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2009年 01月 27日
唐沢山 (太田市吉沢町唐沢) ~ 一等三角点の寂峰
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唐沢山山頂(261m)、一等三角点の寂峰

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唐沢峠の道から右に分岐/沢を越えて/尾根より枯葉がいっぺぇの急登をみる
岩場の「とりでん様」/岩場はチャートの礫岩?/山頂やや南の石尊宮
一等三角点、点名「唐沢山」/木立の合間から桐生方面/吉沢より唐沢山を臨む

 子供の頃、小学校で「太田市の地図」が貼ってあって、そこには「唐沢山・・・太田市の最高地点」と書いてあった記憶があるんさね。(実際は太田の最高地点は旧薮塚との境の八王子丘陵の一峰(根元山)なんだけんどね。)なんで長らくオレは唐沢山が太田市の最高地点なんだと信じて疑ってなかったんさ。しかもこの唐沢山には補点たぁいえ、一等三角点があるっつー話だぃね。八王子丘陵唯一の一等三角点!こりゃ行ってみるしかねぇやぃね・・・って思うこと、ン十数年、今日やっとその八王子丘陵の主峰に一歩を記すことができたで。

b0004675_22253699.jpg 唐沢山には桐生・広沢の東澤寺からの登るんが主流なようだけんど、マイナー好きなおれはあえて太田・吉沢側から登ることにしたで。(先々週の山歩きでだいぶ現地に明るくなったからってゆーのもある)今日はこないだよりも膝の具合がいんで大丈夫だんべ。ちっと出遅れて10時過ぎに岩上公園駐車場に到着。県道316号線(旧国道122号線)沿いに北上し、「また来てね 優良ドライバーは あなたです 太田市」(←なんか妙なコピーだぃなぁ)の看板を過ぎたところから山に向かい新堀沢の脇から旧唐沢峠越えの道を歩いてぐ。

 新堀沢・東電新栃木線126号鉄塔の入口の黄色い樹脂の杭を左手に見て、道を進んでぐとすぐ右手に山へ連なる道が分岐する。この山道を登ってぐと唐沢山頂に行げるはず。なかなかいい雰囲気の山道。途中、沢を越えて谷筋を登ってぐ。ある程度の人が往来してんだか、道は踏み固められて迷うことはねぇ。しばらくすっとこっから尾根筋に登る急なところに出る。まぁそれなりに急斜面でもあるんだけんど、落ち葉がなっから多くて、おまけにつかまるところもねんで滑る滑る(笑) 今の時期は手を使わねぇとうまく登れねぇかも。ここはこれまでの八王子丘陵の山歩きの中で一番の難所かもしんねぇな(笑)

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とりでん様

b0004675_22281293.jpg ちっと喘ぎつつ、やっと尾根に到達。こっから尾根伝いにまた斜面を登ってぐと、しばらくして岩場に到着。岩肌には地元で「とりでん様」と呼ばれ信仰があるとゆう石祠があるんさね。浅学なんでよくわかんねんだけんど、この辺の岩肌はおもしれぇ形してんね。(層状になってる)


 こっからは北はかなり傾斜もゆるやかになって、途中東澤寺からの登山道を合流してすぐに唐沢山山頂に到着。山頂手前には石祠(石尊宮??)があって、山頂には一等三角点(基準点コード TR15439422801 点名 唐沢山 261.08m 北緯36度21分35秒70,東経139度21分29秒77)が鎮座。西側の一等三角点の白い杭は折れてたぃね。
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石尊宮


 山頂は広くって、きっと小学校で遠足に来てもクラス全員で弁当食えるんべなぁってゆーぐれぇの広さだぃね。ただ木立に阻まれてあんまり眺めは良くねぇね。この山は新井信示氏の毛野時報「八王子山脈縦走記」(1936)では「石尊山」と紹介されてるんさ。でも同じ頃発行された「山田郡誌」(1939)には「唐沢山」と紹介されてるんさね。今は国土地理院の地図にも「唐沢山」とあるぐれぇだから、ほぼ「唐沢山」だぃね。いつの時代まで「石尊山」ってゆわれてたんかねぇ・・・(「石尊山」と書いた桐生山の会の道標があると聞いてたけんど、めっかんなかった) 唐沢山は一等三角点があるんで、三角点ハンターには人気がある山らしいけんどね。・・・西にちっと道が続いてたんで、このまんま北金井まで行ってみっか・・・と思ったけんど、前、北金井から窺ったときはすんげぇ薮だったし、車が岩上公園なんでやめといた。いつかこっから北金井~菅塩~籾山峠まで縦走してみてぇやぃね。

 帰ぇりは来た道を引っ返ぇす。尾根づたいに南のピークまで祠があるか行ってみたけんど何もなかったぃね。戻って登ったとき難儀した谷筋への道へ。下りは予想通り落ち葉で足場がおーか悪りぃやぃね。一度大きく滑ってなっから焦ったで(笑) でも今日は左膝もおーか痛くならねぇでよかったぁ。無事に岩上公園に到着。八王子丘陵の主峰のひとつを無事制覇できてよかったぃねぇ。


