高山彦九郎記念館 (太田市細谷町)
林子平、蒲生君平と共に 寛政の三奇人と云われた高山彦九郎。(奇人といってもクレージーって意味じゃねぇよ。)全国を行脚し、多くの人と親交を深め、勤王思想を説き、後の幕末の志士たちに影響を与えた人物だぃね。戦前は太田の天神山に
高山神社が造られたり、修身教育に取り上げられたりと、かなりの高評価だったんだけんど、戦後一気に評価が変わっちまった、ある意味不遇な人物さね。
京都市の三条大橋東詰に皇居望拝姿(「土下座」とゆわれてるそうだけんど)の彦九郎の銅像があるそうなんで、京都にもし行ぐことがあったらぜひ見てみてぇやぃね。
その全国行脚の足跡もさることながら、詳細な旅行記も残してるんだぃね。遠方もさておき、近郊の桐生の「忍山温泉」に行った旅行記『忍山湯旅の記』なんかも残されてて、今の太田北部や桐生の当時の様子がよくわかる貴重な資料だぃね。もしあの時代に、デジカメとブログがあったら、すんげぇ人気のブロガーになってたんじゃねぇかな。館内は撮影禁止なんだけんど、入口の所は撮影OKだったんで彦九郎の立像を撮影させてもらったで。
高山彦九郎宅跡
今は畑になってて、中央にある井戸跡だけが痕跡らしいで
高山彦九郎遺髪塚
中央遠めの石塔が遺髪塚
高山彦九郎記念館 (公式)
高山彦九郎記念館(ちず丸リンク)
ここでスタンプラリーの賞品獲得権利の17個目のスタンプをゲット!あえて太田の自慢の金山関係3つ・天神山古墳・縁切寺満徳寺の5つを残して、
これにて終了(笑)として、その足で尾島の教育委員会・文化財課にスタンプラリー台帳を提出してきたで。記念品は後日郵送してくださるそうで、楽しみだぃね。
オヤジの「夏休みの宿題」も、これにて無事完了(笑)。
みどりや桐生もこんな企画してくんねぇかねぇ。観光に力入れてぐんなら、ヨソ様より地元民が郷土の偉人や名所旧跡をしらねんは、本末転倒だと思うんだけんど。太田の人、こどもたちはほんと幸せだぃね。