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2012年 11月 05日
東禅寺角塔 (桐生市川内町)
東禅寺角塔 (桐生市川内町)_b0004675_1733759.jpg
東禅寺角塔 (桐生市川内町)

 11月の連休2日目。まっさか朝から良い天気だったんで、午後に思い立って、前から行ってみっかと思ってた桐生市川内町1丁目の東禅寺に行ってみたで。

 ここには新田義貞公と関係があるらしいっつー「角塔」があるらしいんさ。

東禅寺角塔 (桐生市川内町)_b0004675_1733188.jpg 車で参上。川内あたりは紅葉始まってっかなぁと思ってたんだけんど・・・いまひとつ。東禅寺到着・・・って、いやぁ東禅寺は予想以上に立派な古刹。立派な本堂。墓地もおーか広ぇし。どこに「角塔」があるんかなぁと探すことしばし。おおっ、その広ぇ墓地の一角に「角塔」があったで。


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角塔婆 一基(高さ87cm)
(1338;建武5年(北朝年号)/延元3年(南朝年号))
左側面に建武五年と彫られてるそうだぃね。(オレはよくわかんなかった)

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現地説明板


 それにしてもどうしてこの旧山田郡の地に、義貞公関連と思わせる角塔があるんだんべか?

 ググってみっと・・・

東禅寺角塔 (桐生市川内町)_b0004675_17142949.jpg 東禅寺を紹介したホームページ によれば
 現在の群馬県世良田にある長楽寺は、その昔臨済禅の名刹であり、常に数多くの雲納、僧侶が参集し、修行伝道の大道場であった。時の長楽寺単寮より法を受けた南海宝州は上州小倉村に来錫し字釈迦堂に小庵を結び郷民の摂化伝道に勤め、後に当地に堂宇を建立し、縁師仏乗禅師を勧請し瑞雲山東禅寺を開創したのである。時に正中2年(1325年)3月であった。
 降って建武3年(1336年)新田義貞公は、出兵に当り園田七郎秀成の実子園田四郎左衛門尉秀澄を家臣に加え、一族の戦勝を祈念して東禅寺へ「毘沙門天像」を寄進し、寺領を奉納した。しかし武運つたなく建武5年(1338年)7月両者共に戦死した。市指定文化財「建武の碑」は、その供養塔と思われるものである
 だそうだぃね。

 こないだ(2012年5月)新田神社に遺されてる義貞公の旗揚げの際に使われたっつー中黒の軍旗は、現桐生市川内町内で織られたとされる仁田山紬を旗印に用いたらしいって記事が桐生タイムスに載ってたんさ。 そんときはなんで川内町が新田義貞公と関係あるん?って思ったてたんだけんど、川内地区と新田一族はやっぱ深けぇ関係があるんかもなぁ。

 東禅寺のこの角塔のちっと東っから、桐生市民愛する吾妻山に登るルートがあるんだと。今は吾妻山への登山ルートはもっぱら桐生市街からだけんど、『山田郡誌』 (1939:昭和14年)から、以下に引用するように(太字はオレが強調)昭和の頃まではこっちが本道だったらしいで。

吾妻山
 川内村大字東小倉字吾妻澤の東に峙立し、嶺東は桐生市に属す、鳴神山脈中の名山なり、海抜四八一米。山骨は古生層の珪岩より成り、山頂は所謂球状山頂にして頂上に石祠を存す。この石祠は上野國志に「東權現 桐生の西北高山の上にあり、祭日本武尊」とある吾妻神社なり、本社は明治三十年廃社となる。この山は桐生市の附近にては比較的高山なるを以てその名夙に著る、近時学生等の登山するもの年と共に多きを加ふ。登路は四條あり、西方川内村大字東小倉字吾妻澤より登るを本道とす、他は東方桐生市光明寺澤及村松よりするもの及南方小倉峠より尾根傳ふに上るものなり、この中につき東方光明寺澤より登る時は緩傾斜坂と急坂とを二囘重ねて頂上に達すべし、この急坂の所在は斷層崖を示すものならん
 実は・・・オレはまだ吾妻山は未登頂なんで、もし登る機会があったら、桐生市街からじゃなくって、ぜひこの「本道」から登ってみてぇやぃな。

 あと東禅寺に行ったもうひとつの目的は・・・『上州の近世石造物2』(1986)に宝永7年(1710)の青面金剛があると記載されてるんで、それも探しにいったんだけんど・・・見つかんなかったぃねorz 広すぎてどこにあるんかわっかんねぇやぃな。

 いちよー「新田氏関連史跡巡り」タグにも加えとくかね。

東禅寺角塔 (桐生市川内町)_b0004675_23314267.gif 東禅寺 (Yahoo!ロコ)



【参考文献&サイト】
『山田郡誌』 (1939)
『上州の近世石造物2』 (1986)
臨済宗 瑞雲山 東禅寺 (桐生仏教会公式サイト)
東禅寺角塔 (桐生市ホームページ)

【追記】
せっかくなんで「本道」から吾妻山に登ってみたで。
 川内・東小倉から吾妻山へ ~ 古の吾妻山本道を行く (2012/12/2)

by dr_suzuki | 2012-11-05 17:43 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)


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