鹿田赤城神社 (みどり市笠懸町鹿)・かつては「新田の三社」とゆわれた名社
別名山際(やまぎわ)赤城神社。こないだ行った尾島の
岩松八幡宮の説明板に、そこと市野井の生品神社、そしてここが、かつて
新田の三社とゆわれていたと書いてあったぃね。オレがやってる「
医療人のための群馬弁講座」の中の「
上毛三山の神社をめっけるんべぇ」ってゆう企画で、2003年にここにちっと寄ったことはあったんだけんど、改めて猛暑の日曜午後、野球見物の後にやってきてみたんさね。
昭和の初めには、この神社には石原義令氏とゆう神官がいて、『鹿田の伝説』(1914;オレはまだ未読)を記したり、昭和初期の郷土史誌『上毛及上毛人』『毛野』『毛野時報』などに郷土史の論文を熱心に書いてるんさね。ちょっと前、
神籠石のことで『毛野時報』を図書館で漁ってると、ほんと毎号、石原氏の書いた記事が載ってたんだぃね。かなりアクティブな方だったんみて。氏は、新田義貞公の討幕挙兵地を、この神社のちょっと南(小仁田)にある百品(いくしな)神社としたり、挙兵した義貞公はいったん北上し
道帰山に陣を張ったとか考えてたらしいやぃね。まぁ当時の英雄である南朝の忠臣の関連の地を、地元に誘導しちまったんかもしんねぇけんど・・・後で百品神社にも行ってみなくっちゃなんねぇな。
鳥居のそばにはキバナコスモスが咲いてたぃね。石段を上ると、そこが社殿。昔はさぞや風格があったんかもしんねぇけんど、隣の公民館の改修にあわせて外壁を工事しちゃったんだか、かつての新田の三社とゆわれた威厳が無くなっちゃってらぃねぇ。(社殿の外壁が白っぽいんはちっとなぁ・・・)
神社の裏には鹿田山への踏み跡発見・・・ちっと惹かれたけんど、冬の散策の楽しみに取っとくんべ。
鹿田赤城神社 (ちず丸リンク)
・・・東毛の赤城神社巡りでもまたやってみっかな(笑)