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2008年 01月 09日
田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に
田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_18114094.jpg 上毛かるたで有名な【ほ】誇る文豪 田山花袋は小説の他にも、日本国内の温泉地を巡った紀行文をしたためてるんさね。その著書『温泉めぐり』(大正7年初版、2007年岩波文庫から復刻)の中で、ここ長岡の地を訪ねてて、「西長岡の湯」とゆう件を書いてるんさね。引用すっと
 その西長岡の温泉に初めて私の出かけていったのは、そのあくる年の二月のまだ寒い頃であった。
(中略)位置としても、藪塚よりも深く丘陵の中にかくされたようになっていて、一歩一歩入って行く心持がよかった。此方の丘と向うの丘の間には平野が細長く挟まっていて、そこからまた向うの丘に越す路のうねうねと折れ曲がっているのも指さされた。やがて段々人家があらわれて来た。(後略)
欄外の脚注にはこうも書いてあるんさ。
 この温泉を私はいろいろな人に紹介したが、気に入るものもあれば、気にいらないものもあった。所謂温泉客にはちょっと向かないようである。しかし、あちこちの温泉にも飽きて、何処か変わったところがないかというような人には、面白いところであるかも知れない。
 文豪、田山花袋にそこまで書かせる通な温泉地、西長岡鉱泉。
 その温泉地に一軒しかなかったとゆー鉱泉宿「長生館」はいったいどこにあったんだんべか??

 オレは子供の頃、祖父から「昔、北長岡には西長岡鉱泉『長生館』があったんだけんど、昭和30年代前半頃、残念ながら焼失しちまった」っつー話を聞いたことがあるんさね。(焼失したんは、昭和32年12月とのこと)

 隣町の『薮塚本町誌』を紐解くと、藪塚鉱泉の欄に、この西長岡鉱泉について数行の記述があり(隣村なので簡単に記すと書いてあった(笑))、明治22年には創業していたと書いてあるんで、約半世紀、長岡の地にあったと思われるんだぃね。しかしその頃属していた新田郡強戸村が史書を編纂しねぇまんま太田に合併しちまったこと、その後の太田市史を編纂するときには辺境の強戸の温泉のことなんか興味がなかったんだか、ほとんど記録に留めてくれなかったこともあって、焼失後半世紀経った今では、どこにあったんだかもよくわかんねぇんだぃね。今、残ってたら昨今の温泉ブームでおーか賑わってたんかもしんねぇね。調べてぐと、この辺りには戦争末期、中島飛行機の地下工場が建設されてて、施設が労働者たちの保養所としても利用されてたらしいんさね。

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 ネットでも、鉱泉巡りが趣味の方々のページで、この鉱泉の探索の記事があるんが散見されるんだけんど、やっぱ場所が特定されてねんみてぇだぃね。愛宕山に上ったときに麓の浅間神社の鳥居に奉献者「長生館」の文字(上の画像)が刻まれてらぃね。確かに、この地区には「長生館」はあって、地元に貢献してたんだんべねぇ。

 実はこの1年余り、この鉱泉の場所を特定すべくいろんな文献にあたってたんさね。でも近くの図書館じゃぁ、決定打になりそうな資料が手に入ぇらなかったんさね。そん中でもネットを通じて得られた資料から場所を推定してみることにすっと、

①これまでにも何度か登場した、昭和11年の「毛野時報」の新井信示氏による「八王子山脈縦走記」の中にこんな一節があるんさ。
(前略)高雄山二百四十米の頂上からは、南に近く天王山を望み西南に入長岡の谷間、其處に鏡の様に見える三箇の大貯水池、長岡鉱泉等を俯瞰することができて頗る印象的な處である。(中略)西へ向かふと入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠 (以下略)
②ネットで知り合ったKさんがお持ちの、昭和11年版「温泉案内」(鉄道省、博文館発行)には西長岡鉱泉について以下の記述があるそうだぃね。 
西長岡鉱泉 群馬県新田郡強戸村
(中略)
前記薮塚鉱泉と隣接してその一部をなすものである。1千余年前の発見といわれ、八王子山に連なる大平山の麓にあり、東に天王、愛宕の諸峰、北に唐沢、茶臼、来電などの諸山を負い、南は開けて平野をなしている。(以下略)
 以上の文書から位置関係を推定すっと、「長生館」は北長岡の西側の丘陵のどっかにあったに違ぇねぇ。(大平山とゆーのもどこなんだかわかんねぇだぃね。たぶん1千余年前の発見とかは薮塚鉱泉と混同した記載なんだと思う。)なんで文豪・花袋と同じく、実際に訪れてみて、自分の足と目で確かめることにしたぃね。

