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2011年 12月 31日
【Nike+】 2011年12月の記録
 一昨日のランで12月も目標の100km超/月達成。これで28ヶ月連続~!しかし今月はたてばやし駅伝で無残な姿を晒しちゃったんでなぁ(笑) 鍛錬してても老化には勝てねぇなぁ。

Nike+ ■2011年12月TOTAL■
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■参加レース■
第29回 たてばやし駅伝大会 (12/11)


2011年走行距離合計 1314.21km
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 2011年も目標の1200km/年を上回れたもんの、昨年より10数キロ減。震災とかいろいろあったけんどそれでも1年の約2/3の日に欠かさずランニングした自分の愚直さを、まぁずほめようじゃねーきゃ。ハーフマラソンも散々な結果だけんど、2月の桐生堀マラソンと、10月の上州太田スバルマラソンをいちよー完走できたし。来年はこれ以上老化に拍車がかかんねぇように鍛えてぐとすっか。

 それでは皆さん、良いお年を!
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by dr_suzuki | 2011-12-31 11:32 | Nike+ | Trackback | Comments(2)
2011年 12月 26日
温泉神社 (太田市藪塚町湯ノ入)
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温泉神社 (太田市藪塚町湯ノ入)

 話は八王子丘陵の藪尾根探検進撃前へ戻るで。

 八王子丘陵の探検の前に、まずは湯ノ入地区での山歩きの安全を祈念し、湯ノ入の鎮守である温泉神社に参拝することにした。実はオレはまだ温泉神社に行ったことがなかったんさね。こっから湧出する冷泉が「藪塚温泉(鉱泉)」の源泉になってるって話だぃね。・・・そういやよく考えっと、オレ薮塚温泉に、はぁ40年ぐれぇ入ったことがねぇや。

 かの田山花袋が『東京近郊一日の行楽』(1923)や『温泉めぐり』(1926初版)で、山向こうの西長岡鉱泉を絶賛してるんに比べて、薮塚鉱泉は結構辛辣に書かれてるんだぃねぇ。でも両鉱泉ともに「胃腸と神経痛には効能がある」と評価も高ぇんさ。このブログでもよく取り上げてる『藪塚鉱泉案内』は1926年発行で『温泉めぐり』とほぼ同時期に出てるんさね。その当時は、この辺は花袋に取り上がられて、しかも東京近郊の手軽な鉱泉地として、まさに一世風靡してた時代なんだんべねぇ。

 その前の明治初期の『上野国郡村誌』新田郡藪塚邨 ではどうかとゆうと、こう紹介されてるで。
冷泉
岩理水(イハタリ)

村ノ東南ニアリ、字湯入ト云フ、山下岩石ノ間ヨリ湧出ス、水旱アリト雖ドモ曽増減ナシ、実ニ天正中ニ在テ始メテ之ヲ発見スト云フ、初メ邨ニ疝気ヲ患フルモノアリ、之ヲ治スルコト多年醫薬モ功ヲナスコト能ハス、偶此泉ヲ得テ之ヲ温メテ七八十度ニ至リ、朝夕之ニ浴ス、積ムコト十餘日、稍其効ヲ見ル、後卒ニ之ニ因テ以テ平癒セリ、是ヨリ邨民益之ヲ用ヰ遂ニ小室ヲ其側ニ結テ以テ来浴ニ便ニス、元文中ニ至リ浴場ヲ設ケ官ニ税シテ業ヲ営ムモノアリ、天明文化ノ間ニ至リ其名頗遠近ニ著レ浴客ニ多シ、其後漸衰ヘ前日ノ如キコト能ハス、明治八年請フテ泉質ヲ分析ス、炭酸曹達・炭酸加里・炭酸石灰・炭酸苦土・酸化鉄・珪酸・遊離炭ヲ以テ之ヲ成スト云フ、小瘡梅毒疝気痔疾等ニ効アリ、浴場二所、逆旅二所、浴客歳凡七千人



温泉社 東西十五間南北十壱間、面積百七拾二歩、村ノ東南ニアリ、祭神大名持命・少彦名命、祭日同上、境内雑社五坐アリ、冷泉此地ヨリ発ス

 げきささかんと温泉神社へ。県道の脇に石碑が建ってるんだけんど、車だと駐車場がねぇやぃね。

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現地案内板
やっぱ温泉には伝説が重要さね

 参道の脇に、横穴があるんだけんど、これは古墳なんだんべか?境内には『藪塚本町誌・上』(1992)では寛文年間とされる、上の元文の時代より半世紀古りぃ庚申塔があるんさね。(主尊が青面金剛じゃなくって地蔵タイプ。半分埋んまってるけんど)こりゃなかなか由緒ありそうな神社じゃねーきゃ。

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湯元温泉神社入口/参道の脇に横穴/古墳の石室?
参道の石段/拝殿/境内の石仏群
地蔵型庚申塔(古りぃもんで貴重なんさ)/失敬して薬師堂内を撮影/温泉標識


