2012年 12月 03日
桐生うどんの里 (桐生市川内町)
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桐生うどんの里 (桐生市川内町) の もりうどん(大盛)/薬味にはワサビ

 崇禅寺の紅葉見物の後は、昼食とゆうことで、げきさかさんと川内の桐生うどんの里 (有)中里商店へ。

b0004675_17114369.jpg ここは半生うどん「あづまうどん」を作ってるんだけんど、うんまいんさね。川内には吾妻山への古の本道があったんだから、「あづまうどん」はここにあってしかるべきだぃなぁ。製麺所だけじゃなく、食事処もあるって聞いたんで寄ってみたんさ。(画像はお店の前から吾妻山を望む) ここで、うどんの手打ち体験もやってるんだと。オレは一度うどん打ち(ぶち)やってみてぇんだぃなぁ。


 実はオレはうどんが大好き。圧倒的に「うどん」>「そば」さね。東毛じゃ、昔はうどんは「ハレの日」の食べ物にもなり、そばより格が上なんだと。オレは初めての店では、どんなに寒くっても「もりうどん」(冷)を頼むで。これを食べれば、その店の実力がわかる気がすっから。で、桐生うどんの里さんのうどんは、ツヤもあってコシがあってノド越しもよくって、美味!オススメできる逸品さね。

 うどん食いながら、げきさかさんに、今後の山行のご相談。 またぜひマニアックな所にいってみんべぇ。

b0004675_1735370.jpg桐生うどんの里(公式)
 ・・・灰皿もなかったんで禁煙だと信じてぇ。うどん屋や蕎麦屋は禁煙だんべ?とは思うんだけんどね。桐生界隈のうどん屋は禁煙のところが少ねんだぃなぁ。


(12月2日吾妻山編、了)

 ※桐生うどんは東毛のソールフードに分類しとくかね。余談だけんど桐生は「うどんの街」として売り出してるんだけんど、なぜか「カレーうどん」がイチオシ。そんな妙な変化球かまさなくっても、十分シンプルに「うどん」だけでいんじゃねぇかと思うし(実際うんまい店も多い)、いっそ織都・桐生らしく「ひもかわ」メインで売り出しゃいんにと思う。何のうどんを前面に市全体で推すか決まってねぇ、そんな中途半端感が「うどんの街」の浸透度が今ひとつの原因だと思うんだけんどね。

 それと桐生の店じゃ画像のように「うどんの薬味にワサビがついてくる」んがキホンだぃね。オレは全然違和感ねんだけんど、東京の人にゆわせっと「ワサビはそばについてくるもんで、フツーうどんにはつきませんよね?」だそうだぃね。

今後は「うどんにワサビ」な食文化のエリアはどこまでなんかぜひ調べてみてぇやぃね。

【追記】
2013年11月再訪して桐生地区ローカルの「ひもかわ」を食ってみたで。モチモチしててうんまかったで。
これでもここいらへんの伝統的な「ひもかわ」よりはちっと幅広さね。
・・・巾10cmとかじゃ、キワモノだんべ。
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ひもかわ・もちろん薬味にはワサビ

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by dr_suzuki | 2012-12-03 17:21 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(10)
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Commented by げきさか at 2012-12-03 22:55 x
ここのうどんはおいしかったですね。

もりうどんのワサビについては、
私も全く違和感はないです。
これから他所でうどんを食べる時に
注目してみます。
Commented by ざすっぱ at 2012-12-04 10:43 x
桐生に行くとお持ち帰りうどんが出来る店が多いので吃驚します。二毛作ができる群馬では粉食の伝統があり、戦後の食糧難の時もうどんを食べて生き延びたんですね。群馬ではおっきり込みなどの食文化も発達したわけです。桐生のうどんはさっぱりしていて、こしはあまりないのでカレーうどんを推奨しているのだと思います。日本3大うどんは「讃岐」「名古屋のきしめん」「稲庭」と言われています。確かにつるつるうどん「桐生ひもかわ」で勝負すればいいかもしれません。
Commented by dr_suzuki at 2012-12-05 12:06
▼げきさかさん
いろいろお世話になりました。ヘタレですみません。今後共よろしくです。
Commented by dr_suzuki at 2012-12-05 12:08
▼ざすっぱ先生
昔の東毛(群馬)の女性は、花嫁修業に「うどんがぶてる」ってゆうんがあったみてぇだかんねぇ。
カレーうどんも美味けりゃいんだけんど、カレーうどんで勝負しようとしてる時点で「うどんの街」を名乗るのは本末転倒な気がするんさね。
Commented at 2012-12-05 12:42 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dr_suzuki at 2012-12-05 13:15
▼鍵コメさま
桐生に来た時は食ってみてくんなぃ!
水沢うどんも美味しいと思うで(でもどこも量が少ねんだぃなー)
Commented by snow_air at 2012-12-05 20:54
もりうどんにわさびって違和感・・・
まぁ、私はお蕎麦派なんですけどねw
ってか、この間セブンイレブンの冷うどん買ったら、わさびが付いてたのに
びっくりしましたけど(ノ´∀`*)
Commented by dr_suzuki at 2012-12-05 21:06
▼snowさん
オレは、もし桐生界隈でもりうどんにワサビがついてねぇと、小一時間問い詰めてぇ気分だで(笑)
Commented by 特殊鋼関係者 at 2015-10-04 20:22 x
 うどんは公家さんが中国から持ち込んだのが定説で、京都を中心に伝播したのが一般的な見方。一方、蕎麦は縄文文化圏が強く残った地域で、おおむねフォッサマグナの以東がその領域である。しかし不思議なのは、出雲(島根県東部)と伯耆(鳥取県西部)の国は飛び地のように蕎麦の文化圏であるのがモータリゼーションが起こる前の食生活統計の調査で出ている。
 出雲と伯耆ときいて古事記を思い浮かべる方は碩学である。そうこれは国産み・神産みの女神、イザナミ神の墓所(島根県安来市の比婆山)があると古事記には記されている。この符合は偶然なのか?
それではつまらない。この分布は弥生時代に栄え、古墳の先取りをした四隅突出墳丘墓の日本海側の分布と符合するからだ。太平洋側にはまったくなかった高度な世界が当時は日本海側に広がっていた。
 そこで私は思うのだ。縄文期の文化と融合した渡来人が古代出雲で、それと違う流れの渡来人が西日本に流入し始め、古代日本を作ったのだと。だからこそ日本神話が天皇にそれほど都合のよいことでない出雲をなかなか消せなかったのだと。それが日本の文化のいいところでもある。基本は正直なのだ。
 弥生時代になると、アメリカ映画の西部劇のようなもので、縄文的人々は東部へ東部へとおしやられていく。そのなかで、最後まで最西の出雲は残ったし、西日本系の政権は、軍事的ではなく文化的進行に切り替えたので、昭和時代までこのような食文化の分布図が残ったのではないだろうか。
 どうして縄文的弥生人は出雲を死守したかったのか?答えは出雲大社を含め、松江、安来などの場所に残る、考古学、神社巡りなどを行うことが必要だと思い、退職後の大きな観光計画となっている。
Commented by dr_suzuki at 2015-10-04 21:52
▼特殊鋼関係者さん
この間ケンミンショーで「出雲そば」を見たよ。一度出雲にも行ってみてぇやぃね。


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