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菅原神社(西長岡町)

 西の丘陵の突端にある菅原神社から、手がかりを求めて丘陵を行げるところまで上って縦走を試みたぃね。菅原神社の脇には祠の並んだ小丘(下の画像)があったぃね。
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田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_1964580.gif この辺は群馬県文化財情報システムによれば「西長岡天神山古墳群」とゆーらしい。とゆーことは手前の丘陵部は天神山とゆーことか。神社の脇から道が伸びてたんで上ってぐと産廃施設で行き止まり。なんで踏み跡をめっけて道から尾根部まで出て、そのまんま北上していってはみたんだけんど・・・・徐々に藪がきつくなった上に、ゴルフ場敷地にぶっつかって北上を断念。撤退して元に戻るんを余技なくされたぃね。・・・・うーん、何の手がかりもめっかんなかったぃね。麓を歩ってるうちに地元の古老の方と会えればお話を伺えたんに、こーゆー日に限って誰にも会えねんだぃねぇ・・orz

 次に某ネット上で薮塚西野地区にあるっつー「長生館」跡と紹介されてる廃屋を探しに行ってみた。西野地区に入ると大きな産廃処理施設がある。その裏に「谷ツ池」があって、この更に奥の路の舗装が切れぎれになったところに3軒の廃屋があるはずだぃね・・・って、あっけなく発見(下の画像)。・・・でも廃屋は怖いんで遠巻きに眺めるだけ。ここが「長生館」跡として紹介されてるんだけんど、こっからだと完全に長岡の山陰になって、高雄山と思われる山からだと見えねんじゃねぇかな。花袋の紀行文の「此方の丘と向うの丘の間には平野が細長く挟まっていて」とゆー表現とも、ここじゃちっとあわねぇ気がするし。
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長生館に間違えられていた廃屋
 
田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_21165528.jpg さらに山道を奥に進んでみっと先にスネークセンターの施設と思われる建物が見ぇる。ここから東側の尾根を目指して詰め上がってみた。こっから更に北上してぐとスネークセンターの裏山の2万五千分の1の地図の178m峰にたどり着くらしい(群馬県文化財情報システムによれば、このピークは蚕影山?)こっから東に向けて西長岡方面に探索してぇところだけんど・・・ゴルフ場の立ち入り禁止エリアになってそれ以上入れねんで諦めて引っかえしてきたぃね。せっかくここまで来たんで西野地区の村社・白髭神社にあるまっさかでっけぇ松(天然記念物らしい)を見て帰ぇってきたぃね。


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白髭神社(薮塚町西野)


田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_1837097.gif 廃屋の脇の道でGPSでマークしてきたんで家で位置を確認してみた。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ポイントデータを読み込んだものを引用;廃屋は蒼いピン、中央の鳥居は菅原神社、その左上の鳥居は白髭神社】 ここは北長岡の西の丘陵の西麓で、薮塚西野地区で西長岡じゃねぇしね。(もしここにあったとすっと、藪塚本町内なんで隣村じゃねぇから「薮塚本町誌」が詳しく記載しているはずだぃね。)・・・これはやっぱ「長生館」の跡じゃねぇと思うで。
 結局「長生館」跡について何の手がかりも得られねぇまんま、本日の山歩きでの探索は終了。でも開発が進んじゃってて、ぼっとかすっともう「長生館」跡もはぁ完全にロストされてるんかもしんねぇね。今後も「長生館」の文献調査などを進めてぐつもりだぃね。偶然にもこの記事を読んだ方々、もし知ってることや参考文献、あるいは資料があったらぜひ教えてくんなぃ! (一応、了)


【参考文献】
田山花袋 『温泉めぐり』十五~十七、岩波文庫 2007
新井信示 「八王子山脈縦走記」 p9-11 『毛野時報』11号 1936
『温泉案内』 鉄道省 博文館 1936
『藪塚本町誌 下巻』 薮塚本町誌編纂室 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1991

温泉めぐり (岩波文庫)

