尾曳稲荷神社 天文元年(1532)赤井照光が創建したとゆわれ、築城の際、城郭の鬼門(北東)に建立したんで神社建築としては珍しい西向きの社殿なんだそうだぃね。天正18年(1590)館林城初代城主・榊原康政により再建されたとゆう。毎月第3・第5土曜日には「尾曳稲荷骨董市」が開かれ、多数の人でにぎわうんだと。館林七福神では弁財天。
館林七福神めぐり・尾曳稲荷神社によれば
館林城郭を示した老狐
大袋城(城沼南岸)城主赤井山城守照光、年賀の途次童子らに捕らえられた狐児を救った。その夜更け一老翁が顕れ、子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地と説き移転を奨めて姿を消した。その年の七夕の夜老狐が顕れ、尾を曳いて城郭の縄張りを先導して夜が明けた。別れに際し「築城完成の暁は永く城の守護神に仕えよう。私は稲荷の神使新左衛門である。」といい終わるや姿を没した。照光はこれによって築城し、その名も尾曳城と号し、城中に稲荷郭を設け、社殿を造営して当神社を奉祀した。現存する初曳稲荷は尾の曳き初め、夜明稲荷は曳き終わりの場と伝えられる。
だそうだぃね。「尾曳」って、まぁず変わった名前だぃなぁと思ったら、こんな云われがあるんだねぇ。
境内には、もちろん「つつじ」もいっぺぇ咲いてるんだけんど、ここは
東の広場の藤棚が有名みてぇだぃね。
尾曳稲荷神社 (ちず丸リンク)
さてさて、尾曳橋を渡って、本日のメイン「花山公園つつじの名所」に行ってみるとすっか!
(つづく)