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2013年 11月 07日
篠塚の郷を歩く (邑楽郡邑楽町篠塚)
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篠塚伊賀守重廣公御廟(宝篋印塔)(邑楽郡邑楽町篠塚)

 せっかくの乗り鉄の旅・・・邑楽町の新田氏関連史跡巡りを計画してみたで。

 新田義貞公の側近のうち、栗生顕友畑時能由良具滋、そして篠塚重廣の勇猛な忠臣4人を新田四天王と呼ぶんさね。そのうち篠塚の地に拠点を張っていたんが、篠塚伊賀守重廣さね。祖先は鎌倉時代初期に畠山重忠の乱で北条氏によって滅ぼされた畠山重忠とされてるんみて。(源義経の有名な「鵯越え」で馬を背負って崖を駆け下ったとされる武将)

 篠塚伊賀守は『太平記』では、小手指原の戦いで単身敵陣に夜襲をかけ、2m以上もある金撮棒を振り回し敵を壊滅させたり、分倍河原の戦いで義貞公の窮地を救ったり、箱根竹ノ下の合戦では敵を放り投げ、飛び蹴り(ドロップキック)をくらわし、三井寺の合戦では怪力で橋を掛ける、などなど、軍記物だけに脚色はあるにせよ、長身で怪力無双で八面六臂の大活躍の猛将として書かれてるで。鎌倉攻めの功績により 後醍醐天皇から伊賀守を賜ったんだと。義貞公没後は、四国に転戦し、世田城落城の後に、常陸国波崎に上陸、篠塚稲荷社を経て武蔵国足立郡下(菖蒲町付近)に潜伏したとされてらぃね。

 そんな篠塚伊賀守のゆかりの郷を歩ってみんべぇか。

 篠塚駅から、県道152号線に沿って南下すっと、まもなく左手に「篠塚伊賀守重廣公御廟」があるで。
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現地説明板・反射する金属製なんで斜め横から

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碇石(レプリカ)・詳しくは碑文で

 近くの伊賀守縁の大信寺に行ってみた。事前にググった情報では、ここには本堂横に篠塚伊賀守の等身大パネルが飾ってあったらしいんだけんど・・・はぁなかったぃorz 期待してたんになぁ。
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大信寺本堂

篠塚の郷を歩く (邑楽郡邑楽町篠塚)_b0004675_1322480.jpg ここには朱く塗られた青面金剛が2基あるんさ。如意輪観音の供養塔もあるんだけんど、十九夜待か二十二夜待か彫られてねんだよなぁ。この辺りが十九夜待と二十二夜待との文化の境界になってるんでぜひ知りてぇやぃ・・・如意輪観音横には平成20年まで念仏講が伝わってたらしいとの説明文があったぃね。(ということは、はぁ廃れちゃったってこと?惜しいやぃねぇ。)


 大信寺をあとにして、さらに南下して国道354号を渡って、かつての篠塚城跡の一角とゆう八幡神社を探しに行ってみた。県道から西に入ぇてみっとあっけなく発見したで。
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篠塚・八幡神社

篠塚の郷を歩く (邑楽郡邑楽町篠塚)_b0004675_13215467.jpg 「八幡神社 太平記の里 平成三年三月 邑楽町教育委員会」の標があるんだけんど・・・鳥居はなんだか傾いちゃっているし、篠塚城跡と手描きの札が掛けられた絵馬を懸ける所も見事に半壊状態・・・社殿横の土盛は土塁なんきゃ?辺りはすっかり住宅地になってて、城跡らしい風情は全くなくなってるし。

 ネットの情報だと、近くには当時の大手門付近の毘沙門堂とゆうんもあるらしいんだけんど、案内はねぇし、ありそうな場所は、どう見ても人んチの裏手の林の中みてぇなんで、今回は行ぐんは遠慮したぃね。


 なんだか中途半端に終わっちまった散策を切り上げ、来た県道152号線を北上、篠塚駅まで引っ返ぇし、また乗り鉄の旅を続けたぃね。

※篠塚駅からの県道152号は歩道が満足に整備されてねぇし、見通しの悪りぃ緩いカーブもあって、大型車もひっきりなしにビュンビュン通るんで、歩行するんは十分注意してくんなぃ。篠塚伊賀守重廣公御廟も駐車場はねんみて。(そこの県道脇に停めたらすんげぇ迷惑だかんね)

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篠塚伊賀守重廣公御廟 (このあたり:Yahoo!ロコ)
八幡神社 (このあたり:Yahoo!ロコ)

【参考文献】
『太平記』
浄土宗大信寺 篠塚伊賀守  (2013年11月7日アクセス)

by dr_suzuki | 2013-11-07 13:29 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
Commented by jun at 2013-11-07 23:33 x
太平記の里ですよね。こうしてみるとまた太平記をやって欲しいです。戦国は何度もやってるように。邑楽町って太田行く途中にあり、何も無いところのようですが、降りてみて近づくとたくさんの歴史がありますね。こうした歴史を太平記やったあとばかりでなく常に大切にして欲しいです。歴史遺産は忘れ去られないうちに整備してもらいたいものです。
Commented by dr_suzuki at 2013-11-08 21:03
▼じゅんさん
大河の太平記は傑作だと思うで。新田義貞公を主人公でもう一回大河作ってほしいんねー。


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