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【上図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータ(上り)を読み込んだものを引用。下のフラッグは石祠・とりでん様(北緯36度21分32秒82,東経139度21分32秒56)。上のフラッグは山頂やや南の石祠(北緯36度21分35秒61,東経139度21分29秒99) 上の卍は広沢・東澤寺】

 とりでん様 (やまの町 桐生)
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by dr_suzuki | 2009-01-27 22:43 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2009年 01月 24日
「医療人のための群馬弁講座」アクセス35万件達成!
b0004675_9174546.gif おかげさんで本日35万アクセスを達成したぃね。これも皆さんのご愛顧のお陰だぃね。最近はちっと放置気味ではあるけんど、こまめにちっとづつ更新してるんだけんどね(笑) これからも「医療人のための群馬弁講座」をよろしくたのまぃね。35万アクセス記念企画として、今年もNike+のチャレンジ「両毛ダービー 群馬vs栃木」を開催予定。詳細は追って、このブログでも。

 おかげさんで「なっから!ザスパ!!」も現在38万アクセス超。こちらもご愛顧あんがとね~。2009年シーズンもよろしくたのまぃ!
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by dr_suzuki | 2009-01-24 09:17 | 「群馬弁」 | Trackback | Comments(4)
2009年 01月 22日
摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)
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推定・摺鉢山(174m)を南よりのぞむ

 薮塚の西野地区の産廃処理工場の裏にある摺鉢山。ちょうどヘビセンターの裏山にあたる山だぃね。

 群馬県文化財情報システムによると、この山には「蚕影山古墳群」の表示があらぃね。蚕影は「こかげ」と読み、養蚕の神様のことだぃね。

 そもそも薮塚の西野地区は、薮塚の東端にあるんにどうして西野なんだんべかと思ってたら太田市史によると、西野は昔々西長岡の領分だったとの口頭伝承があるみてぇだぃね。西長岡の西の野なんで西野なんだんべか?西野の西福寺は西長岡の長岡寺の末寺だっつーし、北長岡の惟喬親王伝説では、親王の王子を葬った「稚児の松」(現在はその場所不明)ってゆーのも西野地区にあったって話だぃね。(郡村誌の薮塚邨の項には「新田西邨」との記述もある)

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谷ツ池/3軒の廃屋の脇を進む/摺鉢山山頂付近(藪笹だらけ)

 「やまの町 桐生」で楚巒山楽会代表幹事さんが北の県道桐生新田線側から上られたその記事を読んだんで、南側のルートから登攀することにしたで。(オレは子供の頃から見てた八王子丘陵の太田側(南側)の山々を制覇してぇとゆう野望(笑)があるんさね。)

 まず産廃処理工場奥の「谷ツ池」の脇に車を停める。ここに来たんは1年ぶりだぃね。前回は「田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に」の時だったんだけんど、そん時は長生館探索が目的だったんで山の途中で戻ってきちゃったんだぃね。今日はピークまで行ぐぞっと。

 山に入ぇってぐとすぐ左側に3軒の廃屋がある。この廃屋を長生館としてるサイトもあるんだけんど、それは間違げぇだぃね。それにしてもこの廃屋、昼間でもまっさか不気味だぃなぁ。夕方来たらきっと怖くて通れねぇな。
 廃屋の奥で道が不明瞭になったとっから右に向いて尾根に取り付き、こっから詰め上がる。所々倒木はあったりすっけど、たいして藪になってねんで一気にあがってぐ。山頂付近が近づく・・・楚巒山楽会代表幹事さんがレポートしてたように山頂付近だなぜか藪笹がてんこ盛り。藪笹を掻き分け掻き分け、蚕影様を祀った石祠を探してみたんだけんど・・・なんも見つからず。藪笹に顔面を叩かれチクチク痛てぇだけだったぃね。耳を澄ますと時折、ヘビセンターの放送やらが聞こえてくる。ヘビセンターを誘致したときに蚕影神社もどっかに合祀しちゃったんかもなぁ。そういやあるはずの古墳群のようなマウンドもよくわかんなかったなぁ。でもこれで八王子丘陵のピークを一つ制覇したんだから、まぁいっか。

 本日(1月20日)の探検はこれにて時間切れ。山から下りて家に戻る。 さて、次はどこに行ぐんべぇ? (了)

b0004675_21492838.gif【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ルートデータを読み込んだものを引用。ちなみに尾根に上がんねぇで、そのまんま正面に詰めて行くと、ヘビセンターの建物にぶちあたっちまうんさね。】


【追記】
『薮塚本町誌・上』(1991)によると、”三日月村の山頂”に「寛政二年(1790)」の石祠(蚕影様)があるらしい。三日月村に行ぐんには入場料がかかるんで、確認してねぇやぃね。