 そして、げきさかさんと2人、拝殿に参拝して、八王子丘陵の藪尾根に進撃するのであった・・・(この神社のある山は「鎮守山」とゆうらしいんだけんど、後からGPSデータでみっとピークを踏んでなかったぃね orz)

 オレも今度ぁ久々に効能抜群ってゆぅ薮塚温泉に入ぇってみるとすっかな。ふ◯じまの日帰り入浴がもうちっと安しぃといんだけんどね。

【参考文献】
田山花袋 『東京近郊一日の行楽』 「藪塚と西長岡」 p123-126 博文館 1923
 →国立国会図書館・近代デジタル化ライブラリーで読めるで。
田山花袋 『温泉めぐり』十五~十七、1926 (岩波文庫(復刻)2007)
今井武八郎 『藪塚鑛泉案内』北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『上野国郡村誌』新田郡藪塚邨
『藪塚本町誌 上巻』 薮塚本町誌編纂室 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1992
『藪塚山地名一覧表(俗称)』 藪塚本町誌編纂室 1983
藪塚本町山と緑の会会報  『ニュース山と緑』
『藪塚本町古地名古道名地図』 群馬県歴史散歩の会藪塚本町支部 1998
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by dr_suzuki | 2011-12-26 17:29 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2011年 12月 23日
続・太田市標高最高地点の考察 ~ 「根本山」の石祠を探して藪尾根を行く
 東毛漫遊山歩き、ホーム八王子丘陵編。今回は、この1年の総括なんでおーか長ぇよ。

 昨秋、275m峰を訪ね、ここが「根元山」であるという確信を強め、考察をまとめ、このブログで公開。その後それに関する文献を図書館で片っ端から集めてみたで。

 まずは『藪塚鉱泉案内』 (1926)を再度熟読。以下の記述を発見。
(惟高親王が西長岡に)七社の神も奉祠なされた。稲荷神社、日吉神社、熊野神社、諏訪神社、八幡神社、雷電神社、根本神社の七社である
 根本神社があるってことは、根本山もきっとあるに違げねぇやぃな。根本信仰があるってことは、名前も根元よりは根本のほうがふさわしんかもしんねぇ。

 『太田市史』通史編 民俗(下巻) p205 (1985) にも以下の記述を発見。
 西長岡では、4月15日の春祭りの日の朝、ムラ境を中心に梵前(梵天)をたてている。(中略)梵前をたてる場所は、西長岡のムラ境と、ムラ内の菅原神社・雷電様・三峯様・根本様・山王様・弁天様の境内である。
 ここで注目したいんは「根本様」はムラ境じゃなくって、「ムラ内」にあるってことだぃね。山頂に祠があるんじゃなくって、山頂のちょっと下とかにある可能性もあるってことだぃね。でも桐生の奥の本家の根本山も山頂の下に神社があるんだけんど、山全体が根本山って呼ばれてるんだしなぁ。

 さらに文献を漁ってみた。

『上毛及上毛人』210號(昭和9年;1934)の中に石原義令「新田郡藪塚本町の史蹟」p52-53に「八王子山」の項目があり以下の記述を発見。
八王子山
 この山は異名を東山又は中山と云ひ新田山田の両郡に跨って北端は笠懸村大字阿左美から東南端は強戸村まで延びてゐます。
 荒神山、茶臼山、雷電山、西山、御所山、天王山、石尊山、根本山、高雄山と峯を別ってゐます。
 しっかり根本山があるじゃねーきゃ!石原義令氏は笠懸鹿田赤城神社の神官を務めてた人のようで、これ以前の『上毛及上毛人』で「新田郡笠懸村の史蹟」を2号にわたって投稿してるんさね。どうして笠懸の神官が、藪塚の史蹟を投稿したんかはわかんねぇし、その上、藪塚エリアのほか、強戸エリアの山まで記述してるんだぃな。いずれにせよ、当時の笠懸の郷土史家が「根本山」を知っていたとなると、当時北新田郡内ではある程度「根本山」もネームバリューがあったんかもしれねぇなぁ。

 さらにあの岩澤正作先生の紀行文を発見。『上毛及上毛人』第72號(大正12年;1923)
岩澤正作「史蹟踏査廣澤村次の三日(三)」 p14 (旧字は現在の漢字に改め)
 此の南走する小径を三四十間辿ると北西より来れる小径がある。尚数十間下ると右側に庚申塔を建て、前に畧東西に通ずる里道がある。是は廣澤村字姥澤から藪塚に通ずるものである。
 小径を上り南方の小丘に登り、中廣澤に出る細径のあることを認めたが、歩を反へして姥澤に下ることにした。
 275m峰は「南方の小丘」って素っ気なく記述されてらぃな。旧山田エリアの人にはどうでもよかったんかな。岩澤先生なら山名知ってたら絶対書いてたんべ。

b0004675_2284894.jpg まぁそんなこんなで春になって・・・げきさかのぼるさんから衝撃のメールを頂戴した。八王子丘陵を散策したら、あの見晴らしの良いところの樹に「御所山」の掲示が出ていると・・・!(右)

 どんなに調べても、ブログで情報を発信しても、所詮は「ごまめの歯ぎしり」ってことなんか・・・このままじゃそのうちここに御所山のプレートが付けられ、後の世に間違った名前が伝えられちまうじゃねーきゃ!これは何としても阻止しなくてはならん。とはいえ、こんな一介のなんちゃって郷土史家のゆうことなんか太田市は取り合ってくれねぇだんべなぁ。

しかし「義を見てせざるは勇なきなり」じゃねーきゃ!


