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2007年 01月 31日
薮塚石切場跡 (太田市藪塚町湯の入西北)
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まるで西洋の神殿、薮塚石切場跡 (太田市藪塚町湯の入西北)

 昭和50年代前半のとある夏の日、オレは友達からこの「薮塚石切場跡」の話を聞いた。よし、行ってみるんべぇよ!と暑ぃ中、友達といっしょに自転車(じでんしゃ)ふんごくって、近くまでやってきた。農作業をしてたじぃさんに「石切り場に行ってみたいんだけんど、どこにあるんですか?」と聞いたら、「おめーそんなカッコじゃ、マムシにやられておっちんじまうで。ちゃんとゲートル巻いてきなくっちゃダメだんべで!よしてけぇれ!」と軽装なんをたしなめられ、退散してきたことあったぃね。家に帰ぇってから「ゲートル」の意味を調べたもんなぁ。

b0004675_19552661.jpg  あれから30年弱の歳月が過ぎ、まだ見ぬ「薮塚石切場跡」を訪れてみることを思い立ったぃね。東毛少年自然の家からの帰り道の、車で1~2分(もちろん歩っても行げる)のところに薮塚石切場跡はあるんさね。入り口にひっそりと掲げてある案内板にはこうある。
今から凡そ二千年前位に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し各地に露出したものが藪塚石となった。この薮塚石は明治の中頃から小規模に採掘をしていたが、明治三十六年より薮塚石材株式会社が創立され盛んになり始めた。質はやわらかく細工もしやすく、価格も安かったので建築物の土台や塀、熱に極めて強かったのでカマドとして発売された。大正二年に東武鉄道が敷設されると、販路も関東諸府県から長野県に至るまで藪塚石の名は広まった。当時労務者は三百五十人位であった。しかし藪塚石の最大の欠点は水に弱く、中に小石がある事、層に割れ目が多い事などで、同質の大谷石と比べ多くの人件費がかった。質に於てだんだん嫌われていった。そして、現在各所にこの様な大きな採掘跡を残して昭和三十年頃に閉山のやむなきに至ったのである。
 入口からは、踏み跡が明瞭。ネットで調べると心霊スポットとしても紹介してるサイトもあるんで、今でもそれなりの訪問者がいるんだんべね。だんだん木々が鬱蒼と茂ってくる。こりゃあの夏の日、マムシが出るから行ぐのよせってゆった、あのじぃさんの話もあながちウソじゃなかったぃな。途中から木道になるけんど、所々朽ちて踏み抜かれてるところもあらぃね。

  ・・・・石切場跡に到着。・・・・・すげぇ・・・・思わず息を呑む。

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 まるで西洋の神殿のような光景。・・・・いや、異星に連れてこられたような感じ。
 垂直に切り立った壁。ひんやりとした空気。そして静寂。
 数m先の天井部分には、石切職人が書いた半世紀を経ても鮮明な赤いマーキング跡。
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・・・・オレの未熟なデジカメの画像じゃ、あの威圧感の1%も再現でぎねぇだんべ。

 見物してぇ人は、ちゃんとした靴履いて、崩れることもあっかもしんねぇから、くれぐれも自己責任で。万が一、マムシに咬まれても近くにヘビセンターがあっから血清はすぐ手に入ぇるんじゃねん?・・・・・太田市、群馬県は、ここを一刻も早く近代化遺産としてちゃんと管理・保全したほーがいいね。 (本日、了)

b0004675_1554685.gif 【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSデータを読み込んだものを引用。下のフラッグは説明版のある石切場跡入り口、上のフラッグは石切場跡】


【続編】
 続・薮塚石切場跡 (太田市薮塚町) ~ 隠れた奥宮へ (2011)

2014年5月に再訪:入口の道がだいぶ整備されてたで。
 薮塚石切場跡へ、再び
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by dr_suzuki | 2007-01-31 20:21 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback(1) | Comments(18)
2007年 01月 30日
茶臼山 (桐生市広沢町) ~ 八王子丘陵最高峰へ
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八王子丘陵最高峰、茶臼山山頂より赤城山を臨む
山頂の石祠/三等三角点「茶臼山」/山頂より笠懸・鹿田山方面
山頂のマイクロウェーブアンテナ群3葉

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 尾根を北に折れ、八王子丘陵最高峰、茶臼山(294m)を目指す。一旦下がったところの鞍部は一木口への指導標。(樹徳幼稚園そばからの登山口。茶臼山だけに上るのならここからが最短なんだと)。またちっとんべ急登すると、アンテナ群ひしめく茶臼山山頂。コンクリートの土台で固められた祠、三等三角点(基準点コード TR35439425601 、点名 茶臼山、冠字選点番号 始 21)が鎮座。テレビ(UHF)や県の防災無線局などアンテナがいっぺぇ。平日なんにまっさかいっぺぇ人が上って来るんねぇ。オレは無線家でアンテナ好きなんで平気だけど、他の登山者のみなさんにはアンテナは興ざめの様子だぃね。

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 しかし、ここからの眺望はお見事。さすが金山城より北の監視を任されてた山だけはある。気温が13度もあって風も弱かったせいか、赤城山はかすみぎみでいまひとつだったけんど、360度全景のパノラマはなっからすげぇね。また冬の寒みぃ空気の澄んだ日に来てみてぇやぃね。