【参考文献】
『太田市史 通史編 民俗上』 p665-667, 太田市, 1980
『薮塚本町誌・上』 p864, 薮塚本町, 1991

【追記】
 『藪塚鑛泉案内』(今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926)の図絵には、蚕影山の名は全く記されておらず、この山に相当する場所は「摺鉢山」とゆう名前になってらぃね。(西長岡と湯の入を結ぶ道があり道中に「摺鉢峠」という峠もある)

【更に重要な追記】(2011年1月)
 太田の職場にお勤めの方が湯の入出身で、お父様(80代M氏)が湯の入にご在住とゆうーことなんで、いろいろ質問事項を文書に挙げてお父様に聞いてもらったんさねぇ。

 で、結果は・・・
 蚕影山は、「蚕影様のある山」
 湯の入から西長岡鉱泉にいぐ峠道があって、そこの山は「摺鉢山」と呼んでいたとのこと。

 ・・・なんで、今までこの項は「蚕影山」だったんだけんど、全面的に「摺鉢山」として記述を改めたぃね。

『藪塚鑛泉案内』p39にはこんな記述もある。
 「湯前山常永寺」 西長岡より西山を登り山越に湯の入に行く途中遠く赤城、淺間、富士の秀峰を一眸の裡に望まる摺鉢峠に出る、眼下に閑寂なる堂の見ゆるが常永寺である。(以下略)

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by dr_suzuki | 2009-01-22 22:05 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2009年 01月 21日
旧中島飛行機地下工場跡 (太田市西長岡町)
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旧中島飛行機地下工場への坑道跡 (太田市西長岡町)


b0004675_1855315.jpg 太田の八王子丘陵には広大な八王子山公園墓地が整備されてるんさね。その中の一番奥の愛宕山の東側最深の丘陵部にひっそりと旧中島飛行機地下工場跡の坑道があることは、あんまり知られてねぇやぃね。

 太平洋戦争末期、戦局が著しく悪化した1944年末に、旧日本軍はここ愛宕山に地下軍需工場(薮塚工場)の建設を始めたんだと。(中島飛行機太田製作所は1945年2月に米軍機の空襲を受けて、多くは灰燼に帰しちまった)ここに多くのトンネルを掘って地下工場で本土決戦に備えて地下で特攻機の製作をしたり、こっから特攻機の発射も目論んでたらしい。1945年10月の完成を目指してたらしいけんど、建設途中に終戦となって、半分よりちっとできたぐれぇで地下工場の機能はなかったんだと。案内板に描かれた計画図をみっと地下に広大に縦横無尽に通路を掘ってぐ、おーかすげぇ計画だったことがわからぃね。ここでは1500人が10時間交代で突貫工事、日本人はもちろんお気の毒にも中国人捕虜や朝鮮の方々が強制労働をさせられ、多くの人が非業の死を遂げられたって話だ。(以前その在り処を探した西長岡鉱泉長生館も工事関係者の施設として接収されてたみて)終戦後間もなくの11月に米国戦略爆撃調査団がここに来たときには、既に多くの入り口で崩落が始まったってたんだそうだぃね。戦後60年余りが過ぎ、危険なためか内部の調査もされてねぇし、地下工場の真相は、まさに「闇の中」だぃね。

 現在は愛宕山の丘陵部に金属円筒で補強された坑道がひとつだけ開口してるけんど、入り口は金属の柵、その手前数メートルに立入禁止の看板と柵が設置され中を窺い知ることはでぎねぇやぃね。坑道からはこんこんと清水が湧き出し、その中にはこの寒中にもかかわらずクレソンと思われる草が青々と生えてらぃね。かつて軍需都市として発展した太田。戦争という異常なエネルギーが生み出した、悲しい歴史を持つこの愛宕山の遺構。オレたちが平和の大切さを考えてぐ遺構として、後世まで大事にしなくっちゃなんねぇよね。

 坑道に向け合掌。愛宕山を後にしたで。 

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ハチ・マムシ注意/説明板の地下工場計画図拡大/坑道入口をズームで

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現地案内板

b0004675_18525089.gif【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのデータを読み込んだものを引用。フラッグは旧中島飛行機地下工場跡の立入禁止柵前。(北緯36度21分13秒32,東経139度20分03秒38) 見学してぇ人は公園の奥の高台まで歩って来てくんな。警告看板が立ってるように夏場にはハチやマムシ、墓地のお供えもんを狙って来るイノシシにも注意してくんなぃね。】


【参考文献】
現地説明板, 太田市教育委員会, 1996
『フィールドワーク 群馬の戦争遺跡』,p44-46, 第10回戦争遺跡保存全国シンポジウム 群馬県実行委員会, 2007
『日本の戦争遺跡』, 平凡社, 2004
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by dr_suzuki | 2009-01-21 19:13 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 20日
北金井・菅塩の石切場跡 (太田市北金井・菅塩町)
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エンジ色に再塗装された「かまぼこ兵舎」

