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2011年 01月 31日
Unofficial Football Kitakanto Championship (仮称)
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MSN産経ニュース(1/28)より
「現世界王者は日本代表」 英サイト認定
UFWCタイトルマッチ

 世界中のサッカーファンから支持される団体が、「現世界王者は日本代表」と認定していることをご存じだろうか。アジア杯決勝は、日本が豪州を相手に、7度目の防衛を果たせるかという点でも、世界中の好事家から注目を集めている。(夕刊フジ)

 日本を世界王者としているのは、英国の「アンオフィシャル・フットボール・ワールドチャンピオンシップ(非公式サッカー世界王座)」というウェブサイト。1873年3月にスコットランドを下したイングランドを初代王者に認定。以来140年に渡って、ボクシングのタイトル戦と同様に、国際Aマッチで王者を倒したチームに王座が移るという方式を採用している。

 2008年9月に王座に就いたオランダは、22試合連続防衛という長期政権を築いてきたが、昨夏のW杯南アフリカ大会決勝で延長戦の末、スペインに敗れてついに陥落。そのスペインを昨年9月に破り、新王者となったのがアルゼンチン。だが10月に来日して臨んだ“初防衛戦”は、日本がFW岡崎のゴールでまさかの大金星となった。ザッケローニ監督の初陣での勝利は、日本が6度目の挑戦で初めて世界王者に輝いた、歴史的な一戦でもあったのだ。

 ザックジャパンは初戴冠の4日後、韓国と敵地で親善試合を行ったが、スコアレスドローで初防衛に成功。年を越してアジア杯では苦戦続きながら、準決勝まで5試合連続無敗でタイトルを守ってきた。

 29日のアジア頂上決戦は、「UFWC世界王座」を死守する意味でも、絶対に負けられない闘いとなる。
 御存知のようにオーストラリアとの激闘を制して、日本はUFWC世界王座の防衛に成功したんだけんど・・・

 じゃあ2005年に始まった北関東ダービー、これの真似をして「アンオフィシャル・フットボール・北関東チャンピオンシップ(非公式サッカー北関東王座;Unofficial Football Kitakanto Championship ;UFKC)(仮称)」をやってみたらどうだんべか?

 で、Jリーグのデータを見てみっと・・・

▼2005 ※北関東ダービー開始
第 6節 水戸1-0草津 水戸(UFKC#1;初代王者)
第15節 水戸1-1草津
第26節 水戸1-1草津
第34節 水戸0-0草津

▼2006
第13節 草津1-0水戸 草津(UFKC#2)
第23節 水戸2-1草津 水戸(UFKC#3)
第37節 草津3-1水戸 草津(UFKC#4)
第51節 草津0-0水戸

▼2007
第 3節 草津3-1水戸
第18節 草津1-0水戸
第44節 草津0-0水戸

▼2008
第15節 草津2-1水戸
第30節 草津2-2水戸
第40節 水戸1-0草津 水戸(UFKC#5)

▼2009 ※栃木がJ2昇格、北関東ダービーが3チーム制に
第 6節 水戸2-2草津
第16節 栃木1-0草津
第17節 水戸3-2栃木
第22節 水戸2-1草津
第30節 栃木0-0草津
第31節 水戸3-1栃木
第39節 栃木2-0水戸 栃木(UFKC#6)
第42節 草津2-0水戸
第51節 草津3-2栃木 草津(UFKC#7)

▼2010
第 1節 水戸2-1栃木
第 6節 草津0-0栃木
第17節 草津1-1水戸
第21節 草津2-1栃木
第31節 草津0-0水戸
第36節 水戸1-0栃木

(太字はUFKC王座保持チーム)

 現在草津がUFKC7代目王座(4度防衛中)! 2011開幕の宇都宮での栃木戦は5度目の防衛戦とならぃね。

 年間王者のウィナーズカップの他に、「UFKCチャンピオンベルト」とか「UFKCチャンピオンフラッグ」とか作ったら、北関東ダービーがまっと盛り上がるんじゃねんきゃ!?

【追記】
▼2011
第1節 栃木1-0草津  栃木(UFKC#8)
第15節 栃木0-0水戸
第19節 草津1-2水戸
第33節 水戸2-2草津
第36節 水戸0-1栃木
第38節 草津4-0栃木  (草津がUKFC第9代王者に)
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by dr_suzuki | 2011-01-31 16:50 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 29日
赤子地蔵尊 (太田市藪塚町西野)
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藪塚西野・白髭山西福寺・赤子地蔵尊・・・完全逆光!