 最後は両毛の生んだ政治家・田中正造翁のように太田市長に直訴っきゃねぇかなぁ。

 直訴・・・!?そうか!その手があった!

オレはTwitterで太田市清水市長に直訴!まさにこれは「21世紀型の直訴」(笑)


 それが幸運にも市長の目に留まって、オレのブログでの考察も読んで下さったみてぇだ。「詳しく調べるので文化財課から連絡する」とのツィートも頂戴した。さすが太田市!仕事が早い!そして以前、小字調査でお世話になった文化財課のE氏から連絡を頂戴した。そして6月初旬、太田市文化財課でE氏と面談。こちらがこれまで集めた資料をすべて持参したんだけんど、そこに待っていたのは・・・こちらの倍はあろうかとゆう、まさに垂涎の資料!やっぱり市のプロが集めると資料の濃さが違がぁぃなぁ。特にいくつかの図書館を巡っても探しだすことができなかった「西長岡鉱泉長生館の絵図」があったんはすげぇ感激!(なんとこの持ち主の某氏はオレのブログを読んで下さってて快くご提供下さったそうだぃね。ありがとうございます!)

 謹んで絵図を引用・・・(ただし縮小して)
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一部拡大すっと
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おおっ!そこには絵図の北方向に「根本山」も記載されるじゃねーきゃ!
(ただ雷電山が茶臼山となってるんだけんど長岡ではそうよばれてたんきゃ!?それとも誤認?
「切通シ」は現在の籾山峠だんべなぁ

 文化財課の話だと藪塚側からは275m峰地点に関する地名がねんだそうだぃね。まぁ藪塚の人にとっては、廣澤に抜けるんは八王子越えか籾山峠を通ればいんで、わざわざその真中にあるこの小丘なんか普段通ってなかったんだんべね。聳える高さの山だったら登ってみんべぇって考えも生まれたんだんべけんど、主尾根とはいえ大した標高差じゃねぇし、まるっきし興味の対象外だったんかもしんねぇね。西長岡で根本山といってた地点(旧最高地点)のことは尾根道が分岐すっから「追分」とゆってたみてぇだけんど。

b0004675_23223.jpg 文化財課での会合は実に有意義だったで。その後、文化財課からあのピークは「根本(根元)山」の可能性が高いと工事課に伝えられたらしく、6.14付けであの樹の表示にも御所山のテープを貼って「根元山」の表記に訂正されたんだそうだぃね。(この時は『藪塚鉱泉案内』の絵図の表記に準じ「根元山」としていた。頂いた証拠の画像は右)


 いやぁよかったよかった。これでひとまず安心きゃ!?冬になったらもう一度登って樹の表記見てみなくっちゃなぁ。そうこうしていたら10月末に太田市長から八王子丘陵遊歩道の視察に誘われたんさ。喜び勇んで行ぐと、現地で渡された地図には、未だにあそこに「御所山」が誤記されたまんま・・・orz 大丈夫なんか?工事課の人たちにも直訴してみたんだけんど、聞いてくれたかなぁ。そして12月中旬、E氏から山名の考察を「根本山」として工事課に改めて文書として正式提出したとの連絡を頂戴したで。

 考察には多くの文献資料や地図資料が添付され、結論としては「旧太田・藪塚・桐生の3境界(「追分」)は狭義の「根本山」であるが、その少し北になる現・太田市最高地点275mも現段階では「根本山」が適当である。表記も根本様が根本信仰に基づくものであり「根元」の表記よりは「根本」が適切」とゆうことだったぃね。

 あぁやっとここまでたどり着いたで!文化財課、GJ!

 じゃ、ここまで来たらオレが行方不明の根本の石祠を探し出し、動かぬ証拠をゲットして、更にその結論を補完しようじゃねーきゃ。

 探索計画は、温泉神社→雷電山→尾根伝いに「追分;狭義の根本山」→275m峰(根本山)とゆうルート。戦後すぐの航空写真をみると雷電山→追分は、山の木々も戦争で供出されたあとなんか、樹が殆ど無くって尾根に綺麗な道が見えるんだけんど、前、雷電山に登った時は、そんな道があるとはとてもみえなかったで。折角なんでこの一連の出来事をよく知っている、げきさかのぼるさんをお誘いしてこのルートにアタックすることにしたで。(そういやオレ、八王子丘陵の「探検」でパーティを組むんは初めてだぃな)

