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2010年 10月 31日
J2 第32節 vs コンサドーレ札幌
b0004675_22165610.gifコンサドーレ札幌 0-1 ザスパ草津

b0004675_21511092.jpg 歳のせいか風邪も全然良くなんねぇや。

 札幌遠すぎ。
 とはいえ、ウチの家族じゃ、来年郷土の英雄・ハンカチ王子の応援に札幌に行ぐんべぇかっつー話が出てらぃね(笑)。

 アウェイでの貴重な1勝。これで今季10勝目!
 画像は無線の知り合い&札幌サポのJH8SIT山本氏からのご提供。いつも「なっから!ザスパ!!」に画像提供あんがとね~!・・・来年もお互いJ2でがんばるんべぇや!

 現在14位 (10勝6分14敗;勝点36、得失点差-13)

【J2:第32節 札幌 vs 草津】レポート:敵地で粘り強く戦った草津がエース、ラフィーニャの得点で勝利。敗れた札幌は3位入りの可能性が消滅した。(10.11.01) (J'sGOAL)
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by dr_suzuki | 2010-10-31 21:55 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 30日
らーめん・つけめん 満帆 太田店 (太田市南矢島町)
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満帆 太田店 (太田市南矢島町)の「ごじ麺」(クーポンで500円也)

b0004675_13134376.jpg 太田の仕事の帰ぇり、職場のワケーシたち推奨の太田市南矢島町の「らーめん・つけめん 満帆 太田店」に寄ってみたで。

 TJのクーポン券で「ごじ麺」は500円也。ここ数日の寒暖の変化ですっかり風邪気味のオレ、体調回復を期してニンニクをトッピングしてもらったぃね。

 野菜高騰の御時世なんに、野菜が山盛りてんこもりはうれしいやぃねぇ。独特の太麺、スープも味もニンニク効いてていー感じ。これでワンコイン!大満足!

 大勝軒系は、そのヴォリューム、味もさることながら、何より「禁煙」なんがうれしいやぃね。群馬でもまっと禁煙のラーメン屋さんが増えてほしいやぃなぁ。

 そういや店のおねえさんに、どうして「ごじ麺」ってゆうんか聞くんを忘れちゃったぃね。

らーめん・つけめん 満帆 太田店 (ちず丸リンク)
群馬県太田市南矢島町545-2
0276-38-6978
11:30~24:00 年中無休
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by dr_suzuki | 2010-10-30 13:14 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2010年 10月 25日
高坪山 (太田市北金井町)
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高坪山 (太田市北金井町)・手前は後田池のひとつ北の池

 家族が用事で皆出かけちまったんで、オレは先週に引き続き八王子丘陵に行ぐことにしたんさね。今日のターゲットは太田市北金井町の高坪山。2007年にも雷電宮探しで来た山だぃね。太田市の八王子丘陵整備の前に、ここが高坪山だっつーことを、改めてアピールしとくんべぇとゆう狙いだぃね。そんなんで今回もおーか長げぇよ。

 高坪山は2万五千分の一の地図では.236mと書かれてるんで、236m峰と紹介されてるサイトも多いやぃね。これまでオレがいろんなところで得た情報を整理してみんべえか。

 『上野国郡村誌』新田郡には北金井村の項があり、その「橿域」の項に以下のように記されてらぃね。
 
橿域
南方強戸村ニ隣リ西方成塚邨菅塩邨ニ接シ、北方山田郡廣澤村ニ境シ髙坪山之ヲ界シ、東方吉澤丸山村ニ境シ分木山之ヲ界ス
 「山」の項には髙坪山と分木山が記され、高坪山は以下のように記載されてるんさね。

 髙坪山
 髙百廿六丈、八王子山ノ一峯ナリ、村ノ北方ニアリ、西ハ菅塩村ニ属シ北ハ廣沢村ニ属ス、山麓松楢雑木ヲ生ス、登路六町十五間字後田ヨリ上ル
 高坪山は「後田」から上り、西が菅塩村領分、北が廣沢村領分であり、旧郡の境界もこの山がしてるっから236m峰は「高坪山」で疑いの余地なしだぃね・・・地元の仙人様にも、あの山が高坪山だと教えてもらったしね。

 そして以前、更にこの辺の地名を調べるべく、太田市教育委員会文化財課で『太田市地籍集成図』(1988)を閲覧させてもらったぃね。この236m峰の太田側は、小字3つで分割されてて、西より菅塩分が「東渓」、北金井分が「松ケ沢」「妙知沢」で2分割した形。雷電宮石祠があるんは「松ケ沢」になるみて。236m峰南西の小丘は「東渓」にある。『群馬の山 2 奥利根・上越・県央』(上毛新聞社 1989)にこの236m峰を指して「西渓山」とあるんだけんど、これは誤認と思われらぃね。「西渓」とゆう小字は菅塩の天王山東南斜面にあるんだけんど、山頂らしいところがねんみて。いったいどっから「西渓」の名が出てきたんだか・・・ちなみにマイクロウェーブ中継所跡あたりは「東高壺」、かまぼこ兵舎北の送電線鉄塔の辺りは「西高坪」とゆう小字になってる。