 先週(1/13)の帰ぇり、楚巒山楽会代表幹事さんから北金井の「かまぼこ兵舎」が紅くなってたって話をきいてたんで北金井に寄ってみた。確かに前は緑色だった「かまぼこ兵舎」がエンジ色になってたんでまっさかびっくらこいた。(どーせなら、屋根をピンクにして側面を白にしたら、まっと「かまぼこ」らしっくていんにねー(笑))
 以前ここ来た時には仙人様(と勝手にオレは呼んでる)がいらっしゃんでまたお会いできるかと思ったが・・・いなかった。代わりに?(おばちゃんだけど)女性ハイカーがひとりで山から下ってきたんで挨拶。これにもおーかびっくらこいた。八王子丘陵でハイカーの女性に会うの初めてかもしんねぇ。

 まぁそれはいーとして、北金井にも菅塩や西長岡のような立派なトイレが作られ、「上州太田ビオトープの里」との立派な木製看板が立てられてた。ふーんと思って見っと・・・北金井・菅塩の境の山中に史跡マークと共に「石切場1」「石切場2」の表示をめっけたで!(下)
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 こんなとこにも石切場跡があったんきゃ!知らなかったで!・・・薮塚にあんなに採石してたんならまぁ同じ八王子丘陵だし、ここいらも掘った人いたんだんべな・・・となると俄然探検心が湧いて、石切場に向けて探索を開始しようと思ったんだけんど、ちょうど用事があって時間もなかったし、薮塚のような巨大な石切場跡だと一人で行ぐのちっと不安(笑)なんで、日を改めてみっかっつーことにしたぃね。

 楚巒山楽会代表幹事さんからも情報をいただく。で、1週間経過。待ちに待ってた石切場探検に出動!

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駐車場から木製標識発見/コンクリートの道/石切場1へ
階段が始まり・・・/長げぇ階段・・・/きけん!

 北金井方面だと駐車場から歩かねぇとならねんで、看板の案内を信じて、菅塩沼の東に車を停める。駐車場のそばに新しい「石切場1→」の木製標識発見。この石切場はヒミツの場所じゃねぇってことだぃね。しかもこの道は1年前、鷹巣山(推定)に来た時、工事してた道だで。(あんときはまた山に道作ってんなーぐれぇにしか思ってなかったんだけんど)道は・・・コンクリートかよっ!・・・orz 道は崩れなくっていーんだろうけど、膝に悪りぃなーと、コンクリートの道を進む。数分歩くとまた標識。

 石切場1は上にのぼったところにあるらしい。上を見ると・・・「げっ、か、階段かよっ!」擬木で作られた階段が、何段も続く。階段って、自分の歩幅にあってねぇと返ってなっから疲れるんだぃねぇ。がんばって上ってぐと・・・・あった!

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石切場1(正式名称不詳)

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石切場1の東側にも垂直な壁

b0004675_9365826.jpg 規模は薮塚の石切場跡の10分の1ぐれぇの大きさだけんど、確かに垂直に石を切り出した跡。石の質も見た目は薮塚石にそっくりだぃね。(「きけん!」の札が下がってるんで、入らねぇように)石の切れ目から水が染み出してらぃね。(上の画像の壁面の黒い部分)中央に結構高けぇ木が生えてるんで、石切が終わったんが遠い過去のことだってことがわからぃね。しっかしこっからどうやって麓まで石を下ろしたんかなぁ。採算あわなくってやめちまったんだんべなぁ・・・去年、鷹巣山に行ったときはピーク目指して北上したけど、もし南下してきたら、ここに滑落したかもしんねぇな。下りで東側に目をやるとこっちがわにも石切場跡を見ることがでぎらぃね。結構でかいんかも。


 ・・・しっかし帰ぇりの長げぇ階段、膝痛のオレにはつれぇのなんの。こりゃ完全に修行だぃね。

b0004675_19535087.jpg コンクリートの道に下りて、ひとつ南の峰にある「石切場2」へ歩を進める。(鞍部には2万5千分の一の地図には破線で山越えの道があるように描かれてるけんど、菅塩側へ下る道はなかったように思うんさね。) 続いてまた「石切場2→」の木製標識発見。


 進むと両脇に擬木の柵が作られてる。太田市って金あるんだねぇ。・・・柵が行き止まり。正面に石切場2。

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両側に柵・柵の行き止りが石切場2

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石切場2(正式名称不詳)

b0004675_19545467.jpg 石切場1ほどでっかくはねぇけんど、深く下まで掘られてるらしくって、水が溜まってて、あたかも泉を湛えてるようだぃね。


b0004675_19543290.jpg 来た道を戻って、北金井方向に下りると妙智山慈眼寺の前に出た。慈眼寺は最初は北金井最深部の妙智沢(現在の慈眼寺川)の脇にあったんだと仙人様が教えてくれたっけ。慈眼寺の紋は新田の大中黒がついてたぃね。


b0004675_2003384.jpg 来た道を元に戻るるんべぇと、東電の新栃木線121号送電線鉄塔の樹脂製の黄色い柱あり。鉄塔までは、メンテナンスの道がどこもきれいなんで、ついでに121号の下まで行ってみた。こっから強戸配水場のある小丘のピークに行ぐかと思ったら強烈な薮に阻まれ到達できず・・・


b0004675_9555874.jpg 仕方なしにまたコンクリートの道に戻ると、よくみっと道の露岩も薮塚石のような風合なことに気づく。薮塚石がもう少し使われてたらこの辺も石切場がいっぺぇあったんだんべなぁ。