 桐生・みどり市のテレビは、ここでUHFに変換されて送信されているんさね。もちろん東京のVHFとも、前橋(榛名山)のUHFともチャンネルが違うんさ。オレは昔、前橋から、こっちに引っ越してきた時に、周波数が違うんでテレビが映らなくなってぼっこれちまったかと思ったよ。群馬県は全人口の80%超が地上波デジタル放送が見られるようになったそうだけんど、桐生・みどり市地域はいまだにアナログ放送しかみることがでぎねんさね。デジタルにするんには、ここの中継局を工事しなくっちゃなんねぇだんべけんど、なんか全然工事もしてねんみてぇだぃねぇ。桐生のエライ人は「若者に魅力のある街に」なんてゆってるけど、デジタル放送もやってねぇ地域なんかに若者が魅力を感じっかねぇ・・・・??桐生の地方紙でも、デジタルを希求する投書もみかけねぇし。デジタル放送が始まるってゆーんで、オレんち、テレビもHDDビデオもデジタル対応機を買ったんに、まさに宝の持ち腐れ。いったいこの地区で地上波デジタル放送はいつ始まるんだんべか? (→【追記】2007年11月に地デジ放送がやっと開始されたぃね)

b0004675_15504452.gif 車を停めてある東毛少年自然の家に引っ返す。良く見っと登山道のあちこちにイノシシの掘り返したと思われる跡が・・・・やっぱイノシシは八王子丘陵にもはぁいっぺぇいるんだねぇ。

【左図は、今回のルートを、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSデータを読み込んだものを引用。下山は同じコースをたどったんで見やすくするために下山時の位置データは削除。フラッグは八王子山山頂。左下は県立東毛少年自然の家。滝の入の源泉は温泉マークが記されてるんさね】

つづく
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by dr_suzuki | 2007-01-30 21:50 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 30日
八王子山 (桐生市広沢町) ~ 丘陵にその名を冠される山へ
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信仰の山・八王子山山頂(260m)
東毛少年自然の家/不整合/古井戸跡への道標

 菅塩峠&雷電宮の探索を終えると10時ちょっと過ぎ。今日は天気もいいことだし、どっか他の山に登ることにしたぃね。オレは八王子丘陵の最高峰「茶臼山(294m)」にまだ登ったことがねぇ。戦国時代末期の金山の北の砦跡でもあり、信仰の山でもあり、この丘陵に冠された山、「八王子山(260m)」といっしょに上ってみることにしたで。

 太田市藪塚町瀧の入の県立東毛少年自然の家の駐車場に車を停めさせてもらう。(事務所で許可をもらったぃね)まずパイプで引かれてる滝の入の源泉を見物。こっから八王子丘陵主脈へ上るんべぇと思ったけんど・・・源泉の先は道もなく断念。戻って素直にハイキングコースをたどることにしたぃね。

 県立東毛少年自然の家から、いくつか登山道があるけんど、今回は「不整合」ルートを取ることにしたぃね。上っていぐと「不整合」とゆう耳慣れねぇ言葉の地層があるんさ。説明板によると、下の縦筋の地層はチャートってゆわれてて放散虫の化石もみられることからジュラ紀(約1億4000万年前)の地層なんだと。その上の地層が金山流紋岩という石で、約300万年前の地層なんだそうで、その間の約1億1000万年分の地層がすっぽり抜けてるんだそうだぃね。地質学的に珍しいそうなんだけんど、じゃぁその1億万年余は、八王子丘陵はどこにいってたんだんべね?(「不整合」のGPSのマーキング忘れちゃったぃね)
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不整合の説明板

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これが不整合?

b0004675_2224563.jpg そこを後にして、上ってぐ。菅塩や北金井あたりの藪漕ぎとちがって、登山道も道標もよく整備されてて本当に楽だぃねぇ。尾根上にでると、「金山城北の砦 古井戸跡」の道標あり。このあたりは前述の昭和11年の「毛野時報」の新井信示氏の紀行文にも書かれてらぃね。その頃は、古井戸も水をたたえていたみてぇだけんど、もう水はみえなかったぃね。

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古井戸跡

 北側に歩を進めると、文化年間に籠堂が建って、多数の修験者が千日行を行なっていたっつー跡の、約1mほどの「籠山千日満行所」の碑、その奥には元禄時代の「八王子」の碑。ここは八王子神社の奥社(八王子社は麓の広沢にある)で、祭神はスサノオ命の五男三女、古くから修験道の神として敬われてたみてぇだぃね。それだから、この一帯を八王子丘陵って呼ぶんだんべねぇ。(昭和初期の公的文書「山田郡誌」にも詳しく記載されてる)


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籠山千日満行所の碑

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八王子の碑

b0004675_1545741.gif 【左図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSデータを読み込んだものを引用】 フラッグが八王子山山頂。最近の地図でも、八王子山を尾根上に書いているもんが多いけんど、本当は八王子峠から桐生側の北にちっとんべ入ぇったピークが正しいんさ。ついこの前までは東毛自然の家が設置したとゆわれる赤い山名標(上に示したもの)が茶臼山へ行く尾根の上にあって、本当の八王子山を知ってる人たちを混乱させてたらしい(笑)けんど、今は正しく八王子山の山頂に移されたんみて。
 けど「ちず丸」あたりは、まったく違う場所に「八王子山」って記載されてるんで、行ってみんべぇかっつー人は注意してくんなぃ。

 ・・・・「八王子山」をあとにして、北西に聳えるアンテナ群が目印の「茶臼山」へ (つづく

【追記】 
▼以前、国土地理院の地図がいい加減な「八王子山」の表示をしていたため、これをベースにしたネット上の地図(ち○丸やYah××など)で八王子山は天王山近くの山として誤記されてる場合が多いんさね。(おまけに太田市がその麓に「八王子山公園墓地」を作ってしまい更に混乱に拍車をかけてる感。あそこは「愛宕山公園」か「西長岡公園」にするんがよかったんじぇねぇきゃ?)

