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2017年 10月 04日
黎明地蔵尊 (邑楽郡大泉町城之内)
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黎明(れいめい)地蔵尊 (邑楽郡大泉町城之内公園内)

 東毛のマイナーでも貴重なもんを紹介してぐんがオレのブログのポリシー。今回は大泉・城之内公園の一画にある「黎明地蔵尊」だぃね。

 大泉の西小泉駅と小泉駅の間にある城之内公園。15世紀に築城された小泉城の跡さね。この公園の北の一角に「黎明地蔵尊」はあるで。

 大泉には太平洋戦争前、旧海軍は戦闘機の機体工場として昭和15年に中島飛行機小泉製作所を太田製作所から分離し建設。有名な「零式艦上戦闘機(零戦)」「九七式艦上攻撃機」などを製造したんだと。
 戦争末期の昭和20年2月25日(太田製作所と同時)、同4月4日(3日夜間)に米軍爆撃機B29が襲来、激しい空襲を受け、多くの人命が失われたんだと。この独特の像容の黎明地蔵尊は、戦禍に散られた方々の冥福を祈るために建立されたものさね。
 お地蔵様は昨今の国民保護サイレンをどんな思いで聴いてるんだんべか?

 小泉製作所は、戦後に米軍が進駐、「キャンプドルウ」となり、昭和34年に返還、昭和36年に三洋電機になり、そして平成の世にパナソニックになり、今も大泉や東毛を支える経済の中心地になってるんはご存知の通りだんべ。

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現地説明版

 黎明地蔵尊・・・久々の「東毛の戦争遺跡」のタグに分類しとくかね。

 (おまけ)
 公園内、黎明地蔵尊の西隣には石室が開口した城之内古墳があったで。
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 城郭内に古墳なんかあるもんかねぇと説明板を読むと・・・
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 え?宅地内にあった古墳を現地に移築って・・・
 いくら貴重なもんとはいえ、これっていいんかわりぃんだか?(笑)
 地蔵尊も古墳もみんな城之内公園に移設しちゃんたんだね。

【参考文献】
 現地説明板
 大泉町の歴史 大泉町公式:2017年10月4日アクセス
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by dr_suzuki | 2017-10-04 20:42 | Trackback | Comments(0)
2017年 02月 06日
八王子神社 (桐生市広沢町4丁目)
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八王子神社 (桐生市広沢町4丁目姥沢)

 久々の八王子丘陵探訪シリーズ。

 数年前、図書館で「桐生市史 別巻」を読んでると、第一編 神社にⅧ追記の章があり、その筆頭に八王子神社の記述を発見したんさね。あぁ山頂にあった神社が麓に祀られてるんきゃと思い読み進めっと・・・祭神が八王子神じゃなくって「維喬親王」!え!?どうして惟喬親王なん?峰をはさんだ広沢にも西長岡と同じ惟喬親王伝説があるんきゃ?(西長岡では「」喬親王だけんど、「桐生市史 別巻」では「」喬親王となってる。誤植なんか編者の誤記に由来するんか、はたまた広沢ではそもそも「維」ってことなんか・・・このブログでは「惟」喬親王に統一しとくね)

 その「桐生市史 別巻」314ページより、その項をがんばって打ち込んでみんべぇか。
 本来の八王子神社は、もと中広沢の周藤氏の氏神として祀られていたものと伝えられている。江戸時代は姥沢の行くの八王子山頂に祀られ、祭神は、もともとはスサノオノ命の五男三女、一般にいう八王子神で、これは比叡山の山王七社の一つとして古くから知られている。修験道の神として崇敬され、八王子山には文化年中既に籠堂が建ち、多数の修験行者が、千日行などを行っていたことが、山頂の石碑によって明らかである。またその頃から現社殿の所在地にも小石祠があったらしいともいう。
 祭神として維喬親王を祀るようになったことについては、次のような伝説が行われている。もと維喬親王の祠は新田郡西長岡の地にあったという。西長岡には維喬親王の皇子長岡宮が幽居し、父宮を祀ったものがこの社であったというのである。長岡の地名もこの伝説に由来しているとも伝えている。その後年を経てこの社が荒廃しているのを、中広沢の周藤氏の祖先が広沢の地に移し今の八王子社に合せ祀ったものという。このような由緒から、八王子者の主祭神が維喬親王となったものという。現社殿は戦後広沢小学校の御真影奉安殿を移譲されたものである。
 注)祀は、書中では 「しめすへん」に「己」となっている

