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2008年 01月 29日
八王子丘陵西部縦走 ~ 荒神山→籾山峠
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姥沢峠(峯街道八王子越)の庚申塔


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みどり市営バス・南光寺北バス停/荒神山登山口/整備された山道
荒神山から笠懸町/黒石山前の石製の御寶前(寛政年間)/黒石峠前
茶臼山への分岐(姥沢の頭)/水道山山頂(270m)/石尊宮への分岐
実は根元山山頂?(文献によると根元山の可能性高い)/籾山峠登山口/案内看板
群馬弁警告看板がここにも/切り通しの新・籾山峠/おりひめバス、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!

 昨夜の天気予報では霙も予想されていたんで、山歩きをするかどーか悩んでたぃね。朝起きっと、曇り空。でも夜中に雨が降らなかったみてぇだぃね。んじゃ、足場も悪くねぇだんべぇし、天気の崩れねぇうちにいっちょ行ってみっか。
 さてどこにすっかなぁと悩んだ挙句、近くがいーんじゃねぇかっつーことで笠懸東小の隣にある「荒神(こうじん)山」にすることにしたぃね。でも歩ってぐにはちっとんべ遠い。車で行ぐと確かあそこ登山口近辺に駐車する場所がねんだっけなぁ・・・と思い、そっか、あの「みどり市営バス」に乗って、南光寺北バス停から歩ってぐか(こっからなら1kmねぇし)っつー妙案を思いつく。復路はゆっくり歩ってくればなんとかなっかな。問題は、一日4本しかねぇバスだけんど・・・おおっ!バスがもう少しで来るじゃねぇかとみどり市役所バス停へ急ぐ。今日のお客はオレを含め3人。南光寺北バス停について、荒神山登山口を目指す。・・・すると登山口には「P→」マークがあったorz 車で来ても良かったんかぁ。まぁ運動になるからいっかな。

b0004675_20535356.jpg ここは「笠懸東小学校自由活動登山道」とゆーことで、地元の方々が下草を刈って登山道を整備してくれてるんでなっから道がいーんさ。途中鎖場も作ってあって、こりゃ子供たちも喜ぶんべねぇ。(もちろん鎖場を周回して登ることもでぎる)
 
 都合10分で荒神山山頂(218m)に到着(。西の展望が良くって、笠懸界隈を眺めることがでぎらぃね。子供の時に、地元の里山に登って自分たちの暮らす町を眺めることはとってもいーことなんじゃねんかなとオレは思うんさね。


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荒神山山頂


 荒神山は『上野国郡村誌』 新田郡阿左美邨ではこう説明があるんさね。
 荒神山  高三十弐丈八尺、八王子山ノ一峰ナリ、八王子山周回十里三十三町、詳ニ藪塚村志ニ出タリ、南ハ藪塚村ニ接シ、東ハ山田郡廣澤村ニ属ス、松樹ヲ疎生ス。登路一條字桜塚ヨリ上ル 長八町四十四間
 さてさてたった10分で目標を果たしちまった。これで帰るんもつまんねぇな。幸いにも曇り空でまだ天候は持ちそうだぃね。どーすっか・・・?よし!車で来たわけじゃねんだし、いつかやろうと思ってた籾山峠まで「八王子丘陵西部」の縦走をやってみんべぇ!と意を決し、東へ進路を取る。

 歩を進めっと、右手に配水場のフェンスが見ぇる。それに沿って歩ってぐと、道の右手に石製の御寶前(寛政年間)、左手には石祠(明和九年;1772)が鎮座してるんさね。ここの岩の高まりが黒石山らしい。さらに東へわずかに進むと黒石峠。八王子丘陵の新田山田郡五條の峠の最も西の峠、薮塚瀧の入と広沢岡の上を結ぶ古道。現在はあまり使われていねぇようで薮塚側は藪に覆われてるんさね。(「薮塚本町誌」によるとこの近くに「弘化三年(1846)」の石祠もあるらしい)
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黒石山と石祠


 更に道を東へ。南側は杉林。あと1月も経つとこの尾根道、スギ花粉が飛んで花粉症のオレは歩けねぇやぃなぁ・・・と思いながら進んでぐ。木立に阻まれるんかGPSが衛星をロストしたと警告が頻繁に出たんさ。空には米軍機が演習なんか八王子丘陵上空を低空で飛んでるんも見えらぃね。

b0004675_21385157.jpg 尾根道をアップダウンしながら進む。茶臼山への分岐に到着。(姥沢の頭;左) ここは去年も訪れたんだぃね。確か同じ火曜だったけど、結構人がいっぺぇいたぃね。今日は天気が悪りぃせいなんだか、この山道誰にもあわねんね。

 歩ってぐと、八王子山への分岐、東毛少年自然の家の不整合コースの降り口を越え、古道・姥沢峠(峯街道八王子越)に到着。峠の庚申塔(一番上の画像)がみえる。こっからは北東にある水道山への道、杉の林の中を麓の八王子神社へ下る藪道、薮塚・籾山峠への道が分岐するんさね。せっかくなんで水道山に寄り道することにした。程よく整備された山道(結構急だぃね)を登ると水道山山頂。ベンチもあり、晴れた日には展望もよさげだぃねぇ。こっからの尾根道は麓の宝珠院まで行ぐそうだけんど、行くと本来の目的の籾山峠に行げなくなっちゃうんで、また庚申塔のところの分岐まで引っ返す。

