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2011年 10月 17日
百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)
 最近は太田への出勤途中や日曜に、旧新田郡(+α)地域の青面金剛蒐集に熱中(笑)『新田町の石造物と金工品(新田町誌基礎資料4号)』で青面金剛の一覧を発見したんで、ひとつひとつそのリストを潰してるんさ。さながら宝の地図を手にしたドラクエの冒険気分。ところがその一覧にある所在地は「小字名」の表記だけだったり、個人宅の「北東」とか、そっけなく一行っきゃ書いてねんで、出版後30年も経つ今では、本当に辿り着くまでが一苦労さね。道路脇にあったっつーもんは、道路の拡幅工事でなくなってることもあるし、あると書いてある某神社には二度行って境内を探したけんど、結局探し出すことがでぎなかったり・・・まぁ「宝探し」なんてそんなもんかね。

百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_12313771.jpg こないだの朝も一覧に「中江田・江田の池」とだけ書いてあるんをめっけに行った。まぁ地元の人なら、それだけでピンとくるんだんべけんど、正直「それどこなん!?」って感じさね。ちなみにGoogleMapやYahoo!地図には載ってなくってどうすんべかと思ってたら、「ちず丸」にはちゃんと載ってた・・・orz (地図サイトはどれも一長一短があるんで、検索にはこの3つのサイトをフルに活用)・・・でも結局、行ってみっと土地カンねぇからうまく辿り着けなくって、畑で農作業中のおじいさんに場所を教えてもらったんだけんど(笑)苦労して辿り着いてめっけて、それが300余年の風雪に耐えてもなおビューティフルなもんだと、まぁずうれしいんだぃなぁ。右はその「江田の池」の享保8年(1723)青面金剛。新田の湧水の池の畔に300年近くもひっそりと佇んでるんなんて、まぁず趣あらぃねぇ。青面金剛って、エイリアンっぽい風貌もまっさかイケてらぃ!(笑)


 さて次の目標は同じ中江田で所在地が「原 百庚申」とだけ書いてある元禄8年(1695)の青面金剛・・・って中江田広すぎ。百庚申ってことは、こないだの笠懸西鹿田の長昌寺みてぇに庚申塔てんこもりだってことか・・・って、それどこなん?わかんねぇなら、今の時代はとりあえずググってみる。「中江田 百庚申」の検索結果は・・・いつもお世話になってるサイト「埼群古墳館」がヒット! 百庚申古墳きゃ! 古墳に庚申塔林立かも! こりゃいってみるっきゃねぇな。しかも親切にサイトに場所まで示してくれてるし・・・(ちなみに上記3つの地図サイトには「百庚申」の表記がなかったぃね。)

 これなら出勤途中にも寄れそうだぃなぁと思ってたら、昨日の日曜、妻娘がジョイフル新田に行ぐっつーんで、買い物につきあわされるんもなんなんで、送り届けてっから、時間潰しに、これ幸いとばかりに新田地区の青面金剛探索に。中江田の百庚申古墳方面に行ってみっと・・・354号を折れた所に、旧新田町が設置した史跡めぐりコースの案内板も出てんじゃねーきゃ。それなりに旧新田町じゃ有名なところだったんかな?

百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_12322110.jpg
百庚申古墳・北西から
まぁずさびしい とても古墳にはみえねぇよね

百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_12325088.jpg
南西から
 草ボーボーで庚申塔、ほとんど見えねぇし!(石祠が数基あるのみ)

百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_1233865.jpg
近づいてみた
青面金剛が本当にここにあるんきゃ!?
めっけらんなかった・・・orz っつー徒労パターンを既に覚悟・・・

 「古墳はとりあえず上ってみる」のがポリシーなんで、墳頂付近の木をかき分けてみた。(こうゆうところには蜂が潜んでるんで、度胸と注意がいる(笑))
百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_12332484.jpg
ん??何あれ!? まさか!

百庚申古墳 (太田市新田中江田町原)_b0004675_12334116.jpg
元禄8年(1695)青面金剛!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!!
よーく拝んで撮影!
・・・でもよく見っと右腰ん所は蜂の巣なんきゃ?


 いやぁ古墳の主のように、金剛が鎮座してたで。
 こうゆう出逢いがあるんで、ますます宝探しの冒険の旅に燃えちゃうんだぃなぁ。

 この日は正味2時間ほどで新田地区の青面金剛11基をゲット!オレのライフワーク(予定)のGoogleMap「東毛の青面金剛」のデータがおーか充実したで。

 ジョイフルに妻娘を迎えに行ぎ、日曜午後の冒険の旅は終了~!

【参考文献】
 『新田町の石造物と金工品(新田町誌基礎資料4号)』 p111-143, 1977
 『新田町誌』 資料編(上) 1987
 百庚申古墳 (埼群古墳館)

by dr_suzuki | 2011-10-17 12:51 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
Commented by ざすっぱ at 2011-10-18 06:12 x
今日の朝日新聞に「上野新田氏」という本が出版されたという記事がありました。驚くことに前九年後3年の役を平定した、源義家の3男義国の子義重が新田の祖で義重の弟義康が足利氏の祖だそうです。さらに義重の長男が里見氏、次男が山名氏の祖であったとは。岩手平泉と両毛地区は深い縁があったんですね。びっくりしました。
Commented by dr_suzuki at 2011-10-18 19:46
▼ざすっぱ先生
新田一族は全国に雄飛してんですよ~。
もし両毛で政令指定都市を作ったら「新田区」を作ってほしいやぃなあ。


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