2011年 10月 03日
太田の地蔵像容庚申塔
 ・・・群馬や東毛地区の郷土史or石仏マニアの皆さん向け(笑)

 夏に太田市寺井の聖王寺に行ったときに、なにやら怪しい像容の石仏を発見したんは前にもブログで触れた通りさね。

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寺井・聖王寺にて
なんなんこれ?

b0004675_16464231.jpg 日・月と思われる○、そして鶏と思われるものが屋根に左右にある。(まぁ屋根に鶏がいるタイプも珍しいんだけんど)下には猿のようなものが左右に。まぁ鶏と猿がいるんなら庚申塔に間違いねぇだんべぇ。何か字が彫られてるんだけんど・・・読めねぇ・・・

 真ん中の像は、削られてる感じだけど、明治の廃仏毀釈の時にぼっこわされちまったんかもしんねぇな。ここにはいったいどんな像が彫られてたんだんべか?


 ・・・心の片隅にこのことがずっと残ってて・・・

 先日、「神社ぐだぐだ参拝録」とゆうこの辺の神社の参拝記録を網羅した、すんげぇブログがあるんを発見。世の中にはものすげぇ猛者がいるもんだと感心しきり。

 参拝記事には石仏や庚申塔の画像も載せてくれてるんで、青面金剛が載ってねぇかなぁ・・とブログを拝見していると・・・

 長手町の(金山)浅間神社里宮の記事の中に・・・なんだか聖王寺のと似てる石仏があるで!こっから昔、金山に上ったことがあるんだけんど、当時はこんなことに興味もなかったんで(画像すら撮ってねぇし)全然気づかなかったぃな。

 喜び勇んで(笑)先週の太田勤務の朝に、ちっと遠回りして長手に寄ってみたで。

 拝殿の東のほうに問題の石仏発見!(周りの立木に蜘蛛の巣いっぺぇ!) 朝日ですっかり逆光・・・orz

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長手・浅間神社にて
確かに同じような感じ
像の左右に年号らしきものが彫られてるんだけんど、やっぱ風化して読めねぇな・・・

b0004675_16484516.jpg 真ん中の像、合掌してるんだけんど、とてもいわゆる六臂の武器を携えた青面金剛にはみえねぇし・・・どうみてもお地蔵さんかお坊さんのようだぃね。

 初期の庚申塔って僧形タイプのものもあるって本じゃ読んだことはあるんだけんど、このことなんかな・・・聖王寺の削られちまった像も同じようなものだったんかなぁ・・・


 ・・・同じ日の帰ぇりに、彼岸花を写しに上田島の常楽寺に寄り込んでみっと・・・

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上田島・常楽寺にて
ここにもおんなじタイプがあるじゃねーきゃ!ってか、長手浅間神社のと瓜二つ!
ここも年号が読めそうで読めねぇ・・・こっちのほうが保存状態がいんだけんど・・・

b0004675_16504613.jpg 他の人は彼岸花の撮影してんのに、オレはこの石仏にがぶりつきさね(笑)
 同じ日に別なところでほぼおんなじ像に出くわすたぁ、オレはまっさか「もってる」んなぁー(笑)

 たぶん寺井の削られたんも同じ像が彫られてたんに違ぇねぇやぃな。こりゃその昔、同じ時代に、寺井と長手と上田島で同じ石工に発注だな。これってもしかすっと大発見!?かもしんねぇで!


 おーか気になってしょーがねん(笑)で、日曜に桐生市立図書館に行って調べてみた。(家からだと単に太田市立中央図書館より近けぇんで、桐生図書館を選択)そこで太田の石仏をまとめた『太田市石造美術調査報告書』(1976)ってゆう本を探したで。
 (実はこれ、「太田市史編集室」が後の『太田市史』の刊行に先んじて出した資料で、このため『太田市史』には石仏系の資料が載ってねんだぃね。『太田市史』の編集の最大の失策ともゆえると思う。『太田市史』は大概この辺のどこの図書館でもあるんだけんど、『太田市石造美術調査報告書』を所蔵してるところはあんまなくって、近くだと太田市中央、桐生市立の2ヶ所っきゃねぇんさね。各市町村の史誌は、あんな厚っちぃ本じゃなくって、今の時代、「自炊装置」にでもぶちこんで、ばんばんPDF化して再販してほしいやぃ。そうすればテキスト検索も楽んなるし・・・安く電子化して出版してくれるんならオレは買ってもいいで。太田市あたり、ぜひやってくんねぇかね?)