 薮塚方面の道を東へ進むと、石尊宮・勝負沼方面への分岐。そのまま東へ進むとやや登ってピークに達するんさね。ここが根元山。現在の太田市の最高地点。北長岡の里の北側に鎮座する山だぃね。こっから五條の峠の真ん中、籾山峠までは急な下り坂。20年ぐれぇ前、籾山峠からこの近辺に無線機とアンテナ、バッテリー背負って毎冬上ってたけんど、当時から比べっと訪れる人も増えてきてるんか道がだいぶ良くなったぃねぇ。あの頃は、籾山峠からここがまっさか急登で、おまけに道も悪くって、背中のバッテリの硫酸が漏れるんじゃぇきゃと心配して登ってたんを思い出さぁね。しばしば引用してる昭和11年の「毛野時報」の新井信示氏の『八王子山脈縦走記』には「入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠(百九十二米)を横ぎる。行く手は篠の生えて居る急峻な上がりで此のコース中に於ける「胸つき何町」とか申すべき處である。篠に縋りながら喘ぎ喘ぎ上がれば根元山二百六十米の頂上で、正に強戸薮塚兩村境界の一角に当って居る。長岡方面で御所山といふのはこの山の事であらうか。」とあるんさね。御所山はここじゃねーんみて。でも北長岡の惟高親王伝説由来の御所山は未だ特定でぎてねぇんさね。(追記;こっちもみてくんな)
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根元山への急坂
「行く手は篠の生えて居る急峻な上がりで
此のコース中に於ける「胸つき何町」とか申すべき處である。」
~新井信示『八王子山脈縦走記』より

 足を泥濘に滑らせながら目標の籾山峠(旧道)無事到着。荒神山登山口からの縦走所要時間は約80分だったぃね。そーいや今日は誰とも山道で会わなかったな。籾山峠は十年ぐれぇ前、ちっと下に切通しの県道桐生新田線の広ぇ道ができて、狭かった旧道は通行止めになったんさね。(ヘアピンカーブが数箇所だけあったっけなー、プチイニD(笑)) この辺は不法投棄をする輩が多いせいか、以前、桐生の堤町にあった「群馬弁警告看板」と違うヴァージョンの警告看板が設置されてたぃねぇ。

b0004675_1730043.jpg  ・・・さて籾山峠に到着し、悲願の八王子丘陵西部縦走を果たしたんはいーんだけんど、問題はどーやって家に帰ぇるかだぃね(笑)こっから南に下って薮塚駅か治良門橋駅に行って東武桐生線で帰ぇるか、北に下って広沢に出て国道50号づたいに帰ぇるか・・・思案数分、まぁ腹が減ってることだし、うどん好きなオレは広沢の50号沿いの「丸亀製麺」に行ぐことにすんべぇやと決め、讃岐うどんに惹かれ北への下り道を選択することに(笑) 途中、梅が有名な桐生南公園に寄ってみたけんど、まだちっとんべ早くって全然咲いてなかったぃねorz。


b0004675_21125934.jpg 県道を50号まで下って丸亀製麺で讃岐うどん(右)食って、さぁ50号を西に歩ってぐかぁっと・・・広沢交番前の交差点を渡ってすぐ、桐生市営おりひめバス広沢小学校前バス停あり。時刻表を見っと・・・おーっ!なんたる幸運!桐生駅南口行きがあと5分後に来るじゃねぇーきゃ!東毛で本数のなっから少ねぇ公営バスに偶然乗れるってゆーのは超ラッキー!だんべ!そして人生初めてのおりひめバスに乗車。JR桐生駅に着くと、両毛線上りは5分後発!これもラッキー!これで岩宿駅まで帰ぇって来られたで!そっからみどり市バスで・・・と思いきや、さすがに一日4本のバスに乗れるほどラッキーじゃなかったぃね・・・orz 仕方なく家まで歩って帰ってきたけんど、家に来た途端、小雨が降ってきたんさね。今日はバスにも天候にも恵まれラッキーの一言。

 今日は悲願の「八王子丘陵西部縦走」達成、おまけに群馬県人らしからぬ行ぎも帰ぇりも公共交通利用とゆー「エコな山歩き」(笑)だったぃね。

 【下図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータを読み込んだものを引用;フラッグは黒石峠手前の石祠。途中尾根道を歩ってるはずだけんど、杉林の木立でGPSがロストしたんだか、黒石峠からしばらくは結構いーかげんな表示をしてらぃね。寄り道は水道山。最初の左上の「文」は笠懸東小、籾山峠から50号まで下り(地図でみると結構距離あるなー)、右上の「文」(広沢小)の前からおりひめバスに乗ったんさね。】
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【参考文献】
『薮塚本町誌・上』 p863,868 , 薮塚本町 1991
『上野国郡村誌』 新田郡阿左美邨
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by dr_suzuki | 2008-01-29 17:54 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2008年 01月 24日
2008日程発表
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 何で第34節以降の開催地が空欄なんかねぇ?(他のチームのサイトでみりゃ、明らかなんにねぇ) 作業途中でとりあえずアップしちゃったんかね?5/3も祝日扱いされてねぇし。

