大通寺(新田木崎町)境内の「冠掛の松」
記事にするんをすっかり忘れてたネタをアップ。
10月23日(日)上州太田スバルマラソンでのハーフ完走の後、攣って痛むふくらはぎをかばいつつ、旧新田町東部の青面金剛を探しながら、家に帰ぇることにしたで。(結果、こん時は5基の青面金剛をゲットさね)
『新田町の石造物と金工品(新田町誌基礎資料4号)』(1977)に青面金剛の記載のある大通寺。ここはその青面金剛もあるんだけんど、新田義貞公の旧跡とされる「
冠掛の松」があるって聞いてたんで、義貞公親派としてはぜひ一度行ってみてぇと思ってた場所だぃね。・・・しっかしここはgoogleMapだと大通寺じゃなく、幼稚園と表示されてるんだけんど・・・(ちず丸ではちゃんと「大通寺」と表示されてる)
山門/新しく立派な本堂/山門の脇に「新田義貞公舊跡」の碑(戦前のもんかな)
山門入ぇってすぐ、左に青面金剛、アッタ━(゚∀゚)━!
笠付角柱型で元禄7年(1694)のもの。
側面には蓮の華が彫られて凝った像形さね。
新しい立派な本堂の前に、「冠掛の松」、アッタ━(゚∀゚)━!
まぁずでっけぇ、立派な松だぃねぇ。
現地説明板
「鎌倉幕府討伐のため生品神社で挙兵、
鎌倉へ向かう途中、この松に冠を掛けて休憩したと伝えます」
この赤堀は佐波の赤堀じゃなくって、新田の赤堀だんべなぁ。
戦前は義貞公は生品神社の旗揚げの後、南進説が取られてたんで、ここや、
亀岡の駒つなぎの松とか新田郡南部には義貞公の伝説地が多いんさね。(最近は義貞公は、西進し、現高崎で越後の新田一族と合流し鎌倉街道を南下したとゆう説が専らとられてらぃね)
しっかしここのお寺・・・GoogleMapのゆうとおり?境内と幼稚園の園庭が完全にいっしょなんだね・・・平日に来なくてよかったぃな。青面金剛探してカメラ持って境内うろついてたら、保母さんやママさんに
通報されちゃったかもしんねぇし(笑)
大通寺 (Yahoo!ロコ)