 『藪塚鑛泉案内』(1926) をみてみっと、絵図の中に「赤子山」(赤い丸;オレが挿入)という山があって、藪塚駅前の県道脇に「赤子地蔵」(橙の丸:オレが挿入)とゆうんに気づいたぃね。
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 「赤子地蔵」きゃ・・・検索してみっと、太田市ホームページでひっかかったで。太田市(旧藪塚本町)の重要文化財として現存してるんみて。こう紹介されてるし。
 んじゃぁ、そんな霊験あらたかな地蔵さんを拝んでみんべぇか・・・っつーことで仕事帰ぇりに寄ってみたで。

 西福寺は県道太田大間々線の脇にあらぃね。境内の本堂横に赤子地蔵尊があるで。脇には説明板が建てられてるんさ。打ち込むの面倒なんで、そのまんま画像で掲載しとくで。

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現地説明板

 で、堂は閉められてたけんど、謹んでガラス越しに御姿を撮らせていただく。

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赤子地蔵(太田市指定重要文化財)

 1月24日が縁日だったため?なんか供物がいっぺぇだぃね。今でも地元の人の信仰集めてるんだねぇ。

b0004675_12482225.jpg 西福寺境内にはおーか古いスタイル青面金剛の庚申塔なんかもあって、この地域の縁になってたんが良くわからぃね。


 じゃあ地蔵様があったっつー「赤子山」ってどこにあったんだんべか?・・・地元の人に聞いた話じゃ近年の田圃の開発で削平されちゃったかも?とも聞かぃね。『藪塚鑛泉案内』の絵図だと今の谷津池の西北側の小丘がそんな感じもするけんだけんどね・・・

 ってことで文献的考察。

 『藪塚鑛泉案内』p28-29の本文中にこう紹介されてる。
「西野の赤子地蔵」
藪塚駅から南へ数町縣道端に西福寺と呼ぶ寺の境内に赤子地蔵尊が祀られてある。
 往古惟高親王の御乳母が赤子山(御所山の南方)で地蔵尊を勸修したが、其地蔵尊を此所に移した者で子供の夜泣きを止めるのに不思議に霊験がるので、遠近より信仰者が参集する。
  『薮塚本町の民俗』(1974) p73には
赤っ子地蔵
 白髭山西福寺の境内にある。一月二十四日が縁日で、赤っ子の夜泣きにきく。五十年くらい前に、赤っ子山から移した。四つ前(九時前)にお参りするときく。新潟・東京・横浜の方から来ることもある。縁日には、かま番(一年の行事を司る世話人)が、旗や幟を立て、お参りに来た人におまわし(団子)を渡す。この団子を食べると、風邪を引かない。団子の米は、村中から寄せ、二斗ほど集る。
 惟喬親王の乳母の朝尾という人が、惟喬親王が生まれた時、薬を見つけようと探した時に寄りかかった石が地蔵様だった。それが赤っ子山にあった。(西野)
 寺に安置した時期も、太田市のサイトは「江戸時代」、『藪塚本町の民俗』の伝承だと「五十年くらい前」だし・・・何よりその50年程年前に出版された『藪塚鑛泉案内』にはちゃんとした年代が明記されてねぇし・・・やっぱ江戸時代あたりに安置されたんかねぇ。「新潟・東京・横浜の方から来ることもある。」んなら、1世紀ぐれぇ前には、ここはなっからすげぇパワースポットだったんだんべなぁ。

 谷津池西北の小丘にもいっぺん上ってみなくっちゃね。

【参考文献】
『藪塚鑛泉案内』絵図, p41 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『薮塚本町の民俗』 p73 群馬県教育委員会 1974
 太田市ホームページ

【追記;1月31日】
太田の同じ職場の方の実家が湯の入で、そこに80代のお父様(M氏)がご健在とのことなんで、M氏に赤子山の位置を伺ったところ「赤子山は谷津池の西北の小丘」との情報をいただぃたぃね。あとで探検してみんべぇ。そして今はへびセンターになっちゃった「谷山」は、刀鍛冶の鉄屑を捨ててたといゆう伝説があって「金糞山」ともゆわれてたんだと。
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by dr_suzuki | 2011-01-29 12:58 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2011年 01月 23日
【Nike+】 ハーフマラソンに向けて ~ 初めての21.1km走!
 天気も良く、風も穏やかな日曜。来月の桐生市・堀マラソンのハーフマラソン参戦に備え、一度は事前にハーフの距離を走っておかなくっちゃと一念発起。11時過ぎに自宅をスタート。

