2012年 08月 12日
小手指ヶ原古戦場 (埼玉県所沢市)
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小手指ヶ原古戦場 (埼玉県所沢市)

 せっかく所沢の西武ドームに行ぐんなら、新田氏関連史跡めぐりの一環として、一度は行ってみんべぇと思ってた場所があるんさね。それが新田軍vs幕府軍の緒戦となった小手指ヶ原古戦場さね。

 所沢ICから所沢の町中を抜け(高層建築が多くってびっくりさね)、所沢市埋蔵文化財調査センターの南にその古戦場跡はあるっつー話だけんど、カーナビがぼっこわれてるんで、土地勘皆無で行ぐんがまっさか一苦労さねorz

 国道463号線(所沢入間バイパス)を西に行ぐと、「誓詞橋(せいしがはし)」という交差点があるんさ。そこの誓詞橋は小っちゃな橋で新田義貞公が所属した軍兵に忠誠を誓わせた所と伝えられてるんだそうだけんど・・・車からなんで、見逃しちまったよorz ここはその昔、鎌倉街道と青梅街道が交わる交通の要衝だったっつー話。

 この辺は、フツーに茶畑がそこかしこにあるんが群馬と違うんね。埋蔵文化財調査センターの南、保育園と道を挟んだ畑の一角に古戦場石碑があったぃね。
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現地説明板

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後方は白旗塚

 『太平記』によれば
 元弘3年(1333)5月8日、生品神社で一族と共に倒幕の旗揚げをした義貞公は八幡庄で、越後の一族と合流。武蔵に侵攻した新田軍は周囲の地域の軍兵を衆合し、鎌倉街道を南下。5月11日、ここ小手指ヶ原で鎌倉幕府軍と最初の一戦を交えたんだぃね。30回余りの激突で新田軍は300余騎、幕府軍は500余騎の戦死者を出したとゆう。双方陣を引き、体制を立て直した新田軍が翌12日幕府軍を撃破。新田軍は幕府軍と久米川、分倍河原で攻防を繰り返しながら、鎌倉へと進撃。そして22日鎌倉幕府は滅亡するんだぃね。戦闘は何よりも緒戦が大事っつーことさね。

 『太平記』では、こう記す。
・・・ 路次ニ両日逗留有テ、同十一日ノ辰刻ニ、武蔵国小手差原ニ打臨給フ。爰ニテ遥ニ源氏ノ陣ヲ見渡セバ、其勢雲霞ノ如クニテ、幾千万騎共可云数ヲ不知。桜田・長崎是ヲ見テ、案ニ相違ヤシタリケン、馬ヲ扣テ不進得。義貞忽ニ入間河ヲ打渡テ、先時ノ声ヲ揚、陣ヲ勧メ、早矢合ノ鏑ヲゾ射サセケル。平家モ鯨波ヲ合セテ、旗ヲ進メテ懸リケリ。初ハ射手ヲ汰テ散々ニ矢軍ヲシケルガ、前ハ究竟ノ馬ノ足立也。何レモ東国ソダチノ武士共ナレバ、争デカ少シモタマルベキ、太刀・長刀ノ鋒ヲソロヘ馬ノ轡ヲ並テ切テ入。二百騎・三百騎・千騎・二千騎兵ヲ添テ、相戦事三十余度ニ成シカバ、義貞ノ兵三百余騎被討、鎌倉勢五百余騎討死シテ、日已ニ暮ケレバ、人馬共ニ疲タリ。軍ハ明日ト約諾シテ、義貞三里引退テ、入間河ニ陣ヲトル。鎌倉勢モ三里引退テ、久米河ニ陣ヲゾ取タリケル。

