北面が削られた高尾山(推定)/籾山峠南の登山口/目印のビニール紐多数
木立の合間より北長岡の3つの堤/西の入沢方面(砕石工事が及んでる)/西に根元山
最近都合やら荒天やらで、まっさか久しぶりの東毛漫遊山歩き。今日は未踏峰のひとつ、高尾山(推定)にチャレンジ。しかし出発は確定申告に行ったんで、10時半。完全に出遅れ。
新田郡村誌に
髙尾山 髙廿五丈、東方天王山ニ接シ西方薮塚村ニ属シ、北方山田郡廣澤村ニ属ス、山上樹木疎生ス、登路一條、字鎌田ヨリ上ル長六町
と記されており、新井信示氏の縦走記では
入長岡から舞臺へ越える峠路(標高二百米)の西に當り分水線上に聳えて居る高雄山二百四十米の頂上からは、南に近く天王山を望み西南に入長岡の谷間、其處に鏡の様に見える三箇の大貯水池、長岡鑛泉等を俯瞰することができて頗る印象的な處である。
とされている山だぃね。地元に敬意を表してここでは「
高尾山」と表記すらぃね。(2万五千分の1の地図の.245m峰と推定)字鎌田がどこいら辺なんかわかればねぇ。
桐生南公園に車を停めて、籾山峠方面へ。高尾山は太田方面からみると山の形をしているけど、北側の桐生側は広大な採石場となってて、なっから削られてて、なんとも無惨な形をしてらぃね。
籾山峠を太田側に下ったところにすぐ、ビニール紐を巻きつけた木があってここが登山口らしい。登攀開始早々、タイヤの不法投棄多数。昔、籾山峠が現在の切通しになる前はまっと高いところに峠があったんだけんど、そっから投げ下ろしたバカな輩がいたんだんべなぁ。
籾山峠より東の八王子丘陵は今までの経験上、「探検」だから、藪漕ぎ覚悟で上ってぐと・・・なんと道の下草は刈り取られ、目印のビニール紐が所々に巻きつけられた快適な山道が。最近どなたかが整備をしてくれたんかねぇ。ありがてぇ限り。
途中2箇所ほど急なところがあって、所々に倒木多数。新しそうな倒木もあり、一昨日のあの強風で倒れたもんかもしんねぇね。道から外れて尾根の北側を探検すっと、採石場に
滑落する危険性もあるんで十分注意してくんなぃ。まもなく高尾山と推定される245m峰に。木立の間から確かに鏡の様に「三箇の大貯水池(=北長岡の堤)」が見えるで。昭和初期の新井氏はきっとその右側に3階建ての長岡鑛泉・長生館の姿も見たはずだぃね。
縦走記によるときこの辺には「入長岡から舞臺(広沢の賀茂神社)へ越える峠路」もあったみてぇだぃね。(確かに明治初頭の「迅速図」では峠道が記されている)今は賀茂神社に続く西の入沢方面にも砕石工事が及んでるようだぃね。古の峠道は残念ながらもう辿れねぇだんべねぇ。
更に天王山側に進むとちっと藪臭くなってきたんで、都合もあるんで探索を中止、来た道を引っ返す。北には桐生の町並み、西には根本山(推定)が見ぇる。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、GPSのルートデータを読み込んだものを引用】
籾山峠に下りて、桐生側に下り、桐生南公園でちらほら咲き始めた紅梅を見物。
南公園の芝生広場からみると、北側を大きく削られた高尾山の姿が。なんとも痛々しい姿だぃね。
紅梅の向こうに北側を削られた高尾山
高尾山 (やまの町 桐生)
【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
県道桐生新田木崎線が籾山峠から南下し、長岡方面と薮塚湯の入方面に分岐する道の東側は「高尾山」って小字だったよ。分岐の南のあたりが「鎌田」だったぃね。