2008年 01月 08日
北長岡 ~ 惟喬親王伝説の里を歩く (太田市西長岡町)
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惟喬親王伝説の里・北長岡

 今日は八王子丘陵の太田市西長岡町・北長岡地区を散策してみることにしたで。北長岡地区は、古く9世紀にこの地を訪れ、この地で没したという惟喬(これたか)親王伝説が残ってる山里だぃね。まぁ惟喬親王は木地師の祖として全国各地に伝説が残ってる方なんだけんど。

 上州太田ビオトープの里という太田市得意の自然保全地区があり、菅塩沼のほとりにあるもんと同型のトイレと駐車場があるんで、ここに車を停めて散策開始。いきなし「へびに注意」の看板がお出迎え。

b0004675_16232375.jpg まずは、駐車場すぐ東の愛宕山にアタック。愛宕山だけんど、愛宕神社があるわけじゃなく、あるのは浅間神社。下草も取り払われた山道を登ってぐと神社の社殿・・・とゆーか東側が太田市の八王子公園(墓地公園)で整備中だぃね。神社の改修記念碑には「風光明美な愛宕山の地に浅間様を勧請」とあり、この山がもともと愛宕山と呼ばれていたことがわからぃね。社殿後ろの山頂部は笹薮~ゴルフ場敷地と化しており、散策もそこそこに撤退・下山。(2万5千分の一の地図では141m・画像は駐車場脇からみた愛宕山)


 さて、北長岡地区はオレが小学生のときにこの丘陵地に双葉○ルフ場ができて大きく地形や風景がかわっちまったんさね。中心に昔から大きな堤が3つあるんさね。堤を北上し、籾山峠方面に県道332号新田桐生線沿いにゴルフ場入り口を通過して登ってぐと(北関東道の建設のためなんかダンプがまっさか何台も横をびゅんびゅん通り抜けてちっとこえぇんさね)、薮塚湯ノ入方面との分岐のT字路脇に小さな鳥居が建ってるんさね。ここが「惟喬親王宮」の入り口。少し登っていくと左に馬頭観音、そして小さな祠があるんさ。
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 親王を祀ってるだけに、菊の御紋が彫られてらぃね。宮の脇に建つ碑にはこうあるで。謹んで引用。
 貞観14(872)年、文徳天皇(第55代)の第一王子として生誕された惟喬親王が上野太守に叙せられた折りこの地に御所を構えられたと言い伝えられている。親王は常に京の都を偲び懐かしみ山河の名称を「天王山、愛宕山、東山、西山、加茂川」等々京都の地名を名付けて穏やかで静かな風習と敦厚な人柄を限りなく愛されたという。親王は寛平元年(897)二月二十日御年五十四歳で崩御される。 当地のこの美しい由緒ある伝統と優れた歴史と人の心を永遠に伝えんとして有志が相謀り協力してこの碑を建立する。
 昭和57年5月吉日 西長岡を永遠に良くする会
b0004675_16123496.jpg 宮からちょっと上るとゴルフ場の敷地で立ち入り禁止。(イノシシ除けの電流柵があるんで注意!)今日は休みらしくってOB球が飛んできなくってよかったぃね。【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ポイントデータを読み込んだものを引用;惟喬親王宮は赤いピン、中央下の鳥居マークは浅間神社】

 さて次の目的のため、車まで戻る途中、堤の淵に立って眺めると東に愛宕山、天王山、西にも西山、天神山、北に字「御所ノ入」にある雷電山、太田市の最高峰根元山、高尾山が見ぇる。ちなみにゴルフ場のコースも「御所ノ入」「愛宕」「天王」とゆう名前がつけられてるんさね。ゴルフ場内のレストランも確か昔「加茂川」だった記憶があらぃね。御所山は「もとの長生館の裏にあるとがった山」という記載が、「太田市史」に残ってるんだけんど場所が不明・・・

 ・・・次の目的は、本日のメインイベント、この西長岡町・北長岡地区にあったっつー西長岡鉱泉「長生館」跡探索だぃね・・・(つづく


 【参考文献】
 『太田市史 通史編 民俗上』 太田市編・発行,665-667,1980
 愛宕山雷電山 (やまの町 桐生)

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へびに注意/愛宕山・浅間神社鳥居/浅間神社社殿
西の西山?/北に左・雷電山、右・根本山?/東に天王山
惟喬親王宮鳥居/馬頭観音/惟喬親王宮(菊の御紋!)