 1939年発行の公的文書『山田郡誌』には八王子山について以下の詳細な記載があるんで引用し紹介しとくね。(旧漢字は現漢字に改めた) 
第一篇 自然界 第二章地形
(二)廣澤丘陵

八王子山

 茶臼山の南微東約五百米、郡界に近き小峯なり、高さ二六○米、峯上小平地をなし林藪の中に石宮一祠及方柱碑二基を存す。石宮は蓋し八王子祠なるべし。付近の石碑共に方柱にしてその一は高一米許、その二は二米許なり。
 記銘は
 一、正面  籠山千日満行所
   右側面 文化十四丁丑歳天神社通大内蔵之進
   左側面 千はやふる神も願のあるものを 人の願ひに逢ふそうれしき (読人知らず)
 二、正面  八王子 周藤次左衛門
   左側面 空風火水地
   背面  元禄十二癸未四月七日
【参考文献】
 『山田郡誌』 1939

▼安永3年(1774)の『上野国志』に以下の記述あり。 最古の文献か?
茶磨山の南に八王子山あり、八王子の社あり
【参考文献】
  『上野国志』 p96 毛呂權蔵 環水堂 1910
 これは国立図書館の 近代デジタルライブラリー でも閲覧可能。

▼『薮塚本町の民俗』 (1974) p65に以下の記載あり。
八王子様 桐生市分の峯にあり、お宮は昭和になってから桐生市広沢におろし、石塔・土台石が残っている。
昔は三間道路が参道としてあり、祭りには栄えていた。

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by dr_suzuki | 2007-01-30 20:41 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2007年 01月 30日
再び菅塩峠へ ~ 迷宮の謎を解く
b0004675_23132893.jpg こないだ菅塩峠でやっぱりオレも迷宮に陥って山中をさまよっちまったんはこの記事の通り。で、けぇってみて、げきさかさんや楚巒山楽会代表幹事さんとメールをやりとりすると、「実際の菅塩峠は、2万5千分の1で示されている実線部分上にはなくて、実はもっと東に位置する」という結論に達したぃね。ならばもう一度、菅塩峠にいってみて、この迷宮の謎を解き明かしてやるんべぇ・・・って、前々から欲しかったGPS(Garmin Foretrex101)を購入しちまったぃね。このGPSで得たデータを、「カシミール3D」というソフトを使うと、どこを彷徨してたんか地図上で一目瞭然なんだぃね。もちろん予め目標地点を設定しておけば、その方角・距離も表示される。地点登録も可能で、迷ったらその登録地点までの道案内もでぎる。藪漕ぎの八王子丘陵にはもってこいのグッズだぃねぇ。最近は八王子丘陵もイノシシもまっさか多くいるみてぇなんで、自衛策としてイノシシ除けに効果があるんじゃねぇかとネットで書かれてたワンタッチ傘(黒)を○イソーで購入。オレの無線機は、ラジオも受信可能なんで、NHK(AM)を流しながら歩くことにしたぃね。

 菅塩沼のほとりの駐車場に車を停めて、一路菅塩峠へ。さすがに2回目は迷わねぇね。・・・って傘を杖代わりにしてたら「バキッ!」と音がして、傘のプラスチック部(押すと開くところ)が割れちまって、傘が開かなくなっちまった(泣)イノシシ除けどころか、ゴミと化した傘を握り、山中を歩くハメになっちまったよ。「安物買いの銭失い」ってこーゆーことなんだんべね(泣)分岐ごとに地点登録しながら、奥へ進む。2週間前にはなかった杉の伐採で道が塞がれてるところもあったで。菅塩峠に到着。地点登録して、これで家でカシミール3Dで表示させる準備は整ったぃね。

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伐採された杉が行く手を塞ぐ/菅塩峠再訪、さすがにもう迷わねぇ/玉石もよくめぇる
雷電宮探索へ/雷電宮発見/雷電宮を角度を変えて


 今日のもうひとつの目的は、げきさかさんたちに、「北金井の遊歩道脇に雷電宮の石祠がある」と聞いてたんで、その所在確認。先週、山中を彷徨して発見できなかった石祠。毛野時報にあった同一のもんなんか、それとも違うもんなんか。菅塩峠から北金井方面へ向かうと、遊歩道途中に「北金井砂防ダム方向」の道標がある。そこから急峻な上りを登って、下っていぐと・・・・あったよ!道の脇に、雷電宮(右側に「雷電宮」と彫られてる)!

新井信示「八王子山脈縦走記」(1936)ではこう記されてる。
(前略) 石尊山から約一キロで分水線上二百二十米の山頂に雷電様の石宮が有って「寛政十年戊午三月吉日願主金井惣村中」とあり、石宮の後ろに空洞の黒焦げになつた古木があったのでどうして焼けたのかなと思つて見た。雷電様があるから、雷電山というのであらう。此処からは南方遥かに懐かしい金山の全姿が見渡された。若し同行者でも有つたら互に感興を語り合ふべき処である。(後略)
 祠の左側をみてみっと・・・・確かにそう彫られてるように見ぇるんさ。・・・・この石祠はもともと山頂にあったんを誰かがここまで持ってきたんか?それとも同じもんが最初から2つあったんか・・・・謎は深まるべぇだぃね。

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雷電宮の左側には「寛政十年・・・」と彫られてるみて


b0004675_14385593.gif うちに帰ぇって来て、さっそくカシミール3DでGPSデータを読み込んで分析してみたで。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSデータを読み込んだものを引用】 赤線が今日菅塩峠へオレが歩ったルート。最初のポイント(小旗)は、駐車場(出発点)、次は東屋の分岐。次は北金井への分岐。次は、前回オレが迷った所。そして菅塩峠。実際の菅塩峠はかなり東なんだぃね。国土地理院の地図では、2万5千分の一の地図で菅塩から広沢に抜ける道が実線で記されてるけんど、東屋で分岐したその道は、いつしか藪の中に消えちまうそうだぃね。菅塩峠が迷宮なんは「地図を信じて峠を目指すといつまでたっても峠に辿り着けねぇ」っつーことなんだんべねぇ。明治のころの地図をみっと、峠はオレの通ったところにちゃんと記されてるんだけんど、いつの測量からなんか、何らかの理由でルートが西になって、おそらく現地調査もされねぇまんまずっと発行されてるんじゃねんきゃ。道路地図なんかは、国土地理院の地図を元に作られてるせいか、ある会社の道路地図なんか、あたかも車が通れそうな幅で記されてるで。絶対車じゃ無理だから気ぃつけてくんないね。(足腰の悪りぃ人なら徒歩でも無理じゃんねん?)
 ちなみに雷電宮の位置は、図中の赤いマーカー。(北緯36度21分25秒98,東経139度21分01秒96") もともとは236m峰の上にあったんかねぇ。