 近くの県道はろくすっぽ歩道も整備されてねんで、歩道が整備されてるところ・・・つーことで、北関東道太田藪塚IC周囲~側道を走ることにしたんさね。寒くもなく快調。歩道も広くっていいやぃね。Nike+のペース測でオーバーペースにならねぇように、慎重にランニング。唯一の誤算は水分補給は自販機で・・・と思ってたら、道っ端に全然ねんだもんなー。
 藪塚の山之神でちょうど10.5kmになったので引っ返ぇす。おまけにDydoの安い販売機も発見。スポーツドリンクを買って一路家まで。
 これまで自己最長距離は昨夏の「草木湖一周マラソン全国大会」の12km。これを越えて自身未知の領域に挑む。向かい風がちっと強くなったんで、ちょっとペースが落ちてきた。そして・・・18km地点で右膝の腸脛靭帯が痛くなってきた・・・おまけに両足の指にマメもできちゃったorz それでもなんとか目標の21.1km走破達成!やればでぎるもんだぃねぇ。4年前に500mも走れなかった自分がウソの様だぃね。

 Twitterにも結果をアップ。
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 Nike+での記録。
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 安定したペースで走ってたんだけんど、18km地点で右膝が痛くって屈伸やらしてたんでペースが落ちちゃったぃ。

b0004675_21394322.gif せっかくのハーフ距離走破。Nike+の「湘南国際マラソン公認Nike+バーチャルレース ハーフの部」にもエントリー!


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 ハーフ記録は1時間51分27秒、現在63位!まぁNike+の距離測は誤差もあるけんど、初めてにしては納得のタイムだぃね。

 ハーフマラソンへの自信はいちよーついたんだけんど、まだ右膝と足のマメが痛てぇやぃ。フルマラソンはまっさか高く聳える壁だぃなー。まっと精進しなくっちゃ。
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by dr_suzuki | 2011-01-23 21:48 | Nike+ | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 20日
【Nike+】 今年も開催! チャレンジ「両毛ダービー 群馬 vs 栃木 2011」
 恒例の?、Nike+のチャレンジ「両毛ダービー 群馬 vs 栃木 2011」を開催するで!

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 北関東の永遠の宿命のライバル、群馬と栃木。今年も両県民ランナーの互いの切磋琢磨と友好を深めるんべぇや。

■開催期間■

2011年、サッカーJ2リーグ期間中相当の
2011年3月5日から、2011年12月3日まで

■チャレンジのルール■

群馬&栃木県人限定! それ以外は失格!ごめんね、ごめんねー!国外からのエントリーは即失格。
・Nike+で「プロフィールとアクティビティを共有していない方」はエントリーしても即失格
・新規エントリーは10月31日まで。11月1日以降の新規参加は認めず、即失格。

■賞品■

 総合順位で2011年度ザスパ草津・栃木SCのJ2リーグの順位と同じランナー2名にはささやかな賞品を進呈予定。(チームの順位によって、受賞者が異なる変動性を今年も採用(笑))
 2011年のJ2は20チームなんで、受賞の可能性は1位~20位までのランナーだぃね。今年は栃木SCが気合い入れて補強してっからなー。おまけに今季J2開幕戦(3/6)は、栃木vs草津@宇都宮市・栃木県グリーンスタジアム!!

 Nike+やってる群馬&栃木県人の方々の参戦、待ってるで!

 参戦希望は↓
 Nike+ 「両毛ダービー 群馬 vs 栃木 2011」

2009,2010年は群馬が連覇。今年は?
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by dr_suzuki | 2011-01-20 08:13 | Nike+ | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 13日
八坂神社 (太田市世良田町)
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世良田・八坂神社

 次に旧世良田役場の北に鎮座する八坂神社に三束雨さんをご案内・・・とゆーかオレも観てみたかったんだけんどね。

 実に広く立派な境内。手水舎も神楽殿も神輿舎もあって、でっけぇ山車を収めた舎も複数あるし。社務所の隣には樹齢は約700年だっつー「熊杉」というでっけぇ切り株(昭和41年の台風で倒されたとのこと)もあるで。境内北には多数の境内社。ここが由緒ある神社っつーことがうかがえらぃね。

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拝殿/拝殿を斜め前から/絵馬
本殿の彫刻群
熊杉/神輿舎/倉庫にあった木彫りの看板


 旧尾島町の史跡に設置されている手書きの説明板があったんで内容を頑張って打ち込んでみっか。

八坂神社
 八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
 「永禄日記」(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、「天王祭ヲイタス」とあり、古くは「牛頭天王」を祀る天王社であった。江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
 当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。特に夏祭は「世良田祇園」として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに「世良田祇園」の伝統が受け継がれている。
 世良田政義や尹良親王・・・後南朝の「浪合記」の世界だねー。

 その昔、世良田がおーか栄えてた頃は、さぞかし祇園祭は新田郡の名物だったみてぇだぃね。ここ数年、往事の賑わいを復活すべく、地元の方々が熱心に山車の改修するなどしてるらしいで。何でもここの祭じゃ、御神輿が出るのは夜の十時だっつー話だぃね。一度見てみてぇな。