 23日朝、三島神社の駐車場で落ち合い、徒歩でやぶつか温泉街へ。温泉街には一見さん用の駐車場がなくって残念。八王子丘陵散策の基地として、ハイキング目的の人の駐車場もぜひ整備してほしいやぃなぁ。

 温泉神社(改めて後述予定)に参拝。神社右手からアタック開始。すぐに篠竹の藪になり行く手を阻まれちまう。その昔は日照りん時は里から登って雷電山の雷電宮の石祠で雨乞いの何日も祈祷をしたそうだそうだぃね。

 『藪塚本町の民俗』(1974) p82にはこんな記述があるで。
雨乞い
部落中でやる。雷電山にある雷電様へ神酒をあげ、水を持っていって石祠にかけ、太鼓を打ち鳴らして、雨を呼ぶ。降るまでやる。三日間続けたことがある。どうしても降らないと、赤城神社(大洞)や板倉の雷電神社へ一升ビンを持ってお参りに行き、水を受けてきて、又やった。
 雨が降るとアメップリとしてお礼をした。(湯ノ入)
 一昔前は湯ノ入から雷電山までそれなりの道はあったんだろうけんど、今は雨乞いなんかしねぇし(しねぇよね?)、県道もあるんで雷電山にこんなルートで行ぐ人なんて少ねんだんべなぁ。2人で藪に悪戦苦闘しながら山中を登ると、目の前に雷電宮の石祠が現れた!久しぶりの再会。明和四年の銘がわかる。
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雷電山山頂直下の石祠


b0004675_2218487.jpg こっからゴルフ場を右手に見て北の主尾根を目指す・・・ところがこれが予想以上のキョーレツな篠竹の藪。2人で尾根を外さねぇように進む。もはや蛮勇で藪を突っ切るのみ。げきさかさんがいなかったら、心が折れてすぐに撤退しちまってたんべなぁ。久々の手強い藪漕ぎ。途中、すんげぇでっけぇ岩があった。こーゆーところには祠がありそうだけんど、2人で丹念に探すがめっからず。尾根は本当に手強い藪だらけ。更に進むと右手にちょっとした平坦地があった。祠を置くには十分なスペースがあったけんど・・・ここにも祠はめっからず。


b0004675_2219136.jpg そんなこんなで藪と格闘しながら登りつめると八王子丘陵主尾根に出た。(追分;旧太田市最高地点;狭義の根本山)この周辺も2人で丹念に見たんだけんど、石祠らしいもんはまったくめっかんなかった。


 2人で275m峰に行ぐ。工事課が樹に巻いた表示は剥がれずにちゃんと残ってたで。東屋建設予定地点からは八王子丘陵屈指の展望。空気が澄んでて秩父連峰や浅間山がおーかよくめぇる。ここはぜひ御所山じゃなくってちゃんと「根本山」のプレートを作ってくんなぃね>工事課の方々。
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浅間山が綺麗
子供の頃、浅間山を富士山と間違えていたんはナイショだ(笑)



b0004675_22204382.jpg 帰ぇりは、石尊コースで、石尊宮、十一面観音(左)、勝負沼を経て温泉神社へ。げきさかさん、オレの道楽に快くつきあってくれて本当にどうもありがとう。


 結局、石祠は探しだすことができなかったんは残念だったけんど、有意義な八王子丘陵探検だったぃね。・・・いやぁ今日はマジ探検だったぃ。

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【上図は、この行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。温泉神社から東へ。最初のフラッグは雷電山石祠、尾根途中のフラッグマークは藪の中の大きな岩。(絵図の「石尊山」ってこれを指すんかなぁ?) 尾根のフラッグは東屋建設予定地・・・無線のAPRSのデータは設定ミスで位置情報を発信できず失敗しちゃったorz 】

【参考文献】
『藪塚山地名一覧表(俗称)』 藪塚本町誌編纂室 1983
藪塚本町山と緑の会会報  『ニュース山と緑』
『藪塚本町古地名古道名地図』 群馬県歴史散歩の会藪塚本町支部 1998
今井武八郎 『藪塚鑛泉案内』 p16 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『太田市史』通史編 民俗(下巻) p205 太田市編・発行 1985
石原義令 「新田郡藪塚本町の史蹟」 p52-53 『上毛及上毛人』第210號 上毛郷土史研究会 1934
岩澤正作 「史蹟踏査廣澤村次の三日(三)」p14 『上毛及上毛人』第72號 上毛郷土史研究会 1923
『薮塚本町の民俗』  p82 1974

更に続編!
続々・太田市標高最高地点の考察 ~ 根本山石祠を発見せり! (2014/4/20)
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by dr_suzuki | 2011-12-23 22:36 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2011年 12月 21日
オレの2011年ザスパ草津観戦記録
b0004675_9293018.gif  今年もオレの観戦記録をまとめてみたぃね。

 東京に出張で最終戦に行ぐことがでぎなかったんで、栃木を粉砕したあの一戦をみられなかったんが、まぁず心残りさね。今年観戦したJ2リーグ戦は、3勝2分4敗・・・負け越し。家事都合もあってU-23の試合を含めてやっと10試合さね。観た中で印象深ぇ試合は、最後に残り5分で逆転勝ちした第36節札幌戦かね。

