先日、すんばらしい古墳巡りのサイト、「
埼群古墳館」さんと相互リンクする栄に預かったぃね。群馬のみならず、関東一円の古墳が網羅されてるすんげぇサイトさね。その中で実家のある太田市の項を見っと、成塚古墳群の中に、
成塚稲荷古墳っつーのをめっけたぃね。あれ?ここは良く遊びにいったで。アケビがなってて食ったことあるなぁ。あそこは古墳だったとは・・・・小学校の時は、ここがなぜか持久走大会の会場で、周囲の吹きっつぁらしの荒涼とした田んぼの中を走らされたんだっけなーと思い出し(おまけに苦しかった「や」な思い出しかねぇし)、今日太田に行ぐ用があったんで、実に30年ぶりぐれぇに訪れてみることにしたぃね。
で、行ってみた。が、周囲に住宅がいっぺぇ建ってて、往時の面影はなっから失われてらぃね。(昔のイメージで探してたらめっかんなくて、右往左往しちまった。) 稲荷神社社殿が墳丘の上に建てられてるみてね。前方後円墳だそうだけんど、はぁとてもそんな風にはみえねぇね。
墳丘を北東から/稲荷神社社殿/墳丘を北西から
「成塚」っつー名前からもわかるように、この辺にはたくさん古墳があったらしい。(でもオレが子供の頃には、はぁ殆ど残ってなかったんだけんどね。)「埼群古墳館」によると、「成塚古墳群は、上毛古墳綜覧で41基、その後の調査で71基が確認され、埴輪を伴うものが多いことなどから6世紀末を全盛とする古墳群と推定されています。現在は宅地開発などで、墳丘が現存するものはわずかです。」とあらぃね。
今の
200円切手って見たことあるんべ?約30年前からほぼずっと同じデザインの埴輪の切手だぃね。(左画像は「日本郵政」のHPより引用) この切手のモデルの埴輪は、たぶん東京国立博物館にある国宝の武人埴輪(挂甲の武人:太田市飯塚町の出土)なんだけんど、伊勢崎市
相川考古館にもほぼ同形の武人埴輪、国指定重要文化財「武装男子立像」が所蔵されてて、(どこの古墳からかはわかんねぇけんど)ここ
成塚から出土されたもんなんだぃね。
この武人埴輪の切手が発行された当時、郷土史好きだった中学生のオレはなっから感動して、それを誇りにしてたもんだぃね。今でも「埴輪萌え」や「古墳萌え」してんのは、こーゆーことがベースになってるんだんべなぁ。
※12/17、武人埴輪の事実誤認部の表記を一部訂正。
稲荷大明神(成塚稲荷古墳) (Yahooロコ)
【2013年2月追記】
近くにいったんで、改めて画像を撮ってきてみたで。(「疱瘡神」をめっけにいったんさ・・・わかんなかったけんど)
社殿
墳丘を北西から
墳丘・末社多数
【な】 成塚の地名にのこる古墳群
『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)