 昔は北金井最深部の郡境の山々を村からみて総じて高坪山と呼んでて、起点の後田池あたりからみて東を「東高坪(壺)」、西を「西高坪」と呼んでたんじゃねんか・・・と思うんさね。

 またその他に「高坪山」が登場する文献は、このブログではお馴染みの新井信示「八王子山脈縦走記」(1936)があるで。この山に相当するピークは雷電様のあった山として、こう記されてる。
(前略) 石尊山から約一キロで分水線上二百二十米の山頂に雷電様の石宮が有って「寛政十年戊午三月吉日願主金井惣村中」とあり、石宮の後ろに空洞の黒焦げになつた古木があったのでどうして焼けたのかなと思つて見た。雷電様があるから、雷電山というのであらう。此処からは南方遥かに懐かしい金山の全姿が見渡された。若し同行者でも有つたら互に感興を語り合ふべき處である。うら山のすぐ北に金井萱鹽の谷から廣澤村大字舞臺へ越える岐路があつて標高約百八十米の處を超えて居る
 それから尚も分水線上を北へ北へと進んで、標高二百米の瘤山を二つ越えて二百二十余米の無名山(思ふに高つぼ山か)に上りそれを下つて更に次の二百二十米の頂上に立つて目を南方に放つと、美しい圓錐形の天王山二百四十三米の峯は分水線外数百米の彼方に聳え、菅鹽の谷と入長岡の谷とを分けてゐる(後略)
 この文章もこう考えらぃね。
・雷電宮は、現在は山頂になくってなぜか山肌の遊歩道の脇にあるんだけんど、1936年当時山頂にあったんは全く別のもんなんのか、遊歩道の脇のものと同一のもんなんかは今となってはわかんねぇやぃね。
・「金井萱鹽の谷から廣澤村大字舞台へ越える岐路」とあるんだけんど、これは菅塩峠のことと思われ、「萱鹽」は「菅鹽」の誤植と思われらぃね。
・「標高二百米の瘤山を二つ越えて二百二十余米の無名山(思ふに高つぼ山か)」とあるんだけんど、現在の二万五千分の一の地図を見っと、これは日向山の北の山に相当すると思うんさね。高つぼ山としてるんは誤認だんべね。だけんど新井氏が「高つぼ山」の存在を知ってたことは特筆すべきことじゃねーんかね。(当時雷電宮が山頂にあったんで、あそこを高坪山とゆうんをためらったんじゃねぇかと思う。)
・「次の二百二十米の頂上」は「かわご石山」と推定。(かわご石山は桐生側の呼び名なんかもしんねぇけんど)

 さて文献的考察はこんぐれぇにして現地調査に行ってみんべぇか。

 10月24日お昼前、カマボコ兵舎前の駐車場に車を停める。

b0004675_14313847.jpg カマボコ兵舎東南の池は太田市発行の『白図2』をみっと名が「後田池」となってる。小字の名前を取ったもんだんべなぁ。後田池脇の駐車場から高坪山へゴー!途中、イノシシとスズメバチに逢わねぇように祈るばかりだぃね。イノシシ除けに無線機をぶら下げ、NHK-AMを流しながら歩く。遊歩道はぬかるんでておーか歩きづれぇやぃ。


b0004675_14425948.jpg 遊歩道の途中に、以前訪れたあの雷電宮を発見。どっかの誰かが小さな観音様?をのっけてくれたみて。「八王子山脈縦走記」じゃ、雷電宮は山頂にあるって記載があるんだけんど、どうみても山肌にあるんだけんどなぁ。どうしてここにあるんか本当に謎だぃね。


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「寛政十年戊午三月吉日願主金井惣村中」の雷電宮

b0004675_14321724.jpgb0004675_14322825.jpgb0004675_14324734.jpg
遊歩道/途中から眺める高坪山/入口めっけ

b0004675_1436482.jpg 菅塩に抜ける切り通しになってるところから、高坪山方面への踏み跡をめっけたんで、そっから上る。落葉で覆われる冬に登るより、この時期のほうがはるかに道がわかりやしいし、落葉で足も滑る心配もねぇしね。道中には怪しい白っぽいキノコがまぁずいっぺぇ生えてらぃね(笑)冬より快適に、ものの10分もかからず山頂に到着。


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高坪山山頂(236m)

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 山頂の樹木に誰かが、236m峰と札をかけてくれてらぃね。(先週の根元山の275m峰の札と同じ人だんべな) 冬より展望はねぇんだけんど、以前来た時よりもはるかにここを訪れている人が多そうな感じだぃね。


b0004675_1434721.jpg ピンクのリボンが尾根沿いにところどころ巻かれてるんがみえる。しかもこの山頂のピンクのリボンには「高つぼ山」と書いてある!オレのブログを読んでくれたんか、はたまた地元の人がやってくれたんだかわかんねぇけんど、うれしかったで!この山頂には整備の時にぜひ「高坪山」の山名標を立てるんべぇや!>太田市のエライ人!


