「祝人」は「
はふり」と読むんさね。
中学生の頃、郷土史に興味があったオレは、太田の○カムラヤで尾崎喜左雄先生の『群馬県の地名』とゆー本をめっけた。特に下巻は東毛の地名が載ってて、自分の住んでいる地名もあり、苦節数ヶ月やっと小遣いを貯めて、手に入れたんさね。(今でも大切に持ってるんさね。上巻は金がなくって買えずじまい。)
大字クラスの地名が紹介されてるなか、太田市菅塩地区の小字名として、この「祝人」が取り上げられてるんさ。何でも「祝人」(はふり)は「神主」のような意味あいらしい。平安時代に編まれた「和名抄」に「新田郡祝人郷」と記載されてる由緒ある地名なんだそうで、古くはこのエリアの広い範囲の郷だったんだと。神官がいっぺぇ住んでた里だったんかね。中学時分は行ってみようにもこの小字名の場所がどこになるんかわからず悔しい思いをしたもんだったぃね。(本には地図は示されていなかったんさね。)
先日何気に
群馬県文化財情報システムをみてると、ふと「菅塩祝人古墳群」が目にとまったぃね。あー、「祝人」ってここだったんか・・・菅塩沼のほとりじゃねぇか。と、
30年前の疑問がやっと解けたぃね。「
埼群古墳館」をみっと、管理人さんが、先日ちょうどこの地を訪れてたみてぇだぃね。
今日、
鷹巣山に上る前に、菅塩沼の畔をみてみた。沼に半島状に突き出たところ(上の画像)に、祠(水神?)が祭られてらぃね。何回か菅塩沼には来てたけど、ここが古墳だったとはねぇ。全然そんな風にはみえなかったぃね。でも確かに古墳の天井石のような平板・平滑な石があらぃね。もう一基残ってるみてぇだけんど、浅学なオレは特定でぎなかったぃね。
ここ菅塩沼は桜の名所として名高ぇところで、トイレや駐車場も整備されてらぃね。(北に歩けば菅塩峠を越えて、桐生広沢の賀茂神社に行げる)桜見物の折にも、古の神官たちが集う姿を想像してみるんも、また一興だんべね。
【参考文献】
尾崎喜左雄 「祝人」, 『群馬の地名』下巻, 251-253, 上毛新聞社 1976
やや盛り上がって半島状に出てる/南を向いた祠/天井石?菅塩祝人古墳群(Yahoo!ロコ)
【2013年2月追記】
【け】 毛の国の地名をのこす祝人郷
『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)