旧世良田村役場庁舎及び正門
国指定の登録有形文化財(建造物)
境女塚の
CAFE ROSSYで、急遽なっから!のお茶会が開催されることになったんで、八王子丘陵から戻って、急いで着替えて今度は南進。せっかくなんで三束雨さんに世良田で落ち合って、ブログネタになりそうなもんを案内することにしたんさね。時間があんまなかったんで、世良田東照宮とか長楽寺はパスして、国指定の登録有形文化財(建造物)の旧世良田村役場庁舎を紹介してみたんさね。(現在は太田市役所 尾島庁舎 尾島文化財事務所になってるんだと。)
旧世良田村役場庁舎は
文化庁の国指定文化財等データベースによれば
昭和3年(1928)建造。鉄筋コンクリート造2階建,コの字形の平面で,南面に玄関ポーチを設ける。外壁はモルタル塗,正側面の腰を大谷石張,パラペットには擬石塗のロンバルディア帯を廻し,開口部は縦長につくる。全体が装飾を控えた簡明な意匠で,昭和初期の地方庁舎建築の好例。
その前の旧世良田村役場正門(一番上の画像)も登録有形文化財(建造物)だそうで
敷地南側の街路沿いにある。鉄筋コンクリート造,大谷石張の門柱4本からなる。主柱は4.5m,左右の脇柱は2.0mの間隔で立つ。主柱は高さ2.1mで,頂部には雪洞灯を設ける。年代,意匠とも庁舎と一連のもので,役場の正面景観をかたちづくっている。
と由緒ある建造物らしいんさね。まぁ素人のオレがみてもよくわかんねんだけんどねー。「ロンバルティア帯」ってわかねんでネットで調べちゃったよ(笑)
世良田村は昭和の大合併で、世良田・小角田・徳川・粕川・出塚地区が新田郡尾島町と合併、上矢島・西今井・三ッ木・女塚・米岡・平塚・境地区が佐波郡境町と合併とゆう群馬県でも珍しい「村を2分する
分村合併」が行われたとゆう悲しい歴史があるんさね。(昭和32年;1957) 佐波郡は中毛扱いだんべから、この分村合併で東毛の領分が少なくなったともゆえらぃね。この分村合併問題の一連の流れは『尾島町誌 下巻』(1993)で詳しく知ることができらぃね。この庁舎の中や庭で、住民達の喧々諤々の激しい論議が交わされてたんだんべなぁ。
旧世良田村役場庁舎 (現在は太田市役所 尾島庁舎 尾島文化財事務所;ちず丸リンク)
【参考文献】
『尾島町誌 下巻』 町村合併と新尾島町の成立 p437-445 尾島町誌専門委員会 尾島町 1993
・・・p440にはこの役場前の庭で「東部派役場前にて決起集会」の画像が載ってる(※東部派は尾島合併派のこと)
※
三束雨さんのブログでも画像入りで紹介されてるんさ。その画像の差もあわせてみてくんなぃ!(笑)