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2008年 02月 27日
続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に
 前回の記事のあと、長生館のことを更にいくつかの文献にあたってみたで。その他に地元の方にも話を伺うことがでぎ、長生館は、どうやらこないだ行った杉林から南の辺りにかけてあったことがわかってきたんさ。

 そんな中、今月上旬、長生館の絵葉書の出品でもねぇかなと何気なくヤフーオークションで検索すっと「西長岡鉱泉長生館のパンフレット」が出品されてたんさ!!いやぁ、こりゃ運命の出逢いに違げぇねぇや!と思って迷わず落札しちゃったで。(もちろん?入札はオレだけ(笑))

 数日後、届いたのがこれだぃね。

続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_22443176.jpg
『西長岡鑛泉案内』

 昭和初期発行のもんらしい。大きさは半紙大の4つ折。裏表2面の2色刷。そこには鉱泉の効能やアクセス等の他、3階建てだったとゆー本館の画像(上の真ん中の青刷の画像)も載ってるんさ。

 その道の研究家(そんなんいっか?(笑))には一級の資料だんべ!

 ヤフオク、おそるべし!

続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_22471988.jpg


 パンフレット中に、こんな記述を発見。
西長岡八景
天王山春曙、西山早蕨、加茂川流螢、長岡池扁舟、御所紅葉、新田山葺狩、刀根川眺帆、御影井舊趾
名産として鉱泉煎餅、長岡石材、魚鳥の類、葺等を數ふ
 ・・・・鉱泉煎餅ってどんなもんだったんかねぇ?

 これに今まで図書館等で調べた文献もあわせてみっと・・・・

『上野名蹟図誌(佐波、新田、山田、邑楽の巻)』 (1901版復刻 p94 歴史図書社 1980)
長岡鉱泉
 強戸村大字西長岡に在り。発見の年代詳かならず。泉質は塩類泉にして痛風、婦人生殖器病、肝充血等に効あり。明治二十一年十一月初めて鉱泉の分析を東京衛生研究所に請ひ、小川某なるものここに浴場を開き長生館といふ。館内に温冷二様の浴場を設け庭園頗る広くして閑静なり。
 此処より僅かに五町許りにして御所山といへる山あり。往昔、惟喬親王の住み給へし長岡宮の旧跡なりと言伝ひ風景甚だ佳にして愛観すべし。藪塚鉱泉を距る纔かに二十町許りなるを以て相往来するに便なり、故に夏季は浴客多く甚だ殷賑なり。

『躍進群馬縣誌』 (p242 躍進群馬縣誌編纂所 1940)
(前略)
 鉱泉の付近は、往昔、文徳天皇の皇子惟喬親王の舊蹟、俗に御殿山と称へられ御腰掛岩、御所椿、御影の井等の古蹟が點在する。

続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_18225941.jpg そういやこないだ行ったときに、3つの堤の北に昔はなかった貯水場ができてたぃね。そこの西南角の畔には「姿見水天宮」(左)ってゆーのがあって、こう碑文が刻まれてたんさ。
 姿見水天宮 (←このあたり:ちず丸リンク)
 
 九世紀の終わりごろ上野大守惟喬親王京に想いを馳せつつこの地に住まいし折ここに「姿見の池」というのがあったという。今同じ所に再び池を構設するに当り、水と安産の神水天宮を祀り鎮めとする。昭和六十一年丙寅十二月吉日

 『太田市史 通史編 民俗上』 (太田市編・発行,665-667,1980) の第一章伝説、第六編口頭伝承の中にはこう記載されてるんさね。 
みかげ井戸
 北長岡に、みかげ井戸といわれるところがある。
 むかし、天王山(東山)と御所山とのあいだを、惟喬親王が往来していたという。ところが、一般庶民は親王の顔を直接見ることができなかったので、その井戸のところへ土下座をして親王の顔を拝みみたという。井戸をのぞくと、親王の顔がはっきりみえたという。

 以前はここにパンフレット中の八景のひとつ「御影井舊趾」(躍進群馬縣誌の「御影の井」や太田市史の「みかげ井戸」や上の「姿見の池」とおそらく同一のもの)ってゆーのがあったんだんべね。そうなると御所山(御殿山)って、やっぱ北長岡の北にある籾山峠西の山って考えていぃんだんべなぁ。薮塚方面との分岐路あたりを地元では「御所入」ってゆってるみてぇだし。

 ・・・八景の残りのうち「天王山」「西山(=長生館の裏山、小字名を調べたらこの辺は「西山」だったんさね。花袋の「温泉めぐり」でも裏山の蕨の記述がある)」、「長岡池(=たぶん前の3つの堤のこと)」、「御所(=御所山のことだんべね)」は、いーとしても、「加茂川」「新田山」「刀根川」ってゆーのはどこなんかねぇ。探れば探るほど、調べれば調べるほど、なんか迷宮の深みに嵌ってぐ気もすんなぁ。(笑) もはやこうなりゃライフワークだぃね・・・・

と、ここまで書いてブログに載せるつもりでいたら・・・・

 一昨日、一通のメールが届いたんさね。

 差出人は大学の先輩の同業のK先生。
 先生も「長生館」を研究してるとのこと。このブログを御高覧いただいたとの由。
 いろいろ御教示いただきました。ありがとうございます。

 いやぁこんなマイナーなもんを探っている人が、こんな身近にいるたぁ思わなかったぃね。いやはや、ビックリ仰天(笑) きっと先生もまっさかたまげたんべぇな。

 この件、進展があれば、また続報で。
 (いちよー八王子丘陵関連なんで「東毛漫遊山歩き」タグに追加)


