2010年 08月 18日
明王院 (太田市安養寺町)
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呑嶺山明王院安養寺 (太田市安養寺町・国指定史跡 新田荘遺跡)

 『新田触不動(にったふれふどう)』としても知られる呑嶺山明王院安養寺。現在の明王院は、安養寺殿と呼ばれていた新田義貞が居住していた館跡が寺院となった「館寺」と推定され、大きさは2町四方(1辺約200メートル)の規模の館。(上武道路建設の際、西側が発掘調査がされ、五輪塔や石仏か出土してるとのこと)

 新田義貞公が鎌倉攻めの際、不動明王が山伏に化身して越後一帯の新田氏一族に、義貞挙兵の報を一夜のうちに触れて歩いたと伝えられていることから『新田触不動』と呼ばれるようになったんだそうだぃね。(でも秘仏のため公開されてねんさ)

 太平記巻第十はこう記してる。(太線はオレが強調)

『太平記』(巻大十) 新田義貞謀叛事付天狗催越後勢事
 (前略)此勢ニテハ如何ト思フ処ニ、其日ノ晩景ニ利根河ノ方ヨリ、馬・物具爽ニ見ヘタリケル兵二千騎許、馬煙ヲ立テ馳来ル。スハヤ敵ヨト目ニ懸テ見レバ、敵ニハ非ズシテ、越後国ノ一族ニ、里見・鳥山・田中・大井田・羽川ノ人々ニテゾ坐シケル。義貞大ニ悦テ、馬ヲ扣テ宣ケルハ、「此事兼テヨリ其企ハアリナガラ、昨日今日トハ存ゼザリツルニ、俄ニ思立事ノ候ヒツル間、告申マデナカリシニ、何トシテ存ゼラレケル。」ト問給ヒケレバ、大井田遠江守鞍壷ニ畏テ被申ケルハ、「依勅定大儀ヲ思召立ルゝ由承候ハズバ、何ニトシテ加様ニ可馳参候。去五日御使トテ天狗山伏一人、越後ノ国中ヲ一日ノ間ニ、触廻テ通候シ間、夜ヲ日ニ継デ馳参テ候。境ヲ隔タル者ハ、皆明日ノ程ニゾ参着候ハンズラン。他国ヘ御出候ハゞ、且ク彼勢ヲ御待候ヘカシ。」ト被申テ、馬ヨリ下テ各対面色代シテ、人馬ノ息ヲ継セ給ケル処ニ、後陣ノ越後勢並甲斐・信濃ノ源氏共、家々ノ旗ヲ指連テ、其勢五千余騎夥敷ク見ヘテ馳来。義貞・義助不斜悦テ、「是偏八幡大菩薩ノ擁護ニヨル者也。且モ不可逗留。」トテ、同九日武蔵国ヘ打越給フニ、(以下略)


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明王院境内の碑/青面金剛他石仏多数/大師堂
本堂/手水舎/境内、東に「千体不動塔」


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二天門・持国天と多聞天(南北朝期のものと推定される)

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現地案内板

 境内には「千体不動塔」とゆう、高さ6mにも達するピラミッド型の石造供養塔があるんさね。
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江戸時代に建立されたとゆう千体不動塔・太田市指定文化財

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不動明王がいっぺぇ彫られてる!(しかも陽刻!)
不動明王に特徴の火炎の光背がねんが特徴でもあるんだと


 合計千体の不動明王像が陽刻されてるんだそうだぃね!こりゃ一見の価値あり

 同じく市指定文化財の薬師如来像があるんだけんど、小屋に入ぇってて畏れ多くて撮影しなかったぃね。

 峰岸純夫『新田義貞』によれば、義貞公の越前での没後13年後(1350)、足利尊氏は僧形の武将・岩松頼宥に対して「上野国新田庄木崎村安養寺義貞跡」を「勲功の賞」として与えたとゆう。寺の中心が明王院で義貞公の菩提を弔う役目を与えられたみてぇだぃね。



b0004675_23314267.gif明王院 (ちず丸リンク)


【参考文献】
 峰岸純夫 人物叢書239 『新田義貞』 p175-179 吉川弘文館 2005

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 (スタンプラリー編;つづく)
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by dr_suzuki | 2010-08-18 18:01 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
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