2011年 09月 16日
東毛の「青面金剛」と「二十二夜塔の如意輪観音」の分布
 東毛の郷土史ネタ。

 旧新田郡界隈を新田氏ネタを求めたりして漫遊したりすっと、神社仏閣や路傍に石仏・石神の類をいっぺぇ目にすらぃね。いろんな種類があるんだけんど、特にユニークな像容の「青面金剛」が彫られた約300年前に造られた庚申塔、そしてちょっとアンニュイな感じもする「如意輪観音」がオススメさね。なんで見かけるたんびに、画像に収めてたんさね。

 これまでにも新田郡域で撮影した青面金剛の画像は「やまの町 桐生」さんの青面金剛のページにも提供してたんだけんど、オレの活動テリトリーである旧新田郡地域で、それらの石仏がどう分布してるんか?何か地域性があるんか?と前々から、まとめてみっかと思ってたんさ。GoogleMapを使うと、画像をはめ込んでマップも簡単にでぎることがわかったんで、実に構想2年(制作2日笑)、まだ完成途上なんだけんど、分布図を作ってみたんでGoogleMAP見てもらうんべぇかな。(エキサイトブログにはGoogleMapを埋め込めねんで、ぜひリンク先で見てくんなぃ!閲覧にはGoogleのブラウザChromeを推奨。AppleのSafariでもOK。でもInternetExplorer9だとマーカーが表示されるんがえらく遅ぇんさね。)


◆東毛の「青面金剛」

 マップはこっち!(GoogleMapへ)

<自己流解説>
b0004675_2231895.jpg 東毛地域で、三百余年の風雪に耐え、ユニークな姿を今にとどめる「青面金剛」型庚申塔の分布マップを制作した。
道教では、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。 そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習があった。

庚申待は平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。 庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。

日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像と共に青面金剛像が表されている例が多い。 (「Wikipedia」より引用)

 東毛の庚申塔においても江戸時代初期~中期(西暦1650年頃から1800年頃)にはユニークな像容の青面金剛像が造られていたが、その後は民衆の識字率の向上とともに、自然石などに単に「青面金剛」や「庚申」と彫ったものが多い。

 なお、「青面金剛」型庚申塔は風化が進み、彫られた文字が判読不明のものも多く、その年代については、以下の資料も参考にした。

 右の画像は上田島三叉路の「青面金剛」。「右 わきや江 左 大間々江」と彫られており道しるべとしても使われていた。




◆東毛の「二十二夜塔の如意輪観音」

 マップはこっち!(GoogleMapへ)


<自己流解説>
b0004675_22304142.jpg 二十二夜塔待の主尊は「如意輪観音」。首を傾げて右手を頬にあて(思惟)、右膝を立て膝し、左手は横に組んだ左足にそっと置かれている。思惟の姿だが、ちょっとアンニュイな感じもする像容である。富を施し六道に迷う人々を救い、願いを成就させる観音様として、江戸時代中期以降民間信仰に広く取り入れられ、女性の盛んな信仰を受けた。

 日本全国にある二十三夜待が主に男性の講で陰暦二十三日の夜に集まり、月の出を待つのに対し(薮塚地域は嫁入り前の娘のいる家で行われていたともいう)、二十二夜待は陰暦二十二日の夜で、一般には女ばかりで講を結成した女人講がほとんどである。埼玉県北部から群馬県に濃密に分布しているという。養蚕の盛んであった地域に一致するのであろうか?