 それにしても「GPS+カシミール3D」は、なっから楽しいやぃね。

■今度の土曜日夜、菅塩峠を越えた終着点、広沢の賀茂神社で桐生市指定重要無形民俗文化財「賀茂神社御篝神事(かもじんじゃみかがりしんじ)」っつー奇祭が行われるで。駐車場はあんまねぇから、菅塩沼に車を停めて、右上の地図のように峠を越えてったら、見に行げるで。でも道中、妖怪が10匹ぐれぇいるかもしんねぇけんどね。

【参考文献】
新井信示 「八王子山脈縦走記」 p9-11 『毛野時報』11号 1936


【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。これには「小字」が地割と共に詳細に記載されてたぃね。
・菅塩沼から峠に行く場合、沼のあたりが「入口」、すぐ西にある小高い高まりが「鞍掛」、その北西が「西渓」、その東が「■谷」(■はつちへんに時)
・炭焼き小屋への分岐の道で「木戸」と「日向」に別れ、菅塩峠の道で東が「東渓」
・雷電宮石祠は「松ケ沢」という小字にある。
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by dr_suzuki | 2007-01-30 15:01 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(12)
2007年 01月 25日
2007日程発表
b0004675_18284235.gif うーん、開幕戦、聖地国立きゃあ。しかも日曜。
 もし土曜で、遠いアウェイだったら、行げなかったけんど、こりゃ行ぐ計画を立てなきゃな。
 しかも日テレで放映(録画)もあるみてぇだぃね。

 それにしても今年は日曜日が多いねぇ。
 土曜が勤務のオレとしちゃぁ仕事休む調整とかしなくってもいーんで、それはそれでうれしんだけんど、日曜日開催になると子供のイベント事とかとぶつかっちまうこともあるんで、行げねぇ日も多いんだんべな・・・いんだか、わりぃんだか。いくつ行げることやら。

 アシストカンパニー&ファンクラブ、2007年度も更新したぃね。
 今年も全52節の長丁場、がんばっていぐんべぇよ!

【26日追記】
 今年のデーゲームって、13時キックオフべぇじゃねぇきゃ!
 14時キックオフなら、午後半休って手も使えたけんど、13時キックオフじゃ、土曜日まるまる休まなきゃなんねぇし・・・・・・土曜勤務の東毛人にはまったくつれぇ仕打ちだぃなぁ。
 しかも5~6月の初夏の13時キックオフは、暑くって「カクラン」起こす人がいっぺぇでるんじゃねぇん?バックスタンド側にも救護所作ったほーがいんじゃねん?
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by dr_suzuki | 2007-01-25 21:00 | ザスパ | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 23日
北金井周遊 ~ 雷電宮を探せ (太田市北金井町)
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北金井・高坪山(推定)を望む

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ため池/まずは鉄塔を目指す/新栃木線No.123鉄塔
整備された遊歩道に出る/途中プチな岩場もあるんさね/236m峰(高坪山?)山頂
236m峰山頂・木立の間から金山も見える/駒形神社/北金井向(むけ)山

 東毛低山の旅、第4弾。今回は、北金井で幻の「雷電宮」探索。

 先週の火曜の菅塩峠~天王山行きの後、楚巒山楽会代表幹事さまより、昭和11年発行の「毛野時報」の写しの資料をもらったぃね。資料には新井信示氏による「八王子山脈縦走記」とゆー、新田・山田郡の郡界となってた八王子丘陵の今から70年前の縦走の記録。いやぁはまったぃね。今は尾根の途中は鳳凰ゴルフ場ができちまってるんで、縦走はでぎねぇけんど、その紀行文の記述から、山の名を特定しようとして図書館にも通い詰めて、明治初期の公的文書である「上野国郡村誌15・16」や昭和に発行された「太田市史」「藪塚本町誌」の八王子山関連のところを調べまくり。「八王子山脈縦走記」の中に出てくる記述の中で、山名が特定でぎねぇ「山頂の雷電様の石宮」とゆーのがあったんで、実際に北金井地区の山に登ってみて「石宮」をめっけてみることにしたぃね。
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北金井といえば、カマボコ兵舎!

 北金井の奥に行ぐと・・・あったよ、カマボコ兵舎!オレが子供の頃からあるんさ。何でも米軍の本当の払い下げだそうだぃね。子供の頃はよくここに潜入したぃねぇ。堤の脇に車を停めて、まずは偶然にも本日の日付と同じ新栃木線No.123鉄塔を目指す。鉄塔まではちっとんべ急峻。123号鉄塔の真北に、北金井地区で最も高い236m峰(2万5千分の1の地図で.236と書かれてるんで便宜上以下、こう呼ぶ。上野国郡村誌15でみる限り、たぶん「高坪山」じゃねぇんかと思うんだけんど・・・右画像の高い山)へ。

b0004675_2125880.jpg 歩を進めると、小ピーク(左画像)に到達。この小ピークから236m峰方面へ下ってくると・・・・途中の鞍部に最近整備されたっつーずいぶん立派な遊歩道があるんさ。(まだ2万5千分の一の地図には載ってねぇ。すでに道が荒れ始めてるけんどね) なんだ、236m峰に上るだけなら、遊歩道上がってきたほうが楽だぃねぇ・・・。(こんな道ができるんは知らなかったんさね・・・)


