2007年 01月 30日
八王子山 (桐生市広沢町) ~ 丘陵にその名を冠される山へ
b0004675_9271498.jpg
b0004675_2003949.jpgb0004675_2004762.jpgb0004675_2005542.jpg

信仰の山・八王子山山頂(260m)
東毛少年自然の家/不整合/古井戸跡への道標

 菅塩峠&雷電宮の探索を終えると10時ちょっと過ぎ。今日は天気もいいことだし、どっか他の山に登ることにしたぃね。オレは八王子丘陵の最高峰「茶臼山(294m)」にまだ登ったことがねぇ。戦国時代末期の金山の北の砦跡でもあり、信仰の山でもあり、この丘陵に冠された山、「八王子山(260m)」といっしょに上ってみることにしたで。

 太田市藪塚町瀧の入の県立東毛少年自然の家の駐車場に車を停めさせてもらう。(事務所で許可をもらったぃね)まずパイプで引かれてる滝の入の源泉を見物。こっから八王子丘陵主脈へ上るんべぇと思ったけんど・・・源泉の先は道もなく断念。戻って素直にハイキングコースをたどることにしたぃね。

 県立東毛少年自然の家から、いくつか登山道があるけんど、今回は「不整合」ルートを取ることにしたぃね。上っていぐと「不整合」とゆう耳慣れねぇ言葉の地層があるんさ。説明板によると、下の縦筋の地層はチャートってゆわれてて放散虫の化石もみられることからジュラ紀(約1億4000万年前)の地層なんだと。その上の地層が金山流紋岩という石で、約300万年前の地層なんだそうで、その間の約1億1000万年分の地層がすっぽり抜けてるんだそうだぃね。地質学的に珍しいそうなんだけんど、じゃぁその1億万年余は、八王子丘陵はどこにいってたんだんべね?(「不整合」のGPSのマーキング忘れちゃったぃね)
b0004675_2258265.jpg
不整合の説明板

b0004675_925506.jpg
これが不整合?

b0004675_2224563.jpg そこを後にして、上ってぐ。菅塩や北金井あたりの藪漕ぎとちがって、登山道も道標もよく整備されてて本当に楽だぃねぇ。尾根上にでると、「金山城北の砦 古井戸跡」の道標あり。このあたりは前述の昭和11年の「毛野時報」の新井信示氏の紀行文にも書かれてらぃね。その頃は、古井戸も水をたたえていたみてぇだけんど、もう水はみえなかったぃね。

b0004675_2311573.jpg
古井戸跡

 北側に歩を進めると、文化年間に籠堂が建って、多数の修験者が千日行を行なっていたっつー跡の、約1mほどの「籠山千日満行所」の碑、その奥には元禄時代の「八王子」の碑。ここは八王子神社の奥社(八王子社は麓の広沢にある)で、祭神はスサノオ命の五男三女、古くから修験道の神として敬われてたみてぇだぃね。それだから、この一帯を八王子丘陵って呼ぶんだんべねぇ。(昭和初期の公的文書「山田郡誌」にも詳しく記載されてる)


b0004675_2322534.jpg
籠山千日満行所の碑

b0004675_232958.jpg
八王子の碑

b0004675_1545741.gif 【左図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSデータを読み込んだものを引用】 フラッグが八王子山山頂。最近の地図でも、八王子山を尾根上に書いているもんが多いけんど、本当は八王子峠から桐生側の北にちっとんべ入ぇったピークが正しいんさ。ついこの前までは東毛自然の家が設置したとゆわれる赤い山名標(上に示したもの)が茶臼山へ行く尾根の上にあって、本当の八王子山を知ってる人たちを混乱させてたらしい(笑)けんど、今は正しく八王子山の山頂に移されたんみて。
 けど「ちず丸」あたりは、まったく違う場所に「八王子山」って記載されてるんで、行ってみんべぇかっつー人は注意してくんなぃ。

 ・・・・「八王子山」をあとにして、北西に聳えるアンテナ群が目印の「茶臼山」へ (つづく

【追記】 
▼以前、国土地理院の地図がいい加減な「八王子山」の表示をしていたため、これをベースにしたネット上の地図(ち○丸やYah××など)で八王子山は天王山近くの山として誤記されてる場合が多いんさね。(おまけに太田市がその麓に「八王子山公園墓地」を作ってしまい更に混乱に拍車をかけてる感。あそこは「愛宕山公園」か「西長岡公園」にするんがよかったんじぇねぇきゃ?)

 1939年発行の公的文書『山田郡誌』には八王子山について以下の詳細な記載があるんで引用し紹介しとくね。(旧漢字は現漢字に改めた) 
第一篇 自然界 第二章地形
(二)廣澤丘陵

八王子山

 茶臼山の南微東約五百米、郡界に近き小峯なり、高さ二六○米、峯上小平地をなし林藪の中に石宮一祠及方柱碑二基を存す。石宮は蓋し八王子祠なるべし。付近の石碑共に方柱にしてその一は高一米許、その二は二米許なり。
 記銘は
 一、正面  籠山千日満行所
   右側面 文化十四丁丑歳天神社通大内蔵之進
   左側面 千はやふる神も願のあるものを 人の願ひに逢ふそうれしき (読人知らず)
 二、正面  八王子 周藤次左衛門
   左側面 空風火水地
   背面  元禄十二癸未四月七日
【参考文献】
 『山田郡誌』 1939

▼安永3年(1774)の『上野国志』に以下の記述あり。 最古の文献か?
茶磨山の南に八王子山あり、八王子の社あり
【参考文献】
  『上野国志』 p96 毛呂權蔵 環水堂 1910
 これは国立図書館の 近代デジタルライブラリー でも閲覧可能。

▼『薮塚本町の民俗』 (1974) p65に以下の記載あり。
八王子様 桐生市分の峯にあり、お宮は昭和になってから桐生市広沢におろし、石塔・土台石が残っている。
昔は三間道路が参道としてあり、祭りには栄えていた。

[PR]

by dr_suzuki | 2007-01-30 20:41 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://mukidouan.exblog.jp/tb/6410341
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by だいこんおろし at 2010-05-27 21:14 x
学生時代、広沢町の彦部屋敷で塾講師のアルバイトしてました。
現在八王子市在住。奇妙な縁だいねぇ・・・
Commented by dr_suzuki at 2010-05-28 23:46
▼だいこんおろしさん
はじめまして。
なんとゆう奇遇なんでしょうな。
彦部屋敷も行がなくちゃ・・・って思ってるんだけんど有料なんで敷居が高けぇんさね。


<< 茶臼山 (桐生市広沢町) ~ ...      再び菅塩峠へ ~ 迷宮の謎を解く >>