 石切場跡は子供達のキャンプの時の探検の材料に太田市が道を整備したんみてね。ただ、せっかくなんだから石切場跡に記号みてぇな名前じゃなく正式なかっこいい名称と、説明看板でもつけてくれりゃいんにね。せっかくの史跡なんにもったいねぇやぃね。(それとも最初から1、2ってゆわれてたんか?ある場所も北金井なんか菅塩なんかよくわかんねぇしね) 整備したんは農政部みてぇだけんど、教育委員会に調査させてもいんじゃねんきゃ?>太田市
 菅塩沼まで戻り、対岸のトイレのそばの「上州太田ビオトープの里」の菅塩版の看板を見る。へぇー菅塩沼って「カワセミ」がいるんだぁ。オレ、カワセミを自分の眼でみるんが、ささやかな夢なんだぃね。これはいー目標ができたぃね。

 菅塩沼を後にして次の目的地へ。(つづく)


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【上図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込んだものを引用。
左から起点は菅塩沼東の駐車場より。上のマークは石切場1(北緯36度21分11秒41,東経139度20分44秒30)。下のマークは石切場2(北緯36度21分00秒48,東経139度20分41秒29) 右の卍は妙智山慈眼寺。いずれもいー道だぃね。(良すぎるともゆえる。帰りのルートは石切場2東南の121号鉄塔に寄ったけど省略。) 】
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by dr_suzuki | 2009-01-20 20:09 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 14日
八幡山 (太田市上強戸町) ~ 郡村誌の山は何処に
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上強戸・八幡山(推定):強戸村第130号古墳
八幡山山頂より南に強戸村第126号古墳/第126号古墳より八幡山/強戸村第126号古墳墳丘

 オレの八王子丘陵との出会いは、亡くなっちまった祖父の梅林があった上強戸の小高い丘だったぃね。西に見える白い浅間山を見て富士山と勘違いしたのを覚えてるで。弟や友人たちと探検したりもした。鳳凰ゴルフ場の南にあった東西に連なる雑木林と桑畑が多かったあの小丘陵の名前はなんだったんだんべか?そういや今思い出しても祖父も「やま」としかゆってなかったかなぁ・・・(確かそこは「斧子」という地名とゆっていた記憶あり)

 となると紐解くのはやっぱり明治時代に編まれた上野国郡村誌。新田郡強戸邨の項にはこうある。
西北ハ北金井村成塚邨ニ連リ北ハ山田郡吉澤村ニ境ス、八幡山ヲ以テ界トス
 あの山は八幡山とゆうのか?山の項を見てみっと・・・八幡山だけ載ってらぃね。
八幡山
高五丈八尺、八王子山ノ一峯ナリ、村ノ東北ニアリ、東北山田郡吉澤村ニ属シ西北北金井村ニ属ス、樹木ハ松楢等ヲ生ス、登路二町字熊野前ヨリ上ル
b0004675_2335397.jpg 熊野前・・・上強戸には熊野神社(左の画像;「おくまんさま」とゆっていた)があらぃね。ここの境内でよく友人と遊んでいたんでよく知ってるで。確かにあそこには北の丘陵につながっている道があったぃな。しかしもはやそこいらへん一帯は「太田市北部運動公園」になっちまってて、往時の面影はおーか失われてちまったぃね。地図を見っと北部運動公園の上の道は、昔の上強戸・北金井境界付近に作られてるようだぃね。じゃあ郡村誌にあった八幡山は一体どこだったんべか?
 
 こないだ八王子丘陵の古墳群について「埼群古墳館」の管理人の昇寛氏にメールしたときに、氏が太田北部運動公園に来られ、園内の古墳のページを作成されたってことなんでさっそく拝見した。強戸村第130号古墳のページに「運動公園内最高所付近に位置し・・・(中略)・・・以前は桑畑で、墳頂部に八幡様を祀っていた。」とある。あぁあの太田市のマークの植え込みのある高台は古墳だったんかぁ。最高地点なら、もしかしたらあそこが八幡山のピークだったんかもしんねぇ。この古墳の南に「おくまんさま」があってちょうど北上してぐと第130号古墳だぃな。郡村誌の登路の記載にも合致すっかもなぁ。氏によると公園内の丘陵南端のピークには強戸村第126号古墳もあるとのことだったぃね。

