長慶寺 (太田市新田上田中町)
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田中山長慶寺 (太田市新田上田中町)・本堂

 青面金剛探索の途中、オレの中学の同級生でもある@kubotatakashi氏(太田市市議会議員)のリクエストにお応えして、上田中町の長慶寺に行ってみたで。(実はここにも青面金剛があるんでちょうどよかったんさ)

 長慶寺は新田里見系の里見義俊(竹林(高林)太郎)の息子・田中五郎義清を開祖とした田中氏の居城があったとされるとこだぃね。(ちなみに岩松系田中氏とゆうんもある。畠山義純の次男・田中時朝を開祖し、明治時代の有名な政治家・田中正造はその末裔だっつー話さね)

 綿打中の道を挟んで東側。看板も出てるんですぐわかるで。境内はそこそこ広れぇんね。新田の古刹ってどれも新田氏がらみの館跡にできてることが多いんね。境内に由来記あり。打ち込むの面倒なんで、画像を貼り付けとくか。

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境内の由来記


 ここが「長慶寺」って名になってるんは、南朝第3代・長慶天皇の陵墓があるってことだぃね・・・まぁ長慶天皇は長らくその在位について議論があったんだけんど、大正15年に即位が確認されて、第98代天皇として皇統譜に加わったんだけんど。南朝の中でも室町幕府に対し強硬派で、後亀山天皇に譲位後に全国の南朝勢を糾合すべく全国に潜幸したっつー伝説があるってゆうけど、南朝の臣・新田の地で没したってゆうんは、まぁ伝説の域を出ねんじゃねぇかと・・・新田ビイキのオレでもそう思っちゃうよなぁ。

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右の宝篋印塔は長慶天皇(退位後なら上皇?)陵墓
左の宝篋印塔は田中義清の墓とゆわれてるそうだぃね
天皇陵墓のほうが小っちぇんだけんど・・・


 境内にはこんな碑も建ってるで。

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茶聖千利休居士之祖
田中五郎義清之館跡也

 安土桃山時代の茶人・あの千利休(田中与四郎)は祖先をこの田中五郎義清としたらしいんだけんど・・・本当だんべか?( 『千家系譜』、『千利休由緒書』による) テレビドラマで出てくる利休って、いつも関西弁バリバリの設定だけんど、先祖は上州弁だったんかねぇ?

b0004675_1738198.jpg 境内には、目的の不動明王、青面金剛、二十二夜塔などがあったぃね。



長慶寺 (ちず丸リンク)

【参考文献】
「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」 峰岸純夫 吉川弘文館 2011
※峰岸先生はこの中で長慶寺は里見系田中氏ではなく岩松系田中氏の居城跡という説を述べておられる。
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by dr_suzuki | 2011-10-17 17:49 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
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