 八王子丘陵のちょうど反対側の太田・西長岡には 惟喬親王伝説が伝えられ、山や川の地名の由来になってたり、惟喬親王宮が祀られてたりしてるんだけんど、昔は八王子峠(姥沢峠)越えや籾山峠でつながっていた広沢側にもちゃんと祀られてるんだねぇ。西長岡の「その後年を経てこの社が荒廃しているのを」っていうのがなんともトホホな気分だけんど。

 じゃあ一度は中広沢の八王子神社に一度は行ってみねぇとなぁ・・・と思ってたんだけんど、土地勘もなかったんでそのまま月日も流れ、はや数年・・・ingressで八王子神社がポータル(拠点)になってるみてぇんで、ingressも兼ねて行ってみることにしたんさ。

b0004675_14115154.jpg 50号バイパスができる前の広沢街道から折れて、山麓の神社へ。その道・・・舗装路だけんど、すごく狭ぇ・・対向車来たらすれ違いもできねーじゃねーきゃ!今日は幸運にも対向車は来なかった。まっさか神社の辺りも狭ぇんきゃ?と思ったら予想外に神社周辺は広くって車もそこそこ駐められたで。その脇には姥沢が流れてらぃね。



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社殿・・・元の御真影奉安殿だそうだぃね。
 今でも峰の向こう側の西長岡とは親王つながりで交流あるんだんべか?

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境内末社。別巻によると姫ノ宮、星ノ宮、弁財天の小石祠があると。
一番左は道祖神だったけんど。
境内には由緒記はなかったぃね。

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神社前より八王子山方面を望む。前の道には「この先行き止まり」の表示


 ingressで敵陣営の手に堕ちていたポータルを無事奪還し自陣営に組み込む。そうこうしてるうちに雨が降ってきたんで、退散。

 今度はこっから姥沢を伝い、八王子山や西長岡まで辿ってみんべぇか。

 【参考文献】
 桐生市史別巻 p313-316 桐生市史別巻編集委員会編 桐生市 1971
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by dr_suzuki | 2017-02-06 09:19 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2016年 04月 02日
発見!岩窟の青面金剛 (太田市西長岡町)
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太田双葉カントリークラブ・愛宕コース脇に
岩窟に収められた青面金剛(文化3年:1806年)
太田双葉カントリークラブ様のご厚誼により特別の許可を得て取材・撮影

 3月末、桐生みどりさんから驚愕のメールが届いたんさ。「太田双葉カントリークラブ内で青面金剛があるとの情報を得たので、交渉を重ねて許可をもらって見てきました。画像も撮ったのでお送りします」・・ええっ!なんだって!・・・これはすげぇ!!
 青面金剛については、この数年両毛地区の分布マップを有志の皆さんのご協力で作成しており、旧新田郡領域はほぼすべての青面金剛を網羅していると自負していたんだけんどなぁ。ゴルフ場内まではさすがに調査してなかったぃ。これはすげぇ発見だ!オレもなんとか見てみてぇもんだ。幸いなことに桐生みどりさんが太田双葉カントリークラブさんにオレのことも(石仏が好きな変人がいますと)話しておいてくれたっつー話だ。

 オレはゴルフは打ちっぱなし行って全く才能がねぇことを十分自覚してるんで、やんねぇしなぁ。どうしても見てぇんで、早速、太田双葉カントリークラブさんに電話で石造物を見せていただけねぇかとお願いしてみることに。ゴルフ場に「場内の石仏を見せてくれ」とはこりゃ酔狂の極みだんべなぁ。対応して下さった太田双葉カントリークラブのA課長に懇願し、3月31日夕方にアポイントメントを取っていただく。喜び勇んで仕事を時間休を取って、太田市西長岡町の太田双葉カントリークラブへ。場内の桜も5分咲きさね。

 A課長に不躾なお願いを許可していただいたご挨拶、自己紹介をすると、「ブログ見てますよ。よく調べてありますよね」とゆうまさかのお褒めの言葉を頂戴しちゃったぃ!うれしいやら恐縮するやら(笑)ゴルフ場内の石造物のところまでわざわざご案内いただいたで。

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愛宕コースの脇にそれはあった

 
おおっ!岩窟に石造物が!!こりゃすげぇ!(感動)

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岩窟入り口
八王子丘陵特有のやや青みがかった石に大きく岩窟が掘られ、中に石造物が安置されてるんさ。岩窟は向かって左に「庚申」の文字が彫られてて、右側には上の字が風化して欠落してるだけんど、「中」あるいは「申」が読めらぃね。
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岩窟内の石造物: 左・台座含む青面より/右・像を向かって右斜め前から斜位
朱に塗られた痕あり
『太田市石造美術調査報告書』(1976・太田市史編集室)には未収載!