 先日、代々上強戸に住む北部運動公園の整備にも関係したO氏(70代)とお話する機会があったんで、八幡山のことを聞いてみたんさね。
「八幡山ってどこにあったんですか?」「北部運動公園の太田市のマークを作った高台は古墳なんだよね。公園にするんに、ぼっこわすわけにもいかないから、ああゆうふうに展望台にしたんだけんど、あそこの古墳に八幡様が祀られてたんだよ。だからあそこを八幡山とゆってたかもね」「じゃぁそこの八幡様は公園の整備の時になくなってしまったんですね?」「いいや、八幡様はおくまんさま(熊野神社)の裏手に移したよ。公園の南にも古墳(126号墳のこと)があるよね。あのそばにあるよ」。

 吉沢の帰ぇりにO氏のお話を確かめるべく公園のロープを張った外の熊野神社の裏手に行ってみっと、確かに「白雲山」と刻まれた明和年間の石碑と石祠が2つ安置されてたぃね。(下の画像;左手後ろのピークは126号墳)
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 これまでの情報を総合すっと、郡村誌の「八幡山」は強戸村第130号古墳の可能性が高けぇやぃね太田市八幡町の八幡山や、この近くにある寺山古墳や成塚向山古墳もそうだったように、最初に手頃なピークを持つ山があって大昔の人がそこに古墳を作ったんだろうね。

 北部運動公園にやって来た多くの人が八幡山の墳丘に登って新田原を眺めてらぃね。オレも「八幡山」に上ってみた。眼下には東西に北関東道が走る。しかし時代が変わっても西に目を移すと、幼い日と同じ真っ白な円錐形の美しい浅間山が輝いてたで。

b0004675_22581818.jpg 【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータを読み込んだものを引用。右の起点は北部運動公園駐車場より。上のフラッグは強戸村第130号古墳;八幡山(推定)(北緯36度20分28秒24,東経139度21分33秒96)。下のフラッグは強戸村第126号古墳(北緯36度20分19秒69,東経139度21分31秒51) その下の神社は熊野神社。公園側の一角に八幡様の石祠あり 】


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2008年4月 芝桜満開の八幡山


【参考】
 強戸村第130号古墳 (埼群古墳館)
 強戸村第126号古墳 (埼群古墳館)

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【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・・・この山の南側の小字は「八幡沢」、熊野神社付近は「熊野前」だったぃね。祖父の梅林付近は「斧子」で正しかったんさ。旧新田山田郡境界のあたりは「山入」だったぃね。
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by dr_suzuki | 2009-01-14 23:09 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 14日
岩神山 (太田市吉沢町岩神)
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八王子丘陵の主脈より切り離された岩神山(太田市吉沢町)
奇妙な岩盤面/石祠/切り立った盤面
赤城神社/赤城神社社殿と巨岩/岩上公園

 高さ数メートルにもなる巨岩、そして岩を人為的にえぐった(だんべ)奇妙な形の岩盤面にいくつかの小祠。採石工事もこの祭祀に手をつけなかったんか、反丸山などの八王子丘陵の主脈とは完全に分かれてしまったけんど、山のような巨石が新田堀のほとりに屹立してらぃね。(太田市の白図には、工事現場に小さく岩神山の文字の記載がある。)

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 「キケン立ち入り禁止」の看板があるけんど、恐る恐るそのえぐったような岩場を下から覗き込んでみた。・・・なかなかの威圧感があり、まっさか不気味な雰囲気。巨岩信仰もあいまって、古来より信仰があった場所なんじゃねぇんかね。
 幕末の尊王の志、太田・細谷出身の高山彦九郎も桐生・梅田の忍山温泉に行ぐ旅行記「忍山湯旅の記」(1774)でこの岩神明神の様子を書いてるんさ。彦九郎はここの印象を「物すこく暗き所也」と書いているんだけんど、確かに北側で陽が当たらねぇし、ちょっとほの暗れぇ感じのするところだぃね。脇には1979年に勧請された赤城神社の社があって、絵馬が奉納されてたり、反丸養蚕組合と彫られた塔も建ってて地元の人々の信仰を集めてる模様。

b0004675_20271340.jpg 南側に回ってみっと、こっから採石場の入り口となってる。ここで取られた石はどこにいったんかな。断端の西側から登ればこの岩場の頂上にも立てそうな気もするけんど、立入禁止の表示を遵守し、遠巻きに眺めることにすらぃね。(小丸山に続き未踏峰だけんど、いちよー麓を歩ったんで(笑)「東毛漫遊山歩き」タグに追加してみっか)