北長岡地区 (ちず丸リンク)

【重要な追記:2009年2月】
太田市教育委員会文化財課で「太田市地籍集成図」(昭和63年)を閲覧させてもらったんさね。
・昭和63年時点では雷電山は薮塚本町領分で、太田市の領分ではなかった(→後に市町境界の変更があった模様) 現在は「御所ノ入」にある。
・県道桐生新田木崎線の北側がほぼ「御所ノ入」。なのでこの記事の一番最初の画像に在る堤の北にそびえる山(籾山峠の西の山)は「御所山」と考えて問題ねぇんじゃねぇか。
・西の山は「西山」とゆう小字だった。
・県道桐生新田木崎線の薮塚・長岡分岐の南側のあたりが「鎌田」だった。(→郡村誌で各山の登攀口になってる地名)

あわせてこちらもみてくんなぃ!
御所山 (太田市西長岡町) ~ 惟喬親王伝説の山は何処へ

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惟喬親王の館跡に祀られてるとゆう若宮八幡宮

若宮八幡宮 (ちず丸リンク)


【2013年2月追記】

b0004675_1815565.jpg【つ】 月照らす長岡の里に小京都

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)



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by dr_suzuki | 2008-01-08 16:25 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
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Commented by イナオカ at 2008-01-09 02:50 x
うちのすごく近くなのに、惟喬親王伝説なんて、ちっとも知らなくて、読んでて感心すらいね。あんなとこに鳥居なんかあったっけな?ところで双葉ゴルフ場は実は会員になってるんさね。もう15年くらい行ってないんだけど、会員権の自動抹消とかされてなければ(まさかね・・・)まだ会員の筈なんだけどな。
Commented by 楚巒山楽会代表幹事 at 2008-01-09 10:27 x
八王子丘陵は里にごくごく近いのに山の名前があやふやになっています。無軌道庵さんのお力で完全に解明されることを願います。
Commented by dr_suzuki at 2008-01-09 22:43
▼イナオカさん
惟喬親王伝説は知ってたんだけんど、宮があるんは楚巒山楽会さんのページで始めて知ったんだぃね。
会員権持ってるんかぃ!・・・・堂々と敷地内を探索でぎらぃねぇ(笑)
Commented by dr_suzuki at 2008-01-09 22:44
▼楚巒山楽会代表幹事さま
里に近すぎて身近なせいなんか、呼称がわかんねぇんが多いやぃねぇ。
ひとえに「新田郡誌」とか「強戸村誌」が当時ちゃんと編纂されてねんが惜しまれらぃね。
図書館の文献探索だとはぁ限界かも。昭和20~30年代の八王子丘陵の記事が、どっかの本にねぇんかなぁ。ハイキング雑誌とか。
Commented by kiri at 2011-11-03 01:32 x
初めまして。
小さい頃にこの地域に住んでいました。
大正元年に生まれた祖母に聞いた話で、親王の巻物を献上した話や長生館、石切り場の話など懐かしく思い出しました。
桐生のお医者様で歴史を調べている方が居ると
25年前位に聞いた事があります。
親王は確かに長岡に居らしたと思っている1人なので
ココのブログに出会えて嬉しいです。
Commented by dr_suzuki at 2011-11-03 08:05
▼kiriさん
はじめまして。こんな場末のブログにようこそ。
この冬、またこの関連の記事を書きたいと思ってるんでまた読んでくんなぃ!


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