田山 花袋 / 岩波書店




【1月13日追記】

田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_16403413.gif 再び図書館で資料をあれこれあたってみたで。そん中の茂木晃著『太田大泉の一○○年』の強戸村の項に明治40年の「足利・桐生・深谷地図」がちっちゃく載ってて、どーやら西の丘陵の麓に「温泉マーク」らしきものがめっかったんさ。画像左は、その部分を引用。「入長岡」の文字の左下に「温泉マーク」らしきもんがめぇる。明治22年創業の「長生館」は一軒屋だったんで、ここの可能性が高けぇやぃね。(※国土地理院の地図では、温泉宿の位置ではなく、源泉の位置に温泉マークがつけられるんだそうだぃね。) そして焼失しちまったんは、昭和30年代初めっつー話だから、これ以前の別の時代の地図に「温泉マーク」が載ってるかもしんねぇ。・・・・なんで昭和27年の五万図の写しをお持ちのげきさかのぼるさんにメールを出して、五万図に「温泉マーク」が記されてねぇか確認してもらったんさね。


田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_2215172.gif 右図は、げきさかさんから分けてもらった昭和27年の五万図(「桐生及足利」)の写しを引用。確かに「入長岡」の岡の字の左下に確かに「温泉マーク」があらぃね。西長岡鉱泉「長生館」はこのあたりにあったんだんべね。3つの堤の位置は現在もほぼ変わってねんで、上の現在の地図と比べてみてくんなぃ!・・・・でもこの辺、今ははぁ源泉跡は残ってねんかもねぇ。(『薮塚本町の民俗』 によると大平山はどーやら薮塚・滝の入の山らしく、長岡の山じゃねんみて。「温泉案内」の誤記なんかも。)

 ・・・・やっぱ「迷ったら地図を見直せ」が基本姿勢とゆーことで。げきさかさん、ご協力どうもありがとうございました。

【参考文献追加】
茂木晃 『太田大泉の一○○年』 p176-177 あかぎ出版 2000
 『薮塚本町の民俗』 群馬県教育委員会編 1974

【1月16日追記】

 昨年末、ネットを徘徊してると、ブログ「縦覧御随意!よろずや商会絵葉書ギャラリー」さんで、長生館別館の画像を発見!実はこれが今回の探訪を決意するきっかけになったさんね。よろずや商会氏に、氏所蔵の「長生館別館の絵葉書」の画像の引用の許可をいただいたんで、謹んで掲載するで。ご高配、ありがとうございました。
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 【ご協力多謝】 今はない温泉・西長岡鉱泉(群馬県太田市) (縦覧御随意!よろずや商会絵葉書ギャラリー)

田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に_b0004675_16482822.jpg 15日、改めて、地図の温泉マークの辺りを鉱泉跡を求めて歩ってみたで。・・・画像の杉が植わってるあたりが、妙に削平されてるんで、この辺りにあったんかもしんねぇかなと、沢を飛び超えて散策してみたけんど・・・・それらしき跡はよくわかんなかったぃね。長生館は3階建だったそうだぃね。半世紀の歳月は、その在り処を突き止めるんには、ちっとんべ長すぎたんかもしんねぇね。


続編につづく
 続・田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に

【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・「長生館」があったんべぇあたりの小字は「西山」
・菅原神社の北側の小字は「天神山」
・浅間神社のあたりは小字は「愛宕」。双葉ゴルフ場もこの辺りは「愛宕」コースを採用してる。