 今年は変則3クール制になって中立地開催?なんて話があった割には・・・・敷島べぇだぃね。(第41節は熊谷陸上、第44節はまだ未定みてぇだけんど) オレは水曜や土曜は仕事なんで、今年も多くは観れなそうだぃねorz アウェイも何回か行ぎてぇし。今まで一度も観たことねぇチームの試合を中心に観戦計画を練るんべぇやと思ってらぃね。

 カレカがC大阪に行っちまったことだし、FWを補強してくんねぇかね?
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by dr_suzuki | 2008-01-24 23:09 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 22日
桐生タイムス、今年もザスパの特集!
b0004675_1336025.gif 今夕届いた桐生広域で読まれてる夕刊「桐生タイムス」を何気なくめくってぐと・・・・
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見開き2面フルで、しかもカラー、ザスパの特集キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!

 去年は、開幕十日前ぐれぇだったんに、今年はおーか早ぇ特集だぃねぇ。野球の町、桐生の新聞社とは思えねぇ、グッジョブ!メディアパートナー、桐生タイムスさんのザスパの試合の記事は詳しくって、「なっから!」でもたびたび引用させてもらってらぃね。今年もザスパをよろしくたのまぃ!・・・・まっと東毛でも盛り上がってくれるといんだけんどねぇ。今年あたり、太田で一試合ぐれぇ開催してくんねぇかね?

 恒例となってるアシストカンパニー、今年も更新したぃね。微力ながら今年も応援していぐんべぇや・・・・でもオレは電子メールは得意なんだけんど、FAXは大の苦手。更新のエントリーはFAXになってるんだけんど、継続なら電子メールも可にしてくんなぃよ。>草津温泉FC前橋事務所様
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by dr_suzuki | 2008-01-22 21:40 | ザスパ | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 20日
桐生スケートセンター (桐生市東7丁目)
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桐生スケートセンター
一見工場かと思ったぃね(笑)/スケートリンク(→昼過ぎから混んできた)/整氷中

 今日はこどもたちといっしょに、桐生市東の「桐生スケートセンター」に行ってきたで。(昨年末から、桐生東スポーツセンターの名称を桐生スケートセンターと改名したらしぃんさね。)
 遠い昭和のガキの頃、隣の(栄えてた)桐生市に東毛唯一のアイススケート場があるって聞き及んでたんだけんど、今日まで来たことがなかったぃね。・・・・今年で35年目だそうだぃね。そんなんで施設はちっとんべ老朽化が進んでて、外からみっとぱっと見、工場に来たんかと思っちまったで(笑) 室内の注意書きも手書きでレトロさ満点。
b0004675_18413275.jpg オレはスケート、今までの人生でやったことがねぇ。いートシこいたオヤジが滑れねぇで立ち往生してるんもカッコわりぃんで(笑)パスしてリンクの外で見物してたぃね。こどもたちはすぐに滑れるようになってたけんど・・・室内の気温は、右のように1.5度だったぃね。いやぁ、底冷えしてなっから寒かったぃね。(笑)

 スケート場の詳細は桐生市ホームページの「スポーツ」の項で。

 桐生スケートセンター (ちず丸リンク)
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by dr_suzuki | 2008-01-20 18:59 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2008年 01月 15日
鷹巣山 (太田市菅塩町)
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左・日向山と右・鷹巣山(推定)

 今日は菅塩沼の畔の「菅塩祝人古墳群」を眺めた後、菅塩地区の未登峰である「鷹巣山(たかのすやま)」に登ってみたで。
新田郡村誌の菅塩邨の項に
鷹巣山 高百廿六丈、亦八王子山ノ一峯ナリ、村ノ東北ニアリ、東方北金井村ニ属ス、松乃雑樹ヲ生ス、登路五町字入口ヨリ上ル
とあり、菅塩の東北にあって、東側の北金井との間にある高けぇ山・・・・つーと、ここだんべなって推定だぃね。

b0004675_2252321.gif 【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータを読み込んだものを引用;フラッグは鷹巣山(推定)山頂】
 菅塩沼の周りは、太田市の肝入りの整備が進んでて、(既に荒れ始めてはいるけんど)立派な遊歩道ができてるんさね。
 菅塩沼の東側から、遊歩道を歩ってぐと・・・・いきなし「イノシシ注意」かよっ!はぁこの辺にもいっぺぇいるんかな。イノシシと野犬には山中で遭いたかねぇな。(いちよー鈴つけて、無線機からAMラジオを鳴らしてるんさね。)
 遊歩道をしばらく登ってぐと、途中に山の上に延びる明瞭な踏み跡がめっかった。上へ登ってぐと、鷹巣山(推定)の南側のピークに出る。ここから北へ進路をとって鞍部を越えて、鷹巣山山頂を目指す。・・・この界隈の山には珍しく、手入れがされてるんか、全然藪がなくって、快適な山歩きが楽しめるで。しかも樹にはところどころ高けぇところに目印のビニール紐が目立つように巻かれてるんで、道も迷うことはねぇし。新緑の頃、歩ったらいー感じかも。しかも最近ここを歩った人がいるんみてぇだぃね。靴跡が新しいや。オレ以外にも八王子丘陵が好きな人がいるんだな。(笑) あまりきちぃ上りもなく鷹巣山山頂に到着。山頂は山名標もあるわけじゃなく、樹があって、展望もいまひとつのさびしいもんだけんど、木立の合間から菅塩沼や遠くに笠懸野の風景を眺めることがでぎるんさ。西の天王山や北の日向山方面は藪が多いから、菅塩沼からの山歩きを楽しむんは、この山が一番適してるかもしんねぇね。