第1節 ● 1-2 栃木SC 03/06 栃木県グリーンスタジアム(A)
第12節 ◯ 2-1 FC東京 05/14 正田醤油スタジアム群馬(H)
第17節 ● 2-4 京都サンガF.C. 06/19 正田醤油スタジアム群馬(H)
第19節 ● 1-2 水戸ホーリーホック 07/02 正田醤油スタジアム群馬(H)
第21節 ● 0-5 ガイナーレ鳥取 07/18 正田醤油スタジアム群馬(H)
第23節 △ 0-0 サガン鳥栖 07/31 正田醤油スタジアム群馬(H)
第25節 ◯ 1-0 湘南ベルマーレ 08/21 正田醤油スタジアム群馬(H)
第27節 △ 0-0 東京ヴェルディ 09/11 熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(H)
第36節 ◯ 2-1 コンサドーレ札幌 11/20 正田醤油スタジアム群馬(H)

【U-23】
会長杯決勝 ● 0-6 アルテ高崎 08/28 群馬県立敷島公園サッカーラグビー場

 来年は松本と町田が加わって22チーム、J2プレーオフも始まるんだけんど・・・「J1ライセンス」は今のまんまじゃ苦しいんかねぇ。まぁそれ以前に、またチームを1っから作り直しだかんなぁ・・・昇格より、降格のほうが心配のタネだぃなぁ・・・どーなることやら。来年は群馬でまっと盛り上げるためにも、安価なレプリカユニホームの発売を切に希望。

 プチ旅行も兼ねて、また近県のアウェイ遠征も計画してみっかね・・・鉄路で(笑)

※謹告
 J2昇格してっから、これまでいちよー全試合をブログでコメントしてきたんだけんど、最近どうも疲れ気味(笑)なんで、来季っから、実際に観戦した試合だけブログ記事にする方針に変更するで。

【2011年のUKFC
第1節 栃木1-0草津  (栃木がUKFC第8代王者に)
第15節 栃木0-0水戸 (栃木がタイトル防衛)
第19節 草津1-2水戸
第33節 水戸2-2草津
第36節 水戸0-1栃木 (栃木が2度目のタイトル防衛)
第38節 草津4-0栃木  (草津がUKFC第9代王者に)
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by dr_suzuki | 2011-12-21 17:41 | ザスパ | Trackback | Comments(4)
2011年 12月 19日
オヤジの修行 ~解脱の予感の巻~
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苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満のこともあるだろう
腹のたつこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが「夢と魔法の王国」での「オヤジの修行」である

12月18日、千葉県浦安市にて

今年もオヤジ道のステージを高めるため
再び冬至近くの日、家族でネズミーランドに修行に行ぐ。

本来は4日に予定してたんだけんど、都合で18日に変更。
まっと寒くなるんは必至。
当初の天気予報では日曜は寒波襲来で・・・って話で気が滅入ってたんだけんど
寒気が緩んで、風も穏やかな予想外の好日・・・こりゃオレたち「もってる」んなぁ。

はぁ子供もでっかくなって、パレードにも興味がなくなったんで
寒空の下パレードの場所取りもしなくて済むようになったし。

小っちゃな子供をパレード中ずっと肩車して「修行中」の
見ず知らずのオヤジたちの姿。

心からの同情半分

なのに
なんだかあの頃を妙に懐かしくも感じる自分に気づく。

これが浦安のオヤジの修行の「解脱」ってことなんかもなぁ。


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by dr_suzuki | 2011-12-19 12:40 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(10)
2011年 12月 17日
青麻神社 (邑楽郡大泉町吉田)
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青麻神社 (邑楽郡大泉町吉田)
 
 図書館でめっけた文献で青面金剛があるってゆうんで大泉町吉田の青麻神社に行ってみたで・・・まず白状すっと、なんて読むんかわかんなかったぃ。「あおそじんじゃ」って読むらしいんさね。(地図サイトによっては「青麻三光宮」って書いてあるんさね。オレの車のカーナビもそうだったぃね)

 まずは由緒書が鳥居の脇にあったんで、みてもらうんべぇか。
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 脳卒中は、中気とか中風と呼ばれてて、中気の『気』は、体の内部環境のようなもので、中気は、気が当たって倒れる病とされてたんさね。(同じような言葉の用法として『毒』に当たれば「中毒」ってことさね)今でも年寄りは良く「中気」や「中風」って言葉を使うんだよよねー。(群馬だけじゃなくって全国的にだで) 今風に言えば、脳血管障害の後遺症である半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉っつーことかね。

 まぁ脳卒中は今の時代でも早期治療をしなくっちゃダメだけんど、この神社の田沼源内清房は快癒したってことは症状が軽かったんかねぇ。まぁ医学が発達してなかった時代には、突然発症する中風は今以上に怖ぇ病気だったんだんべなぁ。

