2011年 12月 23日
東毛漫遊山歩き、ホーム八王子丘陵編。今回は、この1年の総括なんでおーか長ぇよ。 昨秋、275m峰を訪ね、ここが「根元山」であるという確信を強め、考察をまとめ、このブログで公開。その後それに関する文献を図書館で片っ端から集めてみたで。 まずは『藪塚鉱泉案内』 (1926)を再度熟読。以下の記述を発見。 (惟高親王が西長岡に)七社の神も奉祠なされた。稲荷神社、日吉神社、熊野神社、諏訪神社、八幡神社、雷電神社、根本神社の七社である根本神社があるってことは、根本山もきっとあるに違げねぇやぃな。根本信仰があるってことは、名前も根元よりは根本のほうがふさわしんかもしんねぇ。 『太田市史』通史編 民俗(下巻) p205 (1985) にも以下の記述を発見。 西長岡では、4月15日の春祭りの日の朝、ムラ境を中心に梵前(梵天)をたてている。(中略)梵前をたてる場所は、西長岡のムラ境と、ムラ内の菅原神社・雷電様・三峯様・根本様・山王様・弁天様の境内である。ここで注目したいんは「根本様」はムラ境じゃなくって、「ムラ内」にあるってことだぃね。山頂に祠があるんじゃなくって、山頂のちょっと下とかにある可能性もあるってことだぃね。でも桐生の奥の本家の根本山も山頂の下に神社があるんだけんど、山全体が根本山って呼ばれてるんだしなぁ。 さらに文献を漁ってみた。 『上毛及上毛人』210號(昭和9年;1934)の中に石原義令「新田郡藪塚本町の史蹟」p52-53に「八王子山」の項目があり以下の記述を発見。 八王子山しっかり根本山があるじゃねーきゃ!石原義令氏は笠懸鹿田赤城神社の神官を務めてた人のようで、これ以前の『上毛及上毛人』で「新田郡笠懸村の史蹟」を2号にわたって投稿してるんさね。どうして笠懸の神官が、藪塚の史蹟を投稿したんかはわかんねぇし、その上、藪塚エリアのほか、強戸エリアの山まで記述してるんだぃな。いずれにせよ、当時の笠懸の郷土史家が「根本山」を知っていたとなると、当時北新田郡内ではある程度「根本山」もネームバリューがあったんかもしれねぇなぁ。 さらにあの岩澤正作先生の紀行文を発見。『上毛及上毛人』第72號(大正12年;1923) 岩澤正作「史蹟踏査廣澤村次の三日(三)」 p14 (旧字は現在の漢字に改め) 此の南走する小径を三四十間辿ると北西より来れる小径がある。尚数十間下ると右側に庚申塔を建て、前に畧東西に通ずる里道がある。是は廣澤村字姥澤から藪塚に通ずるものである。275m峰は「南方の小丘」って素っ気なく記述されてらぃな。旧山田エリアの人にはどうでもよかったんかな。岩澤先生なら山名知ってたら絶対書いてたんべ。 まぁそんなこんなで春になって・・・げきさかのぼるさんから衝撃のメールを頂戴した。八王子丘陵を散策したら、あの見晴らしの良いところの樹に「御所山」の掲示が出ていると・・・!(右) どんなに調べても、ブログで情報を発信しても、所詮は「ごまめの歯ぎしり」ってことなんか・・・このままじゃそのうちここに御所山のプレートが付けられ、後の世に間違った名前が伝えられちまうじゃねーきゃ!これは何としても阻止しなくてはならん。とはいえ、こんな一介のなんちゃって郷土史家のゆうことなんか太田市は取り合ってくれねぇだんべなぁ。 最後は両毛の生んだ政治家・田中正造翁のように太田市長に直訴っきゃねぇかなぁ。 直訴・・・!?そうか!その手があった! それが幸運にも市長の目に留まって、オレのブログでの考察も読んで下さったみてぇだ。「詳しく調べるので文化財課から連絡する」とのツィートも頂戴した。さすが太田市!仕事が早い!そして以前、小字調査でお世話になった文化財課のE氏から連絡を頂戴した。そして6月初旬、太田市文化財課でE氏と面談。こちらがこれまで集めた資料をすべて持参したんだけんど、そこに待っていたのは・・・こちらの倍はあろうかとゆう、まさに垂涎の資料!やっぱり市のプロが集めると資料の濃さが違がぁぃなぁ。特にいくつかの図書館を巡っても探しだすことができなかった「西長岡鉱泉長生館の絵図」があったんはすげぇ感激!(なんとこの持ち主の某氏はオレのブログを読んで下さってて快くご提供下さったそうだぃね。ありがとうございます!) 謹んで絵図を引用・・・(ただし縮小して) 一部拡大すっと (ただ雷電山が茶臼山となってるんだけんど長岡ではそうよばれてたんきゃ!?それとも誤認? 「切通シ」は現在の籾山峠だんべなぁ 文化財課の話だと藪塚側からは275m峰地点に関する地名がねんだそうだぃね。まぁ藪塚の人にとっては、廣澤に抜けるんは八王子越えか籾山峠を通ればいんで、わざわざその真中にあるこの小丘なんか普段通ってなかったんだんべね。聳える高さの山だったら登ってみんべぇって考えも生まれたんだんべけんど、主尾根とはいえ大した標高差じゃねぇし、まるっきし興味の対象外だったんかもしんねぇね。西長岡で根本山といってた地点(旧最高地点)のことは尾根道が分岐すっから「追分」とゆってたみてぇだけんど。 文化財課での会合は実に有意義だったで。その後、文化財課からあのピークは「根本(根元)山」の可能性が高いと工事課に伝えられたらしく、6.14付けであの樹の表示にも御所山のテープを貼って「根元山」の表記に訂正されたんだそうだぃね。