 この夜祈願するのは、安産や婦人の病の平癒とされているが、楽しみの少なかった当時の女の人にとって、順周りの宿に集まり、仲間と会食をしておしゃべりして過ごす夜は非常に楽しみであったと思われる。

 『藪塚本町の民俗』によれば、お産の予定の人がいると出産月の前の月の二十二日の夜に近所の人が集会所に集まり、ろうそくを上げ餅を食べ、月が昇るのを待って拝んで安産を祈ったといい、昭和20年までは続いていたそうである。

 如意輪観音は女子の墓標仏としても、各地に数多く造立されていることから、『「二十ニ夜」ないしは「廿二夜」の文字が刻まれて「如意輪観音像」があるもの』のみプロットした。民衆の識字率の向上とともに、後には自然石などに単に「二十二夜」とだけ彫ったものが多い。なお既に風化が進み、彫られた文字が判読不明のものも多いため、その年代については、以下の資料も参考にした。

 右の画像は世良田・長楽寺境内の「二十二夜塔・如意輪観音」



【参考文献】
『新田町の石造物と金工品(新田町誌基礎資料4号)』 ,p111-143,1977
『薮塚本町誌・上巻』 ,p840 ,1992
『薮塚本町の民俗』 p75-80 ,1974
『笠懸村誌・別巻ニ』 ,p249-259,1983

 どっちも今後も東毛漫遊の折に更に項目を重ね、ゆくゆくは旧新田郡域だけじゃなくって東毛全域に広げていきてぇなと思ってらぃね。もはやライフワーク確定!(笑) まぁ仕事で社会に貢献するんは当然として、こんなオレの道楽でも後の世で郷土史に興味を持つ人のためになりゃいぃやぃなぁ。郷土史誌をみても、はぁどれも20年以上前のもんなんで、資料を元に行ってみても道路や境内が整備されたんだかめっかんねぇことも多々あり。また資料も小字名だけの掲載で、どこにあるんだかさっぱりわかんねぇものも多数・・・GoogleMapのようなツールで郷土史誌もう一回まとめてほしいやぃな。

 「そーいや、オレんちの近所に同じような石仏あるけど・・・Mapにねーじゃねーきゃ!」って情報は大歓迎さね。(ただし東毛に限る) よろしくたのまぃ!


【9/20追記】
 げきさかのぼるさんや「やまの町 桐生」さんらの全面協力のもと、マップの対象地域を「東毛全域」に拡大することにしたで。(なんで本文中の記述も旧新田郡地域→東毛に変更)まずは旧山田郡内を充実させて行ぐんべぇや。もちろん邑楽・館林地区の情報や画像の提供をよろしくたのまぃ!

【9/21追記】
 リクエストにお応えして、こんなんも作ってみた。

◆東毛の「不動明王」

 マップはこっち!(GoogleMapへ)

b0004675_10594012.jpg 右の画像は薮塚台・不動山の「不動明王」



 ・・・なんだか、ライフワークが次々増えてってらぃなぁ(笑)

※続編はこちら
両毛の「青面金剛」と「二十二夜/十九夜塔の如意輪観音」の分布
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by dr_suzuki | 2011-09-16 22:48 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
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Commented by げきさか at 2011-09-16 23:34 x
 これは壮大なライフワークになりそうですね。如意輪観音のほうは、いままであまり意識して見てなかったんで、なにかいいのがあったら、ご連絡します。
Commented by dr_suzuki at 2011-09-17 09:53
▼げきさかさん
こんな計画一人じゃとても無理なんで、今後共ご協力よろしくお願いします。二十二夜塔はこの辺に多いそうなんで、こりゃこの時代のオレに課せられた宿命かと(笑)
群馬・栃木に多いってゆう「三日月さま」の塔も合わせて調べたいんだけんど、まだ見たことねんさね。

旧新田郡域が一服したら、次は旧山田郡域にも広げて行きますかね
Commented by 砂女 at 2011-09-24 23:29 x
分布地図、ありがとうございます。うちのHPにも早速貼らせていただきました。
新田・山田の青面金剛が全部集まったら面白い、わくわくします(って思うのは三人くらいか ^^)。うちのもお不動さま共々ぜひ合併させてくださいませ。なるべく早く資料送ります。
Commented by dr_suzuki at 2011-09-25 08:27
▼砂女さん
了解です。こんな分布図がカンタンにできるので、Googleには本当に感謝。


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