 石造物は、一見すると六臂、右中手に剣、左手中手には羂索(ショケラではない)を持っている青面金剛と思われる。が、庚申塔に特有の日・月・三猿・二鶏もなく、踏んでいるのは鬼にみえない。しかし不動明王にしては背後に火焔がみえない。なんとなく青面金剛と不動明王をハイブリッド化したような像容である。
 台座には「文化三丙寅天 願主満海」と彫られている。(先発の桐生みどりさんが白墨で浮き上がらせてくれてたので、そのままで撮影) 庚申塔によくあるムラの講中が造立したのではなく、八王子丘陵は低山なんに「満海」とゆう修験者又は修行僧がいて、彼が建立した珍しいタイプと考えられらぃね。ここに篭って修行してたんだんべか?果たしてこの岩窟が掘られたんが19世紀なんか、あるいは近世のものなんかわかんねぇけんど、青面金剛が岩窟内に安置されてるんは太田地区では珍しいんで文化的価値がおーか高ぇと思われたで。

 A課長のお話では、太田双葉カントリークラブは昭和49年に開業したんだけんど、この部分は往時のままで保存してること、年に一度はお供えをして祀っているとのことだったぃね。すんばらしい!

 いやぁそれにしても嬉しくって青面金剛にかぶりつきで画像撮りまくってたんで、A課長にすっかりドン引きされちまったよ(笑)

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青面金剛の位置は紫の◇ :アプリ「Geographica」より転載
36°21'24.59’’N 139°20'16.89’’ 高度165.5m

 太田双葉カントリークラブでプレーするゴルファーの皆様、愛宕コースの脇のこの青面金剛にお参りすっとご利益でいいスコアが出っかもしんねぇよ(笑)
 
 情報を下さった桐生みどりさん、こんな怪しい郷土史家(自称)に心よく取材を許可していただき、更にはブログへの掲載も快諾してくださったA課長様、支配人様、はじめ太田双葉カントリークラブ様には心より感謝するで。ありがとうございました。旧新田郡域の青面金剛像はすべて網羅したと思っていたんだけんど、自分の不勉強と慢心を反省した次第さね。いやぁ八王子丘陵は奥が深ぇやぃなぁ。

 両毛の「青面金剛」 (GoogleMap)
 太田双葉カントリークラブ (公式)

【参考文献】
『太田市石造美術調査報告書』 太田市史編集室 1976


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by dr_suzuki | 2016-04-02 00:44 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2016年 02月 01日
蝋梅咲く雷電神社 (邑楽郡板倉町) 【ロウバイ】
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蝋梅咲く雷電神社 (邑楽郡板倉町)

 寒さの緩んだ1月31日、ロウバイが咲いてるってゆー邑楽郡板倉町の雷電神社に久々に行ってみたで。
 1月18日付の上毛新聞によれば、暖冬のため雷電神社のロウバイがはぁ見頃だっつー話。でも上毛新聞の「花が見頃」の記事はアテになんねぇことも多いしなぁ。

 2004年以来、約11年半ぶりの雷電神社。このブログの東毛漫遊カテゴリの一番古りぃ記事さね。行ってみっと、境内にはロウバイの甘い香り。社殿を囲むようにいっぺぇロウバイが植わってるんだけんど、確かにちっと見頃を過ぎた感じかなー。中には今が盛りのもあるんだけんど。
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雷電神社とゆえば
社殿を囲む数々の彩色の彫刻がまぁずお見事!

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うなぎをつかまえる子供たち
水郷・板倉を表す逸品!

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なまずさん
なでると地震を除けて自信が湧き出るっつーご利益だそうだぃね

 帰ぇりに、数年前に354号バイパス沿いに移った「うおとし」(旧・魚俊)で、なまずセット(なまずの天丼・たたき揚げ・なまず薄造り)を食ったで。全然クセもドロ臭さもなくって、なまずって言われなきゃ、なまずってわかんねぇやぃ!美味かったで。新店舗は分煙になってて良かったぃねぇ。
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なまずセット(なまずの天丼・たたき揚げ・なまず薄造り) @ うおとし


