タヌキの横に・・・「巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場」の碑
(昨日の記事の続き)
館林駅東口前・・・館林っつーことでタヌキのオブジェがいっぺぇあるなぁ・・・と、そこに野球のボールをかたどった真新しい石碑をめっけたんさ。碑には「
巨人軍栄光の初V 不屈のG魂誕生の地 分福球場」とある。
裏に回ってみっと、石碑には以下のような文が彫られてるで。(打ち込もうとしたんだけんど、面倒くさくなったんで、まんま掲載)
なるほどねぇ。館林には分福球場ってゆうそんな伝説の球場があったんだねぇ。
家に帰ってから「分福球場」をググってみた、Wikipedeiaを引用すっと、
分福球場
分福球場(ぶんぷくきゅうじょう)はかつて群馬県館林市にあった野球場。
解説
この球場は、茂林寺球場という通称で呼ばれたが、分福茶釜で知られる茂林寺からは東武伊勢崎線線路を挟んで反対側に位置している。
プロ野球創成期には、下記参照の東京巨人軍によるキャンプによって球史に其の名を残した球場である。
また、この球場でも職業野球公式戦が開催された記録がある。
その後敷地は学校法人関東学園に売却されて分福総合グラウンドとなっている。
茂林寺の特訓
職業野球の東京巨人軍が1936年(昭和11年)9月5日より分福球場で実施したキャンプ練習。
血反吐を吐くとまで形容された猛特訓であり、現在まで綿々と続く巨人軍の基礎を作ったとさえ言われる。「死のキャンプ」と謳われた1979年(昭和54年)オフシーズンの伊東キャンプと並ぶ、ジャイアンツ史上に残る猛特訓であったという。別名「茂林寺の猛練習」
なんだそうだぃね。不世出の名投手・沢村栄治投手も来てたんみて。そういや昔なんかのテレビ番組で、照明灯がねんでボールに石灰まぶして千本ノックやったってゆうのを見たことがあらぃなぁ。
でも・・・部外者のオレがゆうのもなんだけんど、この碑は館林駅前に建てるより、分福球場跡地か、茂林寺前駅に建てたほうがよかったんじゃねぇかねぇ?
【参考HP】
館林町・分福球場(げんまつWEB) ←このサイトにおーか詳しいで。
おー館林市営バスのラッピングは「正田醤油」じゃねーきゃ!
さすが地元!
・・・そうこうしてるうちに伊勢崎線で三束雨さんが館林駅に無事到着。
いやぁ一時はどうなるかと思ったけんど無事合流できたぃね!
板倉東洋大前駅行きのバスも来たみてぇだな。さぁ行ってみんべぇ!(
つづく)