b0004675_2285742.jpg  頂上を後にして北に下ってくると、菅塩と北金井を結ぶ遊歩道に下りられる。オレは今日はそのまんま菅塩沼方面に曲がって下りてきて、途中、東屋脇を通って、最初山へ踏み込んだところに出て、ちょうど一周したかたちだぃね。鷹巣山って名前だから、古くは山に鷹の巣が本当にあったんだんべねぇ。今日は残念ながらカラスしかいなかったけんど。
 菅塩沼の脇には植栽されたロウバイが花をつけてたぃね。1年ぶりに菅塩峠まで行ってみっかと思ったけんど、野暮用があって時間がなかったんで帰宅。また今度だね。(了)
 
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イノシシ注意/ところどころにビニール紐の目印、GoodJob!/木立の合間から笠懸野
鷹巣山(推定)山頂/遊歩道に下りた/遊歩道途中の東屋(ほとんど展望なし・・・)


【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
沼の北が確かに小字「入口」。こっから東北に「鷹巣」とゆう小字が延びてて、この山の北側を巻いてらぃね。この山の西南斜面は「高壷」、北金井側の東南側は「西高坪」だったぃね。なんで「鷹巣山」でいーんじゃねぇかねぇ。ただ南西斜面はどうして「高壷」なんか疑問が残らぃね。
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by dr_suzuki | 2008-01-15 22:44 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 15日
菅塩祝人古墳群 (太田市菅塩町)
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 「祝人」は「はふり」と読むんさね。

 中学生の頃、郷土史に興味があったオレは、太田の○カムラヤで尾崎喜左雄先生の『群馬県の地名』とゆー本をめっけた。特に下巻は東毛の地名が載ってて、自分の住んでいる地名もあり、苦節数ヶ月やっと小遣いを貯めて、手に入れたんさね。(今でも大切に持ってるんさね。上巻は金がなくって買えずじまい。)
 大字クラスの地名が紹介されてるなか、太田市菅塩地区の小字名として、この「祝人」が取り上げられてるんさ。何でも「祝人」(はふり)は「神主」のような意味あいらしい。平安時代に編まれた「和名抄」に「新田郡祝人郷」と記載されてる由緒ある地名なんだそうで、古くはこのエリアの広い範囲の郷だったんだと。神官がいっぺぇ住んでた里だったんかね。中学時分は行ってみようにもこの小字名の場所がどこになるんかわからず悔しい思いをしたもんだったぃね。(本には地図は示されていなかったんさね。)

 先日何気に群馬県文化財情報システムをみてると、ふと「菅塩祝人古墳群」が目にとまったぃね。あー、「祝人」ってここだったんか・・・菅塩沼のほとりじゃねぇか。と、30年前の疑問がやっと解けたぃね。「埼群古墳館」をみっと、管理人さんが、先日ちょうどこの地を訪れてたみてぇだぃね。

 今日、鷹巣山に上る前に、菅塩沼の畔をみてみた。沼に半島状に突き出たところ(上の画像)に、祠(水神?)が祭られてらぃね。何回か菅塩沼には来てたけど、ここが古墳だったとはねぇ。全然そんな風にはみえなかったぃね。でも確かに古墳の天井石のような平板・平滑な石があらぃね。もう一基残ってるみてぇだけんど、浅学なオレは特定でぎなかったぃね。
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 ここ菅塩沼は桜の名所として名高ぇところで、トイレや駐車場も整備されてらぃね。(北に歩けば菅塩峠を越えて、桐生広沢の賀茂神社に行げる)桜見物の折にも、古の神官たちが集う姿を想像してみるんも、また一興だんべね。

 【参考文献】
 尾崎喜左雄 「祝人」, 『群馬の地名』下巻, 251-253, 上毛新聞社 1976

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やや盛り上がって半島状に出てる/南を向いた祠/天井石?