b0004675_14342194.jpg で、このピンクのリボンを辿って西へ行ってみる。このまま行けば菅塩峠に出るはず。途中分岐があるけんど、ピンクのリボンを辿れば迷わねぇやぃね。このリボンには番号が書いてあるんだけんど、予定されてる太田市の八王子丘陵整備のもんなんかな?


b0004675_1434388.jpg 眼下に峠道が見える。これは菅塩峠の道だぃな。ピンクのリボンに沿って峠の南の急斜面に注意しながら下りてみる。途中にいやに鮮やかなスーパーマリオに出てきそうな派手な色のキノコがあるで。きっと毒キノコなんだんべなぁ。


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久々の菅塩峠・菅塩側より

b0004675_14351532.jpg そういや峠が少し広がった感じがすんなぁ・・・倒木もどかされてるし、ちっと樹も打ち払われてるし。以前の工事跡とゆわれる両側の玉石もよくめぇるようになってるし。だれかが手を入れたんかな?


 尾根伝いに西へ行ぐとカマボコ兵舎前の駐車場から遠くなっちまうんで、来た道を引っ返ぇし、高坪山山頂まで戻ることにしたで。山頂に戻って一休み。ここでアマチュア無線を運用してみたんさ。山梨県甲州市移動の局と交信。こっちは太田市高坪山だとアピールしておいたで(笑)

 東の唐沢山にでも足を延ばすか・・・と思ったら、ここで携帯に家からメールが来た。夕方から仕事もあることだし、早々に帰ぇることにした。下りてぐと、下から何やら人の声がする。八王子丘陵で人に会うなんてなぁ。どうやらキノコ狩りの男性2名。挨拶をすると「運動かい?」と聞かれる。まぁこの時期にキノコ狩りじゃなく、こんな山を歩いてるヤツは、向こうの人にしちゃあ、おーか酔狂な感じなんだんべな。


b0004675_1436201.jpg ぬかるみの遊歩道を下って駐車場に向かう最中、なんやら「ブーン」という怪しげな音・・・みたら周囲にスズメバチ2匹!なから涼しくなったんに、まだこの時期、スズメバチいるんきゃー!黒いズボンをはいてたんでおーか焦ったぃ。脇を刺激しねぇように恐る恐る通り過ぎて、その後遊歩道をダッシュで駆け下り、なんとか無事逃れたぃね。上りより下りの方がまっさか疲れたぃねぇ(笑)。いやほんと、山でのスズメバチは怖えぇやぃな。

 後田池北の遊歩道脇に、紫の実(名称わかんね;ナナカマドかな?)がなってたぃね。秋深しってとこだぃねぇ。

 高坪山ハイキング、これにて了。



高坪山 (ちず丸リンク)

【参考文献】
『上野国郡村誌』 北金井村
新井信示 「八王子山脈縦走記」 p9-11 『毛野時報』11号 1936
『群馬の山 2 奥利根・上越・県央』p245 群馬県山岳連盟/編 上毛新聞社 1989
『太田市白図2』 太田市役所発行
『太田市地籍集成図』 (←太田市教育委員会文化財課で閲覧) 1988

【追記】
 下図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSデータ読み込みこんで加工したものを引用。真ん中のフラッグは雷電宮石祠。オレが太田市教育委員会で調べた小字のおおよその位置をオレンジ色で地図内に記入。菅塩側にも「高壺」の小字があるんだけんど北金井の「西高坪」に接しているからなんかな?「西渓」の位置にもぜひ注目してほしいやぃね。】
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by dr_suzuki | 2010-10-25 15:01 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2010年 10月 24日
J2 第31節 vs 水戸ホーリーホック
b0004675_22585955.gifザスパ草津 0-0 水戸ホーリーホック

 今日は夕方から仕事なんで、敷島に行げなかったぃね。(昼間に八王子丘陵のハイキングには行ったけんどね。)

 群テレ観てたんだけんど、相手が9人になったときには「絶対勝てる!」と思ったんだけんどねぇ。相手のGKもまっさか巧かったんだけんど、今日は決定力不足の一言に尽きらぃな。なんか攻撃に意思疎通がねぇ感じだったぃね。

 ダービーにしてはまぁずお寒い試合、雨の中声援を送った同志の皆様の落胆いかばかりかと。

 ホームの残り3戦も、家事都合やら、仕事やらで、観戦に行げねぇ可能性が高くなっちゃったんさ。・・・なんだかなぁ。

 現在16位 (9勝6分14敗;勝点33、得失点差-14)

【J2:第31節 草津 vs 水戸】草津レポート:数的優位を活かせずに無念のスコアレスドロー。打てど決まらず北関東自力優勝を逃す。(10.10.25) (J'sGOAL)
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by dr_suzuki | 2010-10-24 22:25 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 20日
不動山 (太田市藪塚町台山) ~ 岩窟上の不動様は何処に
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不動山 (太田市藪塚町台山)