  また義貞公亡き後の、正平7年/文和元年(1352)2月、義貞公の遺児、新田義宗が朝敵・足利尊氏と戦った「武蔵野合戦」の舞台の一つにもなってるってゆう因縁の場所さね。(→足利軍が勝利し、新田義宗は越後に敗走。鎌倉を一時奪還した新田義興・脇屋義治らも、この敗戦の報を知り鎌倉を脱出。関東での南朝方の勢力はこれ以降衰微することになるんだぃね)
 武蔵野合戦事
三浦ガ相図相違シタルヲバ、新田武蔵守夢ニモ不知、時刻ヨク成ヌト急ギ、明レバ閏二月二十日ノ辰刻ニ、武蔵野ノ小手差原ヘ打臨ミ給フ。一方ノ大将ニハ、新田武蔵守義宗五万余騎、白旗・中黒・頭黒、打輪ノ旗ハ児玉党、坂東八平氏・赤印一揆ヲ五手ニ引分テ、五所ニ陣ヲゾ取タリケル。一方ニハ新田左兵衛佐義興ヲ大将ニテ、其勢都合二万余騎、カタバミ・鷹ノ羽・一文字・十五夜ノ月弓一揆、引テハ一リモ帰ジト是モ五手ニ一揆シテ四方六里ニ引ヘタリ。一方ニハ脇屋左衛門佐義治ヲ大将ニテ、二万余騎、大旗・小旗・下濃ノ旗、鍬形一揆・母衣一揆、是モ五箇所ニ陣ヲ張リ、射手ヲバ左右ニ進マセテ懸手ハ後ニ■控ヘタリ。敵小手差原ニアリト聞ヘケレバ、将軍十万余騎ヲ五手ニ分テ、中道ヨリゾ寄ラレケル。先陣ハ平一揆三万余騎、小手ノ袋・四幅袴・笠符ニ至ルマデ一色ニ皆赤カリケレバ、殊更耀テゾ見ヘタリケル。(以下略)

 石碑自体はシンプルなもんなんで、ちっと西側にある「白旗塚」にも行ってみた。

 ここに義貞公は陣を張り、源氏の旗印とされる白旗を立てたっつー伝承があるそうだぃね。もともとは古墳らしいんで、せっかくなんで上ってみっか。

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石碑隣の農地の花/白旗塚墳丘へ
登口横の石碑/墳丘上・富士講の石碑もある

登口の石碑の碑文の中には「古武将の御魂祭れりこの塚を護り通せと先祖より受 此の塚を壊せし者は忽ちに霊魔を受けて死するやもあり」とある((((;゜Д゜)))

 しかし古戦場跡ってゆっても、あるんはシンプルな古戦場碑だけだし、車もおーか停めづれんで見学してぇ人は注意してくんなぃ! →同行のセガレたちの意向など完全無視のオヤジの歴史見学だったぃね(^^ゞ 待たせたな、さぁ西武ドームへ行ぐんべぇ!

(8月10日所沢編・了)

b0004675_23314267.gif 小手指原古戦場の碑 (Yahoo!ロコ)


【参考文献&サイト】
 『太平記』
 現地案内板
 小手指ヶ原古戦場 (所沢市ホームページ) 
 峰岸純夫 人物叢書239 『新田義貞』 p175-179 吉川弘文館 2005
 山本隆志 『新田義貞―関東を落すことは子細なし (ミネルヴァ日本評伝選)』 ミネルヴァ書房 2005
 週刊『名将の決断』No.47 p10 朝日新聞出版 2010
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by dr_suzuki | 2012-08-12 12:23 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(2)
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Commented by osato9115 at 2012-08-12 18:26
息子さんのお友達の衝撃は、きっとかなりのものですね(^^;)
野球を観に行く途中に何!?ってビックリしたに違いありません(笑)
Commented by dr_suzuki at 2012-08-12 22:55
▼Osatoさん
セガレの友人Y君に「あのー・・・・ヲタクなんですか?」とストレートに聞かれちゃった。そうしたら横からセガレが「・・・これだけじゃないよ・・・いろいろヲタクだから・・・いろんなところに引っ張り回されるんだよ」と説明とも諦めともつかない言葉(笑)


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