 境内には大泉町最古の庚申塔(寛文9年:1670;大泉町指定重要民俗資料)はじめ、レアな石仏多数さね。享保元年の青面金剛が今回の目的だったんだけんど。
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境内の珍しい庚申塔
左より享保元年(1716)/年代不明/寛文9年(1670)


青麻神社 (ちず丸リンク)

【参考】 青麻神社 (宮城にある青麻神社・三光神社の総本社)

 ・・・今度ぁ、東毛の医学系神社仏閣、石仏・祠も蒐集してぐとすっかな。

 最近読んだ本↓ おもしろかったで。

病が語る日本史 (講談社学術文庫)

酒井 シヅ / 講談社


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by dr_suzuki | 2011-12-17 16:05 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 14日
旧二業見番組合事務所 (館林市本町2丁目)
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旧二業見番組合事務所 (館林市本町2丁目)

 青龍神社の角の道を北上すると、館林観光協会のまちなか散策ガイドでも紹介されてる旧二業見番組合事務所があるんさ。GoogleMapだと本町二丁目東区民会館、ちず丸だと東区民会館とされてらぃね。

駅近くにあった案内板によると
旧肴町に所在。昭和13年の建築。二業とは芸妓屋業、甲種料理店業の2つ。カーブが美しい左右対称の屋根の外観と、2階の舞踊の練習舞台などが特徴的で、貴重な建物である。
  この界隈は昔はたいそうな歓楽街だったんだんべなぁ。左右対称でなかなか味のある立派な建物さね。東毛じゃきっと貴重なもんじゃねんきゃ。2階の舞踊の練習舞台ってゆーんもどうなってるんかなぁ。こんなカッコいい建物を区民会館で使える住民は幸せだぃねぇ。高さが足りなくって、そのシンメトリーな屋根の具合も上手く撮れてねぇけんど、まぁ訪問記録として載せてみっかな。
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 惜しむらくは入口のダンボールの束。なんだかいただけねぇやぃな。まちなか散策で観光客寄らせるんべぇっつんなら、せめて週末だけでも片付けて「見栄え」は良くしなくっちゃね。>観光協会 せっかく風情のある建物なんにもったいねぇやぃね。

 おおっ!はぁこんな時間きゃ。駅伝仲間と合流しなくっちゃ!・・・ってことで陸上競技場に急いだぃね。(この後、たてばやし駅伝は想定外の悲惨な結末だったぃね・・・ 館林の神仏へのお参りが足んなかったんかな?)

 館林まちなか散策の続きは、またいつか。

(12月11日館林散策編、了)

旧二業見番組合事務所 (←このあたり:Yahoo!ロコ)

まちなか散策ガイド (館林観光協会)
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by dr_suzuki | 2011-12-14 17:02 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2011年 12月 14日
青龍神社 (館林市本町2丁目)
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青龍神社 (館林市本町2丁目)

 信号を渡って、県道57号に出て、東へ。
 街角にある小さな社、青龍神社に寄ってみたで。
 ちっちゃくても入口には立派な「三葉葵の紋」があるで。

 その謂れは撮影してきた現地の案内板を見てもらうとすっか。
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現地案内板(正面から写すと影が写りこんじゃうんで、斜位で)


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この鋳物の龍の口から出てる水って・・・井戸水なんきゃ・・・!

 ・・・キホン的なことなんだけど、「青龍」って「せいりゅう」それとも「しょうりゅう」、どっちなんかな?(ふりがなふってねんさね)

 ・・・さて、ここをも少し北に行ってもうひとつのポイントに行ってみんべぇ。

(つづく)

青龍神社 (Yahoo!ロコ・・・「清龍神社」になってるんだけんど)
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by dr_suzuki | 2011-12-14 16:27 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2011年 12月 14日
青梅天満宮 (館林市本町2丁目)
 12月11日たてばやし駅伝に出場するため、久々に館林へ。せっかく館林に行ぐんだから、駅伝会場になってる陸上競技場まで歩ってぎながら市内観光もしてってみんべぇか。

b0004675_14484453.jpg 9時過ぎに伊勢崎線普通列車で館林駅に到着。市営の駅前駐車場の脇に「まちなか散策」の案内板があるんを発見。(もうちっと目立つ所にあったほうがいんじゃねんかとも思うだけんど・・・)本町周辺には、いろんな知らねぇスポットがあるんがわからぃね。まぁ館林は城下町だったんで、古りぃもんがたくさんあるんだんべな。


 そっからまずそばの「竜の井」に寄ってみたんだけんど、今風の作りであんまり歴史的風合いが感じられねんで・・・省略。次は散策の推奨コースから外れて、図書館で調べた資料で青面金剛があるって確認した駅から近ぇ大道寺へ。山門の外に青面金剛2基発見。さっそく画像に収め今日の最低限の目標は達成!