 1926年発行の『藪塚鑛泉案内』は当時の観光ハンドブック的な本なんで、その頃の新田郡の名所旧蹟がおーか紹介されてるんだけんど、そん中に今まで知らなかった「不動山」とゆうのが紹介されてたんさね。

『藪塚鑛泉案内』 p44
 不動山

藪塚字臺にある。其昔岡上景能氏が勸修創建せし不動尊が、山下の岩窟上に祠られてある。山上一帶には桃櫻多數を植え付けてある。同所は八王子山脈の盡端にあり西南北三面は展け、風光は頗る優美である。尚山下に不動ヶ池と呼ぶ小池あり鯉魚の跳りつゝあるを見る。
※註:「臺」は「だい」。「台」の旧字。

 不動様のある不動山・・・そんな山が薮塚の八王子丘陵にあるんきゃ??

b0004675_1749015.jpg ちっと前、ヤフオクで1974年発行の群馬県民俗調査報告書第十六集『薮塚本町の民俗』(群馬県教育委員会編;非売品)っつー本を入手したんさね。この本は後の『薮塚本町誌 下』の民俗の項の基礎になった本らしくって、いろんなことが詳しく載ってて、まっさかおもしれぇやぃね。そこの信仰の項んとこをみっと、この台(だい)の不動様のことが書いてあったぃね。

『薮塚本町の民俗』 p75

 不動様はもと不動沼(岡上様の作った貯水池で今は田圃)のほとりに二つある。一つは薮塚用水の祈願に岡上景能公がたてた。景能公が亡くなった時、不動様の首がとんだという。その首が沼を水田にしたときにでてきて、今は付けてある。もうひとつは旧い立派な不動様である。二体の不動様を年寄りがよく拝む。(台)
b0004675_17485117.jpg

 そこには上のように不動様の画像も2つ載ってて、うちひとつは「首がとんだという不動様」という説明文で紹介されてたぃね。この不動様をぜひめっけて拝んでみてぇもんだ・・・と台地区で、何度か探してみたんさ。しっかし頼りの不動沼のありかは、はぁ地図じゃどこなんかさっぱりわかんねぇし、最初の『藪塚鑛泉案内』の「岩窟上」とゆう言葉、『薮塚本町の民俗』に載ってた画像の感じ、台には薮塚石の採掘が行われていたとゆう歴史もあるから、ちっと小高けぇ石切り場ん所で、崖みてぇなところにあるんじゃねぇかと勝手に信じて、そんな感じの所を車で走ってはみたんだけんど、全然それらしいもんみっからねぇし・・・そんなんで不動様の在処は分からずじまい。ずっと気にはなってたんさねぇ。

 根元山の散策のあと、家に帰ぇるんべぇと薮塚温泉街を通って、県道大間々太田線の渋滞を避けるんに、滝の入をかすめて台の脇の田圃道を通ってぐべぇとしてた途中、何気に八王子丘陵の方に目をやると・・・丘陵のエッジ付近に何やら大きな石祠らしいのが2つめぇるで!なんなん?あれ? 

 砂利道を近づいてみっと、その前の未舗装の道には雑草がまっさか生い茂ってらぃね。ふだんあんま来る人もなさそうだぃね。まっと近寄って見っと・・・間違げぇねぇ!

 あの『薮塚本町の民俗』に載ってた不動様!こりゃなんとも偶然に行ぎ会うことがでぎたぃね!

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2体の不動様発見!

 そこは八王子丘陵のエッジともゆえるちっちゃな崖みてぇな所。『藪塚鑛泉案内』の「岩窟」とゆう言葉にずっと目を奪われてたんだけんど、注目すべきは「盡端」っつー言葉だったんきゃ・・・(「盡」は「尽」の旧字)ちゃんと史料を読み込めば、まっと早ぃくわかったんべになぁ。(家に帰って、以前、太田市教育委員会で調べた薮塚の小字図で改めてみてみっと、字「台山」は、現在の「親孝行の里」のあたりから、ずっとこの辺まで長がーく伸びてきてるんだぃね。昔の人もここまで丘陵の連続っつー認識だったんだんべなぁ。)

