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2013年 08月 08日
長楽寺の「渡月橋」 (太田市世良田町)
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西埼玉地震(1931)で被災・修復したとゆう長楽寺の「渡月橋」


 「おおたんの史跡探検スタンプラリー」外伝(笑)

 2011年3月11日の東日本大震災じゃ、群馬県でも桐生市で震度6弱を記録したぃね。そん時に「群馬県で震度6が観測されたのは約80年ぶり」との新聞報道があったんが妙に印象的さね。「へぇー、関東大震災で、群馬もそんなに揺れたんきゃ?」と思って・・・よく考えてみっと、関東大震災が起きたんは大正12年(1923)だから、80年前じゃねぇで。っつーと・・・その後に群馬で震度6の地震が起きたことがあったんきゃ!?

 調べてみっと・・・どうやらその地震は、約80年前の昭和6年(1931)9月21日に発生した「西埼玉地震」(M6.9)っつー地震なんだと。

Wikipediaから引用すっと
西埼玉地震(にしさいたまじしん)は1931年(昭和6年)9月21日11時19分59秒、埼玉県大里郡寄居町付近(北緯36度9.5分、東経139度14.8分)を震源として発生した地震である。マグニチュードは6.9。震源の深さは3kmとたいへん浅かった。深谷断層帯の一部が活動して発生したと考えられている。

被害

地震の有感域は東北地方から近畿地方に及び、関東地方の各地で強い揺れを感じ、広い範囲で震度5が観測された。この地震により、埼玉県内では16人が死亡し、負傷者は146人に達した。家屋被害は全壊207戸、半壊124戸で、火災も発生した。揺れが強かった地域では、いたるところに地面の亀裂が生じ、地下水や土砂の噴出、井戸水の濁りなどが広い範囲で見られた。また、隣接する群馬県でも死者5人、負傷者30人の被害が出た。余震は最大でおよそ2週間後に発生したM5.6の地震があり、3週間ほど先まで続いた
 群馬じゃ高崎・渋川・五料で震度6を記録(前橋は震度5)、多くの家屋が倒壊、利根川流域では液状化が発生したらしいんだけんど、大火が発生しなかったこと、多数の死者が出なかったこと、地震の起こる4日前には、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きてたりと、時勢は一気に戦争突入モードで、日本中に大きなインパクトを遺した関東大震災から比べっと、田舎で起こったこの地震は、人々の記憶から早ぇスピードで消えちまったらしいんさ。実際、オレが小っちぇえ頃も年寄りは関東大震災の話はよくしても、この地震の話をしたんを聞いたこともなかったしね。「西埼玉地震」ってゆうんも、群馬は被災した感じがねぇようなネーミングだしなぁ。この地震のことは群馬じゃ今ではすっかり風化しちゃってて、全然教訓になってねんがねー。

 さて、こんな大きな地震なら東毛の各市町村史誌にきっと記述があるだんべと思ったら、オレが調べた範囲だと見事にスルーされてて、めっかんなかったぃ。ならば桐生消防署の発行した『桐生消防史』(1982)とゆう立派な記録本なら載ってるだんべと紐といてみたんだけんど、関東大震災については記述があるんだけんど、この地震の件は載ってなかったんさね。なんで、しばらくこの件を調べるのは中断してたんだけんど・・・

 最近石仏関係の調査で手に入れた尾島町誌資料集第二篇『尾島町の石造遺物』(尾島町誌編集委員会:1978)をパラパラとめくってると、p304-305に、こんな記述を発見したで。引用すっと (太字はオレが強調)
 石橋
 長楽寺境内東方蓮池の上に架かる石橋である。後鳥羽上皇が長楽寺に下賜された五枚の勒額の一枚「渡月橋」がこの橋である。もとは木橋であったが、寛政八年(一七九六)に石橋に改められた。

 寛政八年丙辰二月十二日 此度石橋二相成候(東照宮所蔵文書)
 昭和六年九月廿一日大地震ノ際此橋倒壊シタルニヨリ檀中一同二人夫ノ寄附ヲ乞ヒ同七年三月廿七日着手同五月廿日後旧竣工ス
 「渡月橋」は西埼玉地震で倒壊し、その後修復工事が行われたらしいで。東毛に遺る唯一の西埼玉地震の爪跡ってことかね。