 雷電神社ホームページ (公式) 2016年2月1日アクセス
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by dr_suzuki | 2016-02-01 16:43 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2015年 11月 30日
浅原の百観音 (みどり市大間々町浅原)
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浅原の百観音(みどり市指定史跡)

 小春日和の29日、石仏巡りをしてる身としては、一度は行ってみっかと思ってた、みどり市大間々町浅原(あさばら)の「浅原の百観音」へ行ってみたで。(ちなみにショーコーの「あさはら」ではなく、原は濁って「あさら」さね。そして平坦に発音(not語頭アクセント) この辺の地名や苗字って、みんな「原」は「バラ」、そして平坦発音がキモだぃね。(「おおばら(大原)」「きりばら(桐原)」、「くわばら(桑原)」「くりばら(栗原)」など))
 
 大間々市街から小平方面へ。渡良瀬川を渡り、県道334号を東へ。途中分岐して、浅原の奥の右手の路傍に、百体もの石仏が並んだ壮観な光景。すげーな、こりゃ。

 みどり市ホームページより引用すっと 
 浅原の百観音は、天保10年(1839)から天保12年(1841)の3年間にかけて造立されたものである。西国33札所を天保10年、坂東33札所を天保11年、秩父34札所を天保12年に造立している。造立者は願主星野新治郎を中心に、108人の百観音建立寄進者などである。この百観音を彫ったのは、常陸国真壁郡女方村の外山直吉満親である。彼が浅原村に在住して百観音の制作に取り組んだのである。しかし、彼にしても初めから百観音の像を熟知して制作にとりかかったものでないことが像容の形態変化からうかがえ、試行錯誤しながら百観音を完成させていったと考えられる。
  札所の本尊(御姿)は聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音・延命観音・不空羂索観音の8種であるが、浅原の百観音の像容では、延命観音・不空羂索観音の像はみられない。これらの観音は石仏としての類例が少なく石工も彫った経験がなかったのかもしれない。一方、西国札所や坂東札所の聖観音と十一面観音の像容は同じ聖観音像の形式で彫られているが、秩父札所の像容は本尊とすべて合致しており西国・坂東札所の像容にみられた異刻はみられない。石工が3年の間に石仏を調査・研究した形跡とみることができよう。
(参考文献 『大間々町誌通史編上巻・別巻七石造物編』等)
 2百年ほど前浅原村に住みこんだ石工の外山氏も3年でこんだけ彫るたぁ、さぞやすげぇ労力だったんべなぁ。見守る信仰厚い村民もどんなキモチだったんだんべか。

 それにしてもこうゆうのを見っと、ヒトの想いとか情念とかを後世に遺す最高の手段は、「石に刻む」ことなんだなぁと痛感すらぃね。

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百観音の壮観な光景

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現地説明板

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なんだかYMOの「増殖」を想い出す

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朱に塗られたものなど様々

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馬頭観音


【参考】
 浅原の百観音 (みどり市ホームページ):2015年11月30日アクセス
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by dr_suzuki | 2015-11-30 13:54 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2015年 08月 28日
鳥居のない神社・石原賀茂神社 (太田市石原町)
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鳥居のない神社・石原賀茂神社 (太田市石原町)

 「おおたんの史跡探検スタンプラリー」に今年初めて加わったポイント、鳥居のない神社・石原賀茂神社。国道122号線と県道128号線の交差する東長岡交差点の100mほど東にあるんさ。「ナニコレ珍百景」とかテレビ番組でもよく取り上げられてる太田の最近の有名スポットさね。前を通ったことは何度かあるんだけんど、オレも初めて行ってみたんさね。

 この神社に鳥居がねぇ訳は・・・境内にその謂れの主人公・救命犬の像もできてらぃね。
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救命犬之像

像の後ろには鳥居のない由来の説明が・・・がんばって、打ち込んでみっと・・・

b0004675_19363350.jpg鳥居の無い由来の碑
 徳川のむかし、京都を発した日光御礼参の例幣使の行列が道中の安全祈願をかねてしばらく賀茂神社の境内で休んでいる時、にわかに一匹の犬が激しく吠えはじめた。不審に思った供侍が吠えたてる犬を追い払おうとして何度も何度も制したけれど犬はなお激しく訴えるように吠えたてて逃げようともしなかった。怒った供侍はとうとうこの犬を切り捨ててしまった。すると意外なことに胴をはなれた犬の首は空に飛び上った。あれよと人々が見上げると犬の首は鳥居の上の大蛇に噛みついた。たまたま鳥居下に休んでいた例幣使に犬は大蛇のいる危険を知らせる為に盛んに吠えたのだった。例幣使は自分を助けようとして吠えたことがわかった。このため日光から帰ってくるまで犬の供養をして塚をこしらえておくようにいってこの神社を去った(帰ってくるまでに三ヶ月かかったという)
 そこで犬を供養しその上に石尊様をまつった。この為村では鳥居があったので蛇がそこへあがったということで神社の鳥居をはずしてしまい今もないのだという。また、はたし(機織機)にも鳥居がついているため正月には鳥居を出さないということで正月中は機を織ってはいけないといわれている

