東京に来たんで、ちっと遠いんだけんど、こっち方面にある新田氏関連史跡に行ってみることにしたんさね。
「おでんそば」で腹を満たして、初めて乗った南武線で川崎方面へ。ちっとウトウトしてると「・・・次は分倍河原(ぶばいがはら)」とのアナウンス。「え?分倍河原!?あれ、そこはあの像があるとこだんべ?」と気づき急ぎ下車。(南武線の途中に分倍河原駅があると思ってなかったんだぃね。)
ホームに降りる。反対側のホームの向こうにまっさかでっけぇ像があるんがわからぃね。
改札を抜けて、南側の駅前ロータリーに行ぐと・・・
あったよ!新田義貞公之像!!
すんばらしいその大きさと迫力!
詳しくは説明版をみてくんなぃ。
上州新田生品神社で挙兵した義貞の討幕軍は、勢力を強めながら南進、小手指河原(現所沢市)で鎌倉軍を撃破。ここ分倍河原で幕府軍と合戦。一度は敗走するも相模の三浦氏などが加わり、幕府軍を分倍河原で急襲、これを撃破。勢いに乗じ多摩川を突破した討幕軍は、一気に鎌倉に攻め込み、幕府を滅亡させたんだぃね。
その戦いを記念して造られたっつー地元群馬にもねぇ、まっさか立派な像。いやぁ一度この像を拝んでみたかったんだぃね。駅前のロータリーにどーんと作るたぁ、なっからすげんねぇ、府中市。すんばらしぃ!(ちっと離れたところにある「分倍河原古戦場碑」は時間がなかったんで行げなかったぃね。)
東毛の雄、歴史に名高い新田義貞は、ここ府中でもヒーローだったんだねー。
ちっと名残惜しそうな気もすっけど、目的地へ向け、もう一度南武線で川崎方面へ。(つづく)
分倍河原・新田義貞公之像 (ちず丸リンク)
【参考文献】
現地案内板 府中市 1988
『太平記』 巻第十
峰岸純夫 人物叢書239 「新田義貞」 p57-62 吉川弘文館 2005