 そこであの庚申塔についての記述がねぇかめっけてみた。・・・おーっ!あったで!

 せっかくだから、その部分を打ち込んでみっか。
 (一)地蔵菩薩 市内における地蔵像容庚申は、合掌した地蔵像を中央に刻し、上部に日月・二鳥、下部に二猿を刻した形式のものである。長手浅間神社の塔などには、地蔵像の向かって左に紀年を、右側に「奉造立庚申待供養」の銘文をみることができる。
 この形式の塔は、沢野・九合地区をのぞき平均して分布しており、十四基もある。造立時期は寛文六年(一六六六)から延宝二年(一六七四)にかけてであり、-一部紀年の判然としないものもある-本市の庚申塔の初元的な形式といえる。
 ・・・なんだぁ・・・(旧)太田市内に14基もあるんきゃ!・・・orz

 リストをみっと、上の3つもちゃんと入ってたで。昭和50年頃はまだ銘文が風化されてなかったんだか、ちゃんと年号他の情報まで書いてあるで。どれも青面金剛の時代より古りぃ、まぁず貴重なもんみてぇだぃね。

 寺井聖王寺 ・・・ 延宝二年十一月吉日(1674)
 長手浅間神社・・・ 寛文九年巳酉九月吉日(1669)
 上田島常楽寺・・・ 寛文六年□□天十月六日(1666)

 なんだかオレ自身はもう大発見!のつもりでいたんだけんど、ちゃんと30年前にすでにわかってたんだねぇ・・・orz 残り11基もそのうちめっけてみっか。(めっけたらこの記事の下に追加してぐんべ)

 (ライフワーク(笑)の「東毛の青面金剛」のページに、この地蔵像容型庚申塔は「紫色」の印でマーキングしてみたで。旧新田町にも形は違うんだけんど僧形像容庚申塔もあるんさね)

 【参考文献】
 『太田市石造美術調査報告書』 p63-66 太田市史編集室 1976
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by dr_suzuki | 2011-10-03 17:08 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 砂女 at 2011-10-03 20:58 x
太田市、『太田市石造美術調査報告書』があるなんて羨ましい。
旧桐生市には報告書も、僧形の庚申塔も未だ見かけません。

ネットで当たる限り僧形の庚申塔は少ないです。たいてい両脇に2本乃至4本の手があって、お地蔵さまやお坊さんが少し青面金剛化してる ^^。庚申塔の古いのには大日如来も釈迦如来もあるそうだけど、三枚目、どう見てもお地蔵さまには見えない。うちの田舎のおじさんが出家した風味(笑)みっつの中では一番古いからまだ聖性が足りないのかしら ^^。

その気になって探し始めると民俗宗教の石仏や石祠は奥が深く、ずぶずぶどこまでも底なしです。一緒に溺れてくださいませ ^^。
Commented by げきさか at 2011-10-03 22:54 x
よくお調べになりました! 太田市の報告書はぜひ閲覧してみます。「オレ自身はもう大発見!のつもりでいたんだけんど」のところがいいですね。しかし、石仏探訪も深みにはまると大変だなあ。
Commented by dr_suzuki at 2011-10-05 21:43
▼砂女さん
奥が深くってどこが底なんだかまったくわかんねぇねぇ。あとの11基もぜひめっけてみてんだけんど、その在り処がざっくり「大字」しか書いてねぇんもあって、探しだすんはよいじゃなさげさねorz
Commented by dr_suzuki at 2011-10-05 21:44
▼げきさかさん
はい、一瞬は有頂天だったんだけんどねー(笑) まぁオレの主戦場の旧新田郡地域で今後もリサーチしてぐんべと思ってらぃね。


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