 切られた首が飛んで噛みつくって・・・オレはウルトラセブン第23話の怪獣カブラを思い出しちゃうんだけんど(笑)

何よりすげぇなぁと思ったんはね・・・
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「歓迎」の掲示が!
毎年、「おおたんの史跡探検スタンプラリー」やってるけんど
こんな掲示出てんの初めてだで!
石原賀茂神社の役員の皆様、グッジョブ!

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こんな掲示も・・・
役員の皆様、熱いねぇ!
来年もまたポイント地点になることを祈念すらぃ。
惜しむらくは駐車場をまっと広く・・・

で、・・・ 「おおたんの史跡探検スタンプラリー」、オレは今年もコンプリートは諦めて、記念品最低条件の20ヶ所確保して、提出しちゃったけんどね。今年はどんな記念品がもらえるんかな?
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by dr_suzuki | 2015-08-28 19:52 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2015年 08月 12日
矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆 (太田市矢田堀町)
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矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆 (太田市矢田堀町)
太田市指定重要文化財

 今年も夏恒例の太田市教育委員会主催、「おおたんの史跡探検スタンプラリー」開始!いくつかは毎年入れ替わるんだけんど、そのひとつ太田市矢田堀町の「矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆」へこないだの日曜午後に行ってみたで。確か以前にもラリーポイントになってた年があったと思うんだけんど、ブログの記事にしてねんで、今回書いとくかな。

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 とはいっても、塔婆系は全く守備範囲じゃねんで、現地説明板を撮ってきたんで貼っとくね。この塔婆の北側にはこんもりと土塁(下の画像の雑草が生えてるとこ)もあるんだけんど、それも城マニアに任せとくきゃ。

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5基の名号角塔婆
名号とは「南無阿弥陀仏」の文字のこと。
石柱には四面に名号が刻まれてるんだと。
こうゆうの見っと、人の想いを後世に伝えるんは
「石に刻む」ことだとつくづく思うね。


 矢田堀集会所・諏訪神社の脇にあるんは石仏も撮りにいったことあるんで知ってたんだけんど、道がまぁず狭くって、おまけに地元の祭りと知らずに行ってバッティングしちゃっておーか泣いたことがあって、また祭りやってたらどうすんべ?と正直スタンプ押しに行ぐか迷ってたんさね。・・・行ったら人っ子ひとりいなかったけんど(笑)

 行ぐ人はくれぐれも通行には気ぃつけて。

塔婆なんかよりも、そばにあった標語こけし(毛里田型)のほうが、オレにはどストライクだで(笑)

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 矢田堀勘兵衛屋敷の名号角塔婆 (このあたり:Yahoo!ロコ)
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by dr_suzuki | 2015-08-12 19:06 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2015年 02月 04日
残雪の茂林寺 (館林市堀工町)
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残雪の茂林寺 (館林市堀工町)

日曜日、久々に茂林寺に行ってみたで。

びっくりしたんは、金曜に降った雪がまだ境内に残ってたんさ。
南国(笑)館林でまさかの光景!
それにしても茂林寺って意外にカップルがいっぺぇ来るんね(笑)

明日また雪が降るんだと。
また「降る降る詐欺」だといいんだけんど。

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by dr_suzuki | 2015-02-04 12:46 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2015年 01月 26日
岩穴観音 (みどり市大間々町小平)
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岩穴観音 (みどり市大間々町小平)

 小平の里を後にして、石仏を探しに岩穴観音に行ぐんべと県道334号線を北上。集落も飛び飛びになった山奥に車を走らせると、右手に岩穴観音。ここには文献によるとたくさんの石仏があるみてぇで、まだ確認してねぇ馬頭観音像を探すのが今回のミッションだぃね。