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戸泉鋼作ゆかりの寺/本堂/山門脇の青面金剛


・・・せっかくなんで駅伝の集合時間まで道すがら、この辺りの観光スポットを巡ってみっか。

 大道寺からちっと東に行って、北の路地裏に入ぇると「青梅天満宮」があったんさ。(「まちなか散策ガイド」には載ってねぇスポット)

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青梅天満宮 (館林市本町2丁目)


 東の谷越商店街から鳥居や山門を通って拝殿まで行ぐんが正式なんだんべけんど、いきなし拝殿の横にでちまったぃ。

 菅原道真公が左遷されたときに投げた四つの梅の実の一つがこの地へ飛び、青梅天満宮となったという言い伝えの残る神社だそうだぃね。(ちなみに4か所とは花久里梅(島根県)、飛梅(福岡県)、四季梅(香川県)、青梅(群馬県))

 ・・・でも「天満宮」ってゆうと、オレはどうしても桐生天神町の天満宮を思い出しちゃうんだぃなぁ。館林にもこんな由緒ある謂れの天満宮があったんだねぇ。まっとメジャーにすりゃいんにねぇ。

 社殿前のご神木は枯れちゃってるんだけんど、これは梅の木だったんかな?

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拝殿/「五角」(=「合格」ってこときゃ)の絵馬/拝殿を北側から
鳥居の前の石碑に「日本四社 青梅天満宮」/奥には朱色に塗られた山門/ご神木(枯れてる)


青梅天満宮(Yahoo!ロコ)

 さて、次のスポットに行ってみんべぇ。

(つづく)
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by dr_suzuki | 2011-12-14 15:05 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2011年 12月 11日
第29回 たてばやし駅伝大会 【4km】
 今年も忘年会を兼ねた、「たてばやし駅伝」の季節がやってきた。昨年は職場で2チーム対抗戦でやったが、さすがに懲りたのか参加希望者が少なくなり、1チームでのエントリー。しかしこのチーム5人は過去のたてばやし駅伝で全員4km・20分を切っているメンバー。職場のセクションの、これはまさに上位進出を目論む「ドリームチーム」(笑)

 エントリーは一般男子20km(一人4kmx5人;館林陸上競技場からつつじケ岡公園の周回コース)ではいつものようにメンバーを紹介しよう。

第1走 チームのエースN君。(3度目出場:コースベスト17′55″) ドリームチームの浮沈をかけ、1走に抜擢(1走だけ200m余計に加算される) 一昨年はスタート前に、トイレに行っていて危うく失格となるところであったが、それだけに今年はまずしっかりと準備ぬかりなくスタートラインに立ちたい。
第2走 フジミの男、「つの」君。(2回目出場:ベスト19′45″)先日のスバルマラソンハーフのゴール後、熱中症となり救護班のお世話になった伝説を残す。そんな訳でマラソンはドクターストップを言い渡されていたが、冬季の4kmのレースならばと特例で参加を許される。しかし前夜、皆既月食を見ようとして自宅階段の角に、左足親指を痛打し、爪先より出血というアクシデント。
第3走 監督兼任のT君。(3回目出場:ベスト18′36″)お決まりのたてばやし駅伝のみの現役復帰。「今年ですか?もちろんDSもPSPも持って行きませんよ。若いころ走ってたんで、皆さんとは違って『貯金』がありますからね。自分が17分台で走ればいいんですね?」と余裕なコメント。単なるビッグマウスなのか、密かに練習しているのか?
第4走 館林のS君こと、Osato君。(3回目出場:ベスト19′39) 過去2回の5走から今回初めて4走に。「初めてタスキを後ろにつなげるポジションになりました!今回の目標は次にタスキをつなぐことです!」と殊勝な発言。練習に余念がなかったが、10日前に持病の腰痛が再発。直前練習はできず、不安な本番を迎える。
第5走 チーム唯一の不惑越えのオレ(3回目出場;ベスト19′05″)「敬老」ということでアンカーにさせてもらう。とはいえ普段の練習量は間違いなく5人の中で一番なのだが・・・昨年は一昨年のベストより30秒遅れ、更には最近のランニング大会で腸脛靭帯痛になったり、足が攣ったり、走るたびにタイムも悪くなりと、老化は隠せない。実はせっかく館林に行くんだし陸上競技場に行くまでに、石仏を撮影しなくては・・・と密かに企んでいる。

 もし5人が5人とも自己ベストに近い成績を収められたら、去年と同じ条件であれば参加チーム中ちょうど真ん中ぐらいの成績になるはず。ひょっとしたらAクラス入りもできるかもしれない。ただ今年はつつじケ岡公園の改修工事で若干コースが変更となり、沼辺を走る区間が増えているという。からっ風にならないといいのだが・・・

b0004675_1833858.jpg 11日、快晴。風も弱く絶好の駅伝日和。東武桐生線で太田経由で館林に向かう。現地のOsato君からTwitterで情報。今年の参加チームは103チームとのこと。昨年より増えてるし・・・どうかネタチームが増えてますように・・・


b0004675_18334592.jpg 館林駅到着。せっかく館林に来たのだし、歩いて市内観光(あとでブログ記事にする予定)しながら10時頃に陸上競技場到着。すでに小学生ランナー&応援の父兄の熱気に溢れている。なぜか聞こえる「八木節」(笑)おぉ八木節踊りやってるし・・・まぁ遠くから来た人たちに地元のアピールにもなるし、何より両毛地区のソウルミュージックなんで、これはこれでテンションが上がっていいやぃ。


