2010年 10月 20日
不動山 (太田市藪塚町台山) ~ 岩窟上の不動様は何処に
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不動山 (太田市藪塚町台山)

 1926年発行の『藪塚鑛泉案内』は当時の観光ハンドブック的な本なんで、その頃の新田郡の名所旧蹟がおーか紹介されてるんだけんど、そん中に今まで知らなかった「不動山」とゆうのが紹介されてたんさね。

『藪塚鑛泉案内』 p44
 不動山

藪塚字臺にある。其昔岡上景能氏が勸修創建せし不動尊が、山下の岩窟上に祠られてある。山上一帶には桃櫻多數を植え付けてある。同所は八王子山脈の盡端にあり西南北三面は展け、風光は頗る優美である。尚山下に不動ヶ池と呼ぶ小池あり鯉魚の跳りつゝあるを見る。
※註:「臺」は「だい」。「台」の旧字。

 不動様のある不動山・・・そんな山が薮塚の八王子丘陵にあるんきゃ??

b0004675_1749015.jpg ちっと前、ヤフオクで1974年発行の群馬県民俗調査報告書第十六集『薮塚本町の民俗』(群馬県教育委員会編;非売品)っつー本を入手したんさね。この本は後の『薮塚本町誌 下』の民俗の項の基礎になった本らしくって、いろんなことが詳しく載ってて、まっさかおもしれぇやぃね。そこの信仰の項んとこをみっと、この台(だい)の不動様のことが書いてあったぃね。

『薮塚本町の民俗』 p75

 不動様はもと不動沼(岡上様の作った貯水池で今は田圃)のほとりに二つある。一つは薮塚用水の祈願に岡上景能公がたてた。景能公が亡くなった時、不動様の首がとんだという。その首が沼を水田にしたときにでてきて、今は付けてある。もうひとつは旧い立派な不動様である。二体の不動様を年寄りがよく拝む。(台)
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 そこには上のように不動様の画像も2つ載ってて、うちひとつは「首がとんだという不動様」という説明文で紹介されてたぃね。この不動様をぜひめっけて拝んでみてぇもんだ・・・と台地区で、何度か探してみたんさ。しっかし頼りの不動沼のありかは、はぁ地図じゃどこなんかさっぱりわかんねぇし、最初の『藪塚鑛泉案内』の「岩窟上」とゆう言葉、『薮塚本町の民俗』に載ってた画像の感じ、台には薮塚石の採掘が行われていたとゆう歴史もあるから、ちっと小高けぇ石切り場ん所で、崖みてぇなところにあるんじゃねぇかと勝手に信じて、そんな感じの所を車で走ってはみたんだけんど、全然それらしいもんみっからねぇし・・・そんなんで不動様の在処は分からずじまい。ずっと気にはなってたんさねぇ。

 根元山の散策のあと、家に帰ぇるんべぇと薮塚温泉街を通って、県道大間々太田線の渋滞を避けるんに、滝の入をかすめて台の脇の田圃道を通ってぐべぇとしてた途中、何気に八王子丘陵の方に目をやると・・・丘陵のエッジ付近に何やら大きな石祠らしいのが2つめぇるで!なんなん?あれ? 

 砂利道を近づいてみっと、その前の未舗装の道には雑草がまっさか生い茂ってらぃね。ふだんあんま来る人もなさそうだぃね。まっと近寄って見っと・・・間違げぇねぇ!

 あの『薮塚本町の民俗』に載ってた不動様!こりゃなんとも偶然に行ぎ会うことがでぎたぃね!

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2体の不動様発見!

 そこは八王子丘陵のエッジともゆえるちっちゃな崖みてぇな所。『藪塚鑛泉案内』の「岩窟」とゆう言葉にずっと目を奪われてたんだけんど、注目すべきは「盡端」っつー言葉だったんきゃ・・・(「盡」は「尽」の旧字)ちゃんと史料を読み込めば、まっと早ぃくわかったんべになぁ。(家に帰って、以前、太田市教育委員会で調べた薮塚の小字図で改めてみてみっと、字「台山」は、現在の「親孝行の里」のあたりから、ずっとこの辺まで長がーく伸びてきてるんだぃね。昔の人もここまで丘陵の連続っつー認識だったんだんべなぁ。)

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首がとんだという不動様

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不動様と(おそらく)矜羯羅童子と制多迦童子


 その脇に建ってた石碑にはこうあったで。デジカメ撮影したもんを頑張ってキーボードで打ち込んでみんべぇか。(ちなみに『薮塚本町誌 上』の薮塚本町内の石碑一覧には、この碑のことは漏れてて記載がねぇし)
不動尊之碑
江戸幕府四代将軍徳川家綱の代官岡上景能が用水堀を開いたのは三百年も昔の寛文年間のことであった その用水を最も有効に使うために大きな貯水溜を滝から導入した そして側の巨岩の上に不動尊を祀りして住民達は家内安全と五穀豊穣の守護神として日夜崇拝した そこから不動山 不動の滝 不動沼と呼ばれるようになった 又更に立派な不動三尊像が寄進された 風化を防ぐため石造の厨子で保護されてきた が永い歳月を経たので屋の破損甚しく昭和五十年の春地元台有志者相謀りて修理をされて四月十五日には盛大なる法養祭典が営まれた 偶々百五十年前の文政九年四月に石灯篭と 大香炉などが奉献された 奇しくも昭和四十九年十二月三日には景能公三百年遠忌大祭祝典が岡上神社社殿との新築と岡上児童公園の開設を記念して施行されたのである 往時満々と水を湛えた沼や滝の美観を追憶し先人達が学んだ不動の精神や不動の姿勢などを偲び偉業に感謝し改めて不動尊の御加護と御利やくとを希い茲に由来の小碑を建立して永く後世に伝えんとす
 昭和五十一年丙辰年 四月十五日
 撰文並書 薮塚本町文化財専門委員 加藤一太郎
 ・・・確かに屋根の形が『薮塚本町の民俗』の画像とかわってらぃね。・・・それに昔はここにも「不動の滝」があったんきゃ!?

b0004675_231410.jpg その碑の隣には藪塚の富士講の初代先達っだっつー、松本盛行(もりぎょう)の「三十三度大願成就」の碑も建ってるで。


b0004675_17552643.jpg 不動様を拝んだ後、失敬して、その横のまぁ崖とゆえば崖みてぇな、ちっちゃな斜面んところから不動山に登ってみたで。でもこれはとても「岩窟上」とは呼べるもんじゃねぇような気が・・・

 ほんの数秒で神社の社殿がある高まりへ。(社殿はボロボロに荒廃しちゃってて、名もわかんなかったんだけんど、地図サイトによると浅間神社らしい)



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不動山・浅間神社正面より


 無理に崖を登らなくっても、不動様のちっと南側に神社正面に行げる道があったぃね・・・orz

 まぁこれを山歩きに加えるんもちっと気が引ける(笑)んだけんど、ここしばらくの悲願の「不動山」の発見&登頂とゆうことで。

 台の不動様 (このあたり;Yahoo!ロコ)

【参考文献】
『藪塚鑛泉案内』 p44 今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926
『薮塚本町の民俗』 p75 群馬県民俗調査報告書第十六集 群馬県教育委員会編 1974
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by dr_suzuki | 2010-10-20 18:12 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 砂女 at 2010-10-20 23:22 x
不動山登頂(!)、おめでとうございます ^^。
首とび不動はずいぶん美男のお不動さまですね。石祠の中にあるからどちらも保存状態も良さそうだし。
二体とも偶然に発見なんて、八王子丘陵に対するすずきさんの熱意へのご褒美かもしれません。いつも資料をきっちり読んでらして感心してます。

お不動さまと滝はつきものなのできっと江戸の昔には滝があったのだと思う。地図を見ながらわたしも一度行って来よう。
(写真、うちにもいただけて嬉しい。ありがとうございました)
Commented by dr_suzuki at 2010-10-21 08:52
▼砂女さん
本当に偶然だったんだぃね。史料の読みが浅かったなぁと実感。
滝はすでにその痕跡もなかったぃね。
Commented by ふく at 2010-10-22 20:52 x
おめでとうございます!
私、浅間神社は行った事がありません。道から隠れた所で、人家も無かったためかな?でも近くの生品神社は遊び場所でしたよ♪
今度、参拝させて頂きます。
Commented by dr_suzuki at 2010-10-23 09:20
▼ふくさん
ありがとうございます。
あとは胎養寺が最初にあったっつー「羽黒山」の石祠の探索が残ってらぃね。


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