『薮塚本町の民俗』(1974) p82には以下の記述があるんさね。
 八坂神社の講は世良田の八坂神社のオギオン-七月二十五日-に代参する。初穂米を講中から集めていく。神社からよこした日本紙のよい袋に米を入れていく。ぶっきり飴を買ってくることになっていた。夕飯を食べ徒歩で世良田に行ってくると丁度夜が明けた。
 世良田のギオンには雨が降る。雨降りの用意をしていく。
 藪塚から夜通しで代参に行ぐっつーんもすげんねぇ。藪塚からなら大間々の祇園の方が近けぇ気もすっけど、やっぱ新田郡は新田郡内の八坂神社にお参りするってことなんかな?

 それにしても「ぶっきり飴」ってどんな飴だったんかねー(笑)

b0004675_0545276.gif 世良田・八坂神社 (Yahoo!ロコ)


 新田氏の拠点の世良田の神社だし「新田氏代々の崇敬社」っつー縁起もあることから、いちよー「新田氏関連史跡めぐり」タグにも加えとくか。

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 ・・・これで1月9日の濃密な休日の記録はオシマイ。

【1月16日追記】 図書館で調べてみたで。

まずは『上野国郡村誌 新田郡』の世良田邨より
八坂社 郷社 東西四十六間南北三十五間、面積千六百三十六歩 村ノ北方ニアリ 祭神素戔嗚尊 祭日八月陰暦六月七日十四十五日ヲ推シテ之ヲ用ユ、十四十五日両日遠近咸至リ来テ 祭儀ヲ観ルモノ率常ニ数千人、蓋郡中ノ盛祭ナリ 初メ女塚・境・三木・粕川及本村五邨ノ鎮守タリ 明治八年始メテ郷社ニ列ス

 そして『尾島町誌 下巻』(1993)も調べてみたで。第7章(p999-1043)がまるまる「世良田八坂神社の祇園祭」として詳細な記述がされてたぃね。
 p1007より引用
 七月一日
 この日は朝から参拝者がつめかけてくる。キュウリなど供えて拝む。また名前の「八坂飴」を売る店も出て参道は賑わう。この飴を食べると疫病にかからないといわれた。ムラ人はこの日を「アメカイ」と呼んでいる。平たくのした白い飴で注文数に応じてアメキリボウチョウ(三味線のバチのような形)に小さい金づちを当て、カチンカチンと切って売る。
 そのページには飴を切ってる風景が白黒画像として載ってたぃね。まさに「ぶっかき」「ぶっきり」飴なんだねー。

 ますます「八坂飴」食ってみたくなったで!(笑)

【参考文献】
『薮塚本町の民俗』 p82 群馬県民俗調査報告書第十六集 群馬県教育委員会編 1974
『上野国郡村誌 新田郡』 世良田邨
『尾島町誌 下巻』 p999-1043 尾島町誌専門委員会 尾島町 1993

【追記】
2012年、世良田祇園まつりに行ってみたで。「八坂飴」も食ってみたで(笑)
 世良田祇園まつり (2012)
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by dr_suzuki | 2011-01-13 13:22 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback(1) | Comments(21)
2011年 01月 13日
旧世良田村役場庁舎 (太田市世良田町)
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旧世良田村役場庁舎及び正門
国指定の登録有形文化財(建造物)

 境女塚のCAFE ROSSYで、急遽なっから!のお茶会が開催されることになったんで、八王子丘陵から戻って、急いで着替えて今度は南進。せっかくなんで三束雨さんに世良田で落ち合って、ブログネタになりそうなもんを案内することにしたんさね。時間があんまなかったんで、世良田東照宮とか長楽寺はパスして、国指定の登録有形文化財(建造物)の旧世良田村役場庁舎を紹介してみたんさね。(現在は太田市役所 尾島庁舎 尾島文化財事務所になってるんだと。)

 旧世良田村役場庁舎は文化庁の国指定文化財等データベースによれば
 昭和3年(1928)建造。鉄筋コンクリート造2階建,コの字形の平面で,南面に玄関ポーチを設ける。外壁はモルタル塗,正側面の腰を大谷石張,パラペットには擬石塗のロンバルディア帯を廻し,開口部は縦長につくる。全体が装飾を控えた簡明な意匠で,昭和初期の地方庁舎建築の好例。
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 その前の旧世良田村役場正門(一番上の画像)も登録有形文化財(建造物)だそうで
 敷地南側の街路沿いにある。鉄筋コンクリート造,大谷石張の門柱4本からなる。主柱は4.5m,左右の脇柱は2.0mの間隔で立つ。主柱は高さ2.1mで,頂部には雪洞灯を設ける。年代,意匠とも庁舎と一連のもので,役場の正面景観をかたちづくっている。
と由緒ある建造物らしいんさね。まぁ素人のオレがみてもよくわかんねんだけんどねー。「ロンバルティア帯」ってわかねんでネットで調べちゃったよ(笑)

