矢抜神社の「疱瘡神塔」 (太田市新田中江田町)・文政5年(1822)
明治9年に強制種痘が行われるまで、それ以前は疱瘡(天然痘のこと:痘瘡とも:1980年にWHOが撲滅宣言)は生涯に一度は罹らなければならねぇ病気だったんさ。命が助かっても、顔に痣を残したりするんで、当時致死率の高かった麻疹とともに「
疱瘡は器量定め、麻疹は命定め」って諺があるぐれぇさね。
もちろん当時の人たちはウィルスや伝染病のこともわかんなかったんで、「疱瘡は他郷からやってくる」と考えられてたんさ。なんで丁重な祭りを行って速やかに村から立ち去ってほしいと考えてたんだそうだぃね。
そんな「疱瘡神」を祀った石祠が、中江田の矢抜神社にあるってゆうんで行ってみたんさね。
中江田の矢抜神社・・・遠目からはあそこだってすぐわかるんだけんど、たどり着くまでの道はおーか細ぇんで注意してくんない。
最初、本殿裏手北側に行ってみっと石祠が数基あったんだけんど、どこめっけても「疱瘡神」の銘が入ったもんがめっかんなかったんさ。
寒みぃし諦めて拝殿の西のほうに行ぐと石祠2基発見。北側の祠は稲荷社だったけど崩れてたぃ。南側の祠は・・・あった!
「疱瘡神」の銘あり!
図書館で文献調べてみっと、旧新田郡4町(笠懸町・薮塚本町・新田町・尾島町)にはそれぞれ疱瘡神の祠があるんみてぇだで。(旧太田市や桐生広域は調べてねんだけんど) 他の旧町でもめっけてみんべぇ。
中江田・矢抜神社 (Yahoo!ロコ!)
【参考文献】
『病が語る日本史』 酒井シヅ 講談社学術文庫 2008 ←おもしろかったで!
『新田町の石造物と金工品(新田町誌基礎資料4号)』 1977
『薮塚本町誌上巻』 1992
『笠懸村誌・別巻ニ』 1983
『尾島町の石造遺物』 尾島町誌刊行委員会 1978
実は・・・石仏マップの一環で、こんなもんも作ってみたんさ。
両毛の「医療系石造物」 マップは
こっち!(GoogleMapへ)
まだデータはちっとんべっきゃねぇんだけんど、おいおい充実させて行ぐんべぇか・・・それにしてもマニアックの極みだぃね(笑)