温泉神社 (太田市藪塚町湯ノ入)
話は
八王子丘陵の藪尾根探検進撃前へ戻るで。
八王子丘陵の探検の前に、まずは湯ノ入地区での山歩きの安全を祈念し、湯ノ入の鎮守である温泉神社に参拝することにした。実はオレはまだ温泉神社に行ったことがなかったんさね。こっから湧出する冷泉が「藪塚温泉(鉱泉)」の源泉になってるって話だぃね。・・・そういやよく考えっと、オレ薮塚温泉に、はぁ40年ぐれぇ入ったことがねぇや。
かの田山花袋が『東京近郊一日の行楽』(1923)や『温泉めぐり』(1926初版)で、山向こうの西長岡鉱泉を絶賛してるんに比べて、薮塚鉱泉は結構辛辣に書かれてるんだぃねぇ。でも両鉱泉ともに「胃腸と神経痛には効能がある」と評価も高ぇんさ。このブログでもよく取り上げてる『藪塚鉱泉案内』は1926年発行で『温泉めぐり』とほぼ同時期に出てるんさね。その当時は、この辺は花袋に取り上がられて、しかも東京近郊の手軽な鉱泉地として、まさに一世風靡してた時代なんだんべねぇ。
その前の明治初期の『上野国郡村誌』新田郡藪塚邨 ではどうかとゆうと、こう紹介されてるで。
冷泉
岩理水(イハタリ)
村ノ東南ニアリ、字湯入ト云フ、山下岩石ノ間ヨリ湧出ス、水旱アリト雖ドモ曽増減ナシ、実ニ天正中ニ在テ始メテ之ヲ発見スト云フ、初メ邨ニ疝気ヲ患フルモノアリ、之ヲ治スルコト多年醫薬モ功ヲナスコト能ハス、偶此泉ヲ得テ之ヲ温メテ七八十度ニ至リ、朝夕之ニ浴ス、積ムコト十餘日、稍其効ヲ見ル、後卒ニ之ニ因テ以テ平癒セリ、是ヨリ邨民益之ヲ用ヰ遂ニ小室ヲ其側ニ結テ以テ来浴ニ便ニス、元文中ニ至リ浴場ヲ設ケ官ニ税シテ業ヲ営ムモノアリ、天明文化ノ間ニ至リ其名頗遠近ニ著レ浴客ニ多シ、其後漸衰ヘ前日ノ如キコト能ハス、明治八年請フテ泉質ヲ分析ス、炭酸曹達・炭酸加里・炭酸石灰・炭酸苦土・酸化鉄・珪酸・遊離炭ヲ以テ之ヲ成スト云フ、小瘡梅毒疝気痔疾等ニ効アリ、浴場二所、逆旅二所、浴客歳凡七千人
社
温泉社 東西十五間南北十壱間、面積百七拾二歩、村ノ東南ニアリ、祭神大名持命・少彦名命、祭日同上、境内雑社五坐アリ、冷泉此地ヨリ発ス
げきささかんと温泉神社へ。県道の脇に石碑が建ってるんだけんど、車だと駐車場がねぇやぃね。
現地案内板
やっぱ温泉には伝説が重要さね
参道の脇に、横穴があるんだけんど、これは古墳なんだんべか?境内には『藪塚本町誌・上』(1992)では寛文年間とされる、上の元文の時代より半世紀古りぃ庚申塔があるんさね。(主尊が青面金剛じゃなくって地蔵タイプ。半分埋んまってるけんど)こりゃなかなか由緒ありそうな神社じゃねーきゃ。
湯元温泉神社入口/参道の脇に横穴/古墳の石室?
参道の石段/拝殿/境内の石仏群
地蔵型庚申塔(古りぃもんで貴重なんさ)/失敬して薬師堂内を撮影/温泉標識
そして、げきさかさんと2人、拝殿に参拝して、八王子丘陵の藪尾根に進撃するのであった・・・(この神社のある山は「鎮守山」とゆうらしいんだけんど、後からGPSデータでみっとピークを踏んでなかったぃね orz)
オレも今度ぁ久々に効能抜群ってゆぅ薮塚温泉に入ぇってみるとすっかな。ふ◯じまの日帰り入浴がもうちっと安しぃといんだけんどね。
【参考文献】
田山花袋 『東京近郊一日の行楽』 「藪塚と西長岡」 p123-126 博文館 1923
→国立国会図書館・
近代デジタル化ライブラリーで読めるで。
田山花袋 『温泉めぐり』十五~十七、1926 (岩波文庫(復刻)2007)
今井武八郎 『藪塚鑛泉案内』北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『上野国郡村誌』新田郡藪塚邨
『藪塚本町誌 上巻』 薮塚本町誌編纂室 薮塚本町誌刊行委員会 薮塚本町 1992
『藪塚山地名一覧表(俗称)』 藪塚本町誌編纂室 1983
藪塚本町山と緑の会会報 『ニュース山と緑』
『藪塚本町古地名古道名地図』 群馬県歴史散歩の会藪塚本町支部 1998