 世良田村は昭和の大合併で、世良田・小角田・徳川・粕川・出塚地区が新田郡尾島町と合併、上矢島・西今井・三ッ木・女塚・米岡・平塚・境地区が佐波郡境町と合併とゆう群馬県でも珍しい「村を2分する分村合併」が行われたとゆう悲しい歴史があるんさね。(昭和32年;1957) 佐波郡は中毛扱いだんべから、この分村合併で東毛の領分が少なくなったともゆえらぃね。この分村合併問題の一連の流れは『尾島町誌 下巻』(1993)で詳しく知ることができらぃね。この庁舎の中や庭で、住民達の喧々諤々の激しい論議が交わされてたんだんべなぁ。

旧世良田村役場庁舎 (現在は太田市役所 尾島庁舎 尾島文化財事務所;ちず丸リンク)

【参考文献】
『尾島町誌 下巻』 町村合併と新尾島町の成立 p437-445 尾島町誌専門委員会 尾島町 1993
・・・p440にはこの役場前の庭で「東部派役場前にて決起集会」の画像が載ってる(※東部派は尾島合併派のこと)

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三束雨さんのブログでも画像入りで紹介されてるんさ。その画像の差もあわせてみてくんなぃ!(笑)
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by dr_suzuki | 2011-01-13 08:57 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback(1) | Comments(4)
2011年 01月 12日
黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)
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八王子丘陵・五條の峠の最西・黒石峠(藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)

 『山田郡誌』に載る旧新田山田郡に通じる五條の峠のひとつ、黒石峠。藪塚瀧ノ入と広沢岡の上を結ぶ峠で五條の峠の中で最も西にある峠さね。

昭和14年(1939)発行の『山田郡誌』には八王子丘陵の峠道について、以下のように記載されらぃね。(ちなみに新田郡側では薮塚も強戸もこのような誌書が全くまとめられてねんで実に貴重な資料さね)
廣澤村大字廣澤字神明より毛里田村大字吉澤字萩原に至る約十粁の間五條の峠あり。即ち左の如し。

黒石峠 廣澤字岡の上より新田郡薮塚本町大字藪塚瀧の入に至る

八王子峠(姥澤峠) 廣澤字姥澤より新田郡薮塚本町大字藪塚湯の入に至る

籾山峠 廣澤字籾山より新田郡強戸村大字西長岡入長岡に至る

菅塩峠 廣澤字舞豪賀茂の入より新田郡強戸村大字菅塩に至る。この峠に洪積層の礫層を露出す。昭和十年道路改修後の事なり。

唐澤峠 毛里田村大字吉澤字唐澤より新田郡強戸村大字北金井に通ず、この峠の西北約百米の分水嶺上に集塊岩の露出を見る。

 黒石峠以外の4つの峠(あるいはそれに続く古道)には、すでに辿ってきたで。黒石峠は主尾根を縦走したときには通ったことはあるんだけんど・・・せっかく主尾根まで来たんだから、黒石峠を下って瀧ノ入に下りてぐことにすっかな。

b0004675_18193896.jpg 主尾根を西に。途中、少年自然の家の三本松コースへの下り分岐や東武鉄道の注意看板もあったりすらぃね。この辺の山は東武の所有なんかねぇ。


b0004675_18254237.jpg 杉林を下ってぐと、黒石峠に辿り着く。(画像は峠西側からの主尾根)桐生側は岡の上団地につながってるんで、団地に住んでる人たちの散歩コースになってるらしく、それなりに道になってるみてぇだけんど、藪塚側はまっさか歩く人も少なく、篠竹に覆われてるって聞かぃね。


b0004675_18202630.jpg 黒石峠から藪塚側に下ってみる。そのうちに道が篠竹に覆われちまうんかな・・・と思いきや、篠竹が見事に剪定されてるじゃんーきゃ。整備してくれてる人がいるんだねぇ。GJ!(ただ竹の断端がまっさか鋭でんで踏みぬかねぇように底の厚い靴がいるね)途中まっさかでっけぇ倒木もあった。


b0004675_18212893.jpg 下ってぐと、道の真ん中にイノシシのヌタ場と思われる窪みも・・・この辺にもいっぺぇいそうだぃねぇ。


b0004675_18364155.jpg 道っぱたの、露出した岩の風合いも「薮塚石」にそっくり。もうちっと薮塚石が後世まで掘り続けられてたら、このあたりにも石切場ができてたんかもな。


