川を挟んで南北に分断された形で営業を行うことになった。その南側が熊谷線である。なお、橋脚は1979年(昭和54年)に撤去されたが、堤外の1脚のみが群馬県側に残っている。
利根川には大泉から埼玉・妻沼まで橋脚は全部で29脚あったそうだぃね。(南の熊谷駅-妻沼駅間は1983年5月31日に廃止されてらぃね。) その「堤外の1脚」を見物に大泉にいってみたで。
東武小泉線
西小泉駅から南に「いずみ緑道」があるんさ。これは群馬県側の営業線として作られていた貨物線の東武鉄道仙石河岸線(西小泉駅-新小泉駅-仙石河岸駅;1976年(昭和51年)10月1日廃止)の跡に整備された緑道さね。地図で見っと三洋電機の所で緑道はカーブを描いて西に曲がってらぃね。
いずみ緑道を追って南下してぐ。そのカーブを描くあたりで道に迷っちまって、利根川堤防近くに着いたはいいんだけんど、完全に目標をロスト・・・蒸し暑ちぃ中堤防付近を探して歩ってると、農作業中のおじいさんを発見!これ幸いにと橋脚のありかを尋ねてみっと・・・「キョウキャク?あぁ、
ピアのことかね。ピアならあの野球場のところにひとつ残ってたな。利根川の中のはもうなかったんじゃねぇかな」とご親切に教えていただく。この地元じゃ「ピア」って呼んでるんかぃ?

町民野球場(いずみ総合公園)を目指す。公園脇の駐車場に車を停める。こりゃ立派なスタジアムじゃねーきゃ。北隣のサッカー場は、関東リーグ時代にザスパも試合をやったっつー所さね。このあたりが仙石河岸駅だったみてぇだけんど・・・すっかり整備されてて往時の面影のもんは残ってねぇみてぇだ。
野球場のレフト側脇を堤防の方に行ぐと・・・
目の前に「ぬりかべ」のようなコンクリートの物体がめぇてきたで。
橋脚を北側から

堤防から橋脚を眺める
橋脚南の堤防から妻沼方面
かつてここに29脚の橋脚が林立し、妻沼を目指してたとゆう
20世紀の遺物として、堤外にひっそりと屹立する橋脚。もし熊谷線が完成し、熊谷と太田が鉄路で結ばれていたら・・・太田や大泉はどうなってただんべか?
ぜひ大泉町にはこの橋脚を近代化遺産として永く保存してほしいやぃね。
未成線・東武鉄道熊谷線橋脚 (このあたり;Yahoo!ロコ;地図を広域にしてぐと仙石河岸線の路線がなんとなくわかるで)
国土交通省国土計画局・航空写真画像情報所在検索・案内システム
;ここで大泉界隈の1974年の航空写真をみっと、仙石河岸駅、そして利根川の中に橋脚がいっぺぇみえるで。
【参考文献】
川島令三 『全国鉄道事情大研究 群馬・栃木編』 p167-179 草思社 2004
※厳密には戦争遺跡じゃねぇかもしんねぇが、もともとは熊谷線は軍需物資輸送目的の鉄路で、戦争終結の結果未成線となり、その橋梁も「遺跡化」したわけだし、広義の戦争遺跡として「東毛の戦争遺跡」タグにも加えとくとすっかね。
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