 「おおたんの史跡探検スタンプラリー」で長楽寺に再訪したんで、ついでにこの「渡月橋」を見物してみたで。結論からゆうと、被災の跡は全然わかんなかったぃ。まぁ修復したんだからめっかんねぇんはしょうがねぇか。でもこんな頑丈そうなもんが壊れちまうんだから、この辺りも相当揺れたんだんべなぁ。

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長楽寺「渡月橋」:前方は三宝堂

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現地案内板・西埼玉地震での被災の件は全く記載なし


 ここを訪れた8月4日、実は長楽寺に行ぐ前に、宮城沖で3.11巨大地震の余震とされる地震(M6.0)があって、石巻市では震度5強に見舞われたみてぇだで。まだまだあの震災は終わってねぇやぃなぁ。

 「群馬は安全」つー神話?があるけんど、それが「過信」になんねぇように、災害への備えは十分にしてぇもんだぃね。ぜひ地震への備えの一環として、この「渡月橋」の説明板には西埼玉地震での被災の記述もぜひ加えてほしいもんだぃなぁ。>太田市のエライ人

【参考文献・サイト】
 『尾島町の石造遺物』 p304-305 尾島町誌編集委員会 1978
 『桐生消防史』 桐生市消防本部 1982
 「県内で震度4以上を観測した地震(1926年~1988年)について」 (PDF) 前橋地方気象台 2013年8月8日アクセス
 地震調査研究推進本部:群馬県  2013年8月8日アクセス
 群馬の自然災害-黒岩測量設計事務所 (PDF) ‎2013年8月8日アクセス
 「1931年西埼玉地震による災害」 (PDF) 立正大学 2013年8月8日アクセス

(参考:桐生での関東大震災の記録)
 藤井光男 関東大震災と桐生の地震 ―そのとき市民は―  
 (『桐生史苑』(桐生史談会)に掲載されたものを採録したもの:やまの町 桐生) 2013年8月8日アクセス
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by dr_suzuki | 2013-08-08 00:06 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
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Commented by marron_field at 2013-08-08 12:56 x
西埼玉地震、全く知りませんでした。高崎の被害は大変だったらしい。地震のときの記録って大事なんですよね。先の東日本大震災のときも近所の被害写真とるの忘れてるし、早くも記憶があいまいになってきてる。墓石が倒れたとかそういう情報でも地震の規模が想像できる。過去に学ぶ環境があってはじめて対策ができる。長楽寺、帰省したら行ってみっか。
Commented by dr_suzuki at 2013-08-08 16:20
▼marron_fieldさん
昭和50年代の史誌編纂ブームの頃、まっと資料を集めといてくれりゃ良かったんにね。今となっては資料や証言集めるんも大変なんじゃねんかね。
Commented by げきさか at 2013-08-10 20:22 x
この地震は知らなかったです。実家は川本町(現深谷市)なので、寄居から近く、けっこう被害があったはずですが、年寄りからも聞いた記憶がありません。関東大震災の話は祖母から聞いた事があるのですが。
Commented by dr_suzuki at 2013-08-12 13:20
▼げきさかさん
「東京方面が夜に赤かった」と語られる関東大震災・東京大空襲のインパクトから比べると、西埼玉地震は昼間で大火もなかったので、人々の印象に薄しぃんだんべなぁ。説明板も、地震の被災の状況をぜひ一筆加えて後世への戒めとしてほしいやぃなぁ。
Commented by 群馬のつよぽん at 2016-08-02 09:15 x
初めてコメントします。
いつも楽しく、そしてそのフィールドワークには感心しながら読ませていてだいています。ありがとうございます。
現在は太田市内に在住していますが夫婦二人とも出身は他県です。
そんな折り昨日の気象庁のマグニチュード9.1の誤報が気になりではかつての関東大震災で太田はどれくらい被害を受けたのか調べていたら、いつもお世話になっている(太田の歴史や遺跡で)ここへたどり着いたので2度驚きました。
また今後とも貴重な情報を宜しくお願い致します。
Commented by dr_suzuki at 2016-08-02 22:34
▼つよぽんさん
はじめまして。ご高覧いただきあんがとね。
M9.1の誤報はまっさかびっくらこいたぃなぁ。こんな拙記事がお役に立てて何よりだい。また見てくんなぃね。


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