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首がとんだという不動様

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不動様と(おそらく)矜羯羅童子と制多迦童子


 その脇に建ってた石碑にはこうあったで。デジカメ撮影したもんを頑張ってキーボードで打ち込んでみんべぇか。(ちなみに『薮塚本町誌 上』の薮塚本町内の石碑一覧には、この碑のことは漏れてて記載がねぇし)
不動尊之碑
江戸幕府四代将軍徳川家綱の代官岡上景能が用水堀を開いたのは三百年も昔の寛文年間のことであった その用水を最も有効に使うために大きな貯水溜を滝から導入した そして側の巨岩の上に不動尊を祀りして住民達は家内安全と五穀豊穣の守護神として日夜崇拝した そこから不動山 不動の滝 不動沼と呼ばれるようになった 又更に立派な不動三尊像が寄進された 風化を防ぐため石造の厨子で保護されてきた が永い歳月を経たので屋の破損甚しく昭和五十年の春地元台有志者相謀りて修理をされて四月十五日には盛大なる法養祭典が営まれた 偶々百五十年前の文政九年四月に石灯篭と 大香炉などが奉献された 奇しくも昭和四十九年十二月三日には景能公三百年遠忌大祭祝典が岡上神社社殿との新築と岡上児童公園の開設を記念して施行されたのである 往時満々と水を湛えた沼や滝の美観を追憶し先人達が学んだ不動の精神や不動の姿勢などを偲び偉業に感謝し改めて不動尊の御加護と御利やくとを希い茲に由来の小碑を建立して永く後世に伝えんとす
 昭和五十一年丙辰年 四月十五日
 撰文並書 薮塚本町文化財専門委員 加藤一太郎
 ・・・確かに屋根の形が『薮塚本町の民俗』の画像とかわってらぃね。・・・それに昔はここにも「不動の滝」があったんきゃ!?

b0004675_231410.jpg その碑の隣には藪塚の富士講の初代先達っだっつー、松本盛行(もりぎょう)の「三十三度大願成就」の碑も建ってるで。


b0004675_17552643.jpg 不動様を拝んだ後、失敬して、その横のまぁ崖とゆえば崖みてぇな、ちっちゃな斜面んところから不動山に登ってみたで。でもこれはとても「岩窟上」とは呼べるもんじゃねぇような気が・・・

 ほんの数秒で神社の社殿がある高まりへ。(社殿はボロボロに荒廃しちゃってて、名もわかんなかったんだけんど、地図サイトによると浅間神社らしい)



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不動山・浅間神社正面より


 無理に崖を登らなくっても、不動様のちっと南側に神社正面に行げる道があったぃね・・・orz

 まぁこれを山歩きに加えるんもちっと気が引ける(笑)んだけんど、ここしばらくの悲願の「不動山」の発見&登頂とゆうことで。

 台の不動様 (このあたり;Yahoo!ロコ)

【参考文献】
『藪塚鑛泉案内』 p44 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『薮塚本町の民俗』 p75 群馬県民俗調査報告書第十六集 群馬県教育委員会編 1974
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by dr_suzuki | 2010-10-20 18:12 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2010年 10月 18日
太田市標高最高地点の考察 ~ 275m峰、その名は「根元(根本)山」か?
 太田市の標高最高地点ってどこにあるんかしってるかぃ?金山じゃなくって八王子丘陵にあるんさね。ちょうど国土地理院の2万五千分の一の地図だと標高点の「.275」って表記されてる峰なんで「275m峰」とかかれてるサイトを目にすらぃね。(以前『標高点』に名称はあるのですか」と国土地理院にメールしたら「『標高点』については名称はありません」との回答だったぃね。)

 ここの峰は八王子丘陵の主尾根、旧薮塚本町と桐生市との境界だったんさね。じゃぁ『薮塚本町誌・上』では、ここはなんと紹介されてるんだんべか?
 『薮塚本町誌・上』 p3
 町の東部に位置する八王子丘陵の一峰である八王子山頂が標高二百七十三、四メートルで最も高い
 ・・・八王子山頂とあるんだけんど、実際の八王子山(あるいはそれに類推されるピーク)はまっと西にあって、地図でみっと、そのあたりで標高は260mかそこいらなんで担当筆者の誤認なんじゃねんかと思う。最近の標高がちっと高くなってるんは再測量したんかな?

 この峰のひとつ東のピークが旧太田市/旧薮塚本町/桐生市の三つの自治体の境界(旧太田市最高地点)になってたんさね。しかしどうして一つ前のピークが境なん?フツー最高地点を持って境にするん気もすんだけんどね。

 旧太田市の『太田市史 通史編 自然・原始古代』だと、ここはどう紹介されてるかっつーと、2つ記述をめっけた。
 『太田市史 通史編 自然・原始古代』 p4
 最高地点は市の北端にある八王子丘陵中の籾山峠西方において、標高二百六十二、八メートル

 同 p22
 八王子丘陵については、籾山峠西方の山稜上の標高二百六十二、八メートル地点が太田市の最高地点となっている
 せっかくの最高地点なんだから、どっちの旧自治体も名前ぐれぇはっきりさせときゃいんに!某国会議員の名言「2位じゃダメなんですか?」どころか「1位でもダメ」じゃねーきゃ!(笑)

 「名無し」のまんまじゃまっさかさみしぃんで、文献的に、現在の275m峰~手前の峰辺りの名前がなんなんだか調べてみたで。

 まずは明治初期の公的文書ともゆえる『上野国郡村誌・新田郡』を見てみた。この峰のある西長岡邨、薮塚邨には・・・この峰に関する全く記述が全くめっかんねぇ。最高標高地点のことなんかどうでもよかったんかな?桐生側の山田郡村誌の廣澤邨にも記述がねぇし、『山田郡誌』にもねぇ。(桐生側の史料は八王子丘陵最高峰の茶臼山の記述はまっさか詳しい。)