 気を取り直して、236m峰へのアタック開始。途中プチな岩場もあったりして、ちっとんべ山気分が増さぁね。藪べぇでなかなか前に進めねぇけんど、何とか236m峰頂上に到着。山名標もなんもねぇ寂しい山頂。あると思っていた「雷電様」もねぇし・・・南に目を転ずると、木立の合間から、太田の金山がきれいにめぇる。新井氏も紀行文でこのあたりからと思われる金山の風景に感嘆した文があったぃね。

 今度は山の東南の尾根筋に足を伸ばし、石宮を探索。めっかんねぇーなー、と思っていると背後からガサガサ音がする・・・まさか!!イノシシ??と思って身構えると、「何をしてるんですか?」との男性の声。双方ビックリ。「石宮を探しにきた」と5分ほど立ち話。男性は冬になるとこの辺の山を毎日のように散策してるそうだけんど、「尾根で石宮を見た記憶はないなぁ」との話。「いや、それ以上に、冬のこの辺の山で人間にあったのは、あなたが初めて」と妙な賛辞を頂戴したぃね(笑)別れ際「最近この辺もイノシシが多く出てるみたいだから道中気をつけて」とご注意をいただく。いったん236m峰に戻って、続いて東側のもうひとつ向こうのピークを目指す・・・が、やっぱ石宮はねぇや。一等三角点のある唐澤山が目の前にめぇる。しかし進行方向は藪がかなりひでぇや。午後からは用事があるんで、どうすっか逡巡。行ったら用事に間に合わねんべぇなぁと思って、これにて捜索中止、引きっかえすことにしたぃね。

 山を無事下りて来て、車へ。このまま帰るのもなんなんで、村の入り口の駒形神社に「埴輪窯跡」があるんで寄ってみたで。ここは太田市指定史跡で6世紀中ごろの埴輪を焼いた窯のあとと、出荷待ち?の埴輪が並んで出土したんだと。・・・・しかし跡は土に完全に埋んまってて、まったく外目にはわかんねぇや。あんな遊歩道作るんなら、ここに埴輪のレプリカでもいっぺぇ置いたほうが、おもしれぇとおもうんだけんどね。
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駒形神社埴輪窯跡・説明板


b0004675_19201393.jpg 東に目をやると、向山(むけやま)がめぇる。ここは北関東道の太田サービスエリア(仮称)が建設計画中(画像は向山の尾根より)で、数年前、南の成塚地区側を造成したところ、群馬県下最古の方墳(しかも未盗掘)が発見(成塚向山古墳)されて話題になったところだぃね。今はすっかり崩されちまったみてぇだぃね。向山山頂には点名「北金井」の四等三角点があるはず・・・って歩を進めてみたものの、南側は立ち入り禁止だし、山頂付近も竹が刈られたばっかで三角点を確認でぎねぇまんま帰ぇってきたぃね。GPSがあればたどりつけたかもしんねぇが、残念。太田サービスエリアってどんなもんができるんかね?ETCゲートはできるんかなぁ。この辺の風景もだいぶかわっちまうんだんべねぇ。

・・・・家に帰ってきて、「桐生タイムス」を見ると・・・・広沢4丁目(桐生南公園のあたり)でイノシシ3頭捕獲の記事。やっぱ八王子丘陵にも、はぁいっぺぇいるんかもね・・・・

【参考文献】
新井信示 「八王子山脈縦走記」 p9-11 『毛野時報』11号 1936

 太田市北金井地区 (ちず丸リンク)
 駒形神社埴輪窯跡 (太田市役所ホームページ)

【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・123鉄塔のあたりは「狸ケ入」(ムジナカイリ)とゆうらしい。
・236m峰の太田側は、小字3つで分割されてて、西より菅塩分が「東渓」、北金井分が「松ケ
沢」「妙知沢」で2分割した形。雷電宮石祠があるんは「松ケ沢」になるみて。238m峰南西の小丘は「東渓」にある。『群馬の山 2 奥利根・上越・県央』(p245 群馬県山岳連盟/編 上毛新聞社 1989)に「西渓山」とあるがこれは誤認と思われらぃね。「西渓」は菅塩の天王山東南斜面にあるんだけんど、山頂らしいところがねんみて。
・北金井最深部の山々を村からみて総称して高坪山と呼んでいて、堤からみて東南限を「東高坪」、西南限を「西高坪」と呼んでたんじゃねんか・・・と思う。
郡村誌の高坪山は以下のように記載されてるんさね。髙坪山は「後田」(堤の近くの小字)から上り、西が菅塩村領分、北が廣沢村領分であれば236m峰が髙坪山の最右翼のように思えるんだけんど・・・
髙坪山
髙百廿六丈、八王子山ノ一峯ナリ、村ノ北方ニアリ、西ハ菅塩村ニ属シ北ハ廣沢村ニ属ス、山麓松楢雑木ヲ生ス、登路六町十五間字後田ヨリ上ル


続編に2編に続く

雷電宮発見!
 再び菅塩峠へ ~迷宮の謎を解く

唐沢峠は何処へ
 再び北金井へ ~唐澤峠を目指す

 
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by dr_suzuki | 2007-01-23 19:29 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 17日
日向山 ~ 天王山 (太田市菅塩町) ~ 藪山を西へ
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天王山山頂(243m)、四等三角点
尾根上の案内板/日向山二柱神社鳥居(昭和30年建立)/日向山二柱神社
2つの石祠と一升瓶/こんな場所べぇだぃね/四等三角点、点名「入長岡」
無線を試みるも交信できず/ゴルフ場左の作業道よりクラブハウス/八王子公園より建設中の北関東道

 天王山(243m)は太田双葉カントリークラブのクラブハウスの東にそびえる山だぃね。(下の画像)八王子丘陵では高峰の部類に入ぇるんさね。
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 (昨日の続き) 再度あの尾根に立ち、天王山を目指し尾根伝いに西へ。楚巒山楽会さんのHPで「細い尾根に引き込まれやすい」と注意書きがあったけんど、木立の合間から天王山を探すとめっかんねぇ。見事に細い尾根に引き込まれちまった模様。先日購入したPRO TREKで方角を確認。間違いに気づき、来た道を引き返す。PRO TREK、今日は大活躍。歩を進めて行ぐと、案内板がめっかった。ここから南の尾根に進むとHPで触れられていた日向山。山頂に日向山二柱神社があるはず・・・
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日向山二柱神社