by dr_suzuki | 2008-01-09 18:50 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(18)
Commented by sanzokuame at 2008-01-10 09:56
地質学、考古学、史学、民俗学、文学・・・
もう、なんてアカデミックなんでしょう!
それらすべてが生粋の群馬弁で語られてるとこがまた稀有です。^^
「東毛漫遊山歩き」、ぜひ書籍化してもらいたいなぁ。
Commented by dr_suzuki at 2008-01-10 15:49
▼三束雨さん
まっさか褒めすぎだぃね(笑) 
でも、こんなマイナーなヲタクなもん書籍にしても絶対売れねぇんべ!(笑)
Commented by LaDehesa at 2008-01-11 08:15
これは、「東毛ミステリー」という新ジャンルでは?
愛宕、天王山、御所ノ入、長生館、白髭神社、地下工場、廃屋、スネークセンター等々々、字面だけ見ると、結構おどろおどろしい横溝正史的な世界を彷彿とさせるものがあり。すごいなー。
Commented by dr_suzuki at 2008-01-11 18:57
▼イナオカさん
帰ってきたら一緒に探検すんべぇよ。ゴルフ場の中は任せたで(笑)
Commented by げきさかのぼる at 2008-01-13 18:53 x
西長岡鉱泉というのは知りませんでした。
昭和初期の五万図を見ますと、入長岡の三つのため池の左(西)側の道を北に向かって3~400メートル(一番北のため池の北端から)ほど進んだ左手(西側)に温泉マークらしき記号があります。山裾か丘陵の中腹あたりにある感じです。いまだと、ゴルフ場になっているところという気もしますが…。でも、ゴルフ場よりやや南かも?。
Commented by dr_suzuki at 2008-01-13 22:29
▼げきさかのぼるさん
やっぱそうでしたか!わざわざありがとうございました。もう一回探索してみっかねぇ。・・・・でも、そこいらへんの山裾は、今は民家や畑になってて探索しづれぇんだぃねぇ。
いちよー現段階の結果を追記してみらぁね。
Commented by LaDehesa at 2008-01-15 03:03
?一昨日書き込んだ(と思った)コメントが見当たらない・・・??
では、もう一度。
帰国したら、「東毛ミステリー探偵団」の結成を前向きに検討します。
ホームズとワトソン君、という関係より、私的には、工藤ちゃんと服部刑事(探偵物語)の関係が良いですね。Bad city bad bad city・・・♪
by イナオカ
Commented by LaDehesa at 2008-01-15 03:13
「追記」も読みました。何だか凄いことやってますねー。プロジェクトX、みたいだ。ナレーションが聞こえてきそう。
「Dr.は自分に言い聞かせた。「迷ったら地図を見直せ」、と・・・」
しかし、これだけ超マイナーローカルネタだと、この偉業もプロジェクトXで取り上げてはくれないだろーなー・・・
by イナオカ
Commented by dr_suzuki at 2008-01-15 07:39
▼イナオカさん
・・・・「プロジェクトX」は、はぁ終わっちゃったで。こんなマイナーなもん、群馬テレビでも無理(笑) FM TAROならどーかな?(笑)
Commented by dr_suzuki at 2008-01-16 11:42
▼ALL
貴重な長生館の画像の転載許可を頂いたんで、追記したいね!
Commented by arukimenndesu at 2008-02-02 22:58 x
こんにちは。初めて拝見させていただきました。地元でもこんなすばらしいところがあるんですね。感激しました!!子供の頃、大鷲に遊びにいったのが懐かしいです・・・(><)
Commented by dr_suzuki at 2008-02-03 08:44
▼arukimenndesuさん
はじめまして。大鷲はまだ未探検なんだぃね。まぁ、ゴルフ場と、北部運動公園の開発でだいぶ昔と変わっちゃったんだけんどねぇ。
Commented by arukimenndesu at 2008-02-04 15:11 x
産廃工場裏には探検に20頃いきました・・・。工場の人にジロジロ見られたっけなぁ・・・。私も地図を見て貯水池、民家あたりを散歩のふりしましたがわかりませんでした・・・。やっぱり不思議がられますね・・・
Commented by dr_suzuki at 2008-02-04 15:21
▼arukimenndesuさん
おーっ!同好の士だぃねぇ!
この件はまだ続編がでぎそうなんで、期待してくんなぃね!
Commented by arukimenndesu at 2008-02-20 23:36 x
先日、晴れた日にまたまた調べにいきました。今回は山際の民家が立ち並ぶ狭い細道を散策そして、最後の写真付近にあった沢?小さい川?あたりを散策しました。民家には廃屋らしき平屋の大きな家がありましたが人の家の庭を通らないといけないので断念。でも火事で消失ですもんね・・・。沢付近には小さな水溜りがありましたが冷たかったです。杉が植わっているあたりに石段?っぽいのがありましたが植林したときのものですかね?沢上流は木や草が沢を隠すくらいだったので今回はよしました。
Commented by dr_suzuki at 2008-02-21 08:59
▼arukimenndesuさん
オレも平屋にいってみたかったんだけんど、庭通らないと行げねんで諦めたんさね。
近々、続編をお届けすべく、執筆中!期待してくんなぃ!
Commented by (*^^*) at 2014-01-15 15:37 x
こんにちは。
私の地元は北長岡なので懐かしい言葉が出てきたので、つい覗いちゃいました。
長生館を探す事は出来ましたか?
Commented by dr_suzuki at 2014-01-15 16:03
▼(*^^*) さん
はじめまして。強戸かい?同郷じゃねーきゃ。
これは続編がたくさんあるんで、そっちも読んでくんな。


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