【参考文献】
『西長岡鑛泉案内』(昭和初期推定)
田山花袋 『温泉めぐり』 十五~十七、岩波文庫 2007
『上野名蹟図誌(佐波、新田、山田、邑楽の巻)』 (1901;復刻) p94 歴史図書社 1980
『躍進群馬縣誌』 p242 躍進群馬縣誌編纂所 1940
『太田市史 通史編 民俗上』 p665-667 太田市 1980

【2009年追記】
続編・御所山 (太田市西長岡町) ~ 惟喬親王伝説の山は何処へ 

【2013年2月追記】

続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_1820091.jpg【う】 美しさ花袋がたたえた長岡温泉

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)




by dr_suzuki | 2008-02-27 18:42 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(12)
Commented by sanzokuame at 2008-02-27 21:33
乙。とにかく乙です。
どうかライフワークとして極めてください。^^

せめて私にできるお力添えは・・・鉱泉煎餅。
鬼石にこんな店があります。
http://www11.ocn.ne.jp/~aburaya/
なっからキッチュなサイトですが(笑)、恐らくこんな煎餅だったんじゃないでしょうかね。
Commented by dr_suzuki at 2008-02-27 22:11
▼三束雨さん
なんかオレってライフワークのもんが次々にでぎちまうんだよなぁ(笑)

隣の薮塚温泉には「パイプ塚煎餅」って、鬼石の煎餅と似た煎餅があるんさね。(子供の頃、食ったことがある) きっと西長岡鉱泉のもこんな感じだったんだんべね。
Commented by 楚巒山楽会代表幹事 at 2008-02-28 14:25 x
無軌道庵さんは既に長生館研究の第一人者でしょう。刀根川は単純に利根川では?桐生辺りの山でも利根川を走る舟の帆が見えたという言い伝えがあります。新田山は特定したいですね。
Commented by dr_suzuki at 2008-02-28 21:28
▼楚巒山楽会代表幹事さま
いやいやK先生のほうがオレよりすごいっす。いただいた情報は「衝撃的」内容でしたから。
刀根川は利根川の異称みたいですね。でも御所山や天王山の頂上から利根川なんて見えるんかなぁ?(今は樹が邪魔で見えねぇと思うけど)
新田山は「金山」の旧称(にいたやま)かと思ったんだけんど、西長岡と金山じゃ離れすぎだもんね。・・・・「にった」?「にいた」?「しんでん」?「あらた」?・・・なんと読むんかな?謎は深まるばかり。
Commented by 雪野 at 2011-08-18 22:24 x
はじめまして、こんばんは。
雪野(ゆきの)と申します。

TVで田山花袋の話題がでて、家の近くに花袋が愛した西長岡温泉とカルタで読まれている温泉があることを思い出しました。
気になって、検索してみたら小暮淳さんのブログを見つけ、すずきさんのリンクから拝見させていただきました。
自分が住んでいる土地の伝説や温泉を調べている人がいるとは思っていませんでした。

それで、詳しく調べられている長生館についてです。
ご存じのとおり昭和30年前半で、長生館は焼失してしまいました。
今はその跡は井戸が残っているだけで、建物の痕跡はないそうです。
道を挟んだ私の家でも、祖母が火の粉を払うのが大変、と言っていたぐらいの火事だったみたいです。
長生館の跡地は火事の後売りに出され、現在は親戚がそこを買って住んでいます。

私にとっては小さい時から知っていた、ただの草ぼうぼうの蔵も、調べている人にとってはとても興味深いものなのですね。

地図や文献の様なしっかりとした情報ではないですが、この様な情報でも役立つでしょうか。
もし、人伝には聞きたくなかったという場合はすみません。
Commented by 雪野 at 2011-08-18 22:48 x
連続ですみません。

文字数制限があったので、連続で失礼します。
もし調べるのが人に聞く方法でもいいというのならば、双葉ゴルフ場の社長さんにお話を聞くのはいかがでしょうか?
社長さんはゴルフ場をつくる際に、詳しく調べたらしいので。
だから何か資料を持っているかも知れません。
母曰く「双葉のコースが、御所や親王の名前がついていて、そこをたどっている」と言っていました。

長生館については、ここに住んでいる人達に聞いても話してくれると思います。
でも長生館があった時代に生きていたので、もちろん80近くか以上の高齢者が大半になってしまいますが。
山の名前なら、地図よりもその地域に住んでいる人の方が別名も知っていてわかりやすいかもしれません。
Commented by dr_suzuki at 2011-08-19 08:30
▼雪野さん
はじめまして。こんな場末のブログにようこそ。
オレもいちよー強戸の出身なんでね。子供のころ、長生館が好きだった祖父によく話を聞いたもんだぃね。
当時の双葉の社長さん(ちっと面識があった)はもう数十年前にお亡くなりになってるんさね。なんで今の社長に聞いたとしてもわかんねぇだんべねぇ。

実は、長生館については、この冬、最新の?研究成果をお届けする予定。現在鋭意執筆中。乞うご期待!
Commented by dr_suzuki at 2011-08-19 08:36
▼雪野さん
追伸
西長岡鉱泉が舞台の小説「野の道」は、太田市中央図書館にある田山花袋の全集で読むことがでぎるで。短編なんでコピーも取れる長ささね。読んでみてくんなぃ!
Commented at 2022-04-03 21:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2022-04-03 21:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dr_suzuki at 2022-04-04 09:20
▼Hayabusa1229
情報ありがとうございます。
右のバーに小生のメールアドレスがあります。
ご連絡いただけますと幸いです。
Commented at 2022-04-04 11:05
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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