 その後のこの峰を記したと思われる文献は調べた限り2つ。

 ひとつは『藪塚鑛泉案内』(大正15年;1926)。しばしば引用してる絵図の中に籾山峠の西のピークは「根元山」とあらぃね。再び絵図を引用。赤マークはオレが入れたもの。八王子山は黄色の丸、御所山はオレンジの丸で囲ってみた。

b0004675_11414045.gif
 祠の絵が描いてあるっつーことは、山頂付近には根元(根本)神社を勧請した祠があったっつーことだんべ。八王子山は峰が完全別で、まっと西側に峠道の西側に描かれてる。御所山に至っては2つ南の峰。ひとつ北の雷電山の麓には現在の県道になった道まで記載されてるんで、太田市が275m峰を御所山にしようとしてるんは大きな誤解。早急に改めてほしい。

 さらに湯ノ入鉱泉の説明文(p16)には以下の記述もある。
 『藪塚鑛泉案内』 p16
(前略) ・・・轉じて東北を望めば小富士の稱ある雷電の峻峯や天王、茶臼、根本の山々迄遠く近く一眸の中に集り (以下略)
 この峰は確かに藪塚温泉街の北東にあらぃな。でも同じ本中で、図絵は「根元」で、説明文は「根本」だし。

 そしてもうひとつは、これもしばしば引用してる『毛野時報』の新井信示氏の「八王子山脈縦走記」(1936)によると
新井信示 「八王子山脈縦走記」  『毛野時報』 11号 p9-11 
 入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠(百九十二米)を横ぎる。行く手は篠の生えて居る急峻な上がりで此のコース中に於ける「胸つき何町」とか申すべき處である。篠に縋りながら喘ぎ喘ぎ上がれば根元山二百六十米の頂上で、正に強戸薮塚兩村境界の一角に當って居る。長岡方面で御所山といふのはこの山の事であらうか。
 「縦走記」でも「根元山」と書いてるんに、最後に余計に「長岡方面で御所山といふのはこの山の事であらうか。」なんて書いたもんで、ネットの桐生界隈の山のバイブル的HP「やまの町 桐生」で故・代表幹事さんが「御所山」と紹介しちゃたせいか、太田市の広報(平成21年8月1日号)  にも堂々と「御所山」と載っちゃたんさ。ここが御所山じゃねぇことは、過去にオレがこのブログで文献的考察で明らかにしたんで、ぜひそっちも読んでもらいてぇやぃな。

 以上2つの文献から、この2つのピーク一帯は根元(根本)山と考えていんじゃねぇか?

 その太田市の広報の絵図には「八王子丘陵を整備」をうたい、ここに「東屋マーク」も書かれてたんで、もしや東屋が完成され、御所山の立て札なんかがはぁ付けられてるんじゃ・・・と思って、スズメバチの季節も終わったんべと、日曜の御昼時に太田市最高地点の「根元山」(推定)に登ってみたで。

b0004675_12375057.jpg 籾山峠から上ってぐ。久々の八王子丘陵はいーやぃねぇ。冬はここは枯れ葉いっぺぇでまっさか滑るんだけんど、この時期もかなり道が予想以上にウェットでまっさか滑る滑る。南側が結構な崖だけんど、ロープも張られてたりして配慮されてらぃな。


b0004675_1238993.jpg 尾根道の周りには怪しいキノコがいっぺぇ生えてたぃな。(浅学なんでキノコのことはまったくわかんねぇけんど、この時期に採られてねぇんだからきっと毒キノコに違げぇねぇよな)


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旧太田市標高最高地点(旧3自治体の境界)
ほとんどの尾根道を歩く登山者にはスルーされてる・・・と思う

旧太田市最高地点のピークに着く。念のため石祠がねぇか丹念に探したつもりだけんど、藪蚊と怪しいキノコべぇ(笑)。今を去ること四半世紀前ごろ、この辺りでアマチュア無線を良くやりに来たんだけんど、当時石祠を見た記憶もねぇしなぁ。探索をやめて、ひとつ西の新太田市最高地点のピークへ。ものの数十秒で到着。歩った感じでは標高差もあんまり感じねぇな。


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太田市標高最高地点275m
ここもほとんどの尾根道を歩く登山者にはスルーされてる・・・と思う


b0004675_12383959.jpg 誰かが木に275m峰と札を付けてくれてらぃね。ここいらに石祠があれば決まり!だけんど・・・やっぱここでも石祠と思われるもんはめっかんねぇな。東屋もなさそうだで。ぜひこのピークには「太田市標高最高地点275m」のプレートを立ててほしいやぃなぁ。>太田市のエライ人


 ちっと西に歩を進めっと、突然パッと視界が広がった!
 こんな所ができてたとは!
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木々が伐採されてて、なっから展望が開けた場所が新たにできてたで!
笠懸野が一望
(テーブルや椅子が置かれ、子供が作業した後があるし・・・
東毛自然の家のイベントかなんかで使ったんかな?)
・・・ここが広報に載ってた東屋の予定地なん??