みどり市のサイトによるとこう説明がある。引用すっと
岩穴観音

 伝説によると、楠正成の愛馬の供養のために祀ったのが始まりといわれるが定かではない。天台宗小平山正福寺の末寺であり、本尊は観音様という。山門から石段を登ると小平地があり、前殿(拝殿)の建造物がある。本殿は岩穴で奥行き約30尺(9.1メートル)・高さ約10尺(3メートル)の自然洞窟となっている。その奥に石仏が二体安置してある。この本尊は観音様と呼ばれているが、実際に安置されているものは室町期の地蔵菩薩座像(凝灰岩)と、戦国期の阿弥陀如来座像(砂岩質)であり、それぞれ像種は異なったものとなっている。
  岩穴観音は馬の神様として広く知られ、盛んな時には日に何百頭もの馬が飼い主に連れられ参詣にきたという。縁日は旧暦2月初午と新暦10月10日の年2回であった。露店商が出て、様々な余興が催されたという。

 まずは山門前に案内板がある。みどり市のサイトと違う記述があるんで、画像を貼っておくで。
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 山門近くには石仏がいっぺぇ!立派な如意輪観音(境内に二十二夜の文字塔があったんで二十二夜の如意輪観音と思われるんだけんど)、宝暦年代の一部破損した馬頭観音や渡良瀬川流域に特異的にみられる馬の半浮彫がされてる「馬の供養塔」があらぃね。しかも3面でおーか珍しい。ここが馬の信仰があったっつーのも頷けるんねぇ。他にもいっぺぇだ!


 他に石幢もあったけんど・・・これが今回の一番のお気に入り!彫られてた像がまぁず稚拙なデザイン。きっとこれ江戸時代のもんだと思うんだけんど、これ彫った石工は当時の前衛芸術家じゃなかったんかと(笑)
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まぁずイケてんなぁ。全然江戸時代らしくねぇ(笑)


b0004675_18241363.jpg 山門から急な石段を上がる。


b0004675_18233162.jpg 近年新築された前殿があって洞窟に行げねぇようにがっちりロックされてるし。参拝のあと、その間から失敬してズームで地蔵菩薩座像と阿弥陀如来座像を撮影させていただく。

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洞窟の中の地蔵菩薩座像と阿弥陀如来座像

b0004675_18233553.jpg うん?・・・静寂の中突然洞窟の上の方で・・・ガサガサ・・・ガサガサって音がする・・・風の音じゃねぇし・・・まさかケモノ(´Д`)?・・・!・・・冬眠してねぇクマだったらどーすんべか!!目を凝らしてみっと・・・おおっ!サルの集団!オレがテリトリーを侵したっつんで、威嚇迎撃に来たんだんべか?(何回かの撮影のチャンスでやっと撮影でぎた。まぁずすばしっこいんねぇ) iPhoneを見っと、ここ「圏外」かよっ!山奥だもんなぁ。まだ石仏探索は完了してねぇけんど、万が一集団で襲われちゃってケガでもしたら助けも呼べねぇしなぁ。中途半端ながら前殿周囲の石仏調査は断念して帰ぇることにしたんさ(´Д`)(ヘタレ)。ケモノ除けには山門に鉦がついてるんで、ガンガン鳴らしてから行ぐといいやぃね。


b0004675_18233271.jpg 山門を下ると広場の片隅に、これがあった。久々に見たで、これ(笑)この遊具の正式な名前だったっけ?・・・オレたちは「人工衛星」とかゆってた記憶があるけど。昭和の学校や公園にはこれはどこにもあったぃなぁ。

 下ってぐ途中に「みどり高感度地震観測施設」なんていうのもあったで(あえて画像は載せねぇよ)。この辺はいろいろ知らねぇもんがいっぺぇあるんだねぇ。


(1月25日小平の里編、了)
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by dr_suzuki | 2015-01-26 18:40 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 01日
晩秋の生品神社 (太田市新田市野井町)
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晩秋の生品神社 (太田市新田市野井町)

 暇な日曜は、ingressのポータル廻り。治良門橋駅周辺を歩った後は、ingressの5つのポータルが設定されてる新田市野井町の生品神社へ。

 着いたらにわかに曇り空に(´Д`) 曇っちゃうとiPhone4sじゃ力不足なんだぃなぁ。

 鳥居のそばには、大きな銀杏と見事な紅葉。生品神社は紅葉の名所ってわけじゃねぇけんど、雰囲気のある神社って紅葉がおーか似合わぃねぇ。新田義貞公の銅像も、ちっとくすんできて、なかなかシブさが増してきたじゃねぇきゃ。

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All pics taken by iPhone4s

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by dr_suzuki | 2014-12-01 12:55 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)