(この時は『藪塚鉱泉案内』の絵図の表記に準じ「根元山」としていた。頂いた証拠の画像は右) いやぁよかったよかった。これでひとまず安心きゃ!?冬になったらもう一度登って樹の表記見てみなくっちゃなぁ。そうこうしていたら10月末に太田市長から八王子丘陵遊歩道の視察に誘われたんさ。喜び勇んで行ぐと、現地で渡された地図には、未だにあそこに「御所山」が誤記されたまんま・・・orz 大丈夫なんか?工事課の人たちにも直訴してみたんだけんど、聞いてくれたかなぁ。そして12月中旬、E氏から山名の考察を「根本山」として工事課に改めて文書として正式提出したとの連絡を頂戴したで。 考察には多くの文献資料や地図資料が添付され、結論としては「旧太田・藪塚・桐生の3境界(「追分」)は狭義の「根本山」であるが、その少し北になる現・太田市最高地点275mも現段階では「根本山」が適当である。表記も根本様が根本信仰に基づくものであり「根元」の表記よりは「根本」が適切」とゆうことだったぃね。 あぁやっとここまでたどり着いたで!文化財課、GJ! じゃ、ここまで来たらオレが行方不明の根本の石祠を探し出し、動かぬ証拠をゲットして、更にその結論を補完しようじゃねーきゃ。 探索計画は、温泉神社→雷電山→尾根伝いに「追分;狭義の根本山」→275m峰(根本山)とゆうルート。戦後すぐの航空写真をみると雷電山→追分は、山の木々も戦争で供出されたあとなんか、樹が殆ど無くって尾根に綺麗な道が見えるんだけんど、前、雷電山に登った時は、そんな道があるとはとてもみえなかったで。折角なんでこの一連の出来事をよく知っている、げきさかのぼるさんをお誘いしてこのルートにアタックすることにしたで。(そういやオレ、八王子丘陵の「探検」でパーティを組むんは初めてだぃな) 23日朝、三島神社の駐車場で落ち合い、徒歩でやぶつか温泉街へ。温泉街には一見さん用の駐車場がなくって残念。八王子丘陵散策の基地として、ハイキング目的の人の駐車場もぜひ整備してほしいやぃなぁ。 温泉神社(改めて後述予定)に参拝。神社右手からアタック開始。すぐに篠竹の藪になり行く手を阻まれちまう。その昔は日照りん時は里から登って雷電山の雷電宮の石祠で雨乞いの何日も祈祷をしたそうだそうだぃね。 『藪塚本町の民俗』(1974) p82にはこんな記述があるで。 雨乞い一昔前は湯ノ入から雷電山までそれなりの道はあったんだろうけんど、今は雨乞いなんかしねぇし(しねぇよね?)、県道もあるんで雷電山にこんなルートで行ぐ人なんて少ねんだんべなぁ。2人で藪に悪戦苦闘しながら山中を登ると、目の前に雷電宮の石祠が現れた!久しぶりの再会。明和四年の銘がわかる。 こっからゴルフ場を右手に見て北の主尾根を目指す・・・ところがこれが予想以上のキョーレツな篠竹の藪。2人で尾根を外さねぇように進む。もはや蛮勇で藪を突っ切るのみ。げきさかさんがいなかったら、心が折れてすぐに撤退しちまってたんべなぁ。久々の手強い藪漕ぎ。途中、すんげぇでっけぇ岩があった。こーゆーところには祠がありそうだけんど、2人で丹念に探すがめっからず。尾根は本当に手強い藪だらけ。更に進むと右手にちょっとした平坦地があった。祠を置くには十分なスペースがあったけんど・・・ここにも祠はめっからず。 そんなこんなで藪と格闘しながら登りつめると八王子丘陵主尾根に出た。(追分;旧太田市最高地点;狭義の根本山)この周辺も2人で丹念に見たんだけんど、石祠らしいもんはまったくめっかんなかった。 2人で275m峰に行ぐ。工事課が樹に巻いた表示は剥がれずにちゃんと残ってたで。東屋建設予定地点からは八王子丘陵屈指の展望。空気が澄んでて秩父連峰や浅間山がおーかよくめぇる。ここはぜひ御所山じゃなくってちゃんと「根本山」のプレートを作ってくんなぃね>工事課の方々。 子供の頃、浅間山を富士山と間違えていたんはナイショだ(笑) 帰ぇりは、石尊コースで、石尊宮、十一面観音(左)、勝負沼を経て温泉神社へ。げきさかさん、オレの道楽に快くつきあってくれて本当にどうもありがとう。 結局、石祠は探しだすことができなかったんは残念だったけんど、有意義な八王子丘陵探検だったぃね。・・・いやぁ今日はマジ探検だったぃ。 【上図は、この行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。温泉神社から東へ。最初のフラッグは雷電山石祠、尾根途中のフラッグマークは藪の中の大きな岩。(絵図の「石尊山」ってこれを指すんかなぁ?) 尾根のフラッグは東屋建設予定地・・・無線のAPRSのデータは設定ミスで位置情報を発信できず失敗しちゃったorz 】 【参考文献】 『藪塚山地名一覧表(俗称)』 藪塚本町誌編纂室 1983 藪塚本町山と緑の会会報 『ニュース山と緑』 『藪塚本町古地名古道名地図』 群馬県歴史散歩の会藪塚本町支部 1998 今井武八郎 『藪塚鑛泉案内』 p16 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926 『太田市史』通史編 民俗(下巻) p205 太田市編・発行 1985 石原義令 「新田郡藪塚本町の史蹟」 p52-53 『上毛及上毛人』第210號 上毛郷土史研究会 1934 岩澤正作 「史蹟踏査廣澤村次の三日(三)」p14 『上毛及上毛人』第72號 上毛郷土史研究会 1923 『薮塚本町の民俗』 p82 1974 更に続編! 続々・太田市標高最高地点の考察 ~ 根本山石祠を発見せり! (2014/4/20)
