2012年 04月 05日
京都鴨川・三条大橋 ~ 高山彦九郎皇居望拝像
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鴨川・三条大橋

 スィーツネタなんかべぇ載っけてると、なんだかオレのブログじゃねぇみてぇだんべ?と思って、オレのブログに相応しい?ネタも用意してるで。

 せっかく京都にまで行ったんで、新田義貞公関連の史跡にも行ってみっか・・・嵐山の滝口寺には義貞公の首塚があるとゆうし、幾多の合戦の舞台になった比叡山系も興味があるんだけんど・・・どっちもおーか遠すぎだし、そんな時間もねぇし、何よりヲタすぎて家族に大反対されそうだし(笑)

b0004675_12442243.jpg といゆうわけで、京都市内でどっかねぇかとゆうことで「三条大橋」を選択。みなとや/六波羅蜜寺から西へ出て、鴨川左岸を歩って北上して歩ってぐことにしたんさね。(予想以上に距離もあったし、北風が冷たくてorz)

 途中、「出雲の阿国」像もあったで。


 義貞公は後醍醐天皇の親政に反旗を翻した賊軍・足利尊氏を追討するために東進したものの箱根竹ノ下の戦いで敗れ、京に敗走。建武3年(1336)正月、入京した尊氏軍と三条河原付近で交戦(東に新田軍、西に足利軍が布陣したとゆう)この京都合戦で新田軍は執事の船田義昌(船田入道)や臣下の由良左衛門尉をはじめ、千人余りが討ち取られたとゆう。(『太平記』『梅松論』) ・・・ただ船田義昌は実は以後も生存してて、新川の善昌寺で義貞公の菩提を弔ったともされてるんは、過去の善昌寺の探訪記の通りさね。

 その後、後醍醐天皇の命で越前に下り再起を図るも、武運拙く、藤島の地で不慮の戦死を遂げた義貞公の御首は、三条河原に晒されたともゆわれてらぃね。

 そして三条大橋の東詰、三条京阪には、こんな像があるんさ。

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高山彦九郎皇居望拝像
 これはよく誤って「土下座」とゆわれてるらしい

 
b0004675_12511673.jpg 高山彦九郎(1747-1793)は江戸時代後期の尊皇思想家で、上野国新田郡細谷村(現在の群馬県太田市)生まれ、新田義貞に従い新田十六騎とゆわれた高山遠江守の子孫だったらしいで。吉田松陰ら、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人さね。そんな郷土の偉人が、ここ京都に銅像として建てられてるんだぃねぇ。(この像は2代目。初代は太平洋戦争中金属回収令で供出しちゃったんだと)

 銅像のその眼差しは、土下座みてぇに赦しを懇願するようなもんじゃねぇだんべ?


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現地案内板


 彦九郎は三条橋上で御所に向かい平伏して「草莽の臣高山正之」と名乗り、等持院(現京都市北区)で足利尊氏の墓碑を鞭で打ったりしたんだそうだぃね。やるねぇ!

 三条大橋 (京都観光Navi) 
 太田市立高山彦九郎記念館(公式)  
 ・・・オレの高山彦九郎記念館の探訪記事はこっち、彦九郎を祀った高山神社の探訪記はこっち

 と、強引に新田義貞公関連史跡タグの記事として、今回の京都編は、これにて了・・・いつか滝口寺にも行ってみてぇやぃなぁ。
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by dr_suzuki | 2012-04-05 12:57 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(3)
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Commented by ざすっぱ at 2012-04-06 11:07 x
昔、旧高山神社に行ったことがあります。何処だったんでしょうか?風情はあったような思い出があります。
Commented by ざすっぱ at 2012-04-06 11:15 x
無軌道庵の3年前に記事がありました。本町にあるですね。
Commented by dr_suzuki at 2012-04-06 12:11
▼ざすっぱ先生
高山神社は本町、記念館は生家があった近くの細谷町にあるで。


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