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南にある雷電山を望む


b0004675_1240622.jpg 他に探索の予定があるんで、籾山峠に引っ返す。籾山峠そばでハイカーのおじさんとすれ違ったで!いやぁ八王子丘陵で人に出会うんはまっさか久しぶりだぃなぁ。それにしてもそこかしこにセイタカアワダチソウの黄色い花がいっぺぇだ。いつか山じゅうがこの帰化植物に占領されちまうんじゃねぇきゃ?


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籾山峠南・北長岡(旧太田市側)から眺めた根元山(推定)
こっからみっと手前の東のピークが良く目立つ
(奥の275mピークは左横に重なって低く見える)
手前のピークが旧3自治体の境になってたんもむべなるかなだぃな


【参考文献】
『上野国郡村誌』 新田郡西長岡邨、薮塚邨
『薮塚本町誌 上』 p3 薮塚本町誌編纂室 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1991
『太田市史 通史編 自然・原始古代』 p4,p22 太田市編・発行 1995
『広報おおた No.153 平成21年8月1日号』 p1 (PDF) 2009
『藪塚鑛泉案内』 絵図, p16 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
「八王子山脈縦走記」 新井信示 p9-11 『毛野時報』 11号 1936

 続編につづく

 続・太田市標高最高地点の考察 ~ 「根本山」の石祠を探して藪尾根を行く
(2011/12/23)
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by dr_suzuki | 2010-10-18 13:01 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2010年 10月 17日
J2 第30節 vs アビスパ福岡
b0004675_22165610.gifアビスパ福岡 2-1 ザスパ草津

 天気もそこそこだったんで、今季初の八王子丘陵ハイキングに行ってたで。(散策の様子は後ほど)
 帰ぇってきて、急いでMacつけてJs'GOALの速報みたら、ちょうどPKが決まっちまったところ。
 
 双方赤紙一枚の10対10、2点目を奪えず敗戦。
 やっぱ2点目が課題ってことなんかな。

 ・・・栃木と勝点9差になったんが、まっさか痛てぇやぃなぁ。

 現在15位 (9勝5分14敗;勝点33、得失点差-14)

 【J2:第30節 福岡 vs 草津】レポート:難しい試合を制した福岡が勝点3をゲット。目標に向けて確かな一歩を踏み出す。(10.10.18) (J'sGOAL)
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by dr_suzuki | 2010-10-17 22:08 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 14日
うつぶしの森 ~ 新田義宗討死の地 (沼田市)
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うつぶしの森 ~ 新田義宗討死の地 (沼田市指定史跡;沼田市白沢町高平)

 新田氏関連史跡めぐり・・・本日は北毛編。

 日曜日(10日)、天気もいぃんで家族で北毛を周遊。りんご買って、(自身初めての)谷川岳ロープウェイで天神平に行き、やっと色づき始めた山々を見た後、利根・南郷温泉「しゃくなげの湯」に寄りながら、根利越えで黒保根に抜け家に帰ぇることにしたんさ。・・・しかしせっかく北毛に来たんだし、新田氏ヲタのオレとしては、いつかはと思ってた沼田(旧白沢村)の「うつぶしの森」に、ちっと遠回りして寄ってぐべぇと企画。このことを話すと家族に半ば呆れられちまった(笑)ただ10月も中旬とゆう秋の日、既に陽は西に大きく傾き始めてて、果たして陽が出てるうちに辿り着けるんか・・・関越を沼田ICで降りて、国道120号を東へと車を走らせる。

 やっとこすっとこ日没前に何とか間にあって、沼田市白沢町高平の「うつぶしの森」に到着。ここは新田義貞公の三男(嫡男)、新田義宗の討死の地とゆう伝説があるところだぃね。

 義貞公が越前で無念の戦死(1338)を遂げられた後、新田氏の家督は(越後の新田一族に匿われて成長したと思われる)三男の義宗が継いだんさね。(異母長兄の義顕は越前で戦死;1337)『太平記(巻第三十一)』によれば観応の擾乱に乗じ、異母兄・義興、従兄の脇屋義治(義貞公の弟・脇屋義助の子)らと上州で挙兵した義宗は、信濃で挙兵した宗長親王ら、南朝勢と共に朝敵足利勢を駆逐し、一時鎌倉を占拠に成功。その後、義宗は足利軍殲滅のため鎌倉を出立し、武蔵野、笛吹峠(現在の埼玉・鳩山と嵐山の境)で足利尊氏軍と交戦するも、武運尽き越後へ敗走。(武蔵野合戦;1352)その後も南朝方として各地で奮戦。しかし義興が竹沢右京亮の奸計に嵌り、多摩川矢口の渡で謀殺(1358)されちまった後は、脇屋義治とともに上州・越後各地を転戦してたんさね。

