岩穴観音 (みどり市大間々町小平)
小平の里を後にして、石仏を探しに岩穴観音に行ぐんべと県道334号線を北上。集落も飛び飛びになった山奥に車を走らせると、右手に岩穴観音。ここには文献によるとたくさんの石仏があるみてぇで、まだ確認してねぇ馬頭観音像を探すのが今回のミッションだぃね。
みどり市のサイトによるとこう説明がある。引用すっと
岩穴観音
伝説によると、楠正成の愛馬の供養のために祀ったのが始まりといわれるが定かではない。天台宗小平山正福寺の末寺であり、本尊は観音様という。山門から石段を登ると小平地があり、前殿(拝殿)の建造物がある。本殿は岩穴で奥行き約30尺(9.1メートル)・高さ約10尺(3メートル)の自然洞窟となっている。その奥に石仏が二体安置してある。この本尊は観音様と呼ばれているが、実際に安置されているものは室町期の地蔵菩薩座像(凝灰岩)と、戦国期の阿弥陀如来座像(砂岩質)であり、それぞれ像種は異なったものとなっている。
岩穴観音は馬の神様として広く知られ、盛んな時には日に何百頭もの馬が飼い主に連れられ参詣にきたという。縁日は旧暦2月初午と新暦10月10日の年2回であった。露店商が出て、様々な余興が催されたという。
まずは山門前に案内板がある。みどり市のサイトと違う記述があるんで、画像を貼っておくで。
山門近くには石仏がいっぺぇ!立派な如意輪観音(境内に二十二夜の文字塔があったんで二十二夜の如意輪観音と思われるんだけんど)、宝暦年代の一部破損した馬頭観音や渡良瀬川流域に特異的にみられる馬の半浮彫がされてる「馬の供養塔」があらぃね。しかも3面でおーか珍しい。ここが馬の信仰があったっつーのも頷けるんねぇ。他にもいっぺぇだ!
他に石幢もあったけんど・・・これが今回の一番のお気に入り!彫られてた像がまぁず稚拙なデザイン。きっとこれ江戸時代のもんだと思うんだけんど、これ彫った石工は当時の
前衛芸術家じゃなかったんかと(笑)
まぁずイケてんなぁ。全然江戸時代らしくねぇ(笑)
山門から急な石段を上がる。
近年新築された前殿があって洞窟に行げねぇようにがっちりロックされてるし。参拝のあと、その間から失敬してズームで地蔵菩薩座像と阿弥陀如来座像を撮影させていただく。
洞窟の中の地蔵菩薩座像と阿弥陀如来座像
うん?・・・静寂の中突然洞窟の上の方で・・・ガサガサ・・・ガサガサって音がする・・・風の音じゃねぇし・・・まさかケモノ(´Д`)?・・・!・・・冬眠してねぇクマだったらどーすんべか!!目を凝らしてみっと・・・おおっ!サルの集団!オレがテリトリーを侵したっつんで、威嚇迎撃に来たんだんべか?(何回かの撮影のチャンスでやっと撮影でぎた。まぁずすばしっこいんねぇ) iPhoneを見っと、ここ「
圏外」かよっ!山奥だもんなぁ。まだ石仏探索は完了してねぇけんど、万が一集団で襲われちゃってケガでもしたら助けも呼べねぇしなぁ。中途半端ながら前殿周囲の石仏調査は断念して帰ぇることにしたんさ(´Д`)(ヘタレ)。ケモノ除けには山門に鉦がついてるんで、ガンガン鳴らしてから行ぐといいやぃね。
山門を下ると広場の片隅に、これがあった。久々に見たで、これ(笑)この遊具の正式な名前だったっけ?・・・オレたちは「人工衛星」とかゆってた記憶があるけど。昭和の学校や公園にはこれはどこにもあったぃなぁ。
下ってぐ途中に「みどり高感度地震観測施設」なんていうのもあったで(あえて画像は載せねぇよ)。この辺はいろいろ知らねぇもんがいっぺぇあるんだねぇ。
(1月25日小平の里編、了)