 もすこし下ってぐと、突然シイタケ栽培の原木が積まれた場所に出くわす。傍の作業道を下って無事里に下りることができたぃね。これでゴルフ場になっちまって辿れねぇ唐沢峠を除いて新田郡側の五条の峠道はほぼ完了かな。

 自然の家を目指して道を歩ってると、地元のおばあさん(御歳80才ぐれぇか)に偶然行き会ったんで、ご挨拶して、『藪塚鑛泉案内』に載っていた「太平山(「大平」とも書く文献あり)」と「秋葉山」のありかを伺ってみた。「『オオヒラ山』は前の福寿館の裏の山のことをそうゆってたよ。『秋葉山』は・・・しらないねぇ」との話だったぃね。少年自然の家ができてハイキングコースを作った時に、まっと地元・藪塚側からの山々の呼称をつけるとか、もうちっと配慮すりゃよかったんじゃねぇかと思うんだけんどね。まぁ県立施設だからその辺はまぁず無関心だったんだんべなぁ。
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滝ノ入より「オオヒラ山」を望む

b0004675_18241264.jpg 滝の入公民館の交差点に出られたんで、東進し自然の家の駐車場へ。

 いやーなっから充実した1月9日の八王子丘陵探検はこれにて了。APRSがうまくいがなかったんだけ心残りだぃなー。


 【下図は、今回の行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。東毛少年自然の家は現在「東毛青少年自然の家」に改称。旧福壽館の裏の山とゆうことで、この峰が「太平山」じゃねんかと推定。橙の字は小字名】
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 なお『藪塚鑛泉案内』巻末の交通(p64-65)にはこうも記されてる。
 (前略)尚西長岡鑛泉より山路を登り籾山峠を越え、廣澤村に出て桐生新宿に達する路と、湯の入り、瀧の入より、また山路を黒石峠を越え、廣澤村に出て、桐生新宿に達する近道がある。共に一里弱である。
 当時は黒石峠も交通の要衝だったんだんべなぁ。

【参考文献】
『山田郡誌』 山田郡教育会 編集・発行 1939
『藪塚鑛泉案内』 p64-65 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
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by dr_suzuki | 2011-01-12 18:39 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2011年 01月 12日
東毛青少年自然の家から「立岩コース」を上る (太田市薮塚町)
 今日の山歩きのもうひとつの目的はアマチュア無線で「APRS」(Automatic Packet Reporting System:WB4APR Bob Bruninga氏が提唱したアマチュア無線パケットの応用で、GPSなどを利用して行われるトラッキング)の実験をやることさね。無線機+GPSで位置情報を発信し、「スパイ大作戦」さながら、自分の居場所をリアルタイムで地図上に表示しようっつー試みさね。

b0004675_1744753.jpg 群馬県立東毛少年自然の家は平成22年4月1日より「群馬県立東毛青少年自然の家」に改称したらしい。どうせ主尾根まで上るんなら、自然の家発着のハイキングコースで上ってみっか。これまで不整合コース石尊・尾根・鎖場コースは行ったことあるんだけんど、ならば今まで上ったことのねぇ「立岩コース」を選択してみた。どんな立派な岩なんかみてみんべぇや。


 無線機をオン!無線機付属のGPSは感度がいーのかすぐに衛星を補足。「立岩・三本松コース」は屋外炊事場から上るみてぇだ。ちょうど炊事場では青少年の男女諸君が昼ごはんを作ってたんさ。合間を失敬して山登り開始。

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 最初はよくある山道。案内看板が分岐ごとに親切にある。中腹になっと、大きな岩がゴロゴロしてきたで。そして目の前に大きな垂直に立った岩発見。
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屹立した「立岩」/ちょうど半分だけ太陽が当たってなんだかなーな画像

b0004675_1749548.jpg ちょうど笠懸の天神山のプチタイプみてぇな感じだぃなぁ。こういう所って石仏や石祠のひとつもありそうなもんだけんど・・・ひとつもねぇや。昔からある峠道じゃなくって自然の家ができてから作った登山コースなんかもしんねぇなぁ。


b0004675_17485429.jpg 立岩を回りこんで更に上ってぐ。結構急になってきた。マラソン大会と石切場探検で乳酸がまぁず筋肉に溜まってきた感じで、ふくらはぎがまぁず張ってきたんを実感したで(笑)


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主尾根直前で薮塚側/主尾根に到着(ベンチもある)/広沢の眺め

 そして無事八王子丘陵主尾根に到達。ここはちょうど茶臼山への分岐にあたるポイントさね。目の前の北側には広沢がよくめぇる。そして南側を振り返ぇると木立の間から薮塚側もなかなか展望がいーじゃねーきゃ。ここでちっと一休み。