 あったよ。こんな山ん中に立派な昭和30年と刻まれた石の鳥居。どうやってここまで運んできたん?2つ並んだ石祠の前には一升瓶が。石祠の後ろには一升瓶がいっぺぇ。どうやらまだ地元の方々の信仰を集めている神社らしいで。でも下に延びる参道の踏み跡はねぇから、ここまで地元の方々も藪漕ぎしながら上ってくるんだんべか?
【追記】二柱神社の祭神は「上野国郡村誌15新田郡」より伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冊尊(イザナミ)と判明。石祠は「宝永」時代のもんらしい。

 元の案内板まで戻り、再び天王山を目指す。ところが・・・木に巻かれた目印のテープを確認しながら行くも進路に倒木も多くって、ちょっと外れるとテープも見失なっちまうし、踏み跡も浅くってよくわかんねぇや。冬だからまだいいが、夏なら完璧に迷うなこりゃ。今度来る時はGPS買わなくっちゃな・・・方角を確認しながら迷走を重ね、やっと名もねぇ小ピークに辿り着く。(たぶん縦走路の尾根筋からはちっと外れたピークだったと思う)目の前に確かに天王山が見えたんだけんど、途中に結構な斜度のある谷筋を通らなくっちゃなんねぇ。標高250mにも満たねぇ山だからなぁ・・・となめてたんだけんど、こうなるとちっとんべきつくなってきたで。しかも倒木やら雑木の枝が多くって前に進みづれぇのなんの。やっとのことで天王山の東稜にたどりつくも、登山道らしいもんは全然めっかんねぇ。仕方がねんで、雑木の薮の中、歩きやしそうな場所を選んで、頂上へアタックすることにしたんさ。
 頂上にやっとこさ辿り着く。地図上の直線距離はほんのわずかなんに、迷宮に陥ったみてぇで菅塩峠から1時間もかかっちまったよ。頂上には四等三角点(点名:入長岡、基準点コード TR45439422701 冠字選点番号 K八 19)が鎮座し、何枚かの山名プレートがあるんさ。展望は木立に阻まれあんまり良くねぇ。今日は天気が良くって、風もねぇせいか、自分の実家方面は光に反射して予想以上に良くみえねぇし、赤城山も霞んじまってダメだぃね。無線機を取り出して、聞いてみたんだけんど、平日なんでカタギの人は聞こえずじまい。

b0004675_23135790.jpg 頂上を後にしようと踏み跡を探してみたが、やっぱ良くわかんねぇ。ならば東南斜面から下り始めてみたけんど・・なかなか帰ぇれそうな踏み跡もめっかんねぇ。しょーがねぇ、あの谷に沿って下るかと思いながら雑木の薮をかきわけてぐと、偶然にも稜線を巻くようにちょっとした踏み跡がめっかった。これに沿って下へ進むと突然右手にゴルフ場を見下ろす崖上に出たんさ。どうやら作業道に出たみてぇだ。ここOB球がきねぇか・・・と思ったが、平日のせいかプレーしてる人がいなかった(笑)そのまま下っていくと、さらに見晴らしがよくなって太田市の八王子公園(墓地公園)の上(左の画像)に出たぃね。(天王山登山だけならこっから登ったほうがいいね。)公園から眺めると、公園の南方の田んぼの中を、急ピッチで建設中の東西に走る北関東道がめぇる。現代の「あずまみち」だぃねぇ。それと送電線の鉄塔の多いこと。オレが子供の頃はこんなになかったんになぁ。

b0004675_18375023.jpg 公園から左に道が分かれてたんで、そのまま道を下っていぐと左手に金毘羅宮があったんさ。この宮の参道になってるコンクリートの道を下ってぐと、菅塩の本村(昔、オレたちはこう呼んでいたんだぃね)の入り口の舗装道に出られたんさ。


 本村の入り口の路傍に何やら物体をめっける。何なん?と思うと、石碑が車かなんかにぶっつけられたかして真っ二つに割れちまってて、そのまんま道端に横たわってたぃね。見ると道標。「西 大原」「南 脇屋」「東 丸山」とあり、北は「北 桐生」と彫られてるんさ!やっぱ、昔、この菅塩の集落を抜けて、桐生への峠道がここには確かにあったんだぃねぇ。(倒れてるため石碑の裏の製作年などは確認せず。貴重なもんだんべから、早く修復してくんなぃ>太田市) 
 車を停めた菅塩沼まで里山の風景を散策。きっと昔の新田郡の人たちも、この堤をみながら、山のむこうにある栄華の町・桐生を目指して歩ってたんだんべなぁ。

 所要時間約2時間。東毛低山の旅、第3弾、了。
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菅塩本村入り口の割れた道標;「北 桐生」の文字が確かに


 【2008年1月15日追記】
 割れた道標がコンクリートで接着されて、十字路に立てられてたよ。
 よかった、よかった。でも十字路から火の見やぐらはなくなっちゃったけんどね。
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【2013年2月追記】

b0004675_1836193.jpg【て】 天王山強戸で一番高い山
 ・・・実際は当時は西長岡御所ノ入・根本山(追分)が最高地点だったんに、かるたでは天王山を一番高ぇ山とした事実誤認があるで。まぁ麓からだとピークが目立つ山なんで無理もねぇかとは思うんだけんど、強戸の子どもたちが間違って覚えちゃったんはうまかねんじゃねんかなぁ。

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)



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by dr_suzuki | 2007-01-17 18:54 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
2007年 01月 16日
菅塩峠 (強戸菅塩⇔廣澤舞臺) ~ 迷宮の古道へ
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新田・山田五條の峠のひとつ、菅塩峠 (太田強戸⇔桐生広沢;太田側より)