by dr_suzuki
| 2011-12-23 22:36
| 東毛(+両毛)漫遊
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Comments(6)
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げきさかのぼる
at 2011-12-24 16:36
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昨日はお疲れさまでした。
なるほど、275メートル峰の山名をめぐる考察、探索の総括というわけですね。 それにしても、文化財課が「275メートル峰=根元山」という結論に至るまでの長い道のり、すずきさんの働きかけの経過や新たに探し出された絵図、地図、資料なども含め、ひとつのストーリーを追いかけるように読ませていただきました。根本山をめぐる物語の完結ですね。
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dr_suzuki at 2011-12-24 17:51
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monaka
at 2011-12-24 19:43
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ご無沙汰しております。強い風の中の探索、大変お疲れさまでした。シリーズの総まとめ、といっても今年の総括とのこと、もしかして続編や番外編もあるのでしょうか。
これまでのご活躍の様子は、こそっとモニターさせていただいておりましたが、行政を動かすツイッターの威力は、RA心配ママさんだけでなかったですね。 以前『藪塚鑛泉案内』の絵図(模式図)と、「カシミール」の鳥瞰図を上下左右動かして、見比べながら、同定ができないかと色々やってみましたが、なんとも言えない状況でした。 「西長岡鉱泉長生館の絵図」だと、どうなんでしょう。 先日の新田郡庁跡の現説は行かれなかったようですが、前回と同様に、出るべきものが出てきているという印象です。将来どうしていくのかが大きな課題なんでしようね。
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dr_suzuki at 2011-12-25 11:52
▼monakaさん
こちらこそご無沙汰しております。 この件に関しては、これ以上続編がでぎねぇことを祈ってるんだけんどねー。もし工事課が訂正してくれなかったら、ゴルフ場にお願いして、あのコース内の山(たぶんあれが御所山)に登って祠があるか確認するっきゃしかねぇんだけんどね(笑) まぁあの丘陵にはまだまだ探検に値する場所がたくさんあるんで(笑) 新田郡庁現説は土曜日だったんべ?オレは土曜は仕事なんさね・・・
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はにゃ
at 2011-12-25 20:31
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お疲れ様です。
年がら年中あの展望ポイントにはお世話になってる身としては大変興味深く読ませていただきました。 西長岡鉱泉長生館の絵図はいい味出してますし山名まで記されているのは感動的ですね。 あそこには東屋が建設されるんですか!? 撮影フリークとしては東屋より展望櫓にしていただきたいところなのですが・・・・ハイ身勝手な願望です(笑) 私もあの辺はうろつきますので、もし何か新発見がありましたら連絡させてていただきます。
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dr_suzuki at 2011-12-25 22:06
▼はにゃさん
絵図は太田市史や藪塚本町誌に文字が読めねぇぐれぇの大きさで載ってたんたんさ。絶対元になった絵図があるはずなんで、図書館でずっとめっけてたんだけんど、上州の景勝地の絵図を集めた本の復刻版も出てて、西長岡鉱泉は紹介の文章は載ってるんに、なぜか絵図は載ってなかったんで・・・はぁ諦めかけててて・・・文化財課で「市史のこのページの小さな図の絵図、調べてもどうしてもみつからなかったんです!」とゆったら、E氏が「このことですよね」といって、西長岡鉱泉の絵図を眼前に差し出してくれた時は・・・まーず興奮したで!(笑) あそこに展望櫓だったら人気が出るだんべなぁ。 周辺はげきさかさんと2人で丹念に探したつもりだけんど、もし何かわかったらぜひ情報くんなぃ!よろしくたのまぃ! |
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