(→家に戻ってからAPRSの成果を確認すっと・・・無線機の設定を完全に誤まっちゃって、全くデータが取れてなかったんさね(泣)再度実験しなくっちゃなー・・・)

(つづく)

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【上図は、この行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。(所要時間約20分)途中のフラッグマークは立岩(N 36°22′23.59″E 139°19′19.03″標高174m)東毛少年自然の家は現在「東毛青少年自然の家」に改称。・・・このデータをAPRSで取りたかったぃなぁ。】
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by dr_suzuki | 2011-01-12 18:00 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 12日
続・薮塚石切場跡 (太田市薮塚町) ~ 隠れた奥宮へ
 近年多くのブログやサイトで有名になってる?このブログでも採り上げた薮塚石切場跡。(←この記事を読む前に、まずはこっちを見てくんなぃ!) 映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』(2008)の撮影にも使われたっつー話だぃね。事実、このブログをこの「石切場跡」をキーワードに検索してくる人は結構いっぺぇいるしね。まるで西洋の神殿のような威容とその雰囲気に、見学する者、固唾を呑むこと請け合いさね。

 さて1926年の『藪塚鑛泉案内』の絵図(下に引用)を見っと、金子山の北方面には「唐沢山」とゆう山があって、その奥の稜線側に石材採掘所が描かれてるで。(赤丸で囲んでみた)これはあのメジャーな石切場跡とはビミョーに位置が違ってるんじゃねーきゃ?と、ゆーことは、他にもでっけぇ石切場跡があるってことなん?
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 そしてp41にはこのような説明がある。
藪塚石材採掘場 湯の入鑛泉から渓間を北に五六町行くと、石材の採掘場がある。處々にある中最も大なる者で、採掘の切り跡は白く或は黄色に、宛然五層或は八層の洋館でも、幾つも幾つも並べた様で一大奇觀である。斯うした白亜の殿堂の中で数十の石工が、切取る鑿音の山彦して、妙なる楽をかなでるに似たり。浴後手を携えて見物するも興味がある。
 うーん、こりゃ一度探してみなくっちゃな!と思っていたところ・・・・ある方からその石切場跡の話を聞いたんさね。

 今日の探検のメインは、この石切場跡探索だぃね!

 ・・・そして・・・とうとうそれらを目にできたぃね!

※警告※
 以下の文章・画像をみて「俺も行ってみっか!」と思った人は、行動はすべて自己責任でたのまぃ。このブログは行動により生じた結果に一切の責任を負わねぇかんね。石切でまさに垂直に切り立った崖が多いから、誤って転落・滑落したらまず重症、最悪死亡すっかもしんねぇよ。仮に意識があったとして、助けを求めようにも携帯電話も通じねぇ可能性も大。(八王子丘陵は低山なんに携帯電話も通じねぇ所が多いんで、オレは常にホイッスルと無線機を携帯してる。)人っ気がねぇのをいいことに、イノシシや野犬が棲んでっかもしれねぇしね。なんでこのブログでは詳しい場所は明示しねぇし、その行ぎ方も問い合わせてきてもお教えでぎねぇやぃね。


 ■あの薮塚石切場跡の奥にある石切場跡 ~まさに「隠れた奥宮

 訪れる人もあんまいねぇんか、結構荒れてらぃね。
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 ■その更に奥のちっと離れた場所にある石切場跡。

「屹立する垂直な石壁」は圧巻の一言
(石の質が若干違がーような気もすんなぁ)
 でも見物はくれぐれも自己責任で。落ちたら死ぬかも。

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画像では良く撮れてねぇが穴には水が溜まってる


 壮観な石切場跡を十分に堪能。
 いやぁ文字通り薮塚の八王子丘陵は「奥が深けぇ」やぃな。

 来た道を慎重に引っ返ぇす。
 一旦、東毛青少年自然の家に戻ることにする。さぁ次の探索に行ってみっか。

 (まだまだつづく)

【参考文献】
『藪塚鑛泉案内』 絵図, p41 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
 ・・・図中の「岩穴八幡社」ってまだ残ってるんかなー。これも探してみっか。めっかればそこが「唐沢山」で決まりだぃね!
『薮塚本町の民俗』 p44-46 群馬県教育委員会 1974
『藪塚本町誌 下巻』藪塚石 p1126-1129 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1991
 ・・・『藪塚本町誌』に「藪塚石」の項目があったもんの、これは『藪塚本町の民俗』の内容のほうが詳しかったで。ただ口絵の大正期の「藪塚駅に引かれたトロッコ軌道」の画像は貴重かな。
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by dr_suzuki | 2011-01-12 16:34 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(13)
2011年 01月 11日
金子山 (太田市薮塚町滝ノ入)
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瀧權現神社南に聳える「金子山」・・・ピークはまっと南にあった;思いっきり逆光!