 ここの脇には新田堀が流れてる。太田エリアの田を潤す古くからの用水だぃね。この新田堀をちっと北上してみっと、県道桐生太田線をまたいで、矢場分水工があるんさね。
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 ここは太田頭首工からの水が新田堀幹線、矢場幹線の2系統に分水する場所だぃね。新田堀の基点をみることができて、ちっとうれしかったぃね。昔の地図をみっと、新田堀に沿って街道は南下し、途中丸山宿への道を分岐して堀とともに西へと続いてぐ。今は県道や国道ができてしまったけんど、昔はこの新田堀の脇の道が、ここいらへんのメインストリートだったんだぃね。 
b0004675_17265956.jpg (・・・もう時効だんべけんど、昭和50年代初頭のある春の日、なぜか担任のN先生とクラスみんなで北金井の電波塔まで遠足に行ぐことになって、電波塔からただ帰ぇるのはやめてちっと冒険するんべぇよと意見がまとまり、そっからクラス全員で進路を東にとり、山中を巡って急斜面を下って、確かここいらまで下りてきて新田堀に沿ってみんなして強戸まで歩って帰ぇった記憶がある。よく学校で問題になんなかったぃな(笑)昔はなっからおおらかだったぃなぁ(笑))

 車を停めた岩神公園に戻る。唐沢山の登頂とゆう宿題は残っちまったけんど、とりあえず本日の吉沢探検は終了とすっか。

 【参考】
 コラム16 彦九郎の旅『忍山湯旅の記』の巻き (電撃! 激坂調査隊が行く‐東上州ヒルクライム日記‐)
 水土里ネットまちやば
 【参考文献】
 高山彦九郎 『忍山湯旅の記』 (安永4年;1774) 
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by dr_suzuki | 2009-01-14 20:33 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2009年 01月 14日
反丸山 (太田市吉沢町反丸)
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新田堀基点・矢場分水工より反丸山(太田市吉沢町)をのぞむ
新栃木線鉄塔126号保守道基点/整備された山道/126号鉄塔を下より
北に唐沢山を臨む/反丸山山頂(南側立入禁止)/山頂の石祠

 国道50号を走ってると、リサーチパークの西側に東側の峰を大きく採石で削られた山があるんがわかるんべ?そこが反丸(そりまる)山だぃね。太田市発行の1万分の一の地形図にもその名が記載されてるんさ。麓の新田堀沿いに反丸とゆう集落があるんで(太田市の市営バス「そよかぜ」の停留所にもその名がある)、そこを背にした山なんでその名があるんだんべね。(おそらく集落からもこの山に登る道があるんじゃねんかと思うんだけんど、山をなっから削られちまったんではたして残ってるんかな・・・)
b0004675_1426516.jpg 新堀沢は反丸山の北にあるってゆーことになるんだけんど、この山の北中腹に東電の新栃木線の126号鉄塔が建ってるんさ。東電の鉄塔には、たいがいそこまで行ぐための保守用の道が作られていて、入り口には黄色の樹脂製の杭が立ってるんさ。林道完成碑の南に黄色い杭発見。道をたどって上ってぐと八王子丘陵東部とは思えねぇ歩きやしぃ登山道。膝も痛くならず、十分ほどで鉄塔下に到着。こっからは足利方面への展望がいーやぃね。送電線もはるか遠く足利の山のもこーまでつながってるんがみえらぃね。北の正面には唐沢山が見えるんさ。


 南に目を移すと、反丸山のピークが見える。さっそく先へと急ぐ。少々藪くせぇもんの、雑木が倒れてるわけでもなく、大きな上り下りがあるわけでなく数分で反丸山山頂に到着。

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反丸山山頂

 山頂には真新しい石祠(阿夫利社)が安置され、榊の葉が両脇に飾られ、祠には塩が盛られてたぃね。新年で祀った方がいたんだんべな。この先にも地図上は同じような高さのピークがあるけんど、こっから先の南側は採掘の影響で尾根に地割れがあったりしてて立ち入り禁止になってるみてぇなんで、おたなしく前進を諦め来た道を引っ返すことにした。・・・腸脛靭帯炎って階段等の下りで痛みが出るってことだったんだけんど、やっぱ山道の下りもまっさか痛かったぃね(泣)。実はこの後正面に聳える唐沢山にも登っちまうかと考えてたんだけんど、この痛みのため一気に気力が萎えちまって、唐沢山登山は後日とすることにしたぃね。

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 【上図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータを読み込んだものを引用。真ん中の短いルートは最初引っ返した新堀沢の道。左上のフラッグマークはお不動様(北緯36度21分23秒47,東経139度21分01秒68)。右下のルートのフラッグは上が126号鉄塔、下が反丸山山頂 】

 もと来た道を戻り県道桐生太田線(旧国道122号)に出て、太田方面に向けて歩ってぐ。すると目の前にみえんのは、西側を採石で大きく削られて県道脇にぽつんと残る大きな岩山。(上の地図の四角い貯水池の東側)(つづく)