 そして・・・1368年7月、武蔵平一揆に呼応して越後で義治と挙兵した義宗は、この地で足利方の大軍の挟撃により討死したとゆう伝説があるんさ。(上野国沼田合戦 『後太平記』) (その他にも義宗は所沢に潜伏してたとか、四国に落ちのびたとかの種々の伝説があるらしい)

 現地案内板には合戦や討死の様子が詳しく記されてらぃね。

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現地案内板


 この「うつぶしの森」、国道脇にあるんだけんど全く駐車場がめっかんねぇ。ちっと遠回りして、隣の白沢小学校の駐車場に停めさせてもらう。呆れる家族を車中に残して(笑)森へと急ぐ。
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堀もある立派な境内

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鳥居、そして石段を上ってぐと

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完全逆光ながら白佐波神社社殿
(ここには義宗の像と伝わる木像があるんだそうだぃね)


 隣の小学校の校庭からは遊んでる子供たちの声が聞こえるんだけんど、ここの森は静謐そのもんだぃね。謹んで白佐波神社に参拝。この北にある雲谷寺の北麓には、義宗の執事だった船田長門守経政(新田義貞の執事船田善昌の子)が建てたとゆわれる義宗の墓とゆう五輪塔があるらしいんだけんど、そこに寄ってはみてぇが、そしたらはぁ真っ暗になっちまう時間だぃな。既に家族にも大顰蹙なんで、今日は諦めて家路につくことにしたで。

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夕暮れの「うつぶしの森」


 北毛にも残る新田一族の非業の足跡。・・・その後出羽に逃れたっつー義治の痕跡は、今でも山形に残ってるんだんべか?

※(注)この記事の画像、デジカメの補正でかなり明るめの画像になってるけんど、実際の森はおーか暗かったんさね。

【参考サイト】
 沼田市ホームページ<白沢町振興局・旧村の概要・指定文化財> (沼田市ホームページ)
 『後太平記』について ←秀逸!


b0004675_0545276.gif うつぶしの森(ちず丸リンク)
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by dr_suzuki | 2010-10-14 00:03 | ぐんま | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 13日
太田市にった花トピア 2010 【コスモス】
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太田市にった花トピア2010

b0004675_1046366.jpg 12日の朝、通勤途中に太田市新田の「太田市にった花トピア2010」に寄ってみたで。

 毎年コスモス畑の位置がちっとんべっつ違うんだねぇ。この連休にはきっと多くの見物客がいたんだんべけんど、平日の朝じゃ、見物人もいなくって、物見櫓もオレの独り占めさね。

 コスモスの他に、キバナコスモス、蕎麦の花も咲いてたで。まぁずキレイなもんだぃね。


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 にった花トピア会場 (このあたり;ちず丸リンク)

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by dr_suzuki | 2010-10-13 10:51 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2010年 10月 09日
冠稲荷神社のキンモクセイ (太田市細谷町) 【キンモクセイ】
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冠稲荷神社のキンモクセイ (太田市細谷町)
まっさかでっけぇやぃね!

 秋も深まり、そこかしこでキンモクセイ(金木犀)の花が咲いて、甘い匂いが漂ってらぃね。春にはボケ(木瓜)が有名な太田市細谷の冠稲荷神社には、でっけぇキンモクセイがあるって話を聞いたんで、出勤途中の朝にちっと寄り道してみたで。

 鳥居をくぐると、すでにほのかに漂うキンモクセイの香り。それもそのはず、拝殿の横に、すんげぇでっけぇキンモクセイ!一面に花が咲いてらぃね!まぁずこんなでっけぇキンモクセイの樹、見たことねぇで!

b0004675_12271923.jpg このキンモクセイ、新田義貞公の御手植えと伝えられてるんだそうだけんど・・・掲げられた説明板に「明治初年の大暴風で折れて・・・新芽から育成して現在に至る」となってるし、義貞公伝説はさすがに「後付け」なんかもしんねぇけんど・・・歴史が感じられる立派な巨木であることは間違いねぇやぃな。


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 安らぎの宮の森(冠稲荷神社) (公式サイト;東毛の社寺の中じゃ、まぁずサイトが充実!)
 冠稲荷神社 (ちず丸リンク)

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(おまけ)
 昭和の生まれの人は、キンモクセイとゆうと、やっぱトイレの芳香剤を真っ先に連想するんじゃねーきゃ?トイレの芳香剤のキンモクセイの香りって、化学物質べぇで見事にこの香りを再現してるハイクオリティの製品だと思わぃね。そういや最近ホームセンターとかで芳香剤のキンモクセイの香りってあんま見かけねぇ気もしてたんだけんど・・・こんな記事を発見したで(笑)↓

 トイレの「キンモクセイの香り」が衰退した理由 (exciteコネタ)
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by dr_suzuki | 2010-10-09 12:34 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)