 八王子丘陵に魅せられ、はぁ早4年さね。今後も人々の記憶から消えつつある峰々の名を文献で調べ詳らかにして実際に踏破し、先人の祈りが込められた石仏なんかを訪ねて記録して行ぐんべぇや。もうこれは、オレに課せられた天命だと思ってるんさね。そんなんで2011年も「東毛漫遊山歩き」おっぱじめるとすっか。

 さて以前、瀧権現神社 (太田市薮塚町滝ノ入) のことを調べてたときに『藪塚鑛泉案内』にこんな一文があったで。
『藪塚鑛泉案内』 p22-23
 瀧の入鑛泉 湯元 福壽館

 (前略)やがて瀧の入の十字路につく其處で東に折れて山裾に沿ふて行くと、一帯の大松林の麓に、高雅な二層樓の旅館は南に面して建てられているのが見える。
 瀧の入鑛泉は夫れである。附近は凡て農家のみであるが、館の前面左寄りに、雅趣溢るる梅林があり、又其邊一帯には珍奇な花木多数あり四季の眺觀豊かである。
 往古を偲ばしむる瀧權現神社は旅館の前にあり老松古杉は鬱葱として其枝を垂れ、側に小池がある。池の南岸は金子山で、山影を池面に寫し、情趣掬す可き者がある 金子山を彼方に越せば、湯の入鑛泉に出る。
 (後略)
 金子山きゃ・・・確かに池の南岸に山があらぃなぁ。カネコさんが所有してたんだんべか?もちろんここは未踏峰だしなー。そして「彼方に越せば湯の入鑛泉」とあるんだけんど、本当にそっちに行げるんか確かめてみんべぇか。ついでに金子山のピークにも祠とかねぇんかみてみっか。

 新田新春健康マラソンを終え、久々の八王子丘陵探検!車を滝ノ入に走らせる。

 東毛青少年自然の家(最近「青少年」に改称された)駐車場に車を停め、まずは瀧権現神社まで歩ってぐ。膝は全く痛かねぇし、今日はいっちょがんばってみっか。ここで久しぶりにGPS(Foretrex101)の電源を投入したら衛星の捕捉ができねぇらしく、長らく神社脇の駐車場で待ってると・・・池の奥からハイカー(男性)の方がひょっこり現れたぃね。挨拶をしてお話をする。「ここを上っていけば石切り場のところに出られますよ」との話。この道、確かに湯ノ入とつながってるんだなぁ。(八王子丘陵で人に行き会うって珍しいんだぃねー)衛星の捕捉も完了したんで、じゃぁオレも行ってみっか!探索開始!

b0004675_13335663.jpg 池の周りを歩く。9月にここに来たときはおーか薮っ蚊がいっぺぇいたっけなぁ。冬の今日は池に薄氷が張ってらぃなぁ。山道(滝ノ入→湯ノ入ルート)はちっと荒れ気味。イノシシの形跡が所々にある。新しそうなヌタ場もあるじゃねーきゃ!(山中で出くわしたくねぇもんだ)。『藪塚鑛泉案内』の絵図だと、ここは金子山と唐沢山?(石切場の山)の鞍部っつーことになるんかな。


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瀧權現神社社殿/鞍部へ/金子山山頂付近・・・何もなし

 まずは金子山へ登頂しなくっちゃ!・・・途中、山頂が伺えそうな場所から、山頂へアタック開始。若干薮臭ぇものの、直ぐに山頂到着。石祠があるんかとあたりを探策をしてみたんだけんど、そんなもんもめっからず。まぁあんまり期待はしてなかったけんどね。

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ここはハイキングコースなんだねー/滝ノ入→湯ノ入ルート道標/北山古墳ルート道標

 来たルートと違がう、ちっと南側へ進路を取り下ってぐと・・・突然完全な踏み跡に出くわす。東の鞍部方面に行ぐと、さっき通ってた滝ノ入→湯ノ入ルートに合流。どうやらここは北山古墳に行ぐ道なんだねぇ。しかもここハイキングコースなんきゃ・・・全然ヒミツのルートじゃねんだね。

 そういやぁこの交差点の脇の木の隙間から・・・・あの石切場跡がみえるんだねぇ。

 (・・・探検はつづくよー)

b0004675_2015924.gif【右図は、今回の行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。神社は瀧権現神社。金子山の南の道を下ると、北山古墳に行げるそうだぃね。東毛少年自然の家は現在「東毛青少年自然の家」に改称。】



【参考文献】
『藪塚鑛泉案内』 p22-23 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
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by dr_suzuki | 2011-01-11 20:37 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)