2006年 06月 27日
呑龍松 & 天良七堂遺跡 (太田市天良町)
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 東毛地区のヤツならみんな知ってる「呑龍様」(大光院)。 オレの田舎じゃ、この呑龍様は、徳川家康によって今の金山南麓に建立される前は、寺尾村(現在の太田市寺井町、天良町付近)にその前進の寺があったと言い伝えられてるんさ。今でも9月8日の呑龍様の開山忌には、寺井の人々がでっけぇ供餅を供える習わしになってるんだぃね。寺尾という名前は、寺井町の寺尾山聖王寺に残されていて、境内の石碑にも「寺尾村」と彫られてるんを見た記憶があらぃね。なんで新田義貞の居城寺尾城は高崎の寺尾じゃなくって、ここにあったとする東毛の郷土史家も多いんさ。

b0004675_14561052.jpg 地元ではその前進の寺に植えられてたという「呑龍松」があって、枯死すると代々その場所に代替の松を植えてたらしい。オレが10代の頃は、結構枝振りのいー立派な松があったんさ。ふとそれを思い出して、こないだその松を見にいったら、枯死しちゃったんだかなくなってた。かわりにちっちぇえ松が植わってたぃね。(五代目って書かれた杭も建ってたよ) 戦前は、ここにはまっと立派な松(三代目?)があったと祖父から聞いたことがあらぃね。オレが見たんは4代目なんだんべね。でも「呑龍松」は、ガイドブックなんかで紹介されてるんを見たことねぇや。マイナー中のマイナーといえるだんべね。(笑) ネットでも初紹介なんかもしんねぇよ(笑)

 この辺には、「天良七堂遺跡」っつー遺跡があって、群馬県による発掘調査によると「周辺には炭化した米が出土していることからこれらの建物が米倉であったこと、大きな倉が規則的に配置されていることから新田郡の役所の正倉であると考えられている」んだそうだぃね。オレが郷土史に興味があった中学生のころは、このあたりに炭化米をまっさか簡単に、しかもいっぺぇめっけられたんだけんど、今回はめっけることがでぎなかったぃねぇ。律令時代の役所があったっつーことは、当時はこの辺が郡の中心で、近くには立派な寺もあったんべからね。それが後世の呑龍様の前進の寺になったんかもしんねぇ。(実際少し北東にいったところには「寺井廃寺」という遺跡があらぃね。)

b0004675_14555652.jpg 帰りに、近くの道路にある制水弁のフタのデザインを何気に見たら、見事に「呑龍様」と松が描かれてたぃね。

 天良七堂遺跡 (群馬県埋蔵文化財調査事業団)
 寺井廃寺 (群馬県埋蔵文化財調査事業団)
 呑龍松(五代目) (ちず丸リンク;このあたり)


【2007年9月9日追記】

実家で写真見てたら、四代目呑龍松の写真をめっけたんで載せとくよ。
オレはたぶん中学一年頃で、当時1m55cmぐれぇだったと思うんさね。
弟に撮らせたんだと思うんだけんど。
しっかし根っからの郷土史ヲタクだったんだな、オレ(笑)

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【2013年2月追記】

b0004675_18987.jpg【と】 呑竜松とともに伝える供餅

『強戸かるた』 強戸地区青少年健全育成推進会議編 (1987)



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by dr_suzuki | 2006-06-27 20:16 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
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