高射砲陣地跡
説明図/イオンモール太田SCの一角にある/見つかった場所の説明図
砲台断面図説明図/賑わうイオンモール太田SC/砂塵に霞む金山
今日は、3月の末みてぇにからっ風が荒れ狂ってたぃねぇ。なんで、どっか室内ぶらつくかってことで、イオンモール太田(太田市下小林)に行ってきたで。金山も
砂塵に霞んでたぃねぇ。
イオンは、ショッピングする人たちで大賑わい。今日のイオンのアナウンスのおねぇちゃんは、「おーた」をきちんと地元発音していたな。オレは、子供達がゲーセンで遊んでる間、先日八王子丘陵のことを調べてて、たまたま太田市ホームページで目にした、イオンモール太田の中にあるっつー「
高射砲陣地跡」に行ってみることにしたで。この遺構は、建物の南の芝生の一角にひっそりとあるんさね。
設置されている説明板を参考にすっと、この高射砲は、太平洋戦争時、旧陸軍によって配備された航空機(おそらくB29)を撃墜するための大砲だそうだぃね。当時の太田町は軍需産業都市だったんで、戦争末期に何度もB29による空襲を受けてたんさね。高射砲は、ここ下小林や由良、古戸にも設置されてたらしいで。イオンを作る時に、6基の砲台跡がめっかって、約24m間隔の扇形に配置されていたとのことだぃね。そのうちの1基(直径4.5mの円柱形のコンクリート)をイオンの建物の南に歴史教育、平和教育のために移設して残してくれたらしいんさ。戦争遺構は破壊されちまうことが多いんで、立派だぃね。>イオン
今、6基の扇陣形の高射砲のあった上には、たくさんの人が平和にショッピングを楽しんでらぃね。おそらく、高射砲6基じゃ、B29の雨アラレの爆撃に一矢を報いることも難しかったんべな。ここを守って命を落とした兵士も多かったんじゃねぇか。オレたちは、この平和が、日本や郷土のために戦ってくれた人達の尊い犠牲の上に成り立ったんだと、まっと感謝しねぇといけねぇよね。この60年余後の、
豊かだが頼りねぇ日本の姿を、泉下の国で彼らはどう思ってるだんべね。
高射砲陣地跡 (太田市ホームページ)
高射砲陣地跡 (このあたりの芝生の一角に;Yahoo!ロコ)