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菅塩沼(入りの堤)/車を停めてこの遊歩道を北へ/「東屋・展望台」の方には進まねぇで直進
遊歩道終点の方向には行がねぇで直進/この分岐は左/どっちなん!?(→轍が新しい左を選択(→誤))
尾根に出ちまった、東側は結構なピーク/広沢の町並みがめぇる/急なピークを下りきると鞍部の菅塩峠の桐生側に出た
菅塩峠道標/峠道の玉石/分岐の右を選択するとこんな楽な道ですぐ峠に行げたんに(泣)

 東毛低山の旅も第3弾。今回は古道探索。
 激坂さんのページで、この菅塩峠(太田市強戸・菅塩⇔桐生・広沢)の記事を拝見して以来、一度はここを訪れてみんべぇと思ってたんさね。昔、子供の頃、この辺で遊んだこともあるんで妙になつかしぃんさ。(そのころは峠の存在は知らなかったんさね。)
 「菅塩峠」は、八王子丘陵で昔の新田・山田郡を結んでいた5條の峠道(西から黒石峠、八王子(姥沢)峠、籾山峠、菅塩峠、唐沢峠)のひとつ。このうち真ん中の籾山峠(薮塚温泉,太田双葉ゴルフ場⇔桐生南公園)だけが現在も使われてるんさ。立派な車道になっちまった籾山峠と比べて、他の峠は今や寂しいもんだけど(唐沢峠は正確な場所すら忘れられてる状態)、オレのオフクロの話では「昔、小学校の遠足で菅塩峠を越えて、広沢の賀茂神社にいったことがある」とのことだぃね。菅塩峠は昔は随分強戸地区から桐生へのアクセス道として用いられてたんだんべねぇ。(昭和10年の補修工事の記録が残ってるそうだぃね。)

b0004675_2221910.jpg さて、まず行ぐにあたって楚巒山楽会さんのHPの「菅塩峠越え」のページで下調べ。最初、土地勘があるもんで東武桐生線治良門橋駅から徒歩で峠を越えて、桐生側に下りて、おりひめバス等でそのまま帰ぇってくるんも考えたけんど、数時間に1本の公共交通あてにしてると、いつ帰ぇって来られるかわかんねんで、今回は太田市の桜の名所にもなってる菅塩沼(入りの堤)の駐車場に車を停め、桐生広沢まで歩ってぐ(そして引き返す)ことにしたぃね。平日のシーズンオフにこんな酔狂なことするバカはオレだけなんで駐車場はもちろん貸切状態。

 遊歩道を歩いて峠を目指す。日陰はまっさか寒みぃ。植林された杉が多く、あと数ヶ月したら花粉症のオレはここを歩くなんてとても無理。楚巒山楽会さんのHPで予習したとおり、歩を進める。と、突然HPには未掲載の分岐道。道標もなし。どっちにいぎゃーいん??林業でここまで入り込んだと思われる車の轍は左側のほうが新しかったんで、迷いながらも左を選択。

 左の道を先に進むと・・・ん?道がだんだん細くなってきたぃね。おまけに急峻。峠があるはずの鞍部なんかみえねぇぞ。途中でこりゃ完全に間違えたことに気づく。やっぱ右だったんだ・・・激坂さんのページでは「菅塩峠の迷宮」と書かれてたけんど、ほんと迷宮に陥っちまったぃねぇ。あと少しで尾根が見えてきたんで、引き返すのも癪なんで、強引に尾根まで急な斜面を駆け上る。尾根から広沢の町が見える・・・が東側は急峻なピークがあり、どうやら鞍部にある峠からひとつピークを隔てた場所に登っちまった模様。(GPS持ってねぇしなー)あくまで峠を走破するんが目的なんだし、仕方ねぇんで、東のピークに登攀し、その下の峠を目指すことにしたんさね。このピークを下りれば鞍部に出られるはず・・・・ってすげぇ、下りもなっから急。一歩間違えると枯葉で一気に滑り落ちそうなんで慎重に歩を進める。何とか踏み跡のある道まで下りられたけんど・・・・ここはもう峠を越えた桐生側のようだぃね。知らずのうちに目的の峠をスルーしちまったよ!仕方なしに今度は南側にしばし歩を進めると、HPで見た画像と同じ鞍部を発見!

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菅塩峠・広沢側から


 しかしHPにはなかった倒木が峠を遮断してるし。わずか数ヶ月なんに結構な変わりよう。楚巒山楽会さん設置の道標で「菅塩峠」を確認。ついに目的地の迷宮の峠に到達。標には西に「天王山」の文字。天王山(太田市西長岡町)は実家の真北に見える山でいつか登ってやるんべぇと思っていた所。今日はいー天気で風もねぇし、当初の広沢の賀茂神社まで下りるはずだった目標を、あっけなく天王山アタックに翻意!しちまった(笑)。

 しっかし、峠の鞍部からこの西のピークを登るんは、ちっとんべきつすぎな気が・・・そうだ、あの間違えた分岐まで戻って、再度また左の道を選んで尾根まで登ればいーんじゃねん?行き方はわかってるし、あっちのほうが楽だんべ!って気づき、峠をあとにして歩を進めると・・・・・もし最初の右の道を選んでいたら、たぶん徒歩2分ぐれぇで峠に着けたことが判明(泣)自分のアホさ加減に激しく凹む。いったい何十分かけてアホなことしてたんだオレ・・・・・いや、なんのなんの今までの行程はウォーミングアップ!と心に言い聞かせ、先ほどの分岐左の道から尾根筋への再アタックを開始。行ぐで、天王山! (つづく・・・・しかしここからが本当の「迷宮」だったぃね)

【参考】
 第3回 菅塩峠の巻き (電撃!激坂調査隊が行く)
 菅塩峠越え/天王山 (やまの町 桐生)

