2013年 03月 19日
東武鉄道・治良門橋駅 ~ 開業100周年の日に
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東武桐生線・治良門橋(じろえんばし)駅

治良門橋駅の開業は大正2年(1913)3月19日。
今日が開業100周年の記念日。

オレが大学に入るまで、ここは家から最寄りの駅だった。

ここに来たのは、いったい何年ぶりだろう?

改札にはカーテン。昔のように駅員もいないみたいだ。
駅前の店も既になく、見慣れた菅公学生服の看板もなく、
ところどころに昔の面影はあったけれど
だいぶ辺りの様子は変わっていた。

電車は今でも普通列車が一時間に一本。
特急「りょうもう」は「交換」でホームに停まることはあっても、
そのドアが開くことはない。あの頃も、そして今も。

でも、幼い頃、そんな小さな駅で切符を買って
やってきたクリーム色の電車に乗れば
夢や期待が太田へ、そして東京へとつながっていた。

次の100年も、故郷の子どもたちの夢への出発駅であってほしい。


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東武鉄道・治良門橋駅 (東武鉄道公式) 

※県道太田大間々線から斜めに駅に入っていく100mほどの道って県道だったんだね。
 県道318号・治良門橋停車場線だって。今日初めて知った。
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by dr_suzuki | 2013-03-19 22:03 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(12)
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Commented by ざすっぱ at 2013-03-21 11:32 x
Good old daysですね。素晴らしいエッセイです。こういう文章はやはり標準語がいいですね。
Commented by dr_suzuki at 2013-03-21 12:49
▼ざすっぱ先生
ありがとうございます。たまには共通語モードでやってみっかっつーことで(笑)
Commented by ざすっぱ at 2013-03-22 07:35 x
一つ疑問があります。駅の名前なぜ「じろえんばし」と呼ぶのでしょうか?「じろもん」と呼ばないのでしょうか?
Commented by dr_suzuki at 2013-03-22 12:59
▼ざすっぱ先生
正確には「じろうえもんばし」だったんでしょうが、オレが幼少の頃から「じろえんばし」だったで。ただ地元だと「じろもん」って言ってた人もいるんで、過渡期な時期があったんかもしんねぇね。
数年前、東武公式サイトの治良門橋駅の説明文も天笠次郎右衛門を「天竺」と誤記されてたんで、間違いを指摘して直してもらったんだぃね。(三枚橋や藪塚の説明文も誤記があったんで指摘して訂正)
ちなみに電車内の「じろえんばし」の駅名アナウンスは地元音韻と全く違うで。とゆうか桐生線の駅の駅名アナウンスはどれも東京音韻で地元の人間にはまーず耳障りさね。これも指摘したんだけんど、再録は一蹴されちゃったぃ(´Д` )
Commented by oquya at 2013-03-27 21:41 x
初めまして。以前から拝見しておりましたが、最寄駅が話題に
出たこともあり、コメントさせていただきます。
小学5年の時に引っ越してきて以来、大学の4年間を除き
この駅の最寄りの住人です。
もっとも最近は全く利用せず、最後に利用したのも6年くらい前で
駅員が配置されなくなったのも知りませんでした。終日無人なの
でしょうか?
確かこの100周年の日には朝7時から何か記念品が配られる
という内容のチラシがポストに入っていました。

かなり以前から拝見しておりましたが、近隣の山や名所などの
記事を拝見するたびに、地元のことなのに全然知らないことばかり
だったなあと感じておりました。これからも更新を楽しみにしております。

ちなみに、高校の大先輩にあたるようです。
これほどの郷土愛あふれる方を先輩に持つことができ光栄に
思います。
長文失礼しました。よろしくお願いいたします。



Commented by dr_suzuki at 2013-03-28 08:08
▼oquyaさん
はじめまして。きっとオレと入れ替わりで強戸に来たんじゃねぇんかな?小~高校まで後輩になるみてぇでうれしいよ。
治良門橋、駅員は昼間はいるみてぇだよ。まぁ特急も停まらねぇ駅は不採算路線でもあるし人員削減の方向だんべなぁ。
郷土史シリーズを読んでくれてるんかぃ!マニアックすぎて、はぁ読者もついて来られねんべなぁと書いてる本人も思ってるんだぃね(笑) 主に旧新田郡界隈+αがオレの興味の対象エリアなんで、また戯言書いてると思うんでまた読んでコメントしてくんなぃ!(近々また怪しい探検を計画中)
Commented by じろえもんばし at 2013-06-20 13:58 x
高崎の「じろえもんばし」です。
久々にお邪魔しましたら、何と懐かしい原風景。しばらく見とれておりました。商店跡の写真、角ばった三間半間口の方は、江原商店さん(お菓子屋)、隣右側は通称「ヨシダ」さん(昔風には十銭みせ、俗に駄菓子屋さん)で、狭い方の駅前通りに住んでいたときは、日参してました。当時『当て袋』(古雑誌の紙を袋にした子供向けの福袋)が大人気でした。
あと、女子学生のバックに写っている倉庫様の建物は、丸通(日本通運)の穀物搬出入保管庫で、すぐ脇に貨物線が引き込まれていて、トラックからは、まったく人力で作業していました。また、その前には停留所があり、東武バスが生品経由で尾島まで走っていました。南東側の風景では、何かの石碑が昔の駅のトイレを隠すように建っていたと思いますが、何の碑か覚えてません。55年前の話です。現住の西毛生活が長くなり、東毛弁が話せなくなってしまいました。ではまた。
Commented by dr_suzuki at 2013-06-20 16:05
▼じろえもんばしさん
喜んでいただけたようでうれしいやぃ。当て袋とか「ニッキガミ」(←これは太田の町の人はあまり知らないんだけど)とかあったよねー。
バスは、今の太田大間々線を通って旧太田病院経由太田駅行きとか、県道伊勢崎足利線旧道を通った足利行きとかあったんだよね。(どっちも乗ったことあるで)
保管庫の前には石積みもあったよね。駅の北東側は結構広ぇスペースがあるんだけんど、あそこには何かの貨物の引き込み線でもあったんかねぇ?
Commented by じろえもんばし at 2013-06-20 22:43 x
北東側は本線に対し側線の形で、貨物の待避線が上りホームを挟む形で敷設されていました。電架線はありませんでした。保線用の足漕ぎトロッコも留まっていましたね。東武のバスに乗られたご経験があるとか、お若い方と推察してましたので、チョットびっくり。当方、赤城・浅間の70年卒です。
Commented by dr_suzuki at 2013-06-21 12:43
▼じろえもんばしさん
そーなんかぃ!オレは貴殿より一回り若ぇけんど、バスはまだギリギリあったで。女性の車掌さんが乗ってたよ。
あと石碑は「開業記念碑」だけんど、彫が薄くってよく読めねんさね。
Commented by じろえもんばし at 2013-06-21 21:19 x
開業記念碑だったんかい。意外だったで。「観音さま」ってみんなが呼んでいたり、はたまた何かの行幸か、戦争の慰霊碑なのか、いろいろ思いめぐらしてたんだけんど。あと、この一連の写真もらって(コピペして)いいかや。個人的に眺めるに留め、他には流用しねぇからさぁ。
Commented by dr_suzuki at 2013-06-22 09:31
▼じろえもんばしさん
こんなヘタレな画像でいんなら、どーぞどーぞ!


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