反丸山 (やまの町 桐生)
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by dr_suzuki | 2009-01-14 14:07 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2009年 01月 13日
唐沢峠越 ~ お不動様の見守る古道を歩く (太田市吉沢町)
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b0004675_20365714.jpgb0004675_20371141.jpgb0004675_20372267.jpg
吉沢・唐沢のお不動様
新堀沢/中の峯裏林道完成碑/小さなお不動様

 2009年初の東毛漫遊山歩き。ランナーズニーによる左膝痛で山登りを自粛してたけんど、「やまの町 桐生」の「唐沢峠越」の記事に触発され、久しぶりの山歩きを敢行することにしたぃね。今回は旧新田郡側からじゃなく、旧山田郡側から山中へ向かう唐沢峠越えの道。峠道脇に鎮座するとゆうお不動様、そして文献上では八王子丘陵に唯一残ってる滝・不動の滝を見物に行ってみるんべぇや。

 朝、吉沢のリサーチパークに車で向かう。パークの一角に「岩神公園」っつー新しい公園があるんさね。(岩神山については後述) ここに車を停めて、吉沢から北金井に通じる唐澤峠への古道へと歩を進めてぐ。
 古道といっても今は作業道になってるこの道は、麓のほうでは新堀沢という沢沿いにあるんさね。左に新栃木線の鉄塔(126号)を眺めながら進む。中の峯裏林道完成碑があったんでデジカメで撮影・・・なんとデジカメの電池が残り少。昨日充電忘れちゃった。今日は画質は悪りぃが携帯のカメラも使わざるをえねぇやぃねorz。まずはここに分岐があるんで左を選択して沢に沿って進んでぐと、沢を交差して・・・道がどんどん細くなってぐで。道を間違えたことに気づき分岐まで引きっ返す。峠に続く道は、新堀沢沿いじゃなくって、分岐は北側の右を選ぶんべぇ。次の分岐は唐沢山への登山道らしいが、そのまま直進。

b0004675_22505440.jpg ちょっと薄暗ぇ木立の間を歩ってぐ。無線機で流してるNHKラジオもちっと山陰なためか雑音が混じる。ここは林業の人の他に、一年の間に一体何人の人がここを通るんかね??
 しばらくすっと、道よりやや上のちょっと小高いところにお不動様の小さなお堂を発見。この寂しい道が古くは多くの人が行き交った古道であることが感じられらぃね。失礼してGPSでお不動様をマーキング。


b0004675_14324316.jpg このお不動様の脇に沢(右の画像)があるんだけんど、文献(上毛新聞社発行の群馬の山2.)によると、この沢を上ったところに3m,7m,7mの不動の滝っつーんがあるんだそうだぃね。しかし先日ここを上った楚巒山楽会代表幹事さんによると、今は水は流れてなくって、ただの岩壁だけなんだと。(滝の上には石祠ありとのこと)オレもちっとんべ上まで登ってみたが、結構急だし、滝はねんだからはぁいいやと途中で諦めて戻ってきちまった。(ヘタレ)梅雨なんかの雨がおーか降る頃には滝が現れるんだんべか?

 この先は北金井の分木山からの尾根まで急峻なのぼりが続くらしい。膝への負担を考え、ここで引っ返すことにした。(単独行じゃちっと先にゆくんが不安だったんもある(笑))

 「やまの町桐生」では、「唐沢峠越」の次に「反丸山(そりまるやま)」の記事が紹介されてたぃね。実は反丸山は昨年末上ろうと計画していたんだけんど、膝を痛めちまって果たせねぇまんまでいたんさね。唐沢山にも上ってみっかとも思ったけんど、反丸山のほうが低くて膝への負担は少なさそうだし、せっかく来たんだしちょっくら上ってみっか。(つづく)

【参考】
唐沢峠越 (やまの町 桐生)
須田茂、「連載 群馬の峠を歩く 菅塩峠から、鞍掛山越えの道へ」 p54-57 月刊『上州路』、2006年8月号、あさを社
『群馬の山 2 奥利根・上越・県央』 p245 群馬県山岳連盟/編 上毛新聞社 1989
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by dr_suzuki | 2009-01-13 20:54 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2009年 01月 11日
新春ドリームマッチ群馬2009
b0004675_20163520.gifザスパ草津 1-1 群馬県出身Jリーガー

 ・・・今年は残念ながら、午前中に第34回太田市新田新春健康マラソン大会から帰ぇってから、その後セガレが出場した上毛カルタ地区大会に行っちまったんで、サカラグに行げず。
 桐生が生んだJリーガー、松田の活躍がみたかったぃなー。残念!

 鳥居塚、ごくろうさん&おつかれさま。
 コーチとして次世代のザスパ草津をよろしくたのまぃ!

 【新春ドリームマッチ群馬2009 群馬県出身Jリーガー vs 草津】レポート:ドリームマッチ初参戦の松田直樹が衝撃の新春ゴールで、草津・鳥居塚伸人の引退試合に花を添える。(09.01.11) (J's GOAL)
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by dr_suzuki | 2009-01-11 22:14 | ザスパ | Trackback | Comments(2)