 チームメンバーと落ち合い、いつものあたりに陣取って・・・ユニホームに着替える。さて今年のユニホームは他のチームにかぶらず、そして目立つようにと「ピンクの迷彩」を着用。そもそも「迷彩」って目立たないようにする柄じゃないのか・・・でもこれ200m先からでも完全にロックオンされるほど目立つぞ(笑)
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Are You Ready!?

b0004675_183534100.jpg 11時男子の部スタート。さすがの精鋭揃いの1走集団、皆速すぎorz。エースN君は若干抑え気味なのか、後ろの集団に吸収されている。だんだん北風が強くなってきた。N君が帰ってきた。本人は不本意だったらしく「今年はコースが変更になってて、沼から川沿いの向かい風になる区間が増えてます。これはキツイですよ」とコメント。2走「つの」君スタート。この日のために鍛えていたのか、根性なのか、いい走り。「爪先が痛くて限界です」と見せてくれた靴下には血が滲んでいた。やるなぁ!男を見せてもらったぜ!3走のT君は、お約束のゴール後倒れこむパフォーマンス。「いやぁつらかった。歩いちゃいました」・・・結局若い頃の『貯金』はすでに枯渇し、「ビッグマウス」なだけなことが判明(笑) 4走、Osato君も無事タスキをオレにつないだ「疲れました。本当に調子悪くて。もうボロボロ」と後に語る。ここまでタイムはメンバー全員20分切りをしているようだ。ここでオレも自己ベストを叩き出してやろうじゃねーきゃ!と脱兎の如く走り始めたのだが・・・

 N君の前を通った時「ペース早すぎ!もっと抑えて!」と忠告を受ける。しかしオレは後半追い上げるという技量など持っていないので、どうしても飛ばしてしまう。そして1kmほど走った、つつじヶ岡公園に入っての最初の直線で・・・激しく転倒orz。・・・どうしてそうなったのか、自分でもよくわからない。飛ばしすぎで足がもつれたのか・・・?これで右手の掌と左肘を激しく擦りむき、左膝も痛打。これで激しく心が折れてしまった。(CW-Xの左膝に穴があいてしまったことに後に気づくorz) 気を取り直して走り始めたが、左膝は痛いわ、掌はいくつも出血してヒリヒリするは・・・公園正門を曲って園内を走る所で、Nike+Sportsbandでペースをチェックしようと視線をちょっと脇に逸らしたら、道路の舗装の切れ目に足をかけ、再び転倒orz。このダメージは最初の転倒ほどでもなかったが、そばに係の人がいて駆け寄られてしまう。カッコ悪くて恥ずかしく「大丈夫です。大丈夫です」とテレ隠しして再び走り始める。どうして2回もコケてるんだろ、オレ?情けねぇったらありゃしない。これが老化ということなのか?もう気力削がれまくり。チーム対抗の駅伝じゃなかったら間違いなく歩いてしまっただろう。そして川沿いの道は、情報通りの向かい風orz

b0004675_9444370.jpg もうダメだ。自己ベストなど望むべくもない。体力も削がれているが、それ以上に予想外の2度の転倒で大きく気力を削がれてしまった。こんな結末になるとは思ってもいなかった。何とかそれでも一度も歩くことなくゴールまで辿り着く。


b0004675_18363825.jpg ゴール後、メンバーたちに「血だら真っ赤」の手を見せたら「いやぁ今年の『たてばやし駅伝伝説』はこれで決まりですね!(笑)」とバッサリ切り捨てられた(笑)


b0004675_18384160.jpg 帰りはみんなで館林の名店の誉れ高い「福よし」で打ち上げ。カロリー補給ってことで「特選厚切りロースかつ定食」を食う。すんげぇヴォリューム!うんまかったです。箸を持つのは何の影響もなかったよ。久々のビールも折れた心にまぁず滲みたぃね。


 オレのタイムはチーム内でただ一人20分を切れず、20分19秒。一昨年のベストと比べると1分以上も遅れる体たらく。人生最速は2年前だったんかも。チームは、オレが足を引っ張ったこともあり、完走100チーム中、68位のフィニッシュ。Aクラスどころか下位1/3になっちまった。メンバー各位、本当にどうもすみません。

 来年はどうすっかなぁ。引退して監督にでもさせてもらうとすっか。

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賞品は今年もエコバッグをいただきました
コースの係員の方々、すっころんでびっくりさせてしまってごめんなさい



オレの記録 20分19秒 (最終5区4km・区間順位77位/100人)

チームの記録 1時間38分06秒 (完走100チーム中68位)
・・・オレ以外の4名はいずれも19分台・・・それでも最終5区でオレが順位をひとつ上げていたことが判明!少し気が晴れた(笑)
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by dr_suzuki | 2011-12-11 18:55 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(8)