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2011年 01月 12日
黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)
黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18124346.jpg
八王子丘陵・五條の峠の最西・黒石峠(藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)

 『山田郡誌』に載る旧新田山田郡に通じる五條の峠のひとつ、黒石峠。藪塚瀧ノ入と広沢岡の上を結ぶ峠で五條の峠の中で最も西にある峠さね。

昭和14年(1939)発行の『山田郡誌』には八王子丘陵の峠道について、以下のように記載されらぃね。(ちなみに新田郡側では薮塚も強戸もこのような誌書が全くまとめられてねんで実に貴重な資料さね)
廣澤村大字廣澤字神明より毛里田村大字吉澤字萩原に至る約十粁の間五條の峠あり。即ち左の如し。

黒石峠 廣澤字岡の上より新田郡薮塚本町大字藪塚瀧の入に至る

八王子峠(姥澤峠) 廣澤字姥澤より新田郡薮塚本町大字藪塚湯の入に至る

籾山峠 廣澤字籾山より新田郡強戸村大字西長岡入長岡に至る

菅塩峠 廣澤字舞豪賀茂の入より新田郡強戸村大字菅塩に至る。この峠に洪積層の礫層を露出す。昭和十年道路改修後の事なり。

唐澤峠 毛里田村大字吉澤字唐澤より新田郡強戸村大字北金井に通ず、この峠の西北約百米の分水嶺上に集塊岩の露出を見る。

 黒石峠以外の4つの峠(あるいはそれに続く古道)には、すでに辿ってきたで。黒石峠は主尾根を縦走したときには通ったことはあるんだけんど・・・せっかく主尾根まで来たんだから、黒石峠を下って瀧ノ入に下りてぐことにすっかな。

黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18193896.jpg 主尾根を西に。途中、少年自然の家の三本松コースへの下り分岐や東武鉄道の注意看板もあったりすらぃね。この辺の山は東武の所有なんかねぇ。


黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18254237.jpg 杉林を下ってぐと、黒石峠に辿り着く。(画像は峠西側からの主尾根)桐生側は岡の上団地につながってるんで、団地に住んでる人たちの散歩コースになってるらしく、それなりに道になってるみてぇだけんど、藪塚側はまっさか歩く人も少なく、篠竹に覆われてるって聞かぃね。


黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18202630.jpg 黒石峠から藪塚側に下ってみる。そのうちに道が篠竹に覆われちまうんかな・・・と思いきや、篠竹が見事に剪定されてるじゃんーきゃ。整備してくれてる人がいるんだねぇ。GJ!(ただ竹の断端がまっさか鋭でんで踏みぬかねぇように底の厚い靴がいるね)途中まっさかでっけぇ倒木もあった。


黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18212893.jpg 下ってぐと、道の真ん中にイノシシのヌタ場と思われる窪みも・・・この辺にもいっぺぇいそうだぃねぇ。


黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18364155.jpg 道っぱたの、露出した岩の風合いも「薮塚石」にそっくり。もうちっと薮塚石が後世まで掘り続けられてたら、このあたりにも石切場ができてたんかもな。


 もすこし下ってぐと、突然シイタケ栽培の原木が積まれた場所に出くわす。傍の作業道を下って無事里に下りることができたぃね。これでゴルフ場になっちまって辿れねぇ唐沢峠を除いて新田郡側の五条の峠道はほぼ完了かな。

 自然の家を目指して道を歩ってると、地元のおばあさん(御歳80才ぐれぇか)に偶然行き会ったんで、ご挨拶して、『藪塚鑛泉案内』に載っていた「太平山(「大平」とも書く文献あり)」と「秋葉山」のありかを伺ってみた。「『オオヒラ山』は前の福寿館の裏の山のことをそうゆってたよ。『秋葉山』は・・・しらないねぇ」との話だったぃね。少年自然の家ができてハイキングコースを作った時に、まっと地元・藪塚側からの山々の呼称をつけるとか、もうちっと配慮すりゃよかったんじゃねぇかと思うんだけんどね。まぁ県立施設だからその辺はまぁず無関心だったんだんべなぁ。
黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18221592.jpg
滝ノ入より「オオヒラ山」を望む

黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_18241264.jpg 滝の入公民館の交差点に出られたんで、東進し自然の家の駐車場へ。

 いやーなっから充実した1月9日の八王子丘陵探検はこれにて了。APRSがうまくいがなかったんだけ心残りだぃなー。


 【下図は、今回の行程をカシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込み加工したものを引用。東毛少年自然の家は現在「東毛青少年自然の家」に改称。旧福壽館の裏の山とゆうことで、この峰が「太平山」じゃねんかと推定。橙の字は小字名】
黒石峠 (藪塚瀧ノ入⇔廣澤岡の上)_b0004675_22125340.gif


 なお『藪塚鑛泉案内』巻末の交通(p64-65)にはこうも記されてる。
 (前略)尚西長岡鑛泉より山路を登り籾山峠を越え、廣澤村に出て桐生新宿に達する路と、湯の入り、瀧の入より、また山路を黒石峠を越え、廣澤村に出て、桐生新宿に達する近道がある。共に一里弱である。
 当時は黒石峠も交通の要衝だったんだんべなぁ。

【参考文献】
『山田郡誌』 山田郡教育会 編集・発行 1939
『藪塚鑛泉案内』 p64-65 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926

by dr_suzuki | 2011-01-12 18:39 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
Commented by ふく at 2011-01-13 18:32 x
遅くなりましたが、本年も宜しくお願い致します。

そーそー、思い出したのですが、草木ダムにて、拳銃が見付った頃、この山の石切り場に土地主以外の誰かが椅子や食料を持ち込んでいた形跡が有ったとの事ですので、山へ入る際は、どの山でも、誰かに行き先を伝えてから行かれた方が良いかも!
山の名前は60代以上の男性を見つけて、聞いてみると良かったかも。30代くらいだと、もーわかんねーからね(^^;)
Commented by dr_suzuki at 2011-01-13 19:41
▼ふくさん
今年もよろしくお願いします。

万が一遭難しても大丈夫なように?無線機で位置発信システムを導入したんだけんどねー。
あの辺ほっつきあるってて60歳以上の男の人に巡りあうことはねぇやぃねぇ。うまく行き会ったら聞いてみんべぇ。


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