八王子丘陵尽端・菅塩山崎の杉林の丘に未知?の青面金剛
アッタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!
奥の社殿は天満宮
ネットの石仏マニア(ハンター)の方々と青面金剛っつー石仏をめっけて
分布マップを作ってらぃね。最近は青面金剛だけじゃなくって、二十二夜/十九夜待の如意輪観音や馬頭観音も積極的に蒐集。どの石仏も、この地方ならではの色濃いローカリズムがあって、これがなかなか奥が深ぇやぃ。それに石仏関係でネット上で、これほどディープな
集合知の試みはねんじゃねんかと自画自賛(笑)資料の多くは昭和50年代の地域史誌編纂ブームで各市町村で編まれた史誌を元に探索をしてるんだけんど、はぁそれから30年近く経過してるんで、実際に行ってみっと開発で行方不明になってたり、あるいはそうゆう元々の資料の編集が酷く
杜撰だったりして、記載漏れが多数あったり、存在場所がざっくり「大字」でしか書いてなかったりする(そんなんで公的機関が出す資料と言えるんきゃ?と問い詰めてぇ気分)んさね。(桐生市に至ってはそういう資料すらねぇし) まぁそういう資料に載ってねぇもんをめっけると、それはそれでうれしいんで、杜撰な資料もいいんだか、悪りぃんだか(笑)とはいえ、今のうちにめっけて、市町村横断的にまとめておかねぇと、50年後ぐれぇには今あるんもめっけるんは困難になるんじゃねぇかとも思わぃね。
太田市には『太田市史』がまとめられる前の1976年に石造物の資料として『太田市石造美術調査報告書』ってゆうんが出されてるんだけんど、当時の編集委員のやる気が今ひとつだったんだか、これが結構記載漏れが多いんだぃなぁ。こないだ仲間の
岩魚さんが、太田市菅塩町でこの『太田市石造美術調査報告書』に載ってねぇ青面金剛を発見したんさね。オレのホームの八王子丘陵となれば、こりゃ行って見るっきゃなんねぇやぃ!
場所を教えてもらったんでオレも金曜朝の出勤途中に行ってみたんさ。場所は、八王子丘陵の南のまさに尽端部分。画像の杉林のあたりさね。この時期に杉林の中に行ぐんは「自殺行為」だぃなぁ。
ここは小字・山崎。山の先だからヤマザキってことなんだんべな。道路から丘に目をやると、すぐ目の前の杉林中の斜面にあっけなく青面金剛、アッタ━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!! 失敬して丘を登って青面金剛を撮影。
右の青面金剛:元禄13年(1700)
同時代のもんから比べるとちっと稚拙、でもそれが味を醸し出してるともゆえる(笑)
左前手は何持ってるんか不明
左のちっちゃい合掌六臂:天明6年(1786)
これもなんともいえねぇ味
左側面に「庚申塔」って彫られてる
いやぁ『太田市石造美術調査報告書』に載ってねぇ青面金剛が
こんなところ(Yahoo!ロコ)でめっかるとは!この場所のすぐ近くには、よく利用してるコイン精米所があって、その近くに天満宮があるんでコイン精米の順番待ちに、そこで石仏探索してたこともあったんだけんど、こんな近くなんに、この青面金剛の存在には全く気づいてなかったんさ。杉林の下草をキレイに刈ってくれたんでめっかんたんだねぇ。地元の人なら、もちろん知ってたんだろうけんど、往時の報告書の調査委員もその存在を全く知らなかったんきゃ?オレたちみてぇな物好きがいなかったら、長らく世人の目に触れることもなかったんだんべなぁ。・・・何よりまだまだ八王子丘陵を極めてねぇことに反省(笑)
今後も両毛地区の各種石仏の分布マップの精度を高めるべく、がんばっていきてぇね。
【参考文献&ブログ】
・『太田市石造美術調査報告書』 (1976)
・
庚申塔を訪ねて (岩魚さんのブログ)
・
青面金剛像撮影ブログ (焼きそば君さんのブログ)
・・・お二人とも未知の青面金剛を探し出す、恐るべき嗅覚(笑)を持ってるんだぃねぇ。
《Google Map 作成中》
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