菅塩祝人古墳群(Yahoo!ロコ)

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【2013年2月追記】

b0004675_18311392.jpg【け】 毛の国の地名をのこす祝人郷

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)


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by dr_suzuki | 2008-01-15 18:25 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 12日
新春ドリームマッチ群馬2008
b0004675_1336025.gifザスパ草津 0-3 群馬ドリームズ(群馬県出身Jリーガー)

 仕事で行げず!群テレで見さしてもらったぃね。
 みぞれの中、観戦した皆さん、お疲れさんでした。風邪など引きませんように。

 ・・・で、まぁ今日は華試合で相手のタレントも上なんでしょーがねんだけど、今シーズン失点50点以内がすんげぇ心配になってきたで・・・・大丈夫かねぇ。ぐんま朝日によるとチカの代理人が他のJ2チームに売り込みかけてるんだってね。やっぱチカの穴はでっけぇよね。チカを初めてみたんは、赤城颪の中のJFL佐川東京戦だったけど、すんげぇヘッドの打点が高けぇんでびっくりしたぃねぇ。あれから3年、何度彼のロスタイムの窮地を救う一撃に歓喜したことか・・・敷島で他のチームのCBでオレたちの前に立ちはだかったら・・・・さびしいんねぇ。

 ・・・・そういや久しぶりに見た岩丸・・・・・ロン毛&ヒゲで、日ハム時代の小笠原に見えちまった(笑)まぁ元気そうで何よりだぃね。

【新春ドリームマッチ群馬2008:ザスパ草津 vs 群馬ドリームズ】レポート:群馬ドリームズ、個の融合で草津を下す! [ J's GOAL ]

 いよいよ今シーズンも本格始動。更なる補強はあるんか?来季のユニのデザインはどーなるんか?プレシーズンマッチはあるんか?そして今季日程はどーなるんか?・・・・楽しみだぃね。

 でもどーして、県内の金融機関(銀行や信用銀行)は、群テレ中継のスポンサーにはなってくれるんに、ザスパのスポンサーになってくんねんかね?ザスパ定期とか作ってくれりゃいんにね。
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by dr_suzuki | 2008-01-12 18:30 | ザスパ | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 09日
田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に
b0004675_18114094.jpg 上毛かるたで有名な【ほ】誇る文豪 田山花袋は小説の他にも、日本国内の温泉地を巡った紀行文をしたためてるんさね。その著書『温泉めぐり』(大正7年初版、2007年岩波文庫から復刻)の中で、ここ長岡の地を訪ねてて、「西長岡の湯」とゆう件を書いてるんさね。引用すっと
 その西長岡の温泉に初めて私の出かけていったのは、そのあくる年の二月のまだ寒い頃であった。
(中略)位置としても、藪塚よりも深く丘陵の中にかくされたようになっていて、一歩一歩入って行く心持がよかった。此方の丘と向うの丘の間には平野が細長く挟まっていて、そこからまた向うの丘に越す路のうねうねと折れ曲がっているのも指さされた。やがて段々人家があらわれて来た。(後略)
欄外の脚注にはこうも書いてあるんさ。
 この温泉を私はいろいろな人に紹介したが、気に入るものもあれば、気にいらないものもあった。所謂温泉客にはちょっと向かないようである。しかし、あちこちの温泉にも飽きて、何処か変わったところがないかというような人には、面白いところであるかも知れない。
 文豪、田山花袋にそこまで書かせる通な温泉地、西長岡鉱泉。
 その温泉地に一軒しかなかったとゆー鉱泉宿「長生館」はいったいどこにあったんだんべか??

 オレは子供の頃、祖父から「昔、北長岡には西長岡鉱泉『長生館』があったんだけんど、昭和30年代前半頃、残念ながら焼失しちまった」っつー話を聞いたことがあるんさね。(焼失したんは、昭和32年12月とのこと)

 隣町の『薮塚本町誌』を紐解くと、藪塚鉱泉の欄に、この西長岡鉱泉について数行の記述があり(隣村なので簡単に記すと書いてあった(笑))、明治22年には創業していたと書いてあるんで、約半世紀、長岡の地にあったと思われるんだぃね。しかしその頃属していた新田郡強戸村が史書を編纂しねぇまんま太田に合併しちまったこと、その後の太田市史を編纂するときには辺境の強戸の温泉のことなんか興味がなかったんだか、ほとんど記録に留めてくれなかったこともあって、焼失後半世紀経った今では、どこにあったんだかもよくわかんねぇんだぃね。今、残ってたら昨今の温泉ブームでおーか賑わってたんかもしんねぇね。調べてぐと、この辺りには戦争末期、中島飛行機の地下工場が建設されてて、施設が労働者たちの保養所としても利用されてたらしいんさね。

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 ネットでも、鉱泉巡りが趣味の方々のページで、この鉱泉の探索の記事があるんが散見されるんだけんど、やっぱ場所が特定されてねんみてぇだぃね。愛宕山に上ったときに麓の浅間神社の鳥居に奉献者「長生館」の文字(上の画像)が刻まれてらぃね。確かに、この地区には「長生館」はあって、地元に貢献してたんだんべねぇ。

 実はこの1年余り、この鉱泉の場所を特定すべくいろんな文献にあたってたんさね。でも近くの図書館じゃぁ、決定打になりそうな資料が手に入ぇらなかったんさね。そん中でもネットを通じて得られた資料から場所を推定してみることにすっと、

①これまでにも何度か登場した、昭和11年の「毛野時報」の新井信示氏による「八王子山脈縦走記」の中にこんな一節があるんさ。
(前略)高雄山二百四十米の頂上からは、南に近く天王山を望み西南に入長岡の谷間、其處に鏡の様に見える三箇の大貯水池、長岡鉱泉等を俯瞰することができて頗る印象的な處である。(中略)西へ向かふと入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠 (以下略)
②ネットで知り合ったKさんがお持ちの、昭和11年版「温泉案内」(鉄道省、博文館発行)には西長岡鉱泉について以下の記述があるそうだぃね。 
西長岡鉱泉 群馬県新田郡強戸村
(中略)
前記薮塚鉱泉と隣接してその一部をなすものである。1千余年前の発見といわれ、八王子山に連なる大平山の麓にあり、東に天王、愛宕の諸峰、北に唐沢、茶臼、来電などの諸山を負い、南は開けて平野をなしている。(以下略)
 以上の文書から位置関係を推定すっと、「長生館」は北長岡の西側の丘陵のどっかにあったに違ぇねぇ。(大平山とゆーのもどこなんだかわかんねぇだぃね。たぶん1千余年前の発見とかは薮塚鉱泉と混同した記載なんだと思う。)なんで文豪・花袋と同じく、実際に訪れてみて、自分の足と目で確かめることにしたぃね。

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菅原神社(西長岡町)

 西の丘陵の突端にある菅原神社から、手がかりを求めて丘陵を行げるところまで上って縦走を試みたぃね。菅原神社の脇には祠の並んだ小丘(下の画像)があったぃね。
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b0004675_1964580.gif この辺は群馬県文化財情報システムによれば「西長岡天神山古墳群」とゆーらしい。とゆーことは手前の丘陵部は天神山とゆーことか。神社の脇から道が伸びてたんで上ってぐと産廃施設で行き止まり。なんで踏み跡をめっけて道から尾根部まで出て、そのまんま北上していってはみたんだけんど・・・・徐々に藪がきつくなった上に、ゴルフ場敷地にぶっつかって北上を断念。撤退して元に戻るんを余技なくされたぃね。・・・・うーん、何の手がかりもめっかんなかったぃね。麓を歩ってるうちに地元の古老の方と会えればお話を伺えたんに、こーゆー日に限って誰にも会えねんだぃねぇ・・orz

 次に某ネット上で薮塚西野地区にあるっつー「長生館」跡と紹介されてる廃屋を探しに行ってみた。西野地区に入ると大きな産廃処理施設がある。その裏に「谷ツ池」があって、この更に奥の路の舗装が切れぎれになったところに3軒の廃屋があるはずだぃね・・・って、あっけなく発見(下の画像)。・・・でも廃屋は怖いんで遠巻きに眺めるだけ。ここが「長生館」跡として紹介されてるんだけんど、こっからだと完全に長岡の山陰になって、高雄山と思われる山からだと見えねんじゃねぇかな。花袋の紀行文の「此方の丘と向うの丘の間には平野が細長く挟まっていて」とゆー表現とも、ここじゃちっとあわねぇ気がするし。
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長生館に間違えられていた廃屋
 
b0004675_21165528.jpg さらに山道を奥に進んでみっと先にスネークセンターの施設と思われる建物が見ぇる。ここから東側の尾根を目指して詰め上がってみた。こっから更に北上してぐとスネークセンターの裏山の2万五千分の1の地図の178m峰にたどり着くらしい(群馬県文化財情報システムによれば、このピークは蚕影山?)こっから東に向けて西長岡方面に探索してぇところだけんど・・・ゴルフ場の立ち入り禁止エリアになってそれ以上入れねんで諦めて引っかえしてきたぃね。せっかくここまで来たんで西野地区の村社・白髭神社にあるまっさかでっけぇ松(天然記念物らしい)を見て帰ぇってきたぃね。


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白髭神社(薮塚町西野)


b0004675_1837097.gif 廃屋の脇の道でGPSでマークしてきたんで家で位置を確認してみた。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ポイントデータを読み込んだものを引用;廃屋は蒼いピン、中央の鳥居は菅原神社、その左上の鳥居は白髭神社】 ここは北長岡の西の丘陵の西麓で、薮塚西野地区で西長岡じゃねぇしね。(もしここにあったとすっと、藪塚本町内なんで隣村じゃねぇから「薮塚本町誌」が詳しく記載しているはずだぃね。)・・・これはやっぱ「長生館」の跡じゃねぇと思うで。
 結局「長生館」跡について何の手がかりも得られねぇまんま、本日の山歩きでの探索は終了。でも開発が進んじゃってて、ぼっとかすっともう「長生館」跡もはぁ完全にロストされてるんかもしんねぇね。今後も「長生館」の文献調査などを進めてぐつもりだぃね。偶然にもこの記事を読んだ方々、もし知ってることや参考文献、あるいは資料があったらぜひ教えてくんなぃ! (一応、了)


【参考文献】
田山花袋 『温泉めぐり』十五~十七、岩波文庫 2007
新井信示 「八王子山脈縦走記」 p9-11 『毛野時報』11号 1936
『温泉案内』 鉄道省 博文館 1936
『藪塚本町誌 下巻』 薮塚本町誌編纂室 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1991

温泉めぐり (岩波文庫)

田山 花袋 / 岩波書店




【1月13日追記】

b0004675_16403413.gif 再び図書館で資料をあれこれあたってみたで。そん中の茂木晃著『太田大泉の一○○年』の強戸村の項に明治40年の「足利・桐生・深谷地図」がちっちゃく載ってて、どーやら西の丘陵の麓に「温泉マーク」らしきものがめっかったんさ。画像左は、その部分を引用。「入長岡」の文字の左下に「温泉マーク」らしきもんがめぇる。明治22年創業の「長生館」は一軒屋だったんで、ここの可能性が高けぇやぃね。(※国土地理院の地図では、温泉宿の位置ではなく、源泉の位置に温泉マークがつけられるんだそうだぃね。) そして焼失しちまったんは、昭和30年代初めっつー話だから、これ以前の別の時代の地図に「温泉マーク」が載ってるかもしんねぇ。・・・・なんで昭和27年の五万図の写しをお持ちのげきさかのぼるさんにメールを出して、五万図に「温泉マーク」が記されてねぇか確認してもらったんさね。


b0004675_2215172.gif 右図は、げきさかさんから分けてもらった昭和27年の五万図(「桐生及足利」)の写しを引用。確かに「入長岡」の岡の字の左下に確かに「温泉マーク」があらぃね。西長岡鉱泉「長生館」はこのあたりにあったんだんべね。3つの堤の位置は現在もほぼ変わってねんで、上の現在の地図と比べてみてくんなぃ!・・・・でもこの辺、今ははぁ源泉跡は残ってねんかもねぇ。(『薮塚本町の民俗』 によると大平山はどーやら薮塚・滝の入の山らしく、長岡の山じゃねんみて。「温泉案内」の誤記なんかも。)

 ・・・・やっぱ「迷ったら地図を見直せ」が基本姿勢とゆーことで。げきさかさん、ご協力どうもありがとうございました。

【参考文献追加】
茂木晃 『太田大泉の一○○年』 p176-177 あかぎ出版 2000
 『薮塚本町の民俗』 群馬県教育委員会編 1974

【1月16日追記】

 昨年末、ネットを徘徊してると、ブログ「縦覧御随意!よろずや商会絵葉書ギャラリー」さんで、長生館別館の画像を発見!実はこれが今回の探訪を決意するきっかけになったさんね。よろずや商会氏に、氏所蔵の「長生館別館の絵葉書」の画像の引用の許可をいただいたんで、謹んで掲載するで。ご高配、ありがとうございました。
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 【ご協力多謝】 今はない温泉・西長岡鉱泉(群馬県太田市) (縦覧御随意!よろずや商会絵葉書ギャラリー)

b0004675_16482822.jpg 15日、改めて、地図の温泉マークの辺りを鉱泉跡を求めて歩ってみたで。・・・画像の杉が植わってるあたりが、妙に削平されてるんで、この辺りにあったんかもしんねぇかなと、沢を飛び超えて散策してみたけんど・・・・それらしき跡はよくわかんなかったぃね。長生館は3階建だったそうだぃね。半世紀の歳月は、その在り処を突き止めるんには、ちっとんべ長すぎたんかもしんねぇね。


続編につづく
 続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に

【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・「長生館」があったんべぇあたりの小字は「西山」
・菅原神社の北側の小字は「天神山」
・浅間神社のあたりは小字は「愛宕」。双葉ゴルフ場もこの辺りは「愛宕」コースを採用してる。
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by dr_suzuki | 2008-01-09 18:50 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(18)
2008年 01月 08日
北長岡 ~ 惟喬親王伝説の里を歩く (太田市西長岡町)
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惟喬親王伝説の里・北長岡

 今日は八王子丘陵の太田市西長岡町・北長岡地区を散策してみることにしたで。北長岡地区は、古く9世紀にこの地を訪れ、この地で没したという惟喬(これたか)親王伝説が残ってる山里だぃね。まぁ惟喬親王は木地師の祖として全国各地に伝説が残ってる方なんだけんど。

 上州太田ビオトープの里という太田市得意の自然保全地区があり、菅塩沼のほとりにあるもんと同型のトイレと駐車場があるんで、ここに車を停めて散策開始。いきなし「へびに注意」の看板がお出迎え。

b0004675_16232375.jpg まずは、駐車場すぐ東の愛宕山にアタック。愛宕山だけんど、愛宕神社があるわけじゃなく、あるのは浅間神社。下草も取り払われた山道を登ってぐと神社の社殿・・・とゆーか東側が太田市の八王子公園(墓地公園)で整備中だぃね。神社の改修記念碑には「風光明美な愛宕山の地に浅間様を勧請」とあり、この山がもともと愛宕山と呼ばれていたことがわからぃね。社殿後ろの山頂部は笹薮~ゴルフ場敷地と化しており、散策もそこそこに撤退・下山。(2万5千分の一の地図では141m・画像は駐車場脇からみた愛宕山)


 さて、北長岡地区はオレが小学生のときにこの丘陵地に双葉○ルフ場ができて大きく地形や風景がかわっちまったんさね。中心に昔から大きな堤が3つあるんさね。堤を北上し、籾山峠方面に県道332号新田桐生線沿いにゴルフ場入り口を通過して登ってぐと(北関東道の建設のためなんかダンプがまっさか何台も横をびゅんびゅん通り抜けてちっとこえぇんさね)、薮塚湯ノ入方面との分岐のT字路脇に小さな鳥居が建ってるんさね。ここが「惟喬親王宮」の入り口。少し登っていくと左に馬頭観音、そして小さな祠があるんさ。
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 親王を祀ってるだけに、菊の御紋が彫られてらぃね。宮の脇に建つ碑にはこうあるで。謹んで引用。
 貞観14(872)年、文徳天皇(第55代)の第一王子として生誕された惟喬親王が上野太守に叙せられた折りこの地に御所を構えられたと言い伝えられている。親王は常に京の都を偲び懐かしみ山河の名称を「天王山、愛宕山、東山、西山、加茂川」等々京都の地名を名付けて穏やかで静かな風習と敦厚な人柄を限りなく愛されたという。親王は寛平元年(897)二月二十日御年五十四歳で崩御される。 当地のこの美しい由緒ある伝統と優れた歴史と人の心を永遠に伝えんとして有志が相謀り協力してこの碑を建立する。
 昭和57年5月吉日 西長岡を永遠に良くする会
b0004675_16123496.jpg 宮からちょっと上るとゴルフ場の敷地で立ち入り禁止。(イノシシ除けの電流柵があるんで注意!)今日は休みらしくってOB球が飛んできなくってよかったぃね。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ポイントデータを読み込んだものを引用;惟喬親王宮は赤いピン、中央下の鳥居マークは浅間神社】

 さて次の目的のため、車まで戻る途中、堤の淵に立って眺めると東に愛宕山、天王山、西にも西山、天神山、北に字「御所ノ入」にある雷電山、太田市の最高峰根元山、高尾山が見ぇる。ちなみにゴルフ場のコースも「御所ノ入」「愛宕」「天王」とゆう名前がつけられてるんさね。ゴルフ場内のレストランも確か昔「加茂川」だった記憶があらぃね。御所山は「もとの長生館の裏にあるとがった山」という記載が、「太田市史」に残ってるんだけんど場所が不明・・・

 ・・・次の目的は、本日のメインイベント、この西長岡町・北長岡地区にあったっつー西長岡鉱泉「長生館」跡探索だぃね・・・(つづく


 【参考文献】
 『太田市史 通史編 民俗上』 太田市編・発行,665-667,1980
 愛宕山雷電山 (やまの町 桐生)

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へびに注意/愛宕山・浅間神社鳥居/浅間神社社殿
西の西山?/北に左・雷電山、右・根本山?/東に天王山
惟喬親王宮鳥居/馬頭観音/惟喬親王宮(菊の御紋!)


北長岡地区 (ちず丸リンク)

【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・昭和63年時点では雷電山は薮塚本町領分で、太田市の領分ではなかった(→後に市町境界の変更があった模様) 現在は「御所ノ入」にある。
・県道桐生新田木崎線の北側がほぼ「御所ノ入」。なのでこの記事の一番最初の画像に在る堤の北にそびえる山(籾山峠の西の山)は「御所山」と考えて問題ねぇんじゃねぇか。
・西の山は「西山」とゆう小字だった。
・県道桐生新田木崎線の薮塚・長岡分岐の南側のあたりが「鎌田」だった。(→郡村誌で各山の登攀口になってる地名)

あわせてこちらもみてくんなぃ!
御所山 (太田市西長岡町) ~ 惟喬親王伝説の山は何処へ

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惟喬親王の館跡に祀られてるとゆう若宮八幡宮

若宮八幡宮 (ちず丸リンク)


【2013年2月追記】

b0004675_1815565.jpg【つ】 月照らす長岡の里に小京都

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)



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by dr_suzuki | 2008-01-08 16:25 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
2008年 01月 05日
邑楽町・シンボルタワー「未来MiRAi」
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邑楽町・シンボルタワー「未来MiRAi」
影長げぇっ!/展望台より金山・八王子丘陵・赤城山方面/遠くに筑波山

 多々良沼の帰ぇりに、邑楽町のシンボルタワー「未来MiRAi」にちょっくら寄ってみたんさね。

 平坦な邑楽町の中に高くそびえる約60mのタワー「未来MiRAi」。なんともすげぇネーミングだぃね。入場料100円也。エレベーターで展望台へ。
 眼を凝らすと遠くに富士山もなんとか見えたぃね。あの辺だと筑波山もはっきり見えるんだねぇ。タワー周囲にはいろいろ公共施設や公園の整備中。タワーの開館時間が4時までだったんで、あんまゆっくりでぎなかったんが残念さね。下りは鍛錬のため階段で降りてみたで。
 初日の出を拝むスポットとして、夏は土曜日は午後9時までやってて、夜景を観るデートコースとしてもにぎわうんだそうだぃね。
 
 ・・・で、別件で狙ってた邑楽町某所には行げなかったぃね。まぁまたいつか行ってみっかな。(了)

 シンボルタワー「未来MiRAi」 (邑楽町ホームページ)
 シンボルタワー「未来MiRAi」 (このあたり;ちず丸リンク)
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by dr_suzuki | 2008-01-05 13:41 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)