迷宮・菅塩峠の解決~続編に続く
 再び菅塩峠へ ~迷宮の謎を解く
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by dr_suzuki | 2007-01-16 18:25 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 14日
建岩山 ~ 道帰り山 (みどり市笠懸町鹿)
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道帰り山山頂(235m)、四等三角点
笠懸温泉スタンド(休止中)/冬の赤城山/吹上集会所そばの案内図拡大
鹿田山説明看板/建岩山登山口(長い急峻な石段)/石段続く
建岩山(211m)/途中の石祠/道帰り山山頂に到着
四等三角点:地点「吹上」/無線もやってみたで/渡良瀬養護学校前の道・斜度13%

 東毛低山の旅、第2弾。今日は、旧笠懸町の北側にそびえる「鹿田山丘陵」に行ってみたで。鹿田山丘陵はいくつかピークがあるけんど、最高地点は235mの「道帰り山」。(大間々のさくらもーるの西にある山) 地元では「みちっけぇりやま」ともゆわれてるらしいんさ。この群馬弁の響きがサイコーのピークをゲットしなくっちゃ「医療人のための群馬弁講座」管理人の名がすたるんべぇっつーことで、このピークに行ぐことにしたぃね。

 みどり市役所方面から歩って「道帰り山」を目指す。秋に、ひまわり畑で賑わう界隈も、ひまわりが枯れたままの姿でまっさか寒々しいやぃね。左手にめぇる笠懸町温泉スタンドに立ち寄ってみる。あの「ふるさと創生」でバラまかれた1億円で旧笠懸町は温泉を掘ったけんど、はぁ温泉が枯渇ちまって、この温泉スタンド、数年前に休止になったんだと・・・・・さらに北へ進むと目の前に雪化粧した赤城山と目的の山が見えてきたぃね。
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前方に赤城山・左に建岩山

 県立渡良瀬養護学校へつながる道路わきに吹上集会所があるんさ。そのそばに、山の地図などの立派な案内板があって、そこに歴史や各ピークの名前も記されてるんさ。案内板から少し上ると、山の上につながる急峻な石段発見。ここを上りきったところが建岩山山頂・・・・って、石段も急峻なんだけんど、段差がオレの歩幅に全然あってねんでなっから疲れたぃね。(所要約4分;約300段あるらしい) 建岩山山頂(211m)には昨年末に、楚巒山楽会さんが設置してくれた山名標があったぃね。ごくろーさんです。
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建岩山山頂根本山神石碑


 こっから道帰り山までの東側斜面は結構な崖になってて、転落防止用にロープも張られてらぃね。けど、こっからの赤城山~袈裟丸山~桐生・足利の山々の眺めはまっさかいーやぃねぇ。

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建岩山山頂より道帰り山(北から北東方向の展望良い)


 さて、尾根づたいに道帰り山を目指す。それほど高低差はなく、途中で休息用の木のベンチもあらぃね。ゆっくりと山々を眺めながら、10分弱で道帰り山山頂(235m)に到着。山頂には楚巒山楽会さんが設置してくれた山名標と四等三角点(基準点コードTR45439428201:点名 吹上:冠字選点番号 K八 5)が鎮座。眺望は木立があって良くねぇんが残念。今はこっから北方向に下りることができっけど、昔の人はここで来た道を引き返して、「みちっけぇり」になったんだんべか?(真相は不明) 山頂で持ってきたアマチュア無線機を取り出して聞いてみっと、榛東村富士見峠に行ってた旧知のSさんの声が聞こえたので、久しぶりの交信。
 帰りは来た道だと、あの急な石段がおーごとそうなんで、尾根途中から右に分かれる道を選んで、渡良瀬養護学校の裏手に下りてみたんさ。上るんにもこっちのほーがおーか楽だったみてぇだぃね。

 道帰り山 (やまの町 桐生)

【追記】(2009/3/1)
▼桐生市立図書館で『新田の史蹟』とゆう本をめっけたよ。そん中に、こんな項があったんで紹介するで。

新田義貞公陣所址
 鹿田丘陵道歸りにあり、新田公義兵を生品の祠前に擧げ笠懸野に打て出し國内に於ける諸豪族の状態を視察し且つ軍勢を集むるため陣を張り鎌倉攻に向かひたるより後世道歸りと稱ふ、旗立ての峰、湯たての場、於湯の泉等の遺址あり
 今でも地元でこういった伝説は残ってるんだんべか?
 笠懸だと阿左美に生品神社があるんだけんど、仮に本当にそこで旗揚げしたら、「道歸り」への進軍は鎌倉と逆の北上になっちまうんだよね。持久戦に持ち込んならともかく、一気呵成に鎌倉攻めをしなくっちゃなんねぇときに、北上して陣を張る必要があるんかな・・・とオレは思うんだけんどね。

参考文献
 『新田の史蹟』 岡部福蔵 p8 1933

▼1880年代の「迅速測図」には、道帰り山のあたりに建岩山って書いてあるんだけんど・・・・
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by dr_suzuki | 2007-01-14 15:32 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
2007年 01月 11日
PRO TREK 購入
b0004675_853443.jpg 三束雨さんの記事を見て触発され、山登りするんにはやっぱあったほうがいいだんべぇってことで、昔からほしかったCASIOの PRO TREK を年末から物色。PRW-1000J-1JR とゆー、ソーラー発電&電波&方位・気圧/高度・温度センサー付モデル(新品)を、ヤフオクで格安で落札できたぃね。これで山行きも安心だぃねぇ。

 画像は気圧表示中、1008hPa也。経時的変化が簡易折れ線グラフで表示されるし、いいねぇ、これ。電波&ソーラーなんで、何も気にしなくってもいーし。

 CASIOってほんと楽しい製品作るなぁ。
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by dr_suzuki | 2007-01-11 09:14 | 雑録 | Trackback(2) | Comments(8)