上江田「庚申塔」 (太田市新田上江田町)
いろんな神社・仏閣を巡ってると、そこには数々の石仏なんかがあるんが目につかぃね。ただ単に文字だけが彫られたもんや、なんかの仏様?が彫られたもんもあって、昔の人の信仰心や、素朴な中にも高けぇ芸術性が溢れたもんがあって、まぁず感心すらぃね。事実、人間が後世に記録を伝えるんは、現在でも「
石に彫る」んが王道だしなぁ。
前からお世話になってる「
やまの町 桐生」さんに、「
桐生の青面金剛(しょうめんこんごう)」とゆうページがあって、そのユニークな造形を楽しんでたんだけんど、オレも新田の神社仏閣で青面金剛像を目にすっと、都度画像に収めて提供・紹介させてもらってたんだぃね。
青面金剛はWikipediaによると
歴史的背景
道教では、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。
そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習があった。
庚申待は平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。
庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。
日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像とともに青面金剛像が表わされている例が多い。
棲んでた人間が早死にすっと、三尸は鬼になれるんで、なるべく早く宿主を死なせようとする・・・らしいんさね。有名な日光の三猿もこの思想に基づいたもんなんだんべねぇ。
『野仏の見方』p33 (2003)によると、
青面金剛は忿怒相(怒りの形相)で、六臂(腕が6本)で武器などを持つのが一般的。合掌女人(ショケラともいう)の髪を握ってぶら下げる。庚申の晩の男女同衾は禁忌事項。これを冒せば、子はどろぼうになる。そこで女性を懲らしめる姿を象徴的に描くとされる。鶏を配すのは鶏鳴または翌日の辛酉の日を待つの意。
古りぃもんは青面金剛を模したもんが多かったんだけんど、民間に識字率が高まったり、制作コストを下げる意味も相まって、ただ石にでっかく「庚申」って彫ったもんとか、単に「青面金剛尊」とか、神道系だと「猿田彦大神」って彫ったもん(文字塔)が多くなってきたってことだぃね。今でも道っぱたに「庚申」って彫ってある石は良くみかけるんべ?
そんな時、新田上江田に、なんと重要文化財に指定されてる「青面金剛」があるってゆうのをネットで知り、仕事行ぐ最中に寄ってみたで。場所は新田上江田交差点の西南角。
青面金剛、キター!
これはなんと
3面!こんなんみたことねぇやぃね。普通、三面像は馬頭観音に多いらしいんだけんど、
三猿がある場合は庚申塔なんだそうだぃね。
現地説明板 こうゆう信仰も地域で特色があって、例えば「双体道祖神」なんかは信州~西毛や北毛にはおーか多いけんど、東毛には少ねぇんだそうだぃね。あるいは「月待塔」(特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行なった講中で、供養の記念として造立した塔)だと全国的には「二十三夜塔」が多いんだけんど、東毛辺りじゃ「
二十二夜塔」が多いらしぃんさね。そこには片膝・頬杖をついた「
如意輪観音」が彫られてたりして芸術性も高けぇやぃね。
今後も東毛(+両毛)の特色ある野仏も蒐集、紹介してぐとすっか・・・またライフワークが増えちゃったぃなー(笑)
上江田庚申塔(ちず丸リンク)
【参考文献】
『野仏の見方―歴史がわかる、腑に落ちる (ポケットサライ)』 外山晴彦 『サライ』編集部編 小